『帝国の死角 第一部・天皇の密使』- 高木彬光の幻の裏ベストワンがついに完全版で登場【読書日記】

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

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『帝国の死角 第一部・天皇の密使』

著者:高木彬光

面白さ  : (4.5)
重厚感  : (5.0)
読みやすさ: (3.0)
ミステリ度: (4.0)
この作品を一言でいうと

天皇の密命を帯びた海軍将校の戦いを描きながら、その戦争史そのものを巨大なミステリの仕掛けへ変えてしまう歴史スパイ巨編。

1970年代にこんな小説を書いていたのか、とまず驚かされる。

第二次世界大戦前夜のヨーロッパ、天皇から密命を受けた海軍将校、スイス銀行に眠る皇室の秘密資金、ニッケルやタングステンをめぐる資源争奪、そしてナチスとゲシュタポの影。

並べるだけで胸が騒ぐ材料を惜しげもなく投入した歴史スパイ・サスペンス、それが高木彬光『帝国の死角 第一部・天皇の密使』である。

本作は1970年から71年にかけて『小説宝石』に連載され、1971年にカッパ・ノベルスから『天皇の密使』として刊行された。

のちに第二部『神々の黄昏』と合わせて『帝国の死角』の名で定着し、2026年6月、中公文庫から新版が登場。今回の第一部には、連載終了後に発表されたスピンオフ短篇『日本人とユダヤ人』も初併録されている。

長く入手しづらかった高木彬光の異色大作を、第二部と合わせて手軽に読めるようになったのはうれしい。ミステリ評論家の大内茂男が、横溝正史『獄門島』、松本清張『点と線』と並べて日本推理小説のベストスリーに挙げたというのも面白い。

本格推理、社会派という日本ミステリの代表格と並んで選ばれたのが、天皇の密使とナチスと秘密資金が入り乱れる伝奇超大作なのだ。

高木彬光の裏ベストワンと呼ばれてきた理由も、読み始めればすぐに見えてくる。

目次

天皇の密命、スイス銀行、そしてナチス

『帝国の死角 第一部・天皇の密使』

おすすめ度:(4.6)

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物語の入口からして生々しい。作家の高木彬光自身が、戦時中の極秘事項を記した鈴木文書なる手記を入手した、という形で始まる。そこに記されているのは、海軍将校・鈴木高徳が欧州で遂行した秘密任務の記録だ。

昭和14年、鈴木は天皇の密使としてヨーロッパへ派遣される。任務は、日本の軍需産業に不可欠なニッケルやタングステンなどの希少金属を秘密裏に買い付けること。その資金源として彼に託されるのが、作中のスイス銀行に置かれた皇室の秘密財産である。

この設定だけなら、いくらでも派手な冒険活劇にできそうだ。ところが高木彬光は勢いだけで突っ走らない。金属がなぜ必要なのか、どの国からどの経路で調達するのか、戦時下の物流や金融がどう動いていたのか。細部を一つずつ積み上げ、途方もない話へ妙な現実味を与えていく。

ここには高木彬光自身の経歴も大きく関わっている。京都帝国大学工学部で冶金学を学び、戦時中には中島飛行機で航空技術者として働いた人である。

特殊鋼や希少金属の話が単なる小道具で終わらず、日本の軍需そのものに直結する切迫感を帯びるのは、その知識が土台にあるからだろう。このあたりを読んでいて、戦争というものが兵士と兵器だけで動くのではなく、その背後に金属、輸送、銀行、為替、人脈がびっしり張りついていることを改めて意識させられた。

やがて鈴木が動かす巨額資金の存在をナチス側が嗅ぎつける。敗戦の気配が濃くなるにつれ、国家のための金と個人の逃亡資金の境目まで崩れ、鈴木の周囲にはゲシュタポの手が伸びてくる。

外交官特権を持つ本人へ直接手を出せないなら、協力者や親しい女性を狙えばいい。そんな冷酷な発想で包囲網が狭まっていく。

ここからの駆け引きがまた面白いのだ。暗号や密室を前に探偵が推理するタイプの高木作品とは手触りがまるで違い、銃撃や追跡よりも、金、外交、資源、人脈、身分、情報が武器になる。誰を信用し、どこまで話し、どの経路なら金と物資を守れるのか。

鈴木が判断を誤れば、失われるのは自分の命だけで済まない。その緊張が四百ページ級の長さをぐいぐい引っ張ってくれる。

歴史小説の顔をした巨大な仕掛け

そして『天皇の密使』で特に惹かれたのが、鈴木文書という手記形式である。

手記として書かれているため、目の前の出来事は鈴木本人が経験し、記録した事実のような顔で差し出される。しかも背景にはヒトラー、ナチス、第二次世界大戦、資源封鎖といった実在の歴史がびっしり詰め込まれている。

史実と創作の境界が意図的にぼかされ、読み進めるうちに、どこまでが史実でどこからが高木の創作なのか感覚が揺らいでくる。これが変な感じで、同時にたまらなく楽しい。

第一部だけを取れば、壮大な歴史スパイ小説としてきちんと成立している。戦争に翻弄される人間たち、ナチス支配下の恐怖、祖国から遠く離れた場所で密命を果たそうとする鈴木の孤独。山戸小太郎をはじめ、敵か味方か簡単には判別できない人物も次々と現れ、国際謀略ものとして十分に濃い。

ところが『帝国の死角』全体から眺めると、第一部はまったく別の顔を見せ始める。ここで何百ページもかけて叩き込まれた歴史、人物、資金、手記の記述そのものが、第二部『神々の黄昏』へ渡される巨大な材料になるからだ。

第二部の舞台は、戦後二十数年を経た日本。鈴木高徳の息子・二郎の前に、父が遺したとされる途方もない財産と、その周囲で起きる事件が姿を現す。第一部で歴史上の事実として受け止めていたものが、時間を隔てた第二部でミステリの材料へ変換されていくのである。

ここが高木彬光の恐ろしいところだ。普通なら一章、長くても数十ページで済ませそうな伏線に、一冊まるごと使っている。それでいて前振りのために引き延ばした感触がなく、『天皇の密使』単体でも歴史冒険小説として読ませてしまう。

そのうえ第二部へ進むと、第一部を読んでいたときの視線まで仕掛けの一部に組み込まれる。四百ページかけてこちらの認識を作り、その認識ごと利用する。こんな豪快なことを平然とやってのける小説はそうそうない。

高木彬光が本気で広げた大風呂敷

高木彬光というと、神津恭介シリーズの『刺青殺人事件』や『人形はなぜ殺される』などの本格推理、『白昼の死角』の経済犯罪、『破戒裁判』の法廷ミステリなど、作品ごとに大胆に作風を変えた作家として知られている。

『帝国の死角』では、その何でもやってしまう人が歴史、戦争、国際金融、諜報、資源、皇室、ナチス、伝奇、本格ミステリまで全部まとめて抱え込んだ。

普通なら途中で破裂しそうな題材の量である。ところが高木彬光は、鈴木という一人の男の密命を軸に、巨大な話を一本につないでいく。

戦争を国家同士の戦闘として眺めるのではなく、その裏で金がどう動き、物資がどこから流れ、誰が秘密を握り、誰がそれを奪おうとしたのかという側から描くので、教科書で知っている第二次世界大戦が急に別の姿を見せ始めるのだ。

中公文庫版に収められた『日本人とユダヤ人』も、この世界を補強する一篇だ。ナチス体制下のユダヤ人と、枢軸国側にいながら欧州では異質な存在だった日本人を並べることで、本編に流れていた民族、国家、帰属意識の問題を別角度から照らしている。

第一部と第二部の間に発表された作品だけに、ここまで含めて読むと、当時の高木彬光がどれほど広い視野で『帝国の死角』を書いていたのかがよく分かる。

それにしても、天皇の密使がスイス銀行の秘密資金を使って希少金属を買い集め、ナチスと渡り合う物語を四百ページ以上かけて描き、その一冊をさらに次の大仕掛けへ利用するとは、とんでもない力技である。

『天皇の密使』の終幕で、鈴木高徳の戦争はひとまず区切りを迎える。しかし『帝国の死角』という巨大な物語にとっては、ここでようやく盤上に駒が並び終えた段階だ。

スイス銀行の金も、鈴木文書に刻まれた過去も、死者たちの行動も、その意味をまだすべて明かしてはいない。

第二部『神々の黄昏』を開けば、高木彬光が第一部四百ページを使って何を仕込んでいたのか、その途方もない企みがようやく動き始める。

戦争史の暗部を巨大なミステリの盤面へ変えてしまう。

これほど豪胆な一手を見せられたら、もう次の巻へ進むしかないではないか。

高木彬光のおすすめミステリ3選

1.『刺青殺人事件』

全身に美しい刺青を施した女性の死体が発見され、その一部が切り取られていた。

刺青に秘められた因縁と猟奇的な殺人事件を、名探偵・神津恭介が鮮やかな推理で解き明かす、高木彬光のデビュー作にして戦後本格ミステリを代表する傑作だ。

2.『人形はなぜ殺される』

人形が壊されるたび、それと同じような殺人が現実に起きていく。

奇怪な見立て殺人と不可能犯罪を軸に、神津恭介が複雑に絡み合った謎へ挑む、高木彬光屈指の本格ミステリ。

3.『白昼の死角』

法の盲点を突き、企業や金融機関から巨額の金を奪っていく男たちの犯罪を描いた経済犯罪小説。

完全犯罪を成立させるための知略と駆け引きを、戦後日本の欲望や社会の歪みとともに描き出した、高木彬光の代表作の一つ。

悠木四季

この3作品はミステリ史の中でもガチの傑作なのでぜひ。

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

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Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選
① 綾辻行人『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之『ハサミ男
⑦ 青崎有吾『体育館の殺人
⑧ 知念実希人『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった
悠木四季
四季
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