【殊能将之】『ハサミ男』に驚いたあなたへ。次に読むべき「石動戯作シリーズ」へのご案内【作品紹介】

  • URLをコピーしました!
四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

ハサミ男』は傑作だ。

あれでミステリの沼に突き落とされた人も多いと思う。

でも、殊能将之(しゅのう まさゆき)は、たった一発屋で終わるような作家じゃない。むしろあれは、すべての始まりだったのだ。

というわけで紹介したいのが、【石動戯作(いするぎ ぎさく)シリーズ】である。このシリーズ、とにかく一筋縄ではいかない。

「本格推理×伝奇×不条理コメディ×哲学×メタ構造」と、ジャンルの棚がごった煮になる混沌の饗宴。なのに、ちゃんとミステリとして面白いというのが腹立たしい。

主人公・石動戯作(いするぎ ぎさく)は、いわゆる〈名探偵〉っぽくない。文句ばかり言うし、思考は意外と行き当たりばったりだし、なにより本人があんまり事件に関わりたがらない。

だがそれでも、彼は読者にとってこの奇天烈なシリーズの最高の案内役となる。我々は、石動のぼやきとともに、常識を超えたミステリ空間に踏み込むのだ。

シリーズは、第一作『美濃牛』での「ど真ん中・正統派」から始まり、最終作『キマイラの新しい城』では、幽霊が750年前の密室殺人を依頼してくる。そう、わけがわからない。でも最高に楽しい。

つまりこのシリーズは、探偵小説という形式そのものを使って、探偵小説の枠を爆破しようというプロジェクトなのだ。

この記事では、そんな石動戯作シリーズの魅力を、ネタバレなしで丁寧に掘っていこうと思う。

さあ、殊能将之の更なる迷宮へ。

目次

1.正統派からの破壊計画、その始まり── 『美濃牛』

殊能将之の『美濃牛』は、一見すると「正統派の推理小説」である。

閉鎖的な山村、奇妙な伝承、わらべ歌になぞらえた連続殺人。そしてクライマックスでは名探偵・石動戯作がロジックで謎をぶった切る。

横溝リスペクトど真ん中の舞台設定に、礼儀正しいトリックと本格ミステリの三種の神器まで揃っていて、「これぞ黄金時代っぽいやつが読みたかったんだよ」という声が聞こえてきそうだ。

「正統」の皮をかぶった、異物

だが、この作品を「昔ながらの本格」として片づけるのは早計だ。いや、むしろそれは作者の狙い通りの誤認なのかもしれない。

探偵・石動がきちんと事件を解き、謎がすっきり解明されるのはこの作品だけである。後のシリーズでは、彼の探偵らしさはどんどん曖昧になる。その意味で『美濃牛』は、探偵としての石動をわざわざ“立てる”ために書かれた、実に計算高い第一作なのだ。

そして、ミステリの構造そのものに仕掛けられた罠も見逃せない。殺人の動機やトリックはロジカルに解けるが、物語の根っこに流れるものはもっと重くて深い。病を癒すと噂される「奇跡の泉」、自分以外の誰にもなれないという息苦しさ、そして首のない死体。表層はパズルだが、読後には得体の知れないざらつきが残る。

事件は終わっても、何も終わっていない。登場人物たちの抱える痛みは解消されないし、村に巣食う重たい空気も晴れないまま、幕が下りる。ここにあるのは、正義の勝利でも、真相のカタルシスでもない。

ただ、「そういう世界で、そういう人々が、そういうふうに生きている」という残酷な現実だけだ。

『美濃牛』は、ただのデビュー作じゃない。本格の型を借りて、ミステリというジャンルを根っこから問い直すプロジェクトのスタート地点である。

まともな顔をして近づいてくるこの作品は、実のところ、「約束された探偵小説」という信頼を利用して、読み手の足元を崩すための装置だ。

後の実験作たちを成立させるためには、この一見ちゃんとしたミステリが必要だった。そう考えると、『美濃牛』の冷たい目線が、ちょっと怖く見えてくる。

2.オムライスと思ったら親子丼だった、あの衝撃── 『黒い仏』

探偵・石動戯作と助手のアントニオ(徐彬)が挑むのは、幻の秘宝「黒い仏」の探索。

依頼人は、突如現れた謎のベンチャー企業の社長。舞台は福岡、時はプロ野球・日本シリーズの熱狂まっただ中。だがこの物語、ただの宝探しでは終わらない。

とある密室で発見された焼死体、指紋ひとつ残されていない不気味な現場、そして、巨大な……?

本格ミステリとオカルトの「結婚詐欺」

本作を一言で表すなら「本格ミステリの皮を被ったオカルトミステリ」だろう。

前半はバリバリの論理戦だ。石動はあいかわらず達観した顔で、現場に残された手がかりをもとに、冷静な推理を積み重ねていく。アントニオもこれまで以上に有能で、まさかの過去が明かされ、シリーズファンの胸をざわつかせる。

だが、読者が「これは論理で解けるミステリだ」と信じ切ったところで、殊能将之は不敵な笑みを浮かべながら椅子を蹴る。ありえないはずのものが、現れるのだ。

しかも、ご丁寧に巨大で奇怪で、とにかく説明不能なやつが。つまり、これは「フェアプレイ」と見せかけた、ジャンルに対する意図的な裏切りなのだ。

この構造にブチ切れるか、爆笑するか、はたまた「そう来たか……」と膝を打つかは、人それぞれだろう。だが確実に言えるのは、これが凡百のトリック物ではなく、ルールそのものを問い直す、極めて挑戦的なメタミステリだということだ。

物語全体を覆う乾いたユーモアと、時折挟まれる妙にリアルな描写。例えば、日本シリーズのくだりなどは、殺人事件よりも生々しい熱気がある。現実と非現実が、スライドのように交互に顔を出す。そのバランス感覚の不気味さも、作品の大きな魅力だ。

『黒い仏』は、正統派ミステリとして読めば読むほど、足をすくわれる。だが、それこそが作者の狙いであり、快楽でもある。この作品に手を出すということは、「約束されたフェアプレイ」を一度疑ってみる覚悟があるかどうか、ということだ。

ミステリのルールを信じていた人ほど、ズタズタにされる。そしてなぜか、また読みたくなる。

そんなタチの悪い魔物こそが、この『黒い仏』である。

3.探偵のいない世界で、物語そのものが謎を解く──『鏡の中は日曜日』

衝撃の第一報から始まるこの一作は、シリーズの中でも群を抜いてトリッキーな構造を持っている。探偵がいないのに、事件はある。

ならば、誰が謎を解くのか?

いや、そもそも謎は「誰が殺したか」じゃない。謎そのものが、物語全体を包み込む枠に化けている。

物語は、認知症を患った老人の一人称という、いきなり不確かな語り口から始まる。続いて過去の殺人事件と、現在の再調査パートが挟まれ、最後に全体を裏返すような解決編が用意されている。

語り手が信頼できない。視点が揺らぐ。時間がずれる。何もかもが曖昧だ。だがその曖昧さこそが、最終的に「真実」へたどり着くための必須条件になっている。

小説が「探偵」になる、という逆転の構造

普通のミステリなら、名探偵が手がかりを拾い集め、論理で事件を解決してくれる。しかし本作には、その役割を果たす人間がいない。だからこそ、構成そのものが探偵の代理を務める。

三つのパート──信頼できない過去、揺れる現在、衝撃の解決──を組み合わせることで、テクスト自体が事件の真相を暴き出す。つまりこれは、小説という形式が読者を導き、自ら真相へと辿り着かせる「構造探偵」ミステリなのだ。

しかもその枠の中には、ミステリ史へのオマージュがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。クラシックな密室の謎から、詩人マラルメの引用、シリーズの文脈に通底する哲学的テーマまで、詰め込みっぷりが尋常じゃない。

言ってみれば、作者が「俺の持ってる全弾を一冊でぶっ放す」と決めて書いたような一作だ。

石動シリーズに慣れていないと、頭を抱えるかもしれない。でも、慣れていたって、この作品は別格だ。なぜなら本作では、語られる物語よりも「どう語られるか」がすべてを決定づけるからだ。

読み手は、物語を読むだけでは終わらない。構造そのものを読解し、「何が起きたか」ではなく、「なぜそう読まされたのか」を考えることになる。

『鏡の中は日曜日』は、そんな挑戦状だ。探偵のいない世界で、読者が仕組まれた構造と対峙しながら真相に辿り着くしかない。そういう、恐ろしくクレバーで、異様に美しいミステリである。

4.ふたつの密室、ふたつの真相── 『樒 / 榁』

密室とは、ミステリの王冠に輝く宝石である。

その謎に、ふたつの名探偵がそれぞれの手つきで挑む。そんな贅沢な趣向が凝らされたのが、この『樒 / 榁』だ。

『鏡の中は日曜日』文庫版の併録作として存在しているが、その完成度はちっとも「ついで」じゃない。むしろ、密室好きには本編以上に刺さる可能性すらある。

構成はシンプル。第一部「樒」は、石動がかつて読んだとされる名探偵・水城優臣の事件簿。舞台は人里離れた温泉宿、状況は典型的な密室殺人。

そして、解決もまた黄金時代の香り漂うクラシカルな一撃。冷静で端正で、すべてが「ミステリ然」としている。

古典の香りと現代の風刺、ふたつの解決の美学

しかし、その16年後を描く第二部「榁」になると、風向きがガラリと変わる。同じ宿、同じ構造、同じような密室。だが今回は石動が担当だ。状況は瓜二つでも、導き出される真相はまるで違う。

トリックの方向性も、登場人物たちの扱いも、水城とはまったく異なる。ここで読者はようやく気づく。「ああ、これは比較して読むためのミステリなんだ」と。

両者の差異は、単に作風や時代性にとどまらない。推理という行為そのものの姿勢、論理の運び方、証拠の読み解き方が、まるで別の言語で語られているかのようだ。それでも、どちらの解決も「あり得る」と思わせるだけの説得力があるから、余計に面白い。

石動シリーズを追っている身からすると、『鏡の中は日曜日』から続く石動の心理の揺れや、探偵としての立ち位置が「榁」でもじわっとにじむのがまたニクい。

密室トリックという、時に形式主義に走りがちなジャンルにおいて、「誰が、どのように、なぜ解くのか」という視点の違いだけで、こんなにも世界が変わるのかという驚きがある。

技巧と構造の妙を愛する人間にとって、『樒 / 榁』は、短編でありながらとんでもない濃度でできている。これは一種の二連画だ。

左右対称ではないが、互いを映し合うようなバランスの上に成立している。しかも、どちらも“正解”だと感じさせてくれる。

ミステリとは「一つの謎に一つの答え」が前提ではない。そう教えてくれる、静かで雄弁な中編である。

四季しおり

この『樒 / 榁』は、さっきご紹介した『鏡の中は日曜日(講談社文庫)』にも収録されている。なので『鏡の中は日曜日(講談社文庫)』だけ手に取ればOKだ。

天狗を目撃したという宮司がいる荒廃した寺で、御神体の石斧が盗まれた。問題の“天狗の斧”が発見されたのは完全な密室の中。おびただしい数の武具を飾る旅館の部屋の扉を破ると、頭を割られた死体と脅迫状が。

5.亡霊と論理が踊る、シリーズ最終の大団円── 『キマイラの新しい城』

探偵・石動戯作シリーズ、ついに完結。

なのに、このノリで本当に終わっていいのか?と、思わず笑ってしまう。だが、これが殊能将之流のフィナーレなのだ。

今回の依頼主は、なんと中世フランスの亡霊であるエドガー卿。そしてその幽霊が、石動戯作にこう言うのだ――「750年前、密室で殺された自分の死の謎を解いてほしい」と。

750年前の密室事件の真相を、今この時代に探ってくれ? 無茶にもほどがある。

舞台となるのは、亡霊に取り憑かれた変人社長がフランスから移築した「再建古城」。そしてもちろん、そこでは現代の殺人事件まで発生する。

過去と現在、合理と不条理が渾然一体となって、前代未聞の捜査劇が幕を開ける。

トンデモトリックの向こう側へ

もはや真顔では読めない。しかし、このバカバカしさの中に、殊能らしい超技巧とミステリ愛がぎっしり詰まっている。

事件は、証拠も目撃者も現場すら存在しない。あるのは幽霊の証言だけ。それを手がかりに750年前の殺人を論理的に推理するという狂気の発想は、もはや「本格」の定義を嘲笑っているかのようだ。

だが、トンデモ設定を支えるロジックは意外なほど緻密で、ちゃんと真相に辿り着く。このアンバランスがたまらない。

探偵・石動と助手・アントニオのやりとりは、本作でさらに冴え渡る。とくにアントニオのアクションシーンや名(迷?)セリフのオンパレードは、ファンならニヤニヤが止まらないはず。

シリアス一辺倒だった初期作からは考えられない、この軽快なノリ。その振れ幅すら、シリーズを読み通してきた者へのご褒美のように思えてくる。

結末にふさわしいかどうかは、正直微妙だ。でも、「探偵小説」というジャンルを解体し続けたこのシリーズにとっては、これがベストの着地だったのだろう。重厚でも感動的でもない、けれど最高にユニークで、記憶に残る終わり方だ。

『キマイラの新しい城』は、ジャンルの常識にとらわれない発想と、それを軽やかに成立させる筆力があってこそ成立する、知的コメディ・ミステリの極北である。

石動シリーズが築いてきたものを、愉快にぶち壊しながら終わらせる。こんな終幕、誰にでも書けるものじゃない。いや、殊能将之にしか書けない。

つまりこれは、ミステリという形式そのものを笑いながら解体する、殊能将之の最後の実験なのだ。

おわりに 殊能将之という永遠の謎

石動戯作シリーズを読み終えたあと、残るのは「面白かったー!」という単純な満足感だけではない。

むしろ、「この人はいったい何をやろうとしてたんだ……?」という不可解な感動に包まれる。

シリーズは、最初こそ〈本格推理〉の正面突破から始まる。だが巻を追うごとに、その論理はどんどん奇怪に、異形に、笑いと狂気と哲学をまといながら変容していく。

最後には、幽霊・750年前・城・転生・ドタバタ劇、という、ジャンルの限界突破みたいな作品にたどり着く。これがふざけているようで、ふざけきれない。きっちり練られていて、破綻せずに走りきる。

そこにあるのは、確かな計算と、ミステリという形式への愛と、そしてちょっとした意地悪さだ。

惜しむらくは、もう続きがないということ。殊能将之は、2013年、わずか49歳でこの世を去った。石動シリーズは、予定されていた第6作を残したまま、そこで止まってしまった。

けれど、だからこそ、この未完の連作は、どこか永遠の輝きを放っている。

「もし彼が生きていたら、次は何を解体しただろうか」

そんな想像だけが、ずっとわたしたちの中で更新され続ける。

石動戯作シリーズは、完結している。

でもその核心は、今もなお未解決のまま、読者の頭の中でぐるぐると渦を巻き続けているのだ。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ただのミステリオタク。

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次