【自作ショートショート No.1】『訪問販売』

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悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。

さびれた港町のはずれ。海沿いに並んだ平屋建ての中の一軒だった。

陽子は肉を切るのに疲れてそっと包丁を置いた。したたる汗を手の甲でぬぐった。

夏の潮風と一緒に魚を煮付ける良い匂いが漂ってきた。隣の濱田だろう。

現役漁師の家の夕飯はいつも陽子の家よりかなり早い。

一息ついた陽子は作業に戻った。

肉はすべて塩漬けにするつもりだった。

量があるので大変だ。手早く片付けなければ腐って臭い始めるに違いない。

脂が多いこともあってか包丁がすぐにダメになる。そろそろまた研いでおこう、と陽子は腰を上げた。

開け放した窓の外にはちらちら瞬く午後三時の海。

包丁に限らず、海沿いの集落では道具がすぐに錆びて使えなくなる。

嫁いできてからの十年間、陽子はそのことがずっとずっと嫌だった。

トタン屋根も配管も雨樋の金具も、家はあちこち錆びてすっかり赤茶けた。

テレビだって自転車だって、買い換えるたびにダメになった。

昌夫との夫婦仲もそうだ。いつの間にか錆び付いて、顔を見合わせるたび喧嘩を繰り返すようになった。

どうして結婚なんてしたのか、今となっては思い出せない。

ふいに響いたチャイムの音が陽子を驚かせた。

「ごめんください!調理器具の訪問販売をしている者ですが!」

身形を整えた陽子は玄関のドアを細く開けた。

隙間からニヤニヤした中年男の顔が見えた。

「どうも奥さん。暑いですねえ毎日。ちょっと入れちゃもらえませんかね。ほら、この汗」

日に焼けた男のきつい体臭が間近に迫った。陽子は顔を背けた。

入れるわけにはいかない。家の中は荒れていた。

ガラスの重たい灰皿が転がり、テーブルがひっくり返り、扇風機が倒れていた。一昨日の夜の大喧嘩からずっとそのままだ。

ドアを閉めようとすると隙間に男が指を差し込んできた。

「いたたたた!奥さん痛い痛い!勘弁してくださいよ!」

「指を抜いてください」

「抜いたら閉めるでしょう。お聞きなさいって。良い調理器具が揃ってるんです」

「間に合っています」

「ウチのはそこらの使えない道具とは全然違う。朝からこの辺りを回らせてもらってますけどね、どこの奥さんも喜んでくれましたよ」

「お引き取りください」

「旦那さんとえらく不仲らしいじゃないですか。ご近所の噂ですよ」

陽子がピタリと動きを止めると、にやけた男の目がいっそういやらしい光を帯びた。

「瀬川さんちは夫婦仲が良くない。喧嘩の声が町外れまで聞こえる。旦那さんは飲んべえで、かんしゃく持ちで、ふらっと何日も姿を消すことがよくある。だったかな?」

近所の噂。さもありなんと陽子は溜息をついた。男がドアを引いて入ってきた。

「そんな奥さんにはこのフードプロセッサー。何でも細かくできますよ。肉も魚も骨ごとミンチにできる。短気な旦那にカルシウムを摂らせてやんなさい。カルシウムを」

玄関先に座り込んで荷を広げ始めた訪問販売員・小島のために、陽子は扇風機と麦茶とお茶請けを用意した。

小島は商売そっちのけでよく話した。

「私がこんな仕事をしてるのが妻は不満でしてね、同年代はもっと立場のある役職に就いてバリバリやってるのに、って家で飲むたびチクチクやられてますよ」

「働いていらっしゃるだけマシです。ウチのはちっとも」

昌夫は五年前まで漁師をしていたが、仕事中に負った足の怪我で船に乗れなくなってからは飲んでばかりの生活を始めた。

それまでの蓄えと陽子の事務員としての稼ぎでどうにかこうにかこの五年を過ごしてきた。子供はいないので気楽なものだ。

「今、旦那さんは」

「さあ? どこで油を売っているんだか」

「苦労しますなあ奥さんも。寂しいでしょう」

「とんでもない。居ない方がせいせいします。ぶたれる心配もないし」

小島が太い眉をひょいと上げた。そう、昌夫は酔うと陽子に手を上げるのだ。

陽子も物を投げて応戦するから、家の中は壁も床も畳も大小の穴や傷でいっぱいだった。

そうですか、と小島が重苦しい溜息をついた。フードプロセッサーをずずいと前に出した。

「いいでしょう。そんな奥さんには特別特価、定価の半額でこいつをお譲りします。何、気にしなさんな。私から奥さんへのエールですよ」

「ありがとうございます」

「男なんて案外弱い。旦那が帰ってきたらガツンと言っておあげなさい」

その場で支払いを済ませると、毎度あり!と小島は元気よく去って行った。

鬱々としていた心が小島とのやり取りのお陰でいくらか晴れた。

陽子は作業の続きをしようと風呂場に戻った。

脱衣所のコンセントを使ってさっそくフードプロセッサーを動かしてみた。

「あ、すごい」

切り分けておいた肉がどんどん細かくなっていく。太い骨まで粉微塵だ。

「これならトイレに流せる」

うまく行きそうだと分かると気持ちに余裕ができた。陽子は部屋の片付けをすることにした。

倒れたテーブルを起こし、散らばったタバコの灰を掃除機で吸った。

ベッタリと血の付いた重たいガラスの灰皿はシンクで丁寧に洗ってやった。

すっかり部屋を元通りにしてしまってから、また風呂場での作業に戻った。

フードプロセッサーが大活躍。

昌夫だったものはもう、元のサイズの半分もない。

(了)

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

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ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書するミステリ好き人間。

本を読み、本に人生を食われながら、今日もどうにか人間の形を保っている。

もはや読書は趣味ではなく、生活習慣であり、呼吸であり、呪いである。

幸せだね。

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