饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室2.0』- アンドロイド・ジョークの隙間に潜む、救いのない現実のズレ【読書日記】

怪異とアンドロイドを一緒に出されたら、そりゃ気になる。
しかも舞台は開発研究室で、タイトルの最後には2.0までついている。盛り方がかなり景気いい。こういう小説は、題名の勢いだけで走ってもおかしくないのだが、このシリーズはそこが違う。
饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室2.0』は、目を引くガジェットの楽しさをちゃんと持ちながら、その内側ではかなり不穏で、かなり丁寧に、嫌な怖さを育てていく。
ホラーとSFが混ざった作品を見ると、つい「どっちに寄るのだろう」と考えてしまう。SFっぽさが前に出ると、怪異の不気味さが整理されすぎてしまうことがあるし、逆にホラーに寄りすぎると、せっかくの科学ガジェットがただの飾りになってしまうこともある。
その点、このシリーズはとてもいい。科学は怪異を打ち負かす武器ではなく、むしろ怪異が本当にそこにあることを、逃げ場のないかたちで確定してしまう装置として使われている。
要するに、安心のためのテクノロジーではない。むしろ、言い逃れを塞いでくるテクノロジーなのだ。この時点でもう、だいぶ性格が悪い。もちろん褒めている。
シリーズの中心にいるのは、白川研究室が開発した対怪異アンドロイド・アリサである。ホラー作品にロボットが出ると、少し心強くなりそうなものだ。人間より冷静そうだし、恐怖にも強そうだし、最悪こちらがパニックになっても淡々と対応してくれそうである。
だが、アリサはたしかに怖がらないのだが、そのせいで「そこに近づかなくていい」という人間側のブレーキもまったく持っていない。怪異の前で引き返さない。様子見もしない。経緯を記録します、と言いながらずんずん進む。
頼もしいというより、かなり困るタイプの同伴者である。だが、その困り具合がこのシリーズの面白さだ。
怖がらないアンドロイドがいるせいで、かえって話が怖くなる
前作『対怪異アンドロイド開発研究室』のおもしろさは、まずこのアリサという存在の置き方にあった。廃村や異界の駅や雑居ビルなど、いかにもホラーらしい現場へ踏み込みながら、彼女はひたすら怪異を観測する。
恐怖に震えるのではなく、データを取る。怪異検出AIが確率を出し、カメラやセンサーが異常を拾い、怪談めいたものが「記録された事実」として積み上がっていく。この乾いた感触がかなり新鮮だった。
普通、ホラーでは人間の恐怖がそのまま読者の恐怖につながる。悲鳴が上がる、逃げる、混乱する、その反応がこちらにも伝染してくる。ところがアリサにはそれがない。怪異を見ても平常運転で、むしろもう一歩近づいて高画質で撮ろうとする。
人間なら絶対に止まるべき場面で止まらない。このせいで、読んでいるこちらが代わりに嫌な汗をかくことになる。ホラーにおける恐怖の担当者が不在だから、読者がその空白を埋める羽目になるのである。なかなかひどい仕組みだが、これが面白い。
しかもアリサは、いわゆる万能ロボットではない。ここがかなり大事だと思う。エネルギー切れは起こすし、質量は重いし、階段や床の強度といった、やたら現実的なところで苦労する。見た目は人間の女の子っぽいのに、中身はかなりの重量級で、うっかりすると床に負担をかける。
ホラーとSFの合わせ技なのに、妙なところで生活感があるのだ。この感じがいい。便利な超兵器ではなく、「性能は高いけれど、ちゃんと機械である」という制約が残っているからこそ、話に地面の感触が出るわけだ。
それに、アリサのアンドロイド・ジョークも好きである。胃袋は空いています、みたいなことを言う。いや、そもそも胃袋はないだろう、と思うのだが、その少しずれた軽口が重たい空気の中で妙に効く。
ただし、それは和ませるだけでは終わらない。かわいげを出しながら、同時に彼女が人間ではないという事実をあらためて突きつけてもくる。この愛嬌と異物感の両立が、シリーズ全体の空気をかなり独特なものにしている。
2.0では、怪異そのものより「世界のほうがおかしい」が前に出てくる
続編『2.0』でいちばん大きい変化は、怪異の怖さの向きである。前作では、怪異がいる場所へ調査に行く、という形式が基本だった。いわば外にある異常を見に行く話である。
もちろんそれだけでも十分怖い。だが『2.0』では舞台が中学校に移り、アリサも少女型ボディに人格と記憶をコピーして潜入する。今回は、怪異の現場へ遠征するというより、日常の中に入り込んで、その内部で何かがおかしいと気づいていく話になる。
これがかなり嫌である。学校という場所は、それだけで閉鎖的だし、独自のルールと空気がある。七不思議という入口も、いかにも学校怪談っぽくて親しみやすい。だが本作の本気は、そこから先にある。
問題は怪異そのものより、周囲の人間たちが異常を異常と思っていないことである。不自然な行動が「当たり前」として処理され、こちらの知っている歴史や常識が微妙に書き換わっていても、誰もそこに引っかからない。この感じが本当に気持ち悪い。
ホラーでは「見えてはいけないものが見える」が定番だが、『2.0』はそこをずらしてくる。見えている。しかもわりとはっきり見えている。なのに、周囲はそれを普通のこととして扱う。おかしいと感じる側のほうが浮いていく。この構図がものすごく嫌で、ものすごくうまい。
怪異が壁の向こうからやってくるのではなく、世界の設定そのものを勝手に書き換えている感じがあるのだ。ホラーというより、現実の床板が少しずつずれていくような怖さである。
ここでまたアリサが効いてくる。彼女は機械だから、人間より早く違和感を検出できる。だが同時に、機械だからこそ、その違和感を人間たちと共有しにくい。周囲が「おかしくない」と言っている世界で、自分だけが「いやおかしい」と判断している。
この孤立は、前作よりずっと重い。怪異に襲われる怖さではなく、正しく認識しているせいでひとりになる怖さが前に出てくるのだ。このあたり、『2.0』は前作より一段深いところまで潜ってきた感じがある。
しかも新キャラクターたちが入ることで、学校ものとしての読みやすさも出ている。異常存在リサーチ部という名前からして、だいぶ良い。ちょっと胡散臭くて、ちょっと楽しそうで、でも絶対に近づきたくはない部活名である。
鮎川浩紀や夏目きゆといった中学生たちの人間くささが、アリサの機械的な視点とぶつかることで、物語の温度差が生まれる。この温度差が、ホラーをより効かせていると思う。
人間側には軽口や意地の張り合いがあるのに、そのすぐ横で世界のルールが崩れている。この落差がとても怖いのだ。
結局あまり助けてくれないのがいちばんいい
本シリーズを読んでいて毎回思うのは、饗庭淵が怪異に対してあまり親切ではない、ということである。もちろん作者としてはむしろ誠実なのだと思う。
怪異の正体を全部説明して、最後にきれいに片づけて、はい解決、とはなかなかしてくれない。アリサの仕事はあくまで観測であって、退治や救済ではない。だから怪異は観測されたあとも残るし、下手をするともっと嫌なかたちで居座る。この後味の悪さが、シリーズのいちばんいいところだ。
すっきりしないと言えばそうなのだが、そのすっきりしなさこそホラーには必要なのだとも思う。全部きれいに終わるなら、話としてはまとまっても、怖さは少し薄くなる。本シリーズはそこを薄めない。観測したから終わり、ではなく、観測してしまったからもう知らなかった頃には戻れない。そういう感じが残る。この残り方が好きだ。
そして、白川教授と妹・有紗の過去、月見村の記憶、思い出せない何か、といったシリーズ全体を貫く因縁もちゃんと効いている。各エピソードは単体でも楽しめるのに、全体として見るともっと大きな歪みにつながっている。ひとつの怪異を片づけたと思ったら、実はその奥にもっと嫌なものがいるかもしれない、という気配がずっとある。この設計も好きである。
『対怪異アンドロイド開発研究室2.0』は、前作のおもしろさをそのままなぞる続編ではない。前作が「そこにある怪異」を見に行く話だったなら、今回は「当たり前だと思っていた現実」がじわじわ壊れていく話になっている。つまり、怖さが外から来るものではなく、日常の中で育ってしまうものに変わったのだ。この変化がかなり効いている。
ホラーとSFの組み合わせというと、つい派手なアイデア勝負を想像してしまう。もちろん本シリーズにも、対怪異アンドロイドという時点でかなり強い看板がある。
だが本当にうまいのは、そのガジェットを使って、人間の認識の頼りなさや、常識が崩れる感触を前に出しているところだと思う。科学で怪異を見ようとした結果、怪異より先に世界のほうが狂っていた、というのはなかなか救いがない。だが、その救いのなさがたまらなく面白いのである。
最初は、ロボットが怪異を調べる話か、楽しそうだな、くらいの気分で読み始めてもいいと思う。
でも読んでいるうちに、楽しそうなのは研究室の名前だけだったな、とたぶん気づく。
アリサは怖がらない。だからこちらが怖くなる。しかも観測しても、あまり世界はましにならない。
この容赦のなさこそが、このシリーズのいちばん好きなところだ。
前作はこちら。




















