今いちばん勢いのある本格ミステリ作家は誰? と聞かれたら、真っ先にこの名前を挙げたい――阿津川辰海(あつかわ たつみ)。
2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしてからというもの、「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」などのランキングでは毎年のように常連入り。読者にも批評家にも愛されるって、なかなかできることじゃない。しかも、一作一作がちゃんと〈面白さの更新〉になってるのがすごい。
阿津川作品の何が面白いって、古き良き本格ミステリのロジックをしっかり守りつつ、「そんなルールあり!?」みたいな設定をぶっこんでくるところだ。
透明人間とか、死者の声を操る言霊とか、一歩間違えばファンタジーになりそうな題材なのに、どこまでもロジカル。そこがたまらない。
いわゆる「特殊設定ミステリ」の旗手として、今のミステリ界をリードする存在になった彼だけど、その根っこにあるのはあくまで〈読者へのフェアな挑戦〉だ。
今回はそんな阿津川辰海の作品の中から、読んで間違いなしに面白いおすすめの7作品をピックアップ。
どれも「こんな仕掛け、アリなのかよ……!」と唸らされる快作ぞろいだ。
ぜひ、どこからでも好きな一冊を手に取ってみてほしい。
1.見えない犯人、見える論理―― 『透明人間は密室に潜む』
「犯人は透明人間でした」なんてオチ、ミステリの世界じゃ禁じ手のひとつだ。
でもこの作品は、それを堂々と使いながら、むしろガチガチの論理で読ませてくる。最初から犯人は〈透明〉だとわかっているのに、なぜこんなに面白いのか。そこがこの短編集の底力だ。
表題作『透明人間は密室に潜む』は、奇病によって体が透明になった女性が、ある人物を殺害するという倒叙ミステリだ。
彼女は完璧な犯行計画を立てるが、透明ゆえの物理的な制約によって、結果的に自分自身を密室に閉じ込めてしまう。何が起きたのかは冒頭で語られているのに、ページをめくる手が止まらないのは、犯行の〈どうやって〉が極限まで詰められているからだ。
透明人間の身体には衣服も着られないし、汗や食べたものの影響もある。そんな物理法則がすべてトリックの部品として組み込まれていて、「なるほど、こう来たか!」と何度もうならされる。超常設定をファンタジーに逃がさず、論理で捌く手つきが見事すぎる。
でも、この本がすごいのはそれだけじゃない。他の収録作もとんでもなくユニークだ。『六人の熱狂する日本人』では、陪審員が全員アイドルオタク。熱量と偏見まみれのオタクたちが、推しを守るために法廷で推理を展開するっていう、奇抜なのに妙にリアルな世界が広がる。テンション高めなのに、意外とロジックは硬派で驚かされる。
さらに、『盗聴された殺人』では、聴覚で謎を解く探偵が登場し、これは長編『録音された誘拐』への橋渡しとしても機能している。豪華客船で開催されたミステリイベントが本物の事件に発展する話もあって、バラエティ感も抜群。どれもこれも、特殊設定を論理でぶった斬るという一貫性があって、読みごたえはばっちりだ。
派手なアイデアにばかり目がいきがちだけど、芯にあるのは「論理こそが真実を暴く」という信念。どんなに荒唐無稽な設定でも、ロジックがあればミステリは成立する。
その信念と挑戦こそが、本書の真骨頂だ。型破りでいて、しっかり本格。
こんなの、ミステリ好きにはたまらないに決まっているじゃないか。
2.音で暴け、沈黙の檻を―― 『録音された誘拐』
探偵がさらわれた――そんなミステリを、聞いたことがあるだろうか。
しかも誘拐された探偵は冷静沈着の頭脳派で、その居場所もまったくわからない。残された助手と警察は、電話越しの「音」だけを頼りに、姿なき探偵を救い出そうとする。これはもう、耳をそばだてるしかない。
阿津川辰海『録音された誘拐』は、「名探偵が囚われの身」という異色の状況設定からスタートする。さらわれたのは、大野探偵事務所の所長・大野糺。理知的で冷静な男だが、今はどうすることもできない。代わりに動き出すのが、助手の山口美々香。彼女はとびきり優秀な耳を持つ〈聴覚の探偵〉だ。
この作品の最大の武器は、「音」が主役になっているところだ。電話越しの環境音、わずかなノイズ、録音されたテープの違和感――そういった微細な情報を頼りに、美々香は大野の居場所に迫っていく。視覚ではなく聴覚による推理という点で、既存の探偵小説とは一線を画している。
一方で、大野もただ捕まっているだけじゃない。監禁された状況の中で、犯人との心理戦を仕掛けたり、ほんの小さな行動で外部にヒントを送ろうとしたりする。この〈動けない名探偵〉と〈動く助手〉という対比もまた、本作の見どころだ。
注目したいのは、探偵と助手の関係性が見事に反転していることにある。ふつうは助手が記録係として探偵を支えるワトソン役になるのに、本作では探偵が囚われの身になり、助手が事件解決の中心に立つ。この関係の逆転が、クラシカルな探偵小説の型に新鮮な息吹を吹き込んでいる。
耳で読むミステリー。そんな言葉がぴったりくる一冊だ。いつもの謎解きに少し飽きてきたなら、この作品が最高の刺激になる。
耳を澄ませば、あなたにも事件の真相が聞こえてくるかもしれない。
3.ミステリの骨格を解体して、もう一度組み立てる―― 『入れ子細工の夜』
「ミステリって、そもそも何なんだろう?」と、そんな本質的なことを考えさせられる作品がこの短編集『入れ子細工の夜』だ。
ただの謎解きじゃない。これはもう、ミステリというジャンルそのものを〈ネタ〉にして遊び倒した一冊である。読み始めたら、まるで迷宮に足を踏み入れたような感覚に陥るのだ。
表題作『入れ子細工の夜』では、二人の作家が密室で語り合う。その語りが、虚構なのか現実なのか、どこまでが物語でどこからが現実なのか、読めば読むほどわからなくなってくる。気づけば、登場人物だけでなく、読み手の自分までがこの入れ子構造の中に取り込まれている。こんな形で足元を揺さぶってくる作品、なかなかない。
『2021年度入試という題の推理小説』では、大学の入試問題そのものが殺人事件の舞台になっていて、受験生=探偵という仕組み。まさかの「解答用紙の上で推理せよ」という構造に、思わずニヤリとさせられる。しかもその構成がきちんと筋が通っていて、単なるジョークで終わらないのがすごい。
『六人の激昂するマスクマン』では、コロナ禍のプロレス会場が舞台。マスク姿のレスラーたちが死んだ仲間の正体と死の真相を巡って騒ぎ合う。現代的なテーマでありながら、登場人物の正体が見えないというクラシックな推理要素もうまく織り込まれていて、どこか可笑しくて、それでいて切実だ。
この短編集に共通しているのは、「読ませ方の仕掛け」への執着。阿津川辰海は、ミステリを単に面白い話として消費させるのではなく、「なぜミステリは面白いのか」「読者はどんな仕掛けに騙されるのか」を、作中で実験している。
そう、これは私たち読者を巻き込んだ知的な〈遊び〉であり、挑戦状だ。
ひとつひとつの話に驚きがあり、でもバラバラには見えない。それぞれが「物語の構造」に踏み込んでいて、全体としては「ミステリという形式とは何か?」というテーマでひとつに結ばれている。
読み終わったあと、「これはもう、ただの短編集じゃないな」と実感する。
ミステリが好きなら、ぜひこの謎に迷い込んでほしい。
4.教室の片隅で、世界はひっくり返る―― 『午後のチャイムが鳴るまでは』
昼休み――それは学校という小宇宙の中で、最も自由で、最も無防備な時間だ。
『午後のチャイムが鳴るまでは』は、そのたった65分間に、校内のあちこちで起きた些細な、だけど本人たちにとっては重大すぎる事件をつなぎ合わせ、一つの巨大なミステリへと組み上げていく青春群像劇だ。
まず驚くのは、視点の切り替えと時間軸の精密な運用だ。消しゴムポーカーに夢中な男子、ラーメン無料券のために「完全犯罪」を計画するコンビ、文化祭の準備で右往左往する文芸部員、そして姿を消した先輩。そのどれもがバラバラのように見えて、実は見事に交差していく。この構成が、読んでいて気持ちいいほどハマってくる。
そしてなにより、描かれる事件がどれも高校生ならではのスケールなのが最高だ。校則違反で塀を越えるだけなのに、まるでスパイ映画みたいな緊張感。消しゴムひとつで告白権を賭ける博打を打つ、その真剣さ。
どのエピソードも、ちょっと笑えるくらい大げさだけど、どこか胸に刺さる。ああ、自分もあんなふうに無駄に熱かったかもな、とこそばゆい気持ちになる。
この物語のもうひとつの見どころは、まるで日常の断片のような物語たちが、最後にはきっちりと〈謎〉として回収されていくことだ。連作短編集のような顔をしておいて、実はとんでもなく緻密な長編ミステリという二重構造。最終章で明かされる真相は、「そういうことだったのか!」という驚きと爽快感に満ちていて、読後の満足感もとても高い。
舞台はただの高校、時間は昼休み。そのありふれた時間と空間の中で、これだけ鮮やかな閉鎖世界をつくってみせるなんて本当にすごい。
孤島や雪山じゃなくても、密室は成立する。
チャイムが鳴るまでの65分、そのすべてが伏線で、すべてが青春だ。
5.言葉ひとつで、世界が燃える―― 『バーニング・ダンサー』
「燃えろ」と言えば、目の前の世界が本当に燃えだす。そんな物騒な力を持ったやつがいたら、そりゃあ厄介だ。この物語は、そんな〈言霊〉を武器にした連続放火犯と、それを追う異能力捜査チーム「SWORD」の死闘を描く、超絶ハイブリッド警察ミステリだ。
主人公・永嶺スバルは元エリート刑事にして〈コトダマ遣い〉のひとり。心に傷を抱えながらも、燃えるような執念で事件に立ち向かう。彼が異動先で出会うのは、全員が言霊能力を持つクセ強メンバーたち。戦闘はもちろん、推理も、捜査も、すべてが常識外。でもそこにルールがあるのがこの世界のおもしろいところだ。
コトダマのルールは緻密で、そのひとつひとつがミステリとしての手がかりになる。たとえば「同じ言霊は世界に一人しか持てない」だとか、「死ねば次の誰かに能力が移る」だとか。その制約が逆に、推理の鍵になっていく。そう、派手な異能バトルの裏には、本格ミステリらしい論理と仕掛けがしっかり息づいているのだ。
バトルと捜査が並走するこの物語、テンポの良さはまさにジェットコースター。燃える力、止める力、入れ替える力――さまざまな言霊がぶつかり合いながらも、事件の真相には一本筋の通ったロジックが通っている。読んでいて「なるほど、そうきたか」と唸らされる展開が待っている。
言葉には力がある。それを物理的に証明してみせるこの作品は、ミステリとバトルと警察ドラマのいいとこ取りをしながらも、どれにも甘えていない。そんな潔さと熱さが、読後にしっかり残る。
ミステリ好きも、バトル物好きも、アクション警察ドラマ好きも、まとめて燃やしてくれる作品だ。
6.燃えゆく館で、探偵は何を選ぶ?―― 『紅蓮館の殺人』
山奥の古びた館に、密室殺人。古今東西のミステリ好きにはおなじみのシチュエーション――のはずだった。
でもこの作品は、そこに〈燃え広がる山火事〉というタイムリミットをぶち込んできた。しかも、ただ逃げ惑うだけではない。ここには、真実を暴くことに命をかける探偵がいる。
『紅蓮館の殺人』は、高校生の「僕」と、友人の天才探偵・葛城輝義が、山火事に巻き込まれて避難した館で出くわす、奇怪な吊り天井殺人を描くタイムリミット・ミステリだ。炎が館に迫る中、密室トリックの謎と向き合う探偵と、それどころじゃないと叫ぶ周囲の人々。その対立構造がめちゃくちゃスリリングだ。
最大の読みどころは、「探偵は何のために真実を追うのか?」というテーマに真っ向から挑んでいるところにある。探偵の使命感、理想、そして〈本当に知るべきなのか〉という葛藤。若き探偵・葛城と、かつて探偵だった女性・飛鳥井との対話は、このジャンルに愛を注ぐ者なら胸に刺さるはずだ。
もちろん、トリック面も抜かりない。吊り天井というクラシカルな道具を使った密室殺人は、物理トリック好きにはたまらないし、「閉鎖空間」と「迫る火」の組み合わせがもたらす圧倒的な緊張感は、サバイバルもの顔負けだ。
これは単なるミステリではない。閉じた論理の館を、外から迫るエンタメの炎が焼き尽くそうとする中で、それでも探偵は「謎」に立ち向かう。そういう物語だ。
ジャンルの伝統を守りつつ、あえて火の中に飛び込む。
そんな静かに燃え盛る〈本格の炎〉に、ぜひ焼かれてみてほしい。
7.名探偵の証言に、異議あり!―― 『名探偵は嘘をつかない』
探偵が容疑者になる。しかも罪状は、証拠捏造。しかも、告発したのは長年コンビを組んできた助手――。こんな異常事態から物語は幕を開ける。
阿津川辰海のデビュー作『名探偵は嘘をつかない』の世界では、「探偵」は警察組織の一部として公に存在する。伝説的名探偵・阿久津透は、過去の事件の捜査に不正があったとして法廷に立たされることになる。
その名も「探偵弾劾裁判」。舞台装置としてすでに面白いが、本作の真骨頂はここからだ。裁かれるのは、かつて彼が解決したバラバラ殺人事件。そしてそこには、なんと「転生」が関わってくるというのだ。
この「転生」が実にうまい。荒唐無稽な力技ではなく、緻密なルールに支えられた〈もう一つの物理法則〉として機能している。おかげで、証言や動機が「生まれ変わり」前提で再構築され、論理的な謎解きの材料として活きてくる。ある意味、これほどフェアな超常ミステリも珍しい。
そして、物語が突きつけるテーマがまた重い。「真実」は常に正義なのか。誰かを救うための嘘は許されるのか。探偵は本当に絶対的な正義の味方でいられるのか。そうした葛藤が、探偵という存在の根幹を揺さぶってくる。
この作品には、阿津川辰海の作家としての方向性がギュッと詰まっている。特殊設定×本格ミステリ、倫理と論理のせめぎ合い、そして型破りな構図への挑戦。大胆さと緻密さの両立という、ミステリ好きが泣いて喜ぶような要素がぎっしり詰まっている。
デビュー作にしてこれ。そりゃもう、次も読みたくなるに決まっている。
名探偵は嘘をつかない? ――いや、嘘をつくこともある。
でも、嘘の先にしか見えない真実も、きっとある。
おわりに
いまの時代に、ここまで本格ミステリに全振りしてる作家がいることに、ちょっと感動すら覚えるんだ。
しかも阿津川辰海は、ただ昔ながらのロジックをなぞるんじゃなくて、「透明人間」「超能力」「転生」みたいな突飛な要素を入れてくる。でも不思議と、全部ちゃんと筋が通ってる。
そういうのって、単純にトリックがうまいとかじゃなくて、ジャンルそのものを愛してる人じゃないとできない芸当だ。
現代ミステリの最前線で、本格の可能性を更新し続けるこの作家の凄さを、もっとたくさんの人に知ってほしいなと思ってる。
まずは、ここで紹介した7作品から一冊、読んでみてほしい。
できれば、夜更かしできる日に。


