イギリス文学には、上品な顔をしてとんでもない毒を吐く作家がいる。
その代表格がサキ、ことヘクター・ヒュー・マンローだ。
初めてサキを読んだとき、こんなに上品なのにこんなに意地悪でいいのか、と思った。文章は洗練されていて、会話は軽やかで、舞台は紅茶と芝生の国イングランド。だが、その奥に潜んでいるのは、びっくりするほど冷酷な笑いだ。
新潮文庫版『サキ短編集』は、その魅力を味わうには最高の入り口である。
『開いた窓』『おせっかい』『話上手』など、代表作二十一編がぎゅっと詰め込まれている。短い話ばかりなのに、読み終えたあと妙に記憶に残る。なぜかというと、どの話も最後にちょっとした毒を残していくからだ。
この短編集を読んでいると、サキという作家がいかにしてこの奇妙なユーモアを身につけたのかが、だんだん見えてくる。
どうやら彼の人生そのものが、すでに一つのブラックユーモアだったらしい。
抑圧された少年が身につけた笑いの武器

絵:四季しおり
サキの本名はヘクター・ヒュー・マンロー。1870年、当時イギリス領だったビルマで生まれた。
ところが彼の人生は、かなり早い段階で暗転する。まだ二歳のとき、母親が牛に突進されるという事故で亡くなってしまうのだ。なかなか衝撃的な出来事だが、この理不尽な自然の力は、後のサキ作品にたびたび現れるモチーフでもある。
母の死後、サキはイングランドに送られ、祖母と二人の叔母に育てられることになる。だがこの家庭環境が、かなり厳しい。ヴィクトリア朝的な規律に満ちた家で、子供たちは厳格に管理されていたという。特に叔母オーガスタは、かなりの暴君だったらしい。
サキの短編には、やたらと「意地悪な叔母」が登場する。例えば名作『物置部屋(『サキ傑作集 (岩波文庫)』に収録)』に出てくる叔母などは、まさにその典型だ。これはどうやら実体験がかなり反映されているように思う。
ただ、ここで面白いのは、サキが単純に反抗したわけではないということだ。彼はむしろ、大人たちのルールに従うふりをすることを覚えた。そして心の中でこっそり笑う。この態度こそが、サキ文学の基本姿勢になっている。
つまり彼の物語では、表面上は礼儀正しく、上品な会話が交わされている。しかしその裏では、誰かが誰かをからかい、騙し、あるいは破滅させる。
優雅な皮肉。それがサキの武器である。
ティーパーティーを壊すトリックスターたち
サキが活躍したのは、エドワード朝と呼ばれる時代だ。ヴィクトリア朝の厳格な道徳が少しゆるみ、上流階級が社交や遊びを楽しんでいた時代である。
サキの短編の舞台も、だいたいこの社交界だ。ティーパーティー、週末の別荘、庭園の散歩。どれも優雅な光景だが、そこに一人、妙に皮肉屋の若者が紛れ込んでいる。
レジナルドやクローヴィス(『クローヴィス物語 (白水Uブックス)』といったキャラクターたちである。
彼らはいわば社交界のトリックスターだ。退屈な会話の中で鋭いジョークを投げ込み、偽善的な大人たちをからかう。オスカー・ワイルドの系譜にあるウィットだが、サキの場合はもう少し冷たい。
彼らは基本的に責任を取らない。ただ状況を面白くするだけである。
例えば有名な『トバモリー』という作品では、人間の言葉を話せるようになった猫が、晩餐会の出席者の秘密を次々暴露してしまう。上流階級の優雅な空気は、一瞬で崩壊する。
この種の話では、文明社会のルールがいかに脆いかがよくわかる。礼儀や体面というものは、ちょっとした異物が入り込むだけで崩れてしまう。サキはその瞬間を、実に楽しそうに描くのだ。
どんでん返しの向こう側、景色が変わる音
さて、新潮文庫版の中でも特に有名なのが『開いた窓』だ。
ミステリ読みとして最も興奮するのは、やはり「世界が裏返る瞬間」だろう。サキはこの技術において、歴史上でも五指に入る魔術師だと思う。
『開いた窓』を読むとよくわかる。神経衰弱の療養のために田舎を訪れた男の前で、十五歳の少女ヴェラが語る奇妙な物語。それは、窓から帰ってくるはずのない人々の話だった。読者は男と共にその物語に引き込まれ、恐怖に震える。
しかし、ラスト数行。たった数行の事実によって、それまでの恐怖がまるっきり別の何かに変換される。この時の、足元がガラガラと崩れ去る感覚! これを知るために本を読んでいると言っても過言じゃない。
「十月の午後だというのに、窓をこんなに開けはなしにしておくのを、へんだとお思いになるかもしれませんわね」と少女は、芝生の方へ開いた、大きなフランス窓を指しながら云った。
「季節にしちゃ、ちょっと暖いですからね。でも、あの窓がその不幸となにか関係でもあるのですか」
「あの窓から、ちょうど三年前の今日、伯父と伯母の二人の弟が、猟に出て行きましいた。そして、そのまま帰って来ませんでした。気にいりのシギ猟場への途中、荒地を通っている時、まちがって沼地に、三人とも呑みこまれてしまったのです」
『サキ短編集(新潮文庫)』89ページより引用
この作品のすごいところは、ほとんど会話だけで構成されている点だ。少女が少し話すだけで、日常の風景が幽霊譚に変わってしまう。
つまり、現実が言葉によって書き換えられる。最後の数行で、その仕掛けが明らかになるのだが、そこで初めてやられたと思う。
あるいは『おせっかい』。宿敵同士の二人が、大自然の脅威の中でついに和解し、希望を見出した瞬間に現れる救助隊。その正体が判明したときの絶望感。
サキはこういう構造を得意としている。日常の世界に小さな嘘を投げ込み、それをどんどん膨らませる。すると最後には、現実の方がひっくり返ってしまう。
そんなふうに、サキは読者が「こうあってほしい」という願いを、嘲笑うかのように踏みにじる。でも、その踏みにじり方があまりにエレガントで、論理的に完璧だから、拍手を送るしかないのだ。
百年たっても古びないサキへ

『空いた窓』イメージ絵:四季しおり
なぜ、百年前のイギリスの、こんなにも意地悪な物語が今も読み継がれているのか。
それは、サキが描く残酷なユーモアが、現代を生きる私たちにとっても、驚くほど実用的だからだと思う。
現実の世界は、勧善懲悪では動いていない。『話上手』という短編に登場する、恐ろしく良い子な少女。彼女は善行の証であるメダルを授与されたがゆえに、そのメダルが触れ合う音で狼に見つかってしまう。
良いことをすれば報われるという甘い嘘を、サキは冷徹に否定する。だが、その否定の先にあるのは、乾いた笑いと、不思議なまでの解放感だ。
私たちは、文明という名の仮面を被り、道徳というルールに従って生きている。けれど、心のどこかでは知っているはずだ。世界の本質はもっと混沌としていて、自然は人間の都合なんてお構いなしに牙を剥くということを。
サキの物語はその不都合な真実を、ウィットというオブラートで包んで飲ませてくれる。
一九一六年、彼は第一次世界大戦の戦場で、一兵卒として命を落とした。彼が冷笑し続けた帝国の崩壊とともに。
だが、彼が残した毒薬は、今も新潮文庫のカバーの中に新鮮なまま保存されている。
『サキ短編集』は、そうした毒をコンパクトに味わえる一冊だ。
紅茶の香りのする英国文学なのに、読み終えると少しだけ世界が意地悪に見えてくる。
でも、たぶんそれでいい。
人生は必ずしも善意で回っているわけではないし、ときには狼が現れることもある。
サキはただ、その事実を少しだけユーモラスに教えてくれるだけなのだから。
















