日本SF作家クラブ編『ショートショートなSF』- 星新一の生誕100周年、4000字から広がる50の宇宙【読書日記】

本書は、日本SF作家クラブがお贈りするアンソロジーでは初めての試みです。
参加した作家の数は、総勢五十人。
それぞれが執筆する文字数は、ひとり、たったの四千文字以内。
この一冊には「短い短いSF」が──多種多様で、バラエティに富んだ、色とりどりの閃光を放つ「短い短いSF」が、五十備も装損されているのです。
満を持してお贈りする、全篇書下ろしの〈ショートショート・アンソロジー〉。
特別な一冊となるはずです。SFと「短い短い物語」を愛する皆様のための。
『ショートショートなSF (ハヤカワ文庫JA)』まえがき 7ページより引用
一人あたり四千字以下。書き手は五十人。
この条件だけ聞くと、もっと軽やかで、すぐ読み終わるアンソロジーを想像するかもしれない。
ところが、日本SF作家クラブ編『ショートショートなSF』を実際に手に取ると、まず厚みに驚く。
四百ページ超え。文庫なのに、なかなかの存在感である。
しかも、その中へ五十篇の完全新作がぎゅうぎゅうに詰まっている。
一篇は短い。数分で読める作品も多い。だから気軽に開けるのだが、続けて読むと頭の中が忙しい。
さっきまで宇宙の終わりを見ていたのに、次の作品では美容室に骸骨がいる。オンラインゲームではキリストの奇跡が不具合扱いされ、Markdownファイルには死者の魂が保存される。
何を言っているのか分からないと思うが、本当にそういう本なのだ。
本書は、星新一の生誕100周年を記念して編まれた書き下ろしアンソロジーである。
ハヤカワ文庫JAから刊行されてきたシリーズの第七弾。前作『恐怖とSF』も濃い内容だったが、今回は「短いSF」という形式そのものを正面から掘り下げている。
読み終えて強く思ったことがある。
私はやはり、ショートショートが大好きなのだ。
読みやすさの裏に、とんでもない技術が隠れている
星新一の作品は、とにかく読みやすい。
難しい言葉をほとんど使わず、人物もエヌ氏やエフ博士といった記号的な名前が多い。話の状況はすぐ分かるし、文章もすっと頭に入ってくる。それなのに、最後の一行で世界の見え方がひっくり返る。
この軽やかさがすごい。ただ、読みやすいぶん、「自分にも書けそう」と思わせる危険もある。短いし、登場人物も少ない。アイデアさえあれば何とかなりそうな気がしてくる。
だが実際に考え始めると、その難しさにびっくりするのだ。説明を書いていたら文字数がなくなり、人物を動かしていたら結末へ届かない。
オチだけ思いついても、そこへ自然に運ぶ道筋が作れない。短い物語ほど、無駄な文章をごまかせないのだ。
四千字という枠の中で、世界のルールを示し、人物を動かし、異変を起こし、最後まで着地させる。これを五十人が、それぞれ全然違う方法でやってみせる。これは本当に素晴らしいことだと思う。
巻頭の筒井康隆『楽天ボウル』から、いきなり強烈だ。
隣のレーンに一人の女がやってきた。巨軀で色白、緑色の毛糸のセーターを着ている。
この「楽天ボウル」と言うボーリング場でおれも一人でゲームをしていたのだが、彼女は別段おれを気にするでもなく、何の挨拶もせずに一人でボールを投げはじめた。ボーリングをするのは初めてらしく、ラインを無視してそのニメートルほど手前から乱暴にボールを抛り投げた。ボウルは弧を描いて落ち、レーンの床に大きな音を立て、レーン右側をまっすぐ進んで先端のピンの右に当てた。十本全てのピンが飛び散って倒れた。
「あの、ちょっと」音に驚いた係員が駆け寄ってきた。「すみません。このラインから投げてください」
十本全部を倒したことで少し浮かれている女は、大きく頷いた。「そこか。そうかそうか」
『ショートショートなSF (ハヤカワ文庫JA)』収録 筒井康隆『楽天ボウル』11ページより引用
細かい説明を積み上げるより先に、こちらを変な競技の真ん中へ放り込む。ルールは理不尽。展開も不条理。それでも読んでいるうちに、この世界ではこれが普通なのだと納得させられてしまう。筒井康隆はやっぱり容赦がない。
その後に続く梶尾真治、新井素子、高井信、藤井青銅らの作品では、アイデアと結末の落差を楽しむ、昔ながらのショートショートの気持ちよさが味わえる。
社会風刺、皮肉、言葉遊び、少し意地の悪いオチ。短い作品を読んだだけなのに、最後の一行で「そう来たか」と足をすくわれる。この感覚は何度味わっても楽しい。
江坂遊『手つなぎ鉄道心中』も印象に残った。人里駅を出た汽車が、日常から少しずつ離れていく。派手な事件が次々に起きる作品ではなく、文章の流れに乗っているうちに、いつの間にか異界へ運ばれている。数ページしかないのに、長い旅をしたような気分だ。
短さとは、単純に文章量が少ないという意味だけではない。書かれていない風景まで想像させる余白の技術でもある。江坂遊の作品を読むと、そのことがよく分かる。
デビュー順で読むと、日本SFの変化が見えてくる
本書の五十篇は、作家のデビュー順に並んでいる。
これがすごくいい。筒井康隆から始まり、昭和、平成、令和へ。順番に読んでいくだけで、日本SFの考え方や文章の形がどう変わってきたのか、体で分かるようになっている。
前半は、SF的な設定が結末へ向かうための仕掛けとして働く作品が多い。
発明、宇宙人、未来社会、奇妙な制度。最初に出された設定が最後のオチへつながり、読み終えた瞬間に全体の形が見える。きれいに組まれたパズルをひっくり返して裏側まで見せてもらうような快感がある。
ミステリ好きとして嬉しかったのは、法月綸太郎『寿限無対反魂香』である。落語の古典的な題材を使いながら、短い文字数の中へきっちりミステリの構造を入れてくる。設定だけで逃げず、論理で最後まで決める。その手際が実に鮮やかだ。
短編でもミステリが成立するのはもちろん、ショートショートでもこれだけ複雑な仕掛けを入れられる。法月綸太郎の作品を読むたび、文章の中に極小の時計を組み立てているような精密さを感じるのだ。
ところが、中盤から後半へ進むにつれて、作品の雰囲気が少しずつ変わっていく。
分かりやすいオチより、イメージや感覚を残す作品が増える。最後に意味が一つへまとまる作品もあれば、読み終えてから「今のは何だったのだろう」と考えたくなる作品もある。
正直に言うと、私も何篇かよくわからない作品があった。星新一のような鮮やかな反転を期待していると、後半の作品は少しつかみにくいかもしれない。ただ、その戸惑いが面白いのである。
ショートショートという形式は、最後に驚かせる物語から、短い文章で世界の亀裂を見せる物語へ広がってきた。
オチで決める作品もあれば、詩のように終わる作品もある。システム文書の形を借りる作品も、意味の輪郭をわざと揺らす作品もある。
四千字という同じ箱を使っているのに、中身は驚くほど違うのだ。
五十篇を順番に読むことで、ショートショートの歴史と現在地がそのまま見えてくる。この配列は、かなり面白い仕掛けだった。
神をデバッグし、魂を保存し、人類を消す

絵:悠木四季
個人的に強烈だったのは、松崎有理『海の価値』である。
なんだか多いな。そう思ったとたん別の異変にも気づいた。奇岩群が姿を消している。
水平線がふくらみ、盛りあがっているせいだ。
変だ。まだ満ち潮の時間ではない。むしろ潮は引いていたはず。
老人は岩の上に立った。腰の痛みは忘れていた。水平線はますます盛りあがり、壁のように立ちあがって、こちらへ傾いてくる。おかしい。子供のころから見慣れた、ふだんの満潮時の海とかけはなれている。
まさか、大水がはじまるのでは。聖書の物語のような。
この変事を伝えねば。岩の海岸を駆け出そうとして、転倒した。岩の角で頭を強く打ち、唇から煙草が飛んだ。
『ショートショートなSF (ハヤカワ文庫JA)』収録 松崎有理『海の価値』211ページより引用
この作品の宇宙は、人類に優しくない。宇宙人と対話したり、力を合わせたり、対等な戦争をしたりする展開は始まらない。人間が状況を理解するより先に、どうしようもない力の差だけが示される。
地球も生命も、高次の存在にとっては道具か消耗品に近い。しかも、そこに悪意がない。人類を憎んでいるから滅ぼすのではなく、必要だから使う。それだけ。
この無関心が怖い。人間が虫や微生物を気にせず踏みつぶすように、宇宙のどこかでは人類も同じ扱いを受けるかもしれない。四千字で人類の存在をここまで小さくできるのかと、読み終えて感動すら覚えた。
宮内悠介『衝突』は、天体衝突の確率が九九・九七パーセントへ達した状況を描く。
問題の天体は表面反射率が低く、赤外線放射も検出限界に達していませんでした。そして、発見されたときには、地球の軌道と交差していなかった。ですが、木星の重力圏を通過した際に軌道が変わった模様です。三年七ヵ月後。三年七ヵ月後、地球と衝突すると見られます」
ニュースは以上だった。
人々は不思議と事態を受け入れ、パニックに陥ったりはしなかった。
まず、三年七ヵ月という期間が微妙に長く、せっぱつまって感じられなかった。それだけの期間があれば、人類の科学力でなんとかできるのではないかといった話も出た。
明らかな危険に対しても、大丈夫だと思いたがる気持ち。正常性バイアスと呼ばれるものだ。
以降も、みんな将来のために年金を払いつづけ、健康保険料をおさめつづけた。
『ショートショートなSF (ハヤカワ文庫JA)』収録 宮内悠介『衝突』220ページより引用
ほぼ終わりである。それでも人々は計算し、考え、選び続ける。数字は冷酷に破滅を示すが、人物の意志までは奪えない。サスペンスとしても面白く、SFらしい理屈の気持ちよさもしっかりある。
短い作品なのに、読んでいる間はずっと緊張が途切れない。宮内悠介らしい、計算と人間ドラマがぴたりと重なった一篇だった。
赤野工作『/ナイジェルによる引継書/』も好きだ。
引き継ぎの前に断っておく。もしもあなたがゲームクリエイターを志望してこの仕事を引き継いだのなら、おそらくこれは、あなたが想像しているような創造的なものではないだろう。気の進まない保守業務を押し付ける形になってしまって、申し訳ない。
『ショートショートなSF (ハヤカワ文庫JA)』収録 赤野工作『/ナイジェルによる引継書/』292ページより引用
オンラインゲームに大量発生したクローン・キリストたちが、水面を歩き、状態異常を勝手に解除し、ゲームバランスを壊していく。その対応方法が、運営担当者の引継書として書かれている。
神の奇跡が、不具合対応になる。発想の勝利だ。
奇跡もゲームに実装された瞬間、仕様になる。悪用されれば修正される。宗教的な神聖さと、IT運用の現実感が同じ文章の中でぶつかり合う。笑えるのに、現代社会の仕組みまで見えてくる。この軽さと鋭さの両立がうまい。
葦沢かもめ『SOUL.md』は、祖母の人格をAIとして再現しようとする孫の試みを、Markdown形式だけで描く。
見出し、箇条書き、コードブロック。人間の感情を語る普通の文章がほとんどないぶん、記述からこぼれたものが大きく感じられる。口癖や好物、思い出、価値観を入力すれば、その人を再現できるのか。
データを増やしても、祖母という存在の全体はファイルへ収まりきらない。その届かなさが、形式そのものから伝わってくる。デジタル時代の弔いとして、とても印象的だった。
そして最後は、岡田悠『鳥取空港 手荷物受取所』。
地方空港のターンテーブルという、とても小さな場所から、物語は途方もない距離へ広がっていく。旅の終点にあるはずの手荷物受取所が、失われた時間や宇宙とつながる場所へ変わる。その広がり方が美しい。
五十篇を読み終えたとき、改めてはっきりした。私はやっぱり、ショートショートが大好きなのだ。
短い物語の中にも、途方もなく大きな世界を詰め込める。
四千字あれば、人類を滅ぼせる。神をデバッグできる。死者の魂をファイルへ保存できる。亀の時間で宇宙を眺めることもできる。
そして最後には、鳥取空港のターンテーブルへ、持ち主の知らない宇宙まで流れてくるのだから面白い。
ほんの数ページで現実の見え方をひっくり返し、思いもよらない場所まで連れていってくれる。この小さな形式には、長さからは想像もつかない自由がある。
星新一が開いた短い物語の入口から、五十人の作家がそれぞれ別の方向へ飛び出していく。
その先に広がっていたのは、文庫一冊へ収まりきらない、五十通りのSF宇宙だった。
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