森見登美彦『シャーロックホームズの凱旋』- 京都でダメ人間になった名探偵を救えるか?

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「まったく困ったやつだよ、ホームズは」

名探偵シャーロック・ホームズが、かつてない大スランプに陥り、京都の下宿に引きこもってから早一年。

見る影もなくなったホームズを、相棒ワトソンは心配し、放っておけないでいた。

かつての冴えを取り戻してもらうために、何かと世話を焼き続けるが、当のホームズは聞く耳を持たず、ふてくされて言い訳ばかり。

しまいには、竹林に隠居するとまで言い出す始末。

それでも見捨てることのできないワトソンは、ホームズのスランプの原因となった事件を探ることにする。

それは12年前の嵐山で起こった、マスグレーヴ家の令嬢レイチェルが失踪した事件だった。

そして今、マスグレーヴ家の屋敷では、新たな事件が起ころうとしていた。

ワトソンはホームズをスランプから救い出し、ホームズはこの事件を解決できるのか?

目次

ツッコミどころ満載の京都版ホームズ

『シャーロックホームズの凱旋』は、かの「シャーロック・ホームズ」シリーズをオマージュした、ファンタジー小説です。

「ホームズが登場するのに、ミステリーではなくファンタジー?」と意外に思われるかもしれませんが、本書は正真正銘のファンタジー。

なぜなら、そもそも舞台がロンドンではなく「ヴィクトリア朝京都」であり、ホームズはもちろんワトソンも、ハドソン夫人やレストレード警部といった原作の登場人物が、みーんな京都に住んでいる設定なのです。

ホームズの下宿だって、原作ではベーカー街221Bにあるはずが、本書ではなんと下町情緒漂う寺町通221B。

近隣には老舗の菓子店やタバコ屋が並び、さらにテムズ川は鴨川で、女王の宮殿は京都御所で、スコットランドヤードは京都警視庁と、とにかく京都感にあふれています。

パラレルワールド、あるいはパロディか、いずれにしても本来のシリーズと大きく様相の異なったファンタジー作品と言えます。

舞台だけでなく人物も様変わりしており、なんとホームズは、スランプですっかり落ちぶれて、詭弁を弄するだけで行動しないダメ人間に。

ワトソンはそんな友を立ち直らせるために、青竹踏み健康法や漢方薬、滝行や湯治、果ては弁財天への祈願まで試すのですが、どれもちっとも功を奏さず、妻メアリも呆れ顔。

さらに歌姫アイリーンが近所で探偵事務所を開業したものだから、ホームズはますますやさぐれて、犯罪王のモリアーティ教授と傷をなめ合いながら、「負け犬同盟」を結成してしまいます。

と、まあ、『シャーロックホームズの凱旋』は、かなりぶっ飛んだ設定のオマージュ作品です。

まるでバグッたかのようにハチャメチャな感じが面白くて、読者は時に笑い、時にツッコミながら読み進めることになります。

でもそれは、前半までのこと。

後半になると、物語は一気にシリアスな展開になるのです。

現実と虚構が交錯する「東の東の間」

京都でのホームズとワトソンの様子に読者が慣れてきた頃、突然どんでん返しが起こります。

舞台がいきなり、ロンドンに移るのです。

テムズ川が流れ、ヴィクトリア女王のおわす宮殿があり、寺町通ではなくベーカー街のある、あの霧の渦巻く薄暗いロンドンです。

それと同時に、京都とロンドンという二つの世界に、ある仕掛けがあったことも明らかになります。

鍵となるのは、マスグレーヴ家の奥にある「東の東の間」という場所で、これはある意味、異世界への出入り口。

ここが開いたことで、物語は虚構の世界と現実の世界とを行き来することになります。

もう、まさしくファンタジーですね。

面白いのが、読めば読むほど、どちらが虚構でどちらが現実なのか、わからなくなってくるところ。

普通に考えれば、原作の舞台であるロンドンが現実世界のはずですが、読者にはだんだんと、ロンドンは「作られた世界」であり、京都こそが現実ではないかと思えてくるのです。

京都にはダメなホームズがいて、同じくダメおやじになったモリアーティ教授がいて、そして文句ばかり言うけどワトソンにとっては世界一大事な妻メアリがいます。

このハチャメチャだけれど愛おしい世界こそが、本当にリアルな現実、……かもしれない。

こうして虚実が入り乱れたまま物語は進み、徐々に恐るべき真相が明らかになっていきます。

人の悩みや苦しみは、願いは、どこへ向かって進むのか。

終盤には、思いがけなくハートフルで感慨深いドラマが待っています。

随所の原作ネタに心が躍る

さすが不条理な世界をユーモラスに描写することで定評のある森見さん、「シャーロック・ホームズ」の世界も、見事に不可思議な魅力たっぷりに描き上げてくださいました。

原作のイメージとかけ離れているので、もしかしたら「こんなのホームズじゃない」と感じる読者もいらっしゃるかもしれません。

それでも、読み進めているうちにすぐに気が付くと思います。この作品のあちこちに、世界中で愛される「シャーロック・ホームズ」という名作が、確実に存在していることに。

たとえばホームズのちょっとした動作、ワトソンのモノローグ、モリアーティ教授のクレームなどに、原作を読んだ方なら「あ、これは原作のアレだ!」とハッとする描写が散りばめられています。

本当に至る所に原作ネタが、きわめて自然に違和感なく詰め込んであるのですよ。

その箇所の多さたるや、原作ファンを分刻みでニマニマさせる勢いであり、だから読み手は「こんなのホームズじゃない」と最初は思っても、元ネタがわかるたびに嬉しくなって、つい先へ先へと読み進めてしまうのですね。

で、そうこうしているうちに舞台がロンドンに切り替わり、そうなるともう虚実の幻惑に囚われて抜け出せなくなり、最後まで読まずにはいられなくなるという……。

いやはや、恐ろしい作品です(笑)

「シャーロック・ホームズ」を愛する人ほど、どハマりすること間違いなしの作品ですので、ぜひご一読を!

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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