読書中に何度も「そう来たか!」と唸らされた経験、どれくらいありますか?
ジェフリー・ディーヴァーの小説を読むってのは、その驚きの連続に身を投げ込むようなものだ。
特に『ウォッチメイカー』と、その約20年後に登場した続編『ウォッチメイカーの罠』は、まさに「極上のジェットコースター」。安全バーを下ろしたら最後、あとはひたすら振り回されるだけだ。
主人公は、リンカーン・ライム。四肢麻痺の科学捜査官で、ベッドから一歩も動けないけど、頭脳は最強。現場の証拠はすべて彼のもとへ運ばれ、顕微鏡とモニター越しに推理を展開していく。補佐を務めるのは刑事アメリア・サックス。彼女がライムの「足」となって現場を動き回る。
で、問題の相手は〈ウォッチメイカー〉。時計職人みたいに精密な手口で殺人を仕掛けてくるサイコ野郎で、何が恐ろしいって、その犯行がすべて「秩序の追求」でできてるところだ。混沌じゃなく、冷たいロジックで人を殺す。
このふたりの対決が描かれるのが、2006年発表の『ウォッチメイカー』と、そこから長い沈黙を破って2024年に登場した『ウォッチメイカーの罠』。
前者で伝説が始まり、後者で因縁がついに決着を迎える。
ミステリー好きとして、これは見逃せないカードだ。

ディーヴァーという設計者のやり口

ディーヴァーの小説を読んだことがある人なら知ってると思うけど、彼の作品において「どんでん返し」は飾りじゃない。
むしろそれが本体。読者を騙すために生きてる男。それがジェフリー・ディーヴァーだ。
彼は自分のスタイルを「遊園地の乗り物を操るオペレーター」にたとえる。読者を座席に座らせ、ちゃんと安全バーを下ろしてから、ぐるんぐるんと振り回す。で、最後には満足させて、ちゃんと地面に下ろす。この冷静さがすごい。感情じゃなく設計図で小説を組み立てるタイプなのだ。
実際、彼のプロットはほぼ8ヶ月くらいかけてアウトラインが作られていて、ツイスト(どんでん返し)も全部最初から仕込まれてる。書いてる途中で「ここ、意外な展開にしようかな」みたいなやり方はしない。
最初から全部、ぜんぶ、設計されてる。まるで犯人・ウォッチメイカーの計画みたいに。
そう、実はこの『ウォッチメイカー』という作品そのものが、ディーヴァーという作家の自己投影でもある。構築主義者vs構築主義者。緻密な設計図を武器にして相手の裏をかこうとする知のバトルだ。
読む側もそれを理解していないと、簡単に引っかかる。ていうか引っかかる。間違いなく。
『ウォッチメイカー』で誕生した、知能犯の伝説
シリーズ7作目『ウォッチメイカー』は、これまでのライムシリーズの中でも際立って「敵がやばい」。
舞台はおなじみニューヨーク。時計のように精密な殺人事件が次々に発生し、現場には不気味な時計のパーツが残されている。犯人は「ウォッチメイカー」。彼のモチーフは「時間」。その哲学は「狂いなき秩序」であり、殺人という行為が芸術的構成物として成立しているのが最大の特徴だ。
こいつがほんとうに憎らしくなるくらい賢い。先回りの連続、伏線の連打、フェイクのフェイク。しかも動機に感情がほとんど絡んでない。犯人像が「理解不能」じゃなく、「理解しすぎて怖い」タイプなのがキモだ。
さらに面白いのは、物語後半で別の捜査官、キャサリン・ダンスが出てくるところだ。この人は身体言語を読むキネシクスの専門家で、「人間嘘発見器」と呼ばれている。彼女とライムのアプローチがまったく違うので、そこもまた物語に厚みを出してる。冷徹な物証 vs 生身の人間観察、っていう対比が熱い。
この『ウォッチメイカー』は日本でもかなり人気が高くて、「このミステリーがすごい!」の1位を獲っている。読めば納得。まさに完成度が段違い。
『ウォッチメイカーの罠』で始まる、20年後の再戦
そして2024年。ついに来た、『ウォッチメイカーの罠』。
「罠」っていうタイトルからしてもう、絶対こっちが嵌められるやつでしょってわかってるのに読んでしまう。それがディーヴァー。
物語の始まりは、マンハッタンの建設現場で巨大クレーンが倒れるという事件。すぐに「コムナルカ・プロジェクト」という組織が犯行声明を出し、住宅政策に対する改革を要求してくる。いかにも現代的な社会正義を掲げるテロのように見える。
でもライムは一瞬で見抜く。「いや、これはウォッチメイカーの仕業だ」と。
そう、やつが帰ってきたのだ。前作から約20年(作中でも17年)が経過し、ついに本気の復讐戦が始まる。
しかも今回は完全に「ライム個人への復讐」がテーマだ。だからスケールはでかいけど、目的はものすごくパーソナル。ライムを殺すためだけに、何年も何十手も前から罠を仕掛けていたという執念が、ひしひしと伝わってくる。
物語の構造もヤバい。ふつうに読んでるつもりでも、いつの間にか「裏の裏の裏」まで仕込まれていて、気づいたときには「そこまで計算されてたの!?」ってなる。マジで何重底なんだって話だ。
それだけじゃ終わらないのがディーヴァー。
新たな脅威「エンジニア」っていうキャラが出てきて、こっちの理解をさらにかき乱してくる。こいつが何者か、ウォッチメイカーとの関係は? そもそも黒幕なのか、駒なのか? 全部が曖昧なまま進むから、安心するヒマがまったくない。
知性と設計の暴力に、心地よく振り回されたい人へ
『ウォッチメイカー』と『ウォッチメイカーの罠』、この2作品はまさに「設計された頭脳戦」の金字塔だ。
動けない天才捜査官 vs 精密機械のような殺人鬼。
どちらも物理的な暴力には頼らず、純粋に「知恵」だけで勝負してくる。その知恵のレベルが高すぎて、読んでるこっちが必死に食らいつかないと置いていかれる。でも、それが最高に気持ちいい。
ジェフリー・ディーヴァーって、やっぱり「読者を信用してる」作家なんだと思う。
手を抜かない。ひとつのプロットを作るのに半年かける。全部を逆算して仕込む。読者が油断してるとこをちゃんと狙ってくる。そういう姿勢が一貫していて、本当に信頼できる職人だ。
この『ウォッチメイカー』と『ウォッチメイカーの罠』は、単なるスリラーじゃない。
ミステリーでもない。
思考そのものがテーマになってる、小説という形式を使った、最高の頭脳ゲームだ。
ラストの一行まで、気が抜けない。
でも、そこまでたどり着いたときに得られるカタルシスは、本当に格別だ。
