怪談を読むとき、「怖い」と「気味が悪い」というのは、じつはちょっと違う感覚だよな、と思う。
前者はびっくり系、後者はジメジメとくるやつ。
蛙坂須美の『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』は、まさにその「きみのわるさ」に全振りした一冊だった。
キャッチコピーからしていい。
記憶の底にこびりつく、忘れたほうがいい『何か』
そう、これは「読んだら怖い」ではなくて「読んだら思い出す」。しかもそれが、自分でも処理しきれてない子供の頃の記憶にリンクしてくる感覚があって、どこか個人的な恐怖に刺さってくる。
本書は全45話、288ページの文庫で、竹書房怪談文庫からの刊行。つまり「実話怪談」というジャンルに属していて、語られるのはどこかの誰かの記憶。しかし、読んでいるうちにそれが「自分の昔の話」みたいに思えてくるのが怖いところだ。
この、きみのわるい話たちは、いわば記憶の底に沈んだ「沈殿物」みたいなもので、刺激を加えるとふわっと浮かび上がってくる。読みながら、ああこんな感覚あったな、と思わずページを握る指に力が入る。
単なるホラー体験とは違う、身体の奥底をくすぐってくる感覚。だから読後感も独特で、すぐには切り替えられない後味が残るのだ。
蛙坂須美の「現実がほぐれていく」作風

著者の蛙坂須美は、前作『怪談六道 ねむり地獄』ですでにその実力を見せていたが、今作はさらにテーマがクリアになっていた。狙っているのは「信じていた世界がズレる瞬間」だ。
たとえば『猿なし猿まわし』。ジャングルジムの上に猿面の男がいて、太鼓の音が聞こえる。でも、一緒にいた友人には何も見えず、音も聞こえていない。しかも後日「見えていた」同級生が急死する。
この話の何が怖いって、怪異そのものじゃなくて、「自分と他人で現実の見え方が違う」とわかったときの孤立感だ。そして、見えてしまったせいで死んでしまうという構造。もうこれは、「認識のズレ=死」に直結するという、情報恐怖系の最前線である。
他にも、『首のない女の子の話』では、「昔クラスで読んだ不気味な本」を覚えているのが主人公ともう一人だけ、という状況が描かれる。記憶を共有する共犯者がいることで、「これは夢じゃなかったんだ……」と確信してしまう。
これは、めちゃくちゃ悪質な記憶の回復だ。みんなが「なかった」と言うのに、自分だけ「知っている」というこの構造が、不安をどんどん加速させる。
蛙坂氏の強みは、こうした構造的な恐怖を、あえてひと昔前の感覚で描くことで、どこかノスタルジックな印象すら与えるところにある。ランドセルを背負った記憶や、放課後の下校、夏休みの親戚の家、そんな舞台設定が「自分もかつてそこで何かを見たかもしれない」と思わせる。
そしてそれが、心の奥の沈黙していた記憶とリンクしてしまうのだ。
「信じてたもの」が裏切ってくる話たち
この本が一貫して攻めてくるのは、「こどもの頃に信じてた世界が信じられなくなる瞬間」だ。
たとえば『焼肉ハナ』では、友達家族と行った焼肉屋が異形の者の集まる場所だった……という話。見た目は普通だが、なにかがおかしい。出てくる料理も「定番メニューにないもの」。
つまり、日常の顔をした異常が、笑顔の大人に囲まれて提供されるという悪夢だ。しかもそれが、全然疑問にされないまま進行していくのが恐ろしい。信じていた「家庭」や「家族」の安心感が侵されていく。
『餓鬼ねぶり』なんかもそうだ。祖父母の家に泊まった夜、仏間で見たのは、何か異形の腹を大人たちがねぶっている光景だった。大人たちは信頼できる存在だと思ってたのに、実は怪異と共存していたとしたら? この背徳感、裏切られ感がたまらなく気味悪い。
そして極めつけは『家族こっくりさん』。自分が幼いころ、両親じゃない誰かと暮らしていた記憶がある、という話。曖昧な記憶のなかで、不気味な儀式が断片的に蘇る。「自分の家族」とは何だったのか?と、自分の根っこが揺らぐ感覚。
読んでいると、「自分の過去にも何かあったんじゃないか……」と錯覚してくる。しかも、この話は読後に妙な感情が残るタイプで、いわゆるオチでスッキリするのではなく、あくまで「思い出させてくる」タイプの語り。
蛙坂の語りは、こうした裏切りの感覚を丁寧にすくい取る。ホラーではあるが、心理小説的な読み味もあって、個人的な記憶と深く絡むような恐怖体験へと引きずり込むのだ。
「読んだら思い出す」恐怖のしかけ
この本の構造自体が、読む人の「忘れていた記憶」にアクセスするようにできている。
1話が6ページ前後でテンポよく進むから、深く考える前に次の怪異が襲ってくる。そして何より、舞台設定が全部「こどもの頃」なので、読んでる側も勝手に「昔の自分」と照合してしまう。
これはもう、一種の記憶トリガーだ。「こんなことあったっけ?」という小さな違和感が、本当にあったのかもしれないという形で蘇る。それが勘違いなのか夢なのか封印した体験なのか、判別できないからこそ怖い。
蛙坂須美の強みは、怪異のインパクトよりも「読者の脳みそのほぐれ具合」を見越して筆を運んでいるところにある。だからこそ、読後に感じるのは「怖かった!」というスッキリした感じではなく、「なんか変な感じが残る……」という持続型のざわつきだ。
そして、その「変な感じ」は、数日後ふとした瞬間に蘇る。「そういえば昔、なんかあった気がするな……」みたいに。思い出せそうで思い出せない。
でも、その輪郭だけが、いつまでも頭の片隅に残っている。まさに、こびりつく記憶というやつだ。
つまりこれは、「読んで終わる本」ではなくて、「読んで、忘れられなくなる本」だ。
記憶の奥で、いつまでも粘っこく残る、きみのわるさ。
この感覚を味わいたい人にこそ、心からおすすめしたい。


















