【自作ショートショート No.37】『雪女』

  • URLをコピーしました!

「はぁはぁ、あともう少し」

雪深い山で遭難しかけていたサブロウは、寒さで意識が朦朧とする中、必死で山小屋を目指した。

「寒い。このままじゃ凍え死んじまう」

最後の力を振り絞って雪の中を進むも、とうとう足が止まってしまい、サブロウはその場に倒れこんだ。

一度倒れこんでしまうともう起き上がれない。

彼はそのまま冷たい雪の中で、死が訪れる瞬間を待つしかなかった。

ところがふいに寒さが和らいだ気がした。

先ほどまで彼の体を容赦なく吹き付けていた風の気配がなくなったのだ。彼はゆっくり目を開けた。

そこにいたのは真っ白な着物を着た美しい女だった。

夢か幻でも見てるのかと目を瞬いてみるが、女は消えない。

「だ、誰だ」

「私はこの山に棲む雪女です。お寒いでしょう」

女はそう言ってサブロウに寄り添ってくる。

美しい女に優しく包まれた彼は状況も忘れ、顔を真っ赤にした。そしてそのまま火照った顔を雪の中に埋めた。

「んまあ、そんなことをしたら凍えますよ」

くすくすと上品に笑う女に、彼は思わずボーッと見惚れてしまった。

彼に見つめられたことに気がついたのか、今度は女が顔を真っ赤に染める。

サブロウはこの瞬間、恋に落ちた。

自らを雪女と名乗ったその女は、彼を助け、山の麓まで案内してくれた。

しかし雪女に一目惚れしたサブロウは、そのまま別れるのが惜しかった。

それで強引に自分の家へと連れ帰ってしまったのだった。

サブロウは雪女にオユキと名付け、二人は晴れて夫婦となった。

それまで独身だったサブロウが美しい妻を娶ったとあって、隣近所の人たちは一体何事かと不思議がった。

もしやサブロウに騙されているのではないか、いやあれは妻ではなく実は遠い親戚じゃないかなどと、みんなが好き勝手に噂した。

しかしサブロウはどんな噂を立てられようが全く平気だった。

それどころか美しい妻をみんなに自慢して回ったほどだ。

オユキもまんざらではなかったらしく、そんなサブロウとの暮らしを楽しんでいる様子だった。

ところがオユキと暮らし始めて3度目の夏、彼女が体調を崩して寝込むことが多くなってきた。

夜も寝ずに看病するサブロウだったが、オユキの体調は一向に良くならない。それどころかどんどん悪化していく。

「どうしたというんだオユキ」

「暑いのは苦手なんです。私雪女だから」

そうつぶやいて寂しげに笑うのを見て、サブロウは強引に雪山から連れ帰ってきたあの日のことを思い出した。

やっぱり雪女は雪山じゃなきゃダメなのかと、これまで自分のことだけを考えて妻の気持ちを考えていなかったことを初めて彼は後悔した。

そして悩んだ末に、妻を雪山へ帰してやろうと決意した。

その想いを伝えると、どこかほっとした様子ながらも自分がいなくなった後のサブロウの身を案じてくれるオユキに、彼は会いたくなったらこっちから山へ行くさ、と強がってみせた。

その数日後には、朝からそわそわしているオユキとともにサブロウは家を出た。

いつもであれば美しい妻と幸せそうに歩いているサブロウが、この日深刻な顔をしているのを見て隣近所の人たちは何事かと訝った。

もしや夫婦喧嘩か、いやあの顔は離婚されたんじゃないかなどと、みんなはまたも好き勝手に噂した。

二人はやがて目指す山の麓に着いた。

山に近づくにつれ元気を取り戻していくオユキにサブロウは複雑な気持ちだったが、元はと言えば妻の気持ちを考えなかった自分が浅はかだったのだ。

オユキが一歩山に足を踏み入れると、辺りは途端に雪が降り始める。

「あなたはこれ以上ここにいると凍えますよ」

最後まで気遣ってくれる妻にサブロウはまた会いにくるとだけ言った。

そして雪の中に消えて見えなくなるまで、妻を見送るのであった。

サブロウの妻がいなくなったことは、すぐに周囲に広まった。

あれだけの美女がサブロウに本気で惚れるわけがない、きっと逃げられたんだ、そんな風に噂する者もいた。

ところがしばらく経つと、その噂は別のものに変わっていった。

サブロウが妻の弱みを握って強引に結婚したんだ、いなくなったのは離婚したからじゃなくてサブロウが殺したんだ、という風に。

するとまた別の誰かが、そういえばあの二人が雪山に行って戻ってから奥さんの姿を見ていないぞと言い出す。

こうなると、サブロウが妻を殺して雪山に隠したことになるまではあっという間だった。

今ではみんなサブロウが美しい妻を殺したんだと信じて疑わなくなっていた。

そして彼は妻殺しの犯人として警察に捕らえられてしまう。

取り調べ中、サブロウは何度も何度も説明したが、警察はまったく聞く耳を持ってはくれなかった。

「違うんだ、妻は故郷に帰っただけなんだ」

「嘘をつくな!あんな雪山が故郷なわけないだろう」

「本当なんだ。妻は雪女なんだ」

「馬鹿なことを言うな。雪女なんているわけがない!ふざけるな!」

「本当なんだ、信じくれ」

「お前は殺した妻を雪山に埋めたんだろう」

「ち、違う。違うんだよ、信じてくれよ……」

鉄格子で囲まれた薄暗い部屋に閉じ込められたサブロウが、妻に会いに雪山へ行くことは二度と叶わなかった。

(了)

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次