若竹七海『まぐさ桶の犬』- タフで不運すぎる女探偵が帰ってきた

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ミステリ作家や熱心なファンから熱い支持を受ける若竹七海氏の葉村晶シリーズが、新たな長編で私たちの元へ帰ってきました。タフでありながらあまりにも不運な女探偵、葉村晶。彼女の存在は、現代日本ミステリの中でも独特の輝きを放っています。

このシリーズは、「このミステリーがすごい!」で常に上位に名を連ね、過去には『さよならの手口』、『静かな炎天』、『錆びた滑車』、『不穏な眠り』といった作品が高い評価を得てきました。特に『静かな炎天』は「このミス」第2位に輝き、お笑い芸人のカズレーザー氏や女優ののんさんからも絶賛され、2020年にはNHK総合で『ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~』として連続ドラマ化されたことも記憶に新しいところです。ドラマ化に際して「日本一不運」から「世界一不運」へとスケールアップしたその不運ぶりは、もはや葉村晶というキャラクターを語る上で欠かせない要素と言えるでしょう。

そんな葉村晶が、5年ぶりとなる書き下ろし長編『まぐさ桶の犬』で帰還しました。物語は、コロナ禍という私たちも経験した未曾有の事態を経た世界を舞台にしており、その影響で葉村の探偵業も開店休業状態、主に書店のアルバイトで糊口をしのいでいた時期からの再始動を描きます。

この5年という歳月の経過、そしてパンデミックという現実的な背景は、葉村晶が再び事件に立ち向かう物語への期待感を一層高めています。シリーズがこれまでに積み重ねてきた評価と人気は、もはやニッチなファン層に留まらず、日本のミステリ界におけるひとつの文化的指標と呼ぶべき存在になっているのではないでしょうか。

葉村晶の「不運」は、単なるキャラクターの個性ではありません。それは、人生に潜む不条理や理不尽さに対して誰もが感じる共感を、物語という形で丁寧にすくい上げた葛藤のかたちです。とりわけ、女性主人公が活躍するミステリの中において、何度も困難に見舞われながらも地に足のついた冷静さで立ち向かう彼女の姿は、静かで力強いヒロイズムを体現しています。

目次

『まぐさ桶の犬』:新たな事件の依頼

コロナ禍の影響で約3年間、探偵としての本格的な仕事から遠ざかっていた葉村晶のもとに、一つの依頼が舞い込みます。それは「秘密厳守」を条件とした人探しの案件でした。

依頼主は、魁皇学園の元理事長であり、ミステリに関するエッセイストとしても名高い乾巌、通称カンゲン先生です。彼が捜してほしいと頼んだのは、稲本和子という女性でした。この高名な依頼主と依頼の秘匿性は、事件が単純ではないことを予感させます。

稲本和子には、悲劇的な過去がありました。彼女の一人娘は魁皇学園の理事を務めていましたが、万引きの容疑で警察に留置されている間に急死するという不可解な最期を遂げていたのです。さらに、和子の夫もまた、現在は行方知れずの状態でした。

現在の捜索が、過去の未解決の死や失踪と深く結びついていることは明らかであり、葉村の調査は、幾重にも重なった歴史の層を剥ぎ取りながら、現在の状況の真相へと迫っていくことになります。これはミステリの王道とも言える構成であり、徐々に明らかになる事実に読者は引き込まれていくのです。  

錯綜する人間関係と深まる謎

葉村晶は、この依頼を引き受けた途端、魁皇学園に連なる「ひと癖もふた癖もある関係者たち」に翻弄されることになります。調査は、名門とされる一族の複雑怪奇な内情、いわゆる「お家騒動」の様相を呈してきます。登場人物は多岐にわたり、その関係性は入り組んでいます。例えば、「甥でもあり従兄弟でもあるとか、姪でもあり義理の妹でもあるとか」いった、一読しただけでは把握しきれないような血縁関係が複雑に絡み合っているのです。この人物相関の複雑さは、読者にとって一つの挑戦となるでしょう。

さらに、物語の背後には、「高級別荘地の<介護と学園地区構想>」といった大規模な計画の影もちらつきます。これは、個人的な怨恨を超えた、金銭や権力闘争が事件の根底にある可能性を仄めかし、物語にさらなる深みを与えています。

緑色の愛車「毒ガエル」を駆り、調査を進める葉村には、容赦なく危険が迫ります。「忍び寄る謎の影」に脅かされ、物語冒頭では「おそろしい事故」にも遭遇します。彼女自身、「いったいどこのどいつだ、わたしを殺そうとしているのは……。心当たりは、ありすぎるほどあった」と述懐するほど、常に命の危険と隣り合わせです。そして、持ち前の不運ぶりを発揮し、今回もまた「満身創痍」の状態で事件の核心に迫っていくのです。

一見華やかに見える名門一族が、実際には隠された子供たちや内紛、道徳的に問題のある人物たちで満ちているという描写は、社会に対する批評的な視点を含んでいると解釈できます。若竹氏は、このエリート一族と名門学園というミクロコスモスを通して、偽善、富と権力がもたらす腐敗、そして一見尊敬に値する組織の暗部といった、より広範な社会問題を映し出しているのかもしれません。

葉村晶、五十代の現実と探偵の矜持

『まぐさ桶の犬』では、葉村晶も五十代に突入し、その現実に否応なく向き合う姿が描かれます。老眼に悩まされ、五十肩や更年期障害の兆候、さらには歯痛や花粉症といった、多くの人が経験するであろう身体的な変化が、容赦なく彼女を襲います。体力や記憶力の衰えも自覚せざるを得ない状況です。この詳細な加齢の描写は、彼女の「タフ」という言葉で表現される強靭な精神性を、より複雑で深みのあるものにしています。

しかし、こうした身体的な試練や、「不運という名の基礎疾患」と自嘲するほどの度重なる災難にもかかわらず、葉村晶の探偵としての能力は些かも衰えていません。クールでドライ、そしてシニカルな言動の裏には、決して折れない精神力と、確固たる探偵としての矜持が息づいています。彼女の切れ味鋭い、時に辛辣な内面描写(「脳内毒舌がキレッキレ」と評されることも )は健在であり、その根底には人間に対する誠実さや一種の優しさも垣間見えます。

日常生活では、吉祥寺のミステリ専門書店〈MURDER BEAR BOOKSHOP〉でのアルバイトと、〈白熊探偵社〉のたった一人の調査員という二足の草鞋を履き続けています。この現実的な生活感が、彼女の特異なキャラクターにリアリティを与えていますね。

若竹氏による葉村晶の加齢の描写は、従来のハードボイルド小説の探偵像に一石を投じるものと言えるでしょう。多くの場合、このジャンルの主人公は時を超越したかのような強靭さを持つ男性として描かれます。しかし、葉村は身体的な脆弱性を隠さず、むしろそれと向き合いながら事件を解決へと導きます。ここでの「タフさ」とは、無敵であることではなく、衰えや絶え間ない不運に直面しながらも耐え抜き、適応していく力として描かれているのです。

それは、肉体的な強さよりも、精神的、感情的な強靭さを意味します。このアプローチは、ハードボイルドというジャンルにおける「強さ」の概念を再定義し、より現実的で、ある意味ではより深い共感を呼ぶ女性探偵像を提示しているのでしょう。

若竹七海が描く日常に潜む悪意と独特のユーモア

若竹七海氏の作品は、「日常の生活に潜む人間の悪意に対するかわいた視線」と、決して物語を重苦しいものにしない「洒落たセンス」が特徴です。葉村晶シリーズもまた、ハードボイルドな要素と、シニカルでありながらも読者を引き込む独特のユーモアが融合しています。特に、葉村の辛辣な内面描写は、このユーモアの核となる部分でしょう。

本作のタイトル『まぐさ桶の犬』は、イソップ寓話に由来すると明示されています。この寓話は、自分には何の役にも立たないものを、他人が利用したり楽しんだりすることを意地悪く妨害する人物の振る舞いを描いたものです。このテーマは、物語全体を貫き、魁皇学園を巡る「お家騒動」に関わる「ひと癖もふた癖もある関係者たち」の動機や行動を象徴しているのでしょう。嫉妬や独占欲、そして破壊的な利己主義といった感情が、複雑な人間ドラマを生み出しています。

また、物語にはコロナ禍という現代的な要素も巧みに取り入れられており、葉村が3年間本格的な探偵業から遠ざかっていた理由や、書店の経営難といった描写にリアリティを与えています。この現代性は、葉村の世界をより身近なものとして感じさせますね。

葉村晶(ひいては作者の若竹七海氏)のドライなウィットとシニカルなユーモアは、単なる娯楽として機能するだけではありません。それは、彼女が遭遇する厳しい現実や人間の醜悪さに対処するための、洗練された防衛機制であり、一種の対処法なのです。このユーモアは、しばしば偽善や不条理、悪意に向けられるため、読者は知らず知らずのうちに葉村のやや達観しつつも根は実直な世界観に共感し、道徳的な羅針盤として受け止めることになります。

おわりに:葉村晶と共有するほろ苦い読書体験

入り組んだプロットと、複雑な背景を持つ多数の登場人物たちは、読者に集中力を要求します。人間関係を注意深く追い、時にはページを遡って確認することで、謎解きの醍醐味をより深く味わうことができるでしょう。この複雑さこそが、手強いパズルを好む読者にとっての魅力の一つです。

物語は、厳しい現実から目を逸らしません。時には「誰も救われてない」と感じさせるような結末や、正義が必ずしも成就せず、幸福が保証されない世界観が提示されます。「おもしろくて、ひどい話だった」という感想は、この作品の持つほろ苦い読後感を的確に表しています。当初は善人に見えた人物でさえ、その仮面を剥がされていくことも珍しくありません。

しかし、そうした暗さや自身の苦難にもかかわらず、葉村晶の打たれ強さ、機知、そして根底にある誠実さは、彼女を「唯一無二の強烈な魅力を放つ」キャラクターたらしめています。読者は、シリーズの続編を強く望み、彼女がいくばくかの平穏を得ることを願いながらも、彼女が「タフネスで満身創痍となりながらもご活躍されること」を期待してしまうのです。特に、年齢を重ねる彼女の姿は、多くの読者にとって「めちゃくちゃ親近感」を抱かせ、「心の強さに憧れる」対象となっているようですね。

最終的に、「まぐさ桶の犬」というテーマは、単なる特定の登場人物の性格描写にとどまらず、葉村が向き合う人間社会に蔓延する利己主義や妨害行為への、より広範な隠喩として機能しているのかもしれません。満たされない欲望や悪意に突き動かされた個人が、他者の幸福や前進を積極的に妨げる――そんな構図が、葉村が解決せねばならない「ひどい」けれど「おもしろい」状況を生み出す世界そのものを、さりげなく浮かび上がらせているようです。

このように解釈すれば、タイトルは単なる筋書きの手がかりを超え、物語全体で探求される人間存在のあり方や倫理観に関する、ひとつの哲学的問いかけへと昇華していくでしょう。葉村晶という探偵の魅力、そして彼女が織りなす物語の深さは、読後も長く心に残るに違いありません。

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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