【自作ショートショート No.59】『未来ミラー』

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サトミは鏡からそっと視線を外すと、顔を上げた。

視線の先にはボリュームのある髪を後ろに撫でつけて、引き締まった体躯の彼がいる。

サトミはもう一度、鏡に視線を戻して彼に気づかれないよう小さくため息をついた。

彼女が今その手にしているのは、ただの鏡ではない。

10年後の姿を映し出す『未来ミラー』という名の機器である。

鏡面を覗いた者の10年後の姿が映るという、驚きの性能を備えた鏡なのだ。

この『未来ミラー』、発売からまだ一週間ほどしか経っていないにもかかわらず、すでに人口の7割が使っているとの噂で、サトミの周囲でも鏡の話題でもちきりだった。

彼女自身『未来ミラー』が店頭に並ぶと同時に購入した。

付き合って3年になる彼が10年後、どんな姿になっているのかを確かめるためだ。

それでさっそく今日のデートで、彼を映してみたのであるが。

鏡に映る彼の姿はすでに頭頂部が薄くなり、よくよく見れば腹もみっともなく突き出ている。

わずか10年で驚くべき変わりようではないか。

たしかに一度だけ会ったことのある彼の父親は禿げていたし太ってもいた。

その時から嫌な予感はしていたのだ。そして彼女の予感は悪いほうに限ってよく当たる。

サトミは鏡に映った10年後の恋人の姿を見て、やっぱり別れようと思った。

一方で彼もまた鏡に映ったサトミに、何かしら思うところがあったようだ。

とはいえサトミの姿は10年後も今と大して変わっていない。

それはサトミ自身が『未来ミラー』を買った時、真っ先に確かめた。

若干、肌のハリがなくなってはいるがまだまだ若々しい。

それも当然と言えば当然で、10年後でも彼女はまだ32歳なのだ。

「サトミは変わらないなぁ」

「あなたはこの先の10年でずいぶん老けるのね」

「言わないでくれよ」

「そうね、何を言っても無駄だわ。この鏡は嘘をつかないもの」

「ん?ずいぶんトゲのある言い方だな」

「私たち、別れましょ」

「は?いきなりなんだよ」

「だって10年後のあなたをずっと好きでいられる自信ないもの」

「俺が禿げるからか?外見が変わっても俺は俺だろ」

「嫌ったら嫌なの。おまけにだらしない体型になっちゃってさ」

「あーそうかよ、だったら別れてやるよ。勝手にしろ」

こうしてサトミは3年間付き合った彼と別れたのだった。

『未来ミラー』がなければ彼と結婚していたかもしれない。

そして10年後には、彼を選んだことを後悔していただろう。

まだ22歳、これからいくらでも恋はできる。

『未来ミラー』さえあれば、10年経っても容姿の変わらない素敵な男性を見つけることなどたやすいことなのだ。

このサトミと同じように考えた女性は多く『未来ミラー』が売り出されて以降、別れたり婚約解消するカップルは格段に増えた。

さて『未来ミラー』の発売から1ヶ月ほど経った頃、ある問題が発覚する。

全国各地で鏡に映らない人が出始めたのだ。

最初は故障かと思っていた人々だったが、やがてある不安が頭をよぎる。

鏡に姿が映らないのは、10年先の世界に自分が存在していないからではないかと。

そう、死んでいるから鏡に映らないのだと。

それに対して『未来ミラー』を作ったメーカーは否定も肯定もしなかった。

ただ調査の結果、故障はありえないと発表した。

それを受けて鏡に映らなかった人々はさらに不安になる。

鏡に映らなかったからといってぴったり10年後に死ぬとは限らない。

1年後、いや今日明日にでも死ぬ可能性があるからだ。

しかしここに自分の姿が鏡に映ってないのを見て喜ぶ者がいた。

誰からも相手にされず、変わり者で知られる博士であった。

博士はこれまでいろんな発明をしてきたが、一度として成功したためしはない。ただ失敗だけを繰り返す人生だった。

例えばタイムマシンは完成してみればただスピードが速いだけの乗り物だったし、惚れ薬は便秘が治っただけ。

瞬間移動装置は何の役にも立たず、体のサイズを自在に変えるはずのカプセルは、起動させた途端爆発して木っ端みじんに。

こうして博士には、多大な借金だけが残ったのだ。

今朝だって借金取りが博士の家にやってきて、なけなしのお金を持っていってしまったのだ。

いよいよ追い詰められた博士だったが、発明を諦めて真面目に働く——なんてことはなかった。

そんな博士が自分の姿が映ってない鏡を見て、喜んでいるのだ。

というのも博士が今、心血を注いで取り組んでいる研究が透明人間になる薬の開発だったからである。

鏡の向こうに姿がないのは、透明になっているからに違いない。

つまり透明人間になる薬は完成したのだと考え、喜んでいるのだ。

ぬか喜びにならなければいいのだが。

何しろこの変わり者の博士は、まさか自分が10年後に死ぬかもしれないとは1ミリたりとも考えていないのだから。

果たして鏡に映らないのは、透明人間になる薬が完成したからだろうか?それとも——

その答えが分かるのはもう少し先のお話。

(了)

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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