
1992年に発表された我孫子武丸の『殺戮にいたる病』は、もはやただの小説じゃない。あれは、ジャンルというジャンルの奥底にウイルスを仕込んでいった文学的病原体だ。
構造が異常、語りが異常、結末が異常。30年以上経っても、いまだにこの作品の症状は日本ミステリ界のあちこちで見られる。
そしてついに登場したのが本書、『●●にいたる病』。このアンソロジーは、いわば感染拡大フェーズの最終形だ。新本格ミステリの元祖からイヤミスの女王、そしてネット発ホラーの新星までが集まり、それぞれの〈病〉を持ち寄って、全力で読者を不安と絶望の沼に突き落としてくる。
全6編、まさに6つの新型ウイルス。
これはただの敬意じゃない。時代も作風もバラバラな作家たちが、「我孫子武丸の衝撃とは何だったのか?」を己の文体で解体・再構築する試みであり、現代日本サスペンスの“今ここ”を示す文学的X線写真だ。
感染源──『殺戮にいたる病』の遺産解剖
まず、感染源からおさらいしよう。
『殺戮にいたる病』が出たのは1992年。当時、日本のミステリ界では「新本格」が勢いづいてた。綾辻行人、法月綸太郎、有栖川有栖……そうそうたるメンバーが論理の快楽と美しいトリックを武器に大暴れしていた時代だ。
でも、我孫子武丸はちょっと違った。彼がぶっこんできたのは、血まみれの猟奇と倒錯の愛、そして読者の視線を根こそぎひっくり返すトリックの地雷。
『殺戮にいたる病』の構成は、殺人鬼・蒲生稔、彼の母・雅子、元刑事・樋口の三人の語りが章ごとに交代するマルチ視点型。しかも、時系列が前後しまくる。この混乱の中に、読者が知らずに飲み込まれていく罠が仕掛けられてるわけだ。
そして、あの伝説のトリックである。ミステリ好きなら絶対に騙される。いや、「騙される」と気づくその瞬間のショックこそが、本作最大の凶器だ。読者が当たり前だと思っていた前提をズタズタにされ、「自分が読んでたのって、そういう話だったの!?」と頭を抱える。
エログロ成分も忘れてはいけない。殺人描写、死体の扱い、性の歪み、支配欲と倒錯愛……内容が本気でキツい。でも、それがあるからこそ、蒲生稔という怪物の「内なる病」がリアルに感じられるし、ただのサイコスリラーでは終わらない厚みが出る。
要するに、『殺戮にいたる病』は「読む行為そのものが罠になる」タイプのやばい小説で、そこに感化された作家たちが今回集結したってわけだ。
伝染の媒介者たち──6人のジャンル建築家
じゃあ、その〈病〉を現代に持ち込んだ6人の媒介者たちを見ていこう。
全員、ジャンルの顔役か、それに近いポジションにいる実力者。バランスもよくて、めちゃくちゃ面白い布陣だ。
我孫子武丸『切断にいたる病』
原点回帰。というか、ご本人登場。連続殺人、どこかで見た構造、そして不意に炸裂するどんでん返し。叙述のトリックも健在で、「これこれ!」とテンションが上がった。読者の勘違いを利用して、ある切断を仕掛けてくる構成はゾクゾクする。
神永学『欲動にいたる病』
『心霊探偵八雲』の神永先生がまさかこんなダークな話を……。超常×人間ドラマの達人らしく、霊的なものと内なる欲望を繋げてきた。ある女子高生の「不思議な体験」が主軸だけど、その裏にはえげつない真実が潜んでいて、いい意味で落ち込む。
背筋『怪談にいたる病』
個人的に本書でいちばん背筋が凍ったのがこれ(作者の名前に偽りなし)。背筋さんといえば『近畿地方のある場所について』で伝説を作った方だ。
「怪談投稿サイトに送られてきた実話」という形式で始まるけど、読んでるうちにどんどん現実と虚構の境目が曖昧になっていく。最後の一文に冷や汗出る。
真梨幸子『コンコルドにいたる病』
出ました、イヤミスの女王。物語の中に物語がある「作中作」スタイル。ある人物の人生が、まるでジェットコースターのように下っていく。
救いがないし、気づいたら登場人物に感情移入してる自分が怖い。タイトルの意味がわかる瞬間、怖いというよりゾワッと来る。
矢樹純『拡散にいたる病』
舞台はとある限界集落。村にまつわるある風習が、ネットで拡散されていく。SNSや都市伝説、集団ヒステリー、あらゆる不安が混ざり合って、読後にめちゃくちゃ不安な気分になる。特に「P集落」という単語が怖すぎる。
歌野晶午『しあわせにいたらぬ病』
トリを飾るのはこの人しかいない。介護、貧困、家族、福祉。重くて現実味ありすぎるテーマの中で、幸せという言葉がどんどん意味を失っていく話。だけど歌野節全開で、最後にはしっかりトリックもキマっている。
6つの現代病を読み解く
このアンソロジーは単品で読むのももちろんアリだけど、並べて読むと見えてくるものがある。キーワードは「病」。
- 『切断』にいたる病→認識と現実のズレ。
- 『欲動』にいたる病→抑えきれない欲望の衝動。
- 『怪談』にいたる病→伝染する恐怖と噂。
- 『コンコルド』にいたる病→後戻りできない執着と欺瞞。
- 『拡散』にいたる病→SNS時代の恐怖の伝染。
- 『しあわせにいたらぬ』病→終わりのない不幸と絶望。
つまり、〈病〉とは、個人の中にある狂気であり、社会そのものに広がる不安であり、そして物語そのものが感染するというメタ構造の隠喩でもある。
わたしたちも読みながら少しずつ感染していく。そして気づくと、自分の中にも“それ”が入り込んでいる──そんな作りになっている。これにはゾッとしながら笑うしかない。
こんな豪華なアンソロジー、読むしかないでしょ
というわけで、『●●にいたる病』は、我孫子武丸という伝説の初感染者を軸に、6人の作家が織りなすジャンル横断型ホラー・ミステリ・心理スリラーのフルコースだ。
しかも、ただの寄せ集めじゃない。構成、順番、テーマ、すべてが考え抜かれている。最初に我孫子武丸を置き、最後に歌野晶午で締める。これはもう読者に「ちゃんと覚悟して読めよ」と言ってるようなものだ。
読み終わると、自分の中の正常が少し崩れてることに気づく。寒気がする。でもまた読み返したくなる。この中毒性こそ、〈感染〉というテーマにふさわしい。
ホラーが好き、ミステリが好き、社会の歪みに興味ある、トリックに騙されたい、なんでもいい。とにかく、病んでる物語が好きなら絶対読んで損なし。
最後に。
この本、かなり効きます。
副作用もあり。
ご使用は計画的に。