『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』- ボルヘスとビオイが本気でふざけたミステリ講義

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四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

ボルヘスとビオイ=カサーレスが組んで探偵小説を書いた──それだけで、ミステリ好きならテンションが上がるに決まっている。

そして生まれたのがこの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』だ。

しかも、ただの探偵ものじゃない。安楽椅子どころか、独房探偵。登場するのは皮肉屋で哲学者めいた囚人探偵、事件は全て語りだけ、そして語るのはやたら話の長い人々。

「そんなの面白いの?」と思われるかもしれない。でも、これがめちゃくちゃ面白い。ミステリとしても読めるし、文学の遊びとしても楽しめるし、なにより読者の頭脳が問われるエンタメとして超一級だ。

今回はそんな「言葉だけで勝負する異色探偵小説」の魅力を、思いきり語っていこう。

目次

ボルヘスとビオイ、共犯関係から生まれた第三の作家

まずは背景を押さえておこう。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスとアドルフォ・ビオイ=カサーレス。

この二人が共作するにあたって使ったのが「H・ブストス=ドメック」というふざけたような、でも妙にリアルなペンネームだった。

なぜこんな名前かというと、それぞれの祖先の姓をくっつけたからだ。つまり、少しふざけた遊びでもあるし、創作上の仮面でもある。そしてこの仮面の下で、二人は自由に風刺を利かせたり、論理を極めたり、文学そのものを茶化したりできるようになる。

ボルヘスは元々、架空の書物や作家を創造する虚構作家として知られていたが、今回はその手法をさらに推し進め、現実に偽作家を登場させ、その作家が書いたという体裁で小説を書く。ここからして、もうジャンルと現実の境界線がゆらぐ。

そしてビオイ=カサーレス。彼は緻密な構成力と、人間をちょっと斜めから眺めるようなユーモアを持つ作家だ。この二人が合わさったとき、「ペダンティック(衒学的)なバロック文体」+「アルゼンチンの市井風俗」+「迷宮のような論理遊戯」=ブストス=ドメックの誕生となる。

だからこれは、単なる合作ではなく、二人の天才が作った「第三の作家」による、異形のミステリなのだ。

ドン・イシドロ・パロディ、その名も「パロディ」

さて、主人公であるドン・イシドロ・パロディ。この名前からして、もうジャンルへの仕掛けがある。「パロディ」=「探偵小説のパロディ」だ。

彼は元理髪師であり、なぜか殺人犯として逮捕され、いまは独房273号に収監中。そこから一歩も出ずに、面会に来る人々の話を聞いて、推理して、事件を解決する。つまり完全なるアームチェア・ディテクティブ。

しかも、マープルやネロ・ウルフよりも、さらに極まっている。彼は情報をすべて「言葉」だけで受け取り、「現場」も「物証」も知らない。視覚も触覚もない。あるのは、依頼人の話と、彼自身のロジックだけ。

つまり彼の独房は、図書館であり、迷宮であり、実験室。そして依頼人の話は、時に支離滅裂で、時に饒舌すぎて、情報なのか雑談なのかわからない。でもパロディはそこから、言葉の迷路をたどり、論理の糸を引っ張り出してくる。まさに現代のテセウスだ。

加えて、彼が元理髪師という設定も面白い。理髪店はかつて町の情報センターだった。つまり彼は、情報を耳で聞き取って、そこから人間模様を読み取るプロである。

そこに20年以上の獄中哲学が加われば、そりゃ最強の探偵になるというものだ。

語りの爆弾と、読者という探偵

この作品の何が難しいって、読みにくいところだ。いや、正確に言えば、情報が整理されていない。

各章ごとに登場する依頼人たちは、みんな自己愛のかたまりみたいな人たちで、自分の話をしたくて仕方がない。そのせいで、事件の説明がやたら長くて脱線も多く、全体像をつかむのが非常に困難である。

でも、そこが面白い。これはつまり、読者もパロディと同じ状況に置かれているのだ。信頼できない語り手から、断片的で主観に満ちた情報だけを与えられ、それでも真相を解き明かさねばならない。私たち自身が、探偵役にされてしまっている。

しかもこの会話劇、単なる冗長ではない。情報を「小出しにする」「ズラす」「ミスリードする」というミステリ的技巧が、語りのなかに巧妙に埋め込まれている。

よく読めば伏線だらけ。読み飛ばせば、パロディに置いていかれる。

六つの事件、迷宮としての世界

そんな情報迷宮のなかで語られる六つの事件。ここでは簡単に、それぞれの入り口だけ紹介しよう。

「世界を支える十二宮」

イスラムの秘儀のさなか、教祖が殺されるという、宗教的で閉鎖的な共同体の中で起きた密室殺人事件。

儀式の意味、黄道十二宮の象徴性、信仰と論理の対立。そのどれもが複雑に絡み合い、まさに世界の構造そのものを問うような深遠な謎に発展していく。

「ゴリアドキンの夜」

ロシア皇女の高価な宝石が、夜を徹して走る急行列車内で忽然と消える。舞台は動く密室。

限られた登場人物、すれ違う証言、そして誰もが何かを隠している状況の中、事件は思わぬ展開を見せる。推理小説らしい夜の列車の魅力が詰まっている。

「雄牛の神」

パンパの広大な草原にある農場での祝祭の最中、農場主が人々の目の前で刺殺される。だが、誰にも犯人の姿は見えていない。

何百人もの目撃者がいながら、誰も真相に近づけない。スケールの大きな群集劇でありながら、殺人自体は消失してしまっている。そんなパラドックスを孕んだ、挑戦状のような一編。

「サンジャコモの先見」

ブエノスアイレスの場末のホテルにふらりと現れた、一見冴えない田舎者。だが、彼の語る未来の出来事が次々と現実になることで、宿泊客たちは混乱と不安に包まれていく。

予知能力か、偶然か、それとも何か別のロジックがあるのか。静かな舞台設定のなかで心理戦が展開される。

「タデオ・リマルドの犠牲」

裏社会に生きる人々の間で語られる、名誉と犠牲の物語。家族を守るための殺人なのか、裏切りなのか。

物語は道徳的ジレンマの迷宮へと誘う。血縁や義理といったアルゼンチン独特の社会観が色濃く反映され、どこか哀切ささえ漂う一編である。

「タイ・アンの長期にわたる探索」

中国の奥地からやってきた魔術師タイ・アンが、聖なる宝石を探し求めてブエノスアイレスの街をさまよう。

東洋の神話的モチーフと、探偵小説の論理的構造が絶妙に融合した一編であり、幻想文学のような雰囲気も漂う。文化の交差点としてのブエノスアイレスが鮮やかに描かれている。


どれも舞台がぶっ飛んでるし、登場人物も一癖も二癖もある。そしてそのすべてが、独房という極小の空間で再構成されていく。

世界は広い。でも、真相は狭い部屋の中で完結するのだ。

パロディは遊びじゃない、本気の頭脳バトルだ

結局この作品を読み終えたときに残るのは、「ミステリは、こんなに自由なんだ」という驚きと、「読んでる自分も試されている」という緊張感だ。

『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』は、探偵小説を愛してやまない二人の作家が、本気でジャンルを遊び倒した結果である。

だがこれは単なるパロディでも、単なる笑いでもない。すべては、「言葉の中に真実を見いだす」ための真剣勝負だ。

ボルヘスとビオイ=カサーレスが、探偵小説というゲームボードの上で仕掛けた、一大知的遊戯。その迷宮に、ぜひ迷い込んでみてほしい。

知識とユーモア、論理と脱力、迷宮と独房。

この作品に挑む者こそ、探偵なのである。

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