「さよならをいうのは嫌いなの」
この一文にピンときたら、もうあなたはブラッドベリの魔法に片足を踏み入れている。
今回読んだのは、東京創元社から刊行された『ウは宇宙船のウ【新訳版】: ブラッドベリ自選傑作集』。
新刊といっても、もとは1962年に出た作品。アルファベット絵本の一節のようにして始まるこの本は、SFの詩人レイ・ブラッドベリが自身の少年時代の想像力と憧憬を詰め込んだ、自選短編集だ。
「宇宙船のウ」と聞いて、いかにも古臭く感じるかもしれない。だが、それこそが狙いでもある。
この本に収められているのは、未来の技術的進歩ではなく、過去の夢、あの頃の「胸の高鳴り」だ。
詩人が宇宙へ向けて放ったロケット

ブラッドベリといえば、古典的なSF作家と思われがちだけれど、厳密にはちょっと違う。むしろ、ジャンルを超えて「詩のような小説を書く人」として記憶している人も多いと思う。
彼の主戦場は宇宙でも未来でもない。少年時代、夕暮れ、郷愁、孤独、愛、死、そして失われたものたち。それらの記憶に、ほんのりとしたSFの衣をかぶせたような作風こそ、彼の真骨頂だ。
今回の新訳は、そんなブラッドベリの魅力を、よりフレッシュに、より鮮明に感じさせてくれる。中村融さんの訳は、文体の呼吸をそのまま訳し出すようなやさしいリズムがあって、詩情と会話のテンポがどちらも心地よい。
旧訳で慣れ親しんだ人も、初読の人も、これは「再会」であり「はじめまして」である。
どちらにせよ、読後には胸に「さよならをいうのは嫌いなの」が刺さっている。
この本は、単なるベスト盤ではない。
ブラッドベリ自身が若い読者──つまりかつての自分自身へ向けて編んだ、ひとつの夢のカタログである。
17の想像力
さて、本書に収められた17編の作品を、簡単に紹介していこう。
1.「ウは宇宙船のウ」
宇宙船に憧れる15歳の少年が、夢へ踏み出す直前の一日を描く。甘酸っぱく、切なく、それでも前を向く出発の物語。まさに本書の幕開けにふさわしい名編。
2.「初めの終わり」
人類が初めて宇宙へ飛び立った夜。老夫婦の語らいの中に、宇宙開発が持つ希望と誇りが滲み出る。
3.「霧笛」
灯台の霧笛に応えるように現れる、海の奥底の何か。孤独と進化と恐怖が交錯する、海辺の神話。
4.「宇宙船」
家族のために宇宙旅行の夢を与えようとする、貧しい父親の奮闘。想像力こそ最高の贈りものだという、心温まるエピソード。
5.「宇宙船乗組員」
宇宙を旅する父と、地球に残る息子。父はなぜ宇宙に惹かれるのか、息子は何を思うのか。家族の愛と距離の物語。
6.「太陽の金色のりんご」
太陽から金の炎を採取しようとするクルーたちの、神話的ミッション。科学と神話が融合したような壮麗さ。
7.「雷の音」
時間旅行×恐竜狩り。ちょっとした油断が未来を変える、SF界隈ではもはや伝説の一作。「バタフライ・エフェクト」の元ネタといってもいい。
8.「長雨」
雨の止まぬ惑星で、極限状態に置かれた宇宙飛行士たち。閉塞感と狂気の描写がえげつない。
9.「亡命者たち」
幻想文学を禁止された地球から逃れ、火星に集まる亡霊たち。ポーやホーソーンが出てくるという、文学好きならニヤリとするメタ短編。
10.「此の地に虎あり」
探査隊が踏み入れた惑星は、人間の想像を現実化してしまう。楽園か、それとも……?
11.「いちご色の窓」
火星に移住した夫婦。地球を恋しがる妻のために、夫が用意したのは……? 火星なのに、こんなに「地球らしい」話。
12.「ドラゴン」
騎士たちが待ち受ける「ドラゴン」の正体は? 時間の錯誤が生むファンタジー的短編。オチが洒落ている。
13.「贈りもの」
宇宙船内で迎えるクリスマス。物がなくても、愛とアイデアで奇跡は起こる。短いけれど深く沁みる。
14.「霜と炎」
人間の寿命がたった8日間という極限環境下。生まれてから死ぬまでの圧縮人生を描く、壮大で切実なSF。
15.「アイナーおじさん」
空を飛べる不思議な親戚・アイナーおじさんの物語。異質さと共に生きることを温かく描いた短編。
16.「タイム・マシン」
納屋にこもる老人が語るのは、自作のタイムマシンについて。信じるか否かは読者次第。ノスタルジック系の逸品。
17.「駆けまわる夏の足音」
夏の始まり、新しいテニスシューズを手に入れたい少年。宇宙じゃない、恐竜も出ない、それでも本書の核をなす物語。
新訳で読むということ ──中村融の翻訳の魅力

翻訳というのは、実はめちゃくちゃ重要だ。とくにブラッドベリのような詩的な作風を持つ作家においてはなおさら。
中村融は、直訳に近いながらも日本語として美しく響く訳文を作る翻訳家だ。たとえば、比喩や象徴的な言い回しのリズム感を殺さずに訳す技術は本当に素晴らしい。今回の『ウは宇宙船のウ』でも、その妙技が冴え渡っている。
旧訳で馴染んできた人も、ぜひ一度中村版で読み直してみてほしい。あの作品が、こんなにも瑞々しかったのか……と、再発見すること請け合いだ。
また、牧眞司の解説も必読。読後に「あの話の裏にこんなテーマが?」と気づかされることも多く、まさに読書体験を補完する第18の物語である。
この短編集が、今の時代に必要な理由
なぜ今になって、ブラッドベリなのか?
それは、たぶん私たちがもう一度「夢を見る方法」を忘れかけているからだ。
便利になりすぎて、情報が速すぎて、「思い込み」や「信じること」が無駄に思える時代。そんな今だからこそ、この本の17編はどれも古びた魔法のように輝いている。しかも、その魔法は意外と有効だ。読んだあと、自分の中の小さな少年がむくっと起き上がる。
この本の魅力は、「SFファンだから」「古典が好きだから」ではなく、「ちょっと疲れた大人だから」こそ沁みる。むしろ、SFに苦手意識がある人にこそ勧めたい。「難しそう」「専門用語が無理」なんて心配は無用。出てくるのは恐竜と宇宙船とスニーカーだ。
そして、訳がいい。中村融さんの言葉は、決して過剰に飾らず、それでいて詩的だ。まるでブラッドベリの文章が、ちゃんと日本語で息をしている感じがする。
『ウは宇宙船のウ』は、夢を見る力を信じるすべての人のためのアンソロジーである。
そして、現代においてこの本を読むことは、かつて夢を見た自分に、そっと「おかえり」と言ってあげることなのかもしれない。
少年よ、ロケットを夢見よ
この短編集は、SFの顔をしながらも、実はもっと個人的で普遍的な何かを描いている。
たとえば、過ぎ去った夏の匂いや、父の背中を見上げた記憶、星空を見上げて「いつか宇宙へ」と呟いた夜。そんな思い出が、頁をめくるごとに呼び覚まされていく。
つまりこれは、「未来の物語」ではなく、「過去への手紙」だ。
ブラッドベリが、イリノイの小さな町で夢見たこと、その全てがこの一冊に詰まっている。
そしてそれは、きっと私たちの中にもあった夢だ。
読後、きっと何かが変わるわけじゃない。でも、何かを思い出すはずだ。
あの頃の自分の、どこか眩しかった横顔を。
最後にもう一度。
この一冊は、すべての夢見る少年と、かつてそうだった大人たちにも静かに手渡される、詩と想像力のロケットである。

