【自作ショートショートNo.66】『のっとる呪文』

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冒険家のアドは古びた地図を頼りに森の中を進んでいた。

昼間だというのに、茂った木々に日光を遮られて辺りは薄暗い。

膝辺りまで伸びた草を踏み荒らしながら、ぐんぐん森の奥深くへと進んでいく。

時折、木の根に足を取られながらも、その足取りは力強い。

森に足を踏み入れてからどのくらいの時間が経ったのだろうか。

そろそろ日も沈む頃だ。アドはヘッドライトの明かりを点けた。

その場に立ち止まって、ライトの明かりで地図を確認する。目的地まではあとわずか。

「ふむ」

アドはぐるりと周囲を見渡した。

といってもすっかり闇に包まれた森の中は、そう遠くまで見渡せるわけもない。

「ふむ」

もう一度呟いて、ひとまず足元の切り株に腰を下ろしたアドは休憩を取ることにする。

「さてと、どうするか」

ぬるくなった水と湿気たクラッカーだけの味気ない食事を終えたアドは、このまま目的地を目指すか、いったん睡眠を取り、朝になるのを待って出発するかをしばし逡巡する。

「よし、先を急ごう」

もうそれほどの距離はない。明日まで待つより、このまま進んだ方が早い。

そう判断したアドは、おもむろに立ち上がった。

まずヘッドライトの向きを調整して、再び力強い足取りで歩き始める。

しばらく進むと突然、目の前が開けた。目的の場所に辿り着いたのだ。

ヘッドライトの明かりに照らされた黒光りする石板、これこそがアドの探し求めたものだった。

はやる気持ちを抑えて石板に近づいたアドは「はて?」と首をひねる。

石板には『体を乗っ取る呪文』と書かれている。

宝のありかが示されている石板と聞いて、はるばるここまでやってきたのだが。

「体を乗っ取る呪文だと?わけが分からない」

不思議に思いつつも、アドは手帳に呪文を書き写す。

さらに注意深く周辺を探ってみるが、この石板以外は何もありそうにない。

しばらくその場で粘ってみたが、これ以上の収穫はなさそうだ。

要するに期待していたものは手に入らなかったわけだが、冒険家にとって当てが外れるのはよくあること。

さほど沈むことなく、アドは今回の冒険を終えた。

妻の待つ家へと帰ってきたアドは、ふとした気まぐれからあの呪文を唱えてみた。

この時たまたまキッチンに立つ妻の姿が視界に入っていた。

呪文を唱え終わると同時に、アドの視界がぐにゃりと歪む。

そして気が付けば、アドの意識は妻の肉体に入り込んでいた。

「な、な、どうなってんだ?!」

慌てたアドは無意識に同じ呪文を唱えていた。

するとどうしたことか、再び視界が歪んだかと思うと元の体に戻っていたのだ。

何が起きたか分かっていない様子の妻を何とかごまかして、アドは外へ出た。

いったん一人になりたかったのだ。

結論から言うとこの日アドは、妻以外に二人の体を乗っ取った。

どちらも見ず知らずの他人だ。

こうして分かったのは、呪文の効果は本物だということ、視界に入った相手の体を乗っ取れること、その間アドの体は意識がなくなることであった。

つまり意識が入れ替わるわけではないのだ。

アドはその日から、金を持っていそうな人間や若い女性など、次々に体を乗っ取っていった。

乗っ取ったら真っ先に、無防備になるアド自身の体を安全な場所に移動させる。

そこから思いつく限りの悪行を繰り返していったのだ。

金目の物を盗んだり、女性の体にいたずらしたりなどやりたい放題。

何しろ自分の財布から金を出し、自分の体に触れているだけ、他人からはそう見えるのだ。

まさか中身が別人だとは夢にも思わない。

今のアドは危険を冒してまで冒険に出ようという気持ちはなくなっていた。

そんなことをせずとも金は入るのだ。

しかしやがて飽きてしまう。自分の欲のためだけに体を乗っ取ってもつまらない。

もっと面白いことがしたい。そうして考え込んだアドの視界に入ったのが空を飛ぶ鳥だった。

「あれだ!」

慌ただしく自宅に戻ったアドは、自室の窓から外を飛ぶ鳥に狙いを定めて呪文を唱えた。

視界が歪んだ次の瞬間には空を飛んでいた。

窓の中には倒れている自身の体が見えている。

鳥になったアドは、街中を飛び回った。気分爽快だった。

なぜもっと早く気が付かなかったのか。乗っ取る対象は人間に限らないのだ。

よし、次は犬になって町中を走ってやろう、象やライオンも良いな。

そんなことを考えながら、空中の散歩を思う存分に楽しむ。

丸一日飛び回ってようやく満足したアドは元の体に戻るために、呪文を唱える。

「……」

もう一度唱えてみる。

「……」

だめだった。

どう頑張ってみても、鳥の声帯では呪文を発することができないのだ。

そもそもが人間のアドには、鳥のさえずりさえどうやれば音にできるのか分からない。

必死で呪文を唱えようするが、くちばしからはかすれたような鳴き声が出るのみ。

もう二度と元の体には戻れない。

(了)

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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