『爬虫類館の殺人【新訳版】』- ジョン・ディクスン・カーが目張りの密室で本気を出すとこうなる【読書エッセイ】

ジョン・ディクスン・カーを読んでいると、たまに笑ってしまうことがある。
別に変な意味ではない。むしろ逆で、そこまで本気で不可能犯罪をやるのか、と妙にうれしくなってしまうのである。
密室だの消失だの、黄金時代ミステリにはいろいろな名物があるが、カーはそのなかでも明らかに不可能犯罪への執念がひとつ抜けている。その気合いがすごすぎて、ときどき半笑いになる。だが、その大真面目さこそがたまらない。
『爬虫類館の殺人【新訳版】』は、そんなカーの魅力がかなり気持ちよく詰まった一冊である。カーター・ディクスン名義、探偵はもちろんヘンリー・メリヴェール卿。
H・M卿もののなかでも人気の高い作品だが、読めばその理由はすぐわかる。まず設定がめちゃくちゃ強い。戦時下ロンドン、動物園、爬虫類館、魔術師同士のいがみ合い、そして内側から紙で目張りされた密室。
盛れるだけ盛ったみたいな顔ぶれなのに、これがちゃんと全部おもしろさに変わっている。カーは、こういう過剰さをそのまま武器にできる作家なのだ。
カーを読むたびに、密室とは単に部屋が閉まっていればいいわけではないのだな、と思う。密室は、世界の見え方を一回おかしくする装置なのだ。
本作のおもしろさは、まさにそのねじれ方の派手さにある。
紙で塞がれた部屋と、戦時下ロンドンの息苦しさ
本作の舞台は1940年9月、第二次大戦下のロンドンである。これがまずいい。カーは古びた屋敷とか怪奇めいた空気を扱うのがとてもうまい作家だが、この作品では戦時下という現実の重さが前に出ている。
空襲、灯火管制、街を覆う不安。そのうえ舞台が動物園なので、ただ暗いだけでは終わらない。どこか見世物小屋っぽい華やかさと、危うさが同居している。秩序だった日常のすぐ横に、牙とか毒とか、そういうものが口を開けている感じがある。
事件の中心にいるのは、爬虫類を愛する園長ベントン博士である。空襲で檻が壊れたら危険だから、毒蛇を処分しなければならないかもしれない。戦争の理屈としてはわかる。わかるのだが、それがあまりにもやるせない。
本作はこのあたりの空気の作り方がうまい。ただの背景設定ではなくて、動物園の危機も、博士の絶望も、そのまま事件の土台になっているのである。
そして出てくるのが、あの目張りされた密室だ。扉も窓も、隙間という隙間が紙でびっしり塞がれている。これがもう、見た目からして強い。密室トリックというのは、図解すると意外と地味なものもあるのだが、本作の密室はひと目で嫌な感じがする。
息が詰まりそうで、いかにも出入り不能に見える。しかもその部屋のなかで博士はガス中毒死しており、そばには愛蛇ペイシェンスの死骸がある。状況だけ書き出すと、ほとんど怪奇小説みたいである。
ここでうまいのがタイトルだ。彼はペイシェンスを殺すはずがない。この一言で、自殺っぽく見えていた構図にいきなりヒビが入る。密室の仕掛け以前に、被害者の性格と感情が事件の見え方を変えてしまうのである。
私はこういう運びがかなり好きだ。本格ミステリとは、ついトリックの派手さばかりが目立つが、実際に話を動かすのは、こういう小さな違和感だったりする。
物理的におかしい、の前に、人としておかしい、が先に来る。その順番がいい。
H・M卿の騒がしさと、魔術師たちの存在が生む豊かさ
本作の楽しさを支えているもののひとつが、やはりH・M卿の存在である。ヘンリー・メリヴェール卿は、名探偵としてかなり変な人だ。
巨漢で、毒舌で、すぐ怒鳴るし、品があるのかないのかよくわからない。フェル博士みたいな怪奇趣味の大家然とした感じとも違って、もっと騒がしくて、もっと乱暴で、良くも悪くも場をめちゃくちゃにするタイプである。
だが、この人がいると作品が一気に動き出す。本作でも、冒頭でトカゲに追いかけ回されるあたりからすでに最高だ。戦時下ロンドン、爬虫類館、不穏な空気、これから事件が起きるぞという雰囲気のなかで、H・M卿だけが別のテンポで暴れている。
このズレがいい。カーの作品は、ときどきとんでもなく重たい設定を使うのに、そこへ平気でドタバタ喜劇を混ぜてくる。その混ざり方がじつに面白いのだ。
しかも、そのユーモアが単なる息抜きで終わらない。笑える場面があるからこそ、事件の陰りが余計に目立つ。にぎやかさのあとに来る死の気配が、変に冷たく感じられるのである。カーはこの温度差を作るのが本当にうまい。
さらに本作では、魔術師同士のライバル関係もかなり効いている。ケアリ・クイントとマッジ・パリサー。この二人がまた、いかにもカー作品らしい濃さである。先祖代々の因縁を背負っていて、顔を合わせれば張り合う。
だが、この設定は単なる飾りではない。魔術師というのは、見えているものを信用させ、見えていないところを見落とさせる仕事である。要するに、ミステリのトリックメーカーとほとんど同じ発想を持っている人たちなのだ。
だから本作では、魔術師という属性がちゃんと事件の構造とつながっている。怪しげな雰囲気づくりだけでは終わらず、幻惑の技術そのものが作品の論理と響き合っているわけだ。
このあたりのカーはほんとうに抜け目がない。怪奇っぽいものを出しても、最後にはちゃんと理屈の側へ戻してくる。そこが気持ちいい。
古典なのに、いま読んでもちゃんと楽しい理由


絵:悠木四季
『爬虫類館の殺人』のトリックは、かなり戦時下という時代に支えられている。そこは好き嫌いが分かれるかもしれない。
もっと抽象的で普遍的なロジックの美しさを好む人からすると、やや特殊条件に寄りすぎと感じる可能性もある。でも、私はむしろそこがこの作品の魅力だと思う。
なぜなら本作は、戦時下の生活そのものをトリックに編み込んでいるからだ。爆音、灯火管制、家庭の密閉、動物園の処分問題。そうした時代の現実が、雰囲気づくりではなく、事件の成立条件そのものになっている。
これはとてもすごい事だと思う。密室が宙に浮いたパズルではなく、その時代、その場所でしか立ち上がらない事件になっているのである。つまり、技巧と時代がちゃんとつながっている。
それに、カーのいいところは、解決が多少大胆でも、読み終わると妙に満足してしまうところだと思う。トリックの仕組みそのものだけで押すのではなく、舞台も人物も雰囲気も、全部ひっくるめて最後の説明に流れ込ませる。だから解決編が、単なる答え合わせではなく、小説全体の着地になるのだ。この感覚はやはり強い。
新訳でそのおもしろさがぐっと入りやすくなっているのも大きい。カーは会話の癖や、言い回しのねっとりした味も魅力のひとつなので、翻訳の読みやすさはかなり重要である。
今回の新訳版は、H・M卿の騒がしさや、カー特有の芝居がかったやり取りがかなり自然に入ってくる。古典ミステリを読んでみたいけれど、古さで止まりそうだなという人にも届きやすいはずだ。
結局、『爬虫類館の殺人』は、ただの密室ミステリではない。戦争の時代の不安、動物園という妙に魅力的な空間、魔術師たちの張り合い、そしてH・M卿という騒がしくて頼もしい探偵。
その全部が入って、最後にはちゃんと一つの不可能犯罪としてきれいにまとまる。その豪華さが、この作品の強さなのだ。
密室というのは、閉ざされた空間のことではない。人が見たいものだけを見て、聞きたい音だけを拾い、都合のいい筋書きに飛びついてしまう、その認識の偏りそのものが、いちばん頑丈な密室なのかもしれないのである。
カーはそこに穴を開ける。その瞬間の快感は、やはり格別だ。
ミステリ好きとしては、こういう一冊に出会うと少し嬉しくなってしまう。
ああ、やっぱり不可能犯罪はいいな、と、素直に思わせてくれるからだ。






















