青崎有吾『裏染天馬シリーズ』完全ガイド|名探偵×オタク=最強ロジック!現代のエラリー・クイーンが描く本格が面白すぎる

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四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

現代ミステリのど真ん中で、ずっとしっかり光ってる作家がいる。

それが青崎有吾(あおさき ゆうご)だ。

1991年生まれで、デビュー作『体育館の殺人』で鮎川哲也賞を取ったのが2012年。大学生の頃だった。若い探偵作家の登場に、「本格ミステリ、まだいけるじゃん!」とファンたちはざわついた。

青崎作品の魅力は、一言でいえば、クラシカルな香りと現代の空気感のいいとこ取り。論理の組み立ては正統派で、手触りもすごく丁寧だ。

「どうやって犯行が行われたのか?」「犯人は誰なのか?」っていう王道の謎解きを、きっちり今の時代の光で照らし直してる。そのせいで「平成のエラリー・クイーン」なんて呼ばれたりもする。なんでそう呼ばれるかは、読めばすぐにわかる。

なかでも有名なのが、【裏染天馬(うらぞめてんま)シリーズ】だ。舞台は学園モノで、アニメオタクの変わった名探偵と、真面目な語り手コンビが、不可解な事件に挑むという設定。青春とロジックが交差するこのシリーズは、まさに青崎らしい一本筋が通ってる。

特徴的なのは、どんなに奇妙な事件でも、きちんと理(ことわり)で通していくところだ。伏線は緻密に張りめぐらされてるし、手がかりもちゃんとフェア。つまり、読者に対してめちゃくちゃ誠実なミステリなのだ。

古き良き探偵小説のフォーマットを使いながらも、いま読むからこその新鮮さがある。知的な読み応えがほしい人にとっては、まさに「ごちそう」である。

今のところ出てるのは、長編3作に短編集1作。どれも、途中で本を閉じるのが惜しくなるくらい面白い。

推理小説ってやっぱり「遊び」なんだなって思い出させてくれるような、そんなシリーズだ。

目次

シリーズ作品紹介:読む順番(ネタバレなし)

「裏染天馬シリーズ」は、それぞれ異なる趣向の事件と謎解きが楽しめる作品群で構成されている。ここでは、各作品を刊行順に、ネタバレを避けつつご紹介していきたい。

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刊行順タイトル舞台事件の核心(ネタバレなし)特筆事項
1体育館の殺人高校の旧体育館放送部部長の密室状態での刺殺事件第22回鮎川哲也賞受賞のデビュー作。学園本格ミステリの幕開け。
2水族館の殺人水族館飼育員がサメに襲われた?11人の容疑者のアリバイ崩し複雑な人間関係と多数の容疑者が絡み合う、緻密なロジックが光る長編。
3風ヶ丘五十円玉祭りの謎風ヶ丘高校周辺学園生活に潜む「日常の謎」を扱った5編の連作短編集シリーズ初の短編集。裏染天馬の妹・鏡華など、脇役にもスポットライトが当たる。
4図書館の殺人図書館大学生の撲殺死体と二種類のダイイングメッセージの謎ダイイングメッセージ解読が鍵。裏染天馬の人間的側面や過去にも触れられる。

1.『体育館の殺人』- 鮮烈なデビュー作と学園の密室

雨の降る放課後、風ヶ丘高校の旧体育館で、男子生徒が刺殺された。現場は事実上の密室。容疑が向けられたのは、女子卓球部の部長・佐川奈緒。

疑いを晴らすため、後輩の袴田柚乃が頼ったのは、校内に住んでいるという変人、裏染天馬だった。

青崎有吾のデビュー作『体育館の殺人』は、本格ミステリとしての姿勢がとても潔い。人間ドラマや社会性といった要素は削ぎ落とされていて、あるのは知的なパズルとしての「殺人事件」そのもの。舞台となる体育館は、どこにでもあるような空間。だからこそ、トリックやロジックが際立つ。派手さのない日常に、非日常の緊張感が持ち込まれていく。

作中でも特に印象的なのが「傘のロジック」と呼ばれる場面だ。登場人物たちの傘の濡れ方という小さな情報から、裏染天馬は鮮やかに事実を導き出していく。この推理は、事件解決のためだけではなく、彼自身のスタイルを見せつける演出でもある。理詰めでありながら、どこかショーのような華やかさを持っている。

タイトルからは「館モノ」を連想するが、実際に使われているのは味気ない学校の体育館。その意外性が効果的に働いている。古典的な枠組みへのオマージュを込めつつ、それを現代的にアレンジした一作だ。

裏染天馬というキャラクターが体現しているのは、論理そのものの面白さだ。青崎有吾は、この変人を通して「ロジックって、こんなに面白いんだぜ?」って見せてきた。

これは、論理をスポーツのように楽しませ、読ませるミステリから“見せる”ミステリへと一歩踏み出した鮮烈なスタートだったのだ。

2.『水族館の殺人』- 11人の容疑者と華麗なるアリバイ崩し

夏の取材で訪れた丸美水族館で、新聞部の高校生たちが目撃したのは、サメの水槽に転落し命を落とす飼育員の姿だった。事件は事故ではなく殺人。

だが、容疑者となるバックヤードの職員11人には、全員に完璧なアリバイがあった。警察は行き詰まり、柚乃を通じて再び裏染天馬の出番となる。

青崎有吾の〈裏染天馬〉シリーズ第2作は、前作から一気にスケールアップ。

テーマは「アリバイ崩し」。

容疑者11人、複雑なタイムテーブル、すべてが分刻みで構築された鉄壁の構造。それを天馬は、ほんの小さな証言の矛盾と、わずかな物証をもとに、冷静に分解していく。その過程がもう見事としか言いようがない。

本作では舞台が学校の外に広がり、新キャラクターも続々登場。中でも天馬の妹・裏染鏡華の存在が強い印象を残す。兄に負けず劣らずの頭脳を持ち、シリーズの広がりと深みを感じさせる重要なピースになっている。水族館という特殊な空間も、ミステリの舞台として独特の緊張感を生んでいる。

そして特筆すべきは、パズルの精密さだけではない。動機の掘り下げ、犯人の抱える事情、終盤に訪れるある種の切なさまで含めて、物語としての成熟を感じさせる構成になっている。

ラストシーンの感触は、前作とはまた違う後味を残す。いや、あえて言うなら、感情が動く瞬間がきちんと用意されている。

青崎有吾は論理を駆使して魅せる作家であると同時に、人間を描ける作家でもあるのだと、しっかり印象づけてきた。

裏染天馬というキャラを軸にした論理の快感はそのままに、人間の感情にも少しずつ光が当たりはじめる。そのバランスが、このシリーズの未来をぐっと楽しみにさせてくれるのだ。

3.『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』- 日常に潜む謎を解き明かす短編集

シリーズ第3作『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』は、殺人事件を一切扱わない。登場するのは、日常の中にぽつりと現れた、ささやかで、でもどこか気になる5つの謎たち。

たとえば、なぜか夏祭りの屋台が、揃いも揃ってお釣りを50円玉で返してくるとか。学食の返却口に丼が放置されていたとか。そんな一見どうでもよさそうな出来事を、裏染天馬と仲間たちがいつもの調子で解き明かしていく。

構成は連作短編集。軽快なテンポで読める一方で、「日常の謎」というスタイルの強みが存分に活きている。論理によって解決されるのは、殺人だけじゃない。人間関係のひずみや、誰かの抱えた小さなつまずきにも、推理はちゃんと役に立つ。しかもそこに、無理やりな驚きや派手なトリックはいらない。必要なのは、観察と発想と、ちょっとの誠意だ。

もうひとつ、この短編集で注目したいのが「脇役の進化」だ。これまで天馬の横にいた鏡華が、ひとつのエピソードで鮮やかな探偵役をこなす姿は実に頼もしいし、新聞部の針宮の視点から描かれる物語では、事件ではなく関係性がドラマを動かす。人物たちの描写がぐっと深まることで、シリーズ全体の密度が上がった感がある。

この一冊は、いわば「本筋を進めるための脱線」。けれど、その脱線が後の展開に効いてくる。裏染天馬のキャラが映えるのも、鏡華の存在感が強まるのも、この巻があってこそだ。派手な事件がないからこそ、キャラクターとロジックの相性がじっくりと確かめられている。

事件がないのに、推理はちゃんと面白い。そして、小さな謎の向こうに、人の想いが見えてくる。

そんな引きの強さが詰まった巻だ。

4.『図書館の殺人』- 静寂の館に隠されたメッセージ

図書館で人が死んだ。なんて、物語の始まりとしてはあまりに相応しい。

舞台は期末試験前の風ヶ丘高校。勉強場所を探していた柚乃が訪れた市立図書館で、閉館後に大学生の撲殺死体が発見される。現場に居合わせた裏染天馬は、例によって渋々ながら警察のアドバイザーとして捜査に関わることに。

問題は、現場に残された二つのダイイング・メッセージ。どちらも意味深だが、なぜか矛盾している。この謎を、天馬は「無意味だ」と切り捨て、まったく別の角度から事件に切り込んでいく。

この作品が仕掛けてくるのは、「ダイイング・メッセージ」という古典的ギミックの再構築だ。普通なら「何が書かれていたか」に注目するところを、天馬は「どうやって書かれたか」に目を向ける。内容を読むのではなく、状況を読む。これが、シンプルでいて鮮烈な逆転劇を生むのだ。

図書館という舞台も完璧だ。本の分類システムや情報の保存方法、そして検索という行為まで、すべてが事件に絡んでくる。知識の殿堂で起きた事件を、知識だけで解いてみせる、そんな構図が気持ちいい。本にまつわるすべてが丁寧に使われていて、ビブリオミステリの看板に偽りなしだ。

さらに言えば、本作はシリーズの集大成でもある。『体育館の殺人』のロジック、『水族館の殺人』の構造美、そして『五十円玉祭り』で育ったキャラたち。その全部が、ここで合流している。天馬の推理は鋭さを増し、柚乃との関係性もより自然に描かれている。

そして何より、この作品が投げかけてくるのは「読み解くことの難しさ」だ。目に見える言葉だけで判断してはいけない。何が語られ、何が語られていないのか。そんな、解釈という行為の奥深さを考えさせられる。

これは犯人を当てる物語であると同時に、世界の読み方そのものに踏み込んでくる物語だ。

本格ミステリを遊び尽くす、青崎有吾という試み

シリーズ全体を眺めてみると、青崎有吾っていう作家が、古典的な探偵小説のスタイルにしっかり向き合いながら、そこに新しい息を吹き込もうとしている姿が、確かな熱をもって伝わってくる。

『体育館の殺人』では正統派の密室トリック、『水族館の殺人』では緻密なアリバイ崩し、『風ヶ丘五十円祭の謎』では日常の小さな謎を拾い上げ、そして『図書館の殺人』では古典的なダイイングメッセージに真正面から挑んでいる。

この流れを見ていくと、青崎が「本格ミステリ」というジャンルのいろんな側面に、かなり意欲的にチャレンジしてるのがわかる。同時に、シリーズという枠の中で一つの世界をちゃんと育てていこうという意志も、そこかしこに感じられるのだ。

1作ごとの爽快感と、シリーズ全体として形づくられていく物語の輪郭。その両方がうまく噛み合って、独特のテンポが生まれている。

読んでる側は、毎回ひとつの謎が解けて「おお、そうきたか!」ってスッキリしながら、気がつくともっと大きな謎や、もっと深い世界の奥へと、自然に引き込まれていく仕掛けになっているわけだ。

魅力的な探偵と頼れる相棒 – 裏染天馬と袴田柚乃

裏染天馬(うらぞめ てんま):型破りな天才探偵

改めての紹介になるけど、このシリーズで探偵役を務めるのは、風ヶ丘高校に通う男子高校生、裏染天馬(うらぞめ てんま)だ。校内でも「学内随一の天才」なんて呼ばれてるくらいには、ズバ抜けた推理力を持ってる。

ただ、その天才って肩書きと、普段の彼の姿がぜんぜん噛み合ってないのが面白いところだ。テンマはアニメを愛してやまない、筋金入りのオタク。しかも自分のことを平然と「駄目人間」と言い放つ、やる気ゼロな風情の青年だ。だからこそ、そのギャップに妙な奥行きが生まれてる。

さらに変わってるのが、なぜか校舎の片隅にある、使われなくなった文科系部室の跡地に住みついてるってとこだ。もはやホームレスに近いというか、普通の高校生とは次元が違う。常識から少しずれた、その生活スタイルも含めて、裏染天馬という存在にはどこか不気味な、でも惹きつけられる雰囲気があるのだ。

普段はダラッとしてて、やる気もなさそうなテンマだけど、事件の気配を感じた瞬間にガラッと変わる。あの目つきが鋭くなる瞬間、まるで仮面をかぶり直したみたいで、どこか魔法めいてる。

この極端なギャップこそが、裏染天馬というキャラのいちばんの魅力で、読んだ人の記憶に強く残る理由なのだろう。

袴田柚乃(はかまだ ゆの):事件を運ぶ(?)相棒

裏染天馬のそばに立っているのが、風ヶ丘高校の女子卓球部に所属する、真面目で元気な少女・袴田柚乃(はかまだ ゆの)だ。

シリーズ第一作『体育館の殺人』では、いきなり殺人事件に巻き込まれ、部長に疑いがかけられたことから、藁にもすがる思いで天馬の元を訪れる。ここから、柚乃自身の物語も少しずつ動き始める。

最初はただの巻き込まれ役だった彼女だけど、物語が進むにつれて、だんだんと天馬にとっての相棒になっていく。いわば「ワトソン役」ってやつで、事件の語り部としても活躍するようになる。天馬のトンデモな行動に驚いたり、呆れたりしながらも、どこか信頼し続けるそのまなざしが、このシリーズに温かい体温を与えてるのだ。

天馬の推理って、論理的で鋭いけど、放っておくと遠く感じてしまう。でも、それを柚乃が語ってくれるおかげで、謎も人物も、グッと身近になる。

奇人な天才と、まともな女子高生。この凸凹コンビの掛け合いが、シリーズにいいテンポを生み出していて、ときには笑えて、ときにはしんみりするような展開もあったりして、物語に深みを出してるのだ。

ミステリの熱と軽さは、ふたりの関係から生まれる

このふたりの関係性って、シリーズ全体の「読みやすさ」と「親しみやすさ」を支える、めちゃくちゃ大事な柱になってる。天馬はかなり極端なキャラだけど、柚乃という常識人フィルターを通して描かれることで、ただの変人で終わらず、ちゃんと人間味がにじむ存在に仕上がってるのだ。

なんというか、霧の中からホームズとワトソンが現れるあの感じを、そのまま現代日本の高校に持ってきたような雰囲気がある。理屈と感情、ぶっ飛びと共感。そんな真逆な要素が絶妙に共存していて、だからこそこのシリーズには、他にはない味が出てる。

あと見逃せないのが、テンマの「アニメオタク」設定だ。ただのキャラ付けじゃなくて、彼のセリフや考え方、推理の運びにまで、しっかりアニメ的な感性が息づいてる。引用とか言い回しとか、ちょいちょいサブカルっぽいフレーズが顔を出して、それがまたテンマの頭のキレと軽さをうまく引き立ててるのだ。

そういうオタク的な発言って、笑えるようでいて、たまにハッとするくらい鋭かったりもする。そのギャップが妙にリアルで、どこか愛おしいのだ。

サブカル好きな人なら「お、わかってるな〜」ってニヤッとするだろうし、そうじゃない人にとっても、テンマの変わった言動はいいスパイスになってる。風変わりだけど、クセになる存在ってやつだ。

裏染天馬というキャラは、古典的な探偵の香りをまといながら、今の時代にしか生まれえないユニークさを持っていて、ミステリという舞台の上で、まさに唯一無二の輝きを放っている。

「裏染天馬シリーズ」の魅力とは? 読者を惹きつけてやまない理由

「裏染天馬シリーズ」が多くのミステリファンを魅了し続ける理由は、どこにあるのだろうか。いくつかの側面からその魅力を探りたい。

本格ミステリの醍醐味:ロジックと「読者への挑戦」

このシリーズ最大の魅力は、なんといっても徹底した「論理」にある。

裏染天馬の推理は、奇抜なひらめきとか、偶然のラッキーとかじゃない。ひとつひとつの事実を丁寧に拾い上げて、いらない可能性を地道に潰していく。まるで、細い糸を手繰り寄せていくような、そんな緻密さがある。

その過程は、ほんと冷たくて静かだ。でも、だからこそ美しい。まるで、無駄なく磨かれた刃物みたいに、スッと通ってくるのだ。

中でもテンションが上がるのが、「読者への挑戦」だ。あの瞬間、「さあ、君も推理してみろ」って言われちゃあ、こっちもスイッチが入ってしまう。ミステリというジャンルの伝統であり、探偵と読者の間で交わされる、知的な勝負の合図だ。

出される手がかりは全部フェアで、ウソはなし。解決も、ちゃんと筋の通ったロジックでたどり着く。だから読んでるうちに、ただページをめくってるだけじゃなく、自分も事件と向き合ってる気持ちになってくるのだ。

そして、いよいよ真相が明かされるとき。バラバラだったピースが一気に噛み合って、黙ってた情報たちが急に喋り出す。あの瞬間の「うわ、そういうことか!」って快感は、一度味わったら忘れられない。

単なるどんでん返しとは少し違う。論理によって世界そのものが組み替わる、そんな美しさを見せられる感覚に近い。

もちろん、自力で真相にたどり着けたら最高だけど、仮に読み負けたとしても、テンマの推理が描き出す精密な一枚絵を味わえるだけで、十分に価値がある。

論理という名の美学が、読み終えたあとにひっそりと残っていく。

それこそが、裏染天馬という探偵の、本当の魅力なんだと思う。

唯一無二のキャラクター:裏染天馬の個性

探偵役として物語の中心にいる裏染天馬って存在は、やっぱりこのシリーズの魅力を語るうえで外せない。

日常ではアニメ漬けの駄目人間を装ってるくせに、事件となると急に論理の鬼になる。そのギャップがもうたまらなく好きだ。

グダグダしてる人こそ、実はとんでもない天才だった、っていう逆説的な設定が、どこか寓話っぽくもあって、怠けたい気持ちと何かやれるかもしれない自分の間を、ふわっと揺さぶってくる。

そんな天馬の周りには、相棒の袴田柚乃を筆頭に、風ヶ丘高校という小さな舞台に個性的なキャラたちが揃っている。ただの脇役って感じじゃなくて、みんなちゃんと「そこにいる人」として息をしているのがいい。テンマとの掛け合いも、どこか脱力系というか、緊張感がありそうでなかったりして、事件の重さとはまた別の温度を物語に加えてくれるのだ。

推理が冷静で鋭い分、その合間に挟まるゆるい会話とか、軽口の応酬が、絶妙なバランス感を生み出している。読んでるうちに、なんだかこの空気が癖になってくるのだ。テンマと柚乃のコンビも、気づけば探偵と助手を超えて、ほとんど漫才コンビのような愛嬌すら漂ってる。

真相を追い詰める知的ゲームに、クスッと笑えるユーモアがしれっと混ざっている。この軽やかさこそが、裏染天馬シリーズにしかない魅力だ。

学園ミステリの新たな形:日常と非日常の融合

このシリーズの舞台になってるのは、体育館とか図書館とか、あるいは水族館みたいな公共施設だったりする。

ようするに、誰でも一度は足を運んだことがあるような、日常のすぐ隣にある場所だ。そんな身近な空間で突然殺人事件が起きるもんだから、こっちとしては現実とフィクションの境目が曖昧になって、どんどん物語に引き込まれていく。

ただ、いわゆる甘酸っぱい青春ドラマとは違う。たしかに舞台は高校だけど、軸になってるのはあくまでガチガチの論理とトリック。きっちり組まれたロジックで読み手を唸らせる、本格ミステリの魂がちゃんと息づいているのだ。

学園モノにありがちな青春ノリに寄りかかることなく、知的な遊びとしての厳しさを最後まで貫いてるところも、このシリーズの大きな魅力のひとつ。

とはいえ、特に短編集なんかでは、普段の高校生らしい悩みとか、ふとした感情の揺れなんかが、いい感じに描かれてたりもする。事件の裏側には、ちゃんと青春のきらめきがあって、それがほんのり漂ってくる。

それはまるで、水面にポトンと石を投げたときに広がる小さな波紋みたいな感じで、気づけば胸の奥がすこし揺れてる。そんな余韻を残してくれるのも、このシリーズの隠れた魅力だ。

論理で攻めて、感性で締める。そんな絶妙なバランス感が、裏染天馬シリーズを特別なものにしている。

軽快な筆致と読みやすさ

青崎有吾の文章は、とにかくテンポがいい。会話のリズムも軽快で、ちょっとしたやり取りがまるで舞台劇みたいに小気味いい。

スルスル読めて、耳にすっと入ってくる。論理的な話をしてても、難しそうに見えないのがすごい。むしろその語り口があるおかげで、物語自体がグッと生き生きしてくる。

こういう親しみやすさは、よく「ライトノベルっぽい」なんて言われたりもする。たしかに、キャラの描き方やセリフのノリ、ところどころに挟まれるアニメっぽいネタなんかは、今どきの空気感と相性がいい。でもそれって、単なる流行りに乗っただけの軽さじゃない。

むしろ、これは青崎なりの戦略なんじゃないかと思ってる。時代の感性をうまく取り込みながら、ガチガチの本格ミステリを現代にアップデートしてる。そのやり方が、ちゃんと洗練されてるのだ。

しっかりしたロジックを土台にしつつ、語り口はあくまで軽やか。この「重さと軽さのミックス」こそが、青崎作品のいちばんの妙味かもしれない。

謎解きの骨組みはガチガチに堅いのに、それを包んでる言葉の布はやわらかくて、今っぽい。だからこそ、読者との距離がグッと縮まるのだ。

おわりに 裏染天馬の事件簿を紐解いてみませんか?

青崎有吾が手がける「裏染天馬シリーズ」は、三つの魅力がうまく溶け合った作品群だ。

ひとつは、びっくりするくらい緻密に組まれた論理パズル。

もうひとつは、一度見たら忘れられないクセ強な探偵・裏染天馬というキャラ。

そして最後に、現代的で軽やかな文章。これらが絶妙なバランスで混ざり合ってる。

しかも、このシリーズは読む人を選ばない。クラシカルな本格ミステリが好きな人には、その論理の端正さや構成の美しさがしっかり刺さるし、キャラの会話やテンポ感を楽しみたい人にもちゃんと物語の芯が感じられるようになっている。

もしこれから読んでみようと思うなら、やっぱり最初の『体育館の殺人』がおすすめだ。この一冊で第22回の鮎川哲也賞も取ってて、シリーズの出発点としてもぴったりだ。

あるいは、「日常ミステリが気になる」とか「アリバイ崩しが好き」って人なら、自分の興味にいちばん近そうな巻から入ってみてもいいかもしれない。どれもスタンドアローンに近いから、どこから読んでも面白い。

読者の間では「次は博物館の殺人か?」なんて噂も囁かれてるらしいけど、それも納得。まだ回収されてない伏線もあるし、テンマと柚乃の掛け合いをもっと見たい!って声が絶えないのもよくわかる。

テンマが導くのは、ただの謎解きじゃない。冷たく冷徹な論理の道を抜けた先で、ちゃんと「おおっ」となる快感が待ってる。真相にたどり着いたときのあの気持ちよさが最高なのだ。

気になったら、ぜひ裏染天馬の迷宮に足を踏み入れてみてほしい。

いや、気にならなくても、面白いミステリが読みたいならぜひ手にとってみてほしい。

間違いなく、思ってた以上に面白い時間が待ってるのだから。

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ただのミステリオタク。

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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