【自作ショートショートNo.68】『歪んだ愛』

  • URLをコピーしました!

大通りに面したオフィスビルの自動ドアが開き、女が現れた。

女はガードレールの切れ間で手を挙げた。タクシーが止まり、女を乗せて走り出す。

間違いない。今日で確実に女を仕留められる。俺は物陰から離れて目的地へ急ぐ。

今回の依頼主は冴えない中年の男だった。いや、正確には三十代かもしれない。

依頼主のプロフィールはさほど重要ではないから、男がいくつだろうがどうでもいいのだが。

「女を葬ってほしい。金はいくらでも払う」

男の声には鬼気迫るものがあった。

「俺の話をどこで聞いたのか知らないが、個人の案件は基本的に受け付けていない」

ろくでもない人生だが、1つだけ幸運な事がある。俺は暗殺の才能に恵まれた。

それが金になると気付いてからは、政治家や大企業の経営者を数多く手にかけてきた。

「知っている。金はあるんだ。一億でどうだ」

男は手にしていたアタッシュケースを叩いた。

「やはり分かっていない。金じゃないんだよ。俺は裏の世界にしかないモノを金代わりに受け取っている」

これまでの依頼主たちは、国内では流通していない銃や、細菌兵器の特効薬などを譲ってくれる。

金を貰うのは契約時の手付金だけだ。

「それなら、女の部屋にある物を好きなだけ持って行ってくれ。全て俺がプレゼントした物だ。中には絵画なんかの美術品もある」

男はとある芸術家の名を口にした。

「ふむ、悪くないな。俺の好きな芸術家だ」

毒々しい世界を描くその絵を眺めていると、闘争心が湧いてくる。

「はっはっは、中々マニアックだな。では交渉成立という事でいいか?」

男は楽しそうに言った。

「ああ。ターゲットについて教えてくれ」

俺は男からターゲットの女について聞き出した。

女は仕事が終わると、大抵は繁華街へ繰り出すが、月に数回はタクシーで真っ直ぐ家に帰るとの事だった。

女の住むマンションに先回りし、女がやってくるのを待つ。

道路が混みあうこの時間は鉄道で移動したほうが早い。

数十分後、女がマンションに近付いてきた。

マンションの正面までタクシーで来るような事はしないらしい。

防犯上正しい判断だ。残念ながら今日は間違いだが。

女が出入り口のオートロックを解除して中へ入っていく。

ドアが閉まる前に俺は体を滑り込ませ女の後に続く。

女はエレベーターを待っていた。俺は女の後ろに並んだ。

一階に到着したエレベーターに女と二人で乗り込んだ。

エレベーターのドアが再び開いた。女が先に出る。

その足取りはおぼつかない。なぜなら、俺が背中にナイフを突きつけているからだ。

そのまま歩き、女の部屋に向かった。女の部屋に後から入った俺は、後ろ手てドアの鍵を閉めた。

「突然すまないな。君に恨みは無いが、消えてもらうよ」

俺は努めて明るく言った。

「私、殺されるんですか」

女は引きつった顔で俺を見ている。

「そうだ。ある人から頼まれたんでな」

「誰なんですか」

女は尋ねてきた。

「知ってどうする。意味のない事だ」

俺は一歩近づいた。女が後ずさる。廊下から居間へと移動した。奇抜な絵が飾られている。

「あまり絵には近づかないでもらいたい。汚したくはないのでね」

俺は言った。血飛沫が飛んだら困る。いや、それも悪くないか。

「絵がどうかしたの?」

女は首を傾げる。

「好きな芸術家の絵なんだよ。なるべく綺麗な状態で持ち帰りたい」

俺の言葉に女は目を見開いた。

「もしかして、彼から頼まれたの……」

女は呟いた。

「さあ、どうだろうな」

俺はとぼけた。すると女の表情に変化が生まれた。

「なるほどね、よく分かったわ」

そう言うと女は笑い出した。甲高い笑い声に一瞬怯んだ。

「死を前にして精神がもたなくなったかな。おしゃべりはこのへんにしよう」

俺は空いているほうの手をポケットに入れ、紐を取り出した。現場はなるべく汚したくない。

「一つだけアドバイス。私を殺したら後悔するわよ」

女は不敵に笑いこちらに向かってきた。俺は経験した事の無い恐怖を感じた。

「覚えておくよ」

さっさと終わらせよう。俺は動いた。

おかしい。

依頼主の男と連絡が取れない。仕事の報告が出来ないまま数日が経過した。

女の家から絵を頂戴したから仕事の報酬は既に手にしている。

しかし、完了報告をしていないのは落ち着かなかった。

昔ながらのラーメン屋で早めの昼飯を食べていると、店の隅に設置されているテレビのニュースに釘付けとなった。

『芸術家の男死亡』

『自殺か』

『殺人を仄めかす』

刺激的なテロップと共に映し出されている写真には、依頼主の男の顔があった。

アナウンサーが話し続けている。

「遺書には、『世界で一番大切な人を死なせた。私も死ぬ。二人はあの世で永遠の芸術となる。』と書かれており……」

俺はようやく、死に際に女が言った事の意味を理解した。

もう、あの芸術家の描く絵は生まれない。

(了)

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次