【自作ショートショート No.26】 『記憶を提供します』

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古城のような邸宅だった。

黄昏時の淡い光に黒く浮かび上がったそれは、否応のない威圧感を放っていた。

ヒロコは息をのんでそれを見上げ、やがて意を決して重々しい扉を叩いた。

老婆が姿を現し、黙ってヒロコを邸内に招き入れた。

長く暗い廊下を老婆のあとについて歩いていく。まるでここは時がとまってしまったかのようだった。

やがて突き当りの扉を老婆が開いた。そこには灯りがともっていた。

まず目に入ったのは、広間らしい部屋の真ん中の丸テーブルと革張りの肘掛椅子とベッドだった。

ヒロコは促されるまま、肘掛椅子に腰かける。傍らには寝台が置かれ、少女が眠っていた

ゆるい茶色がかった長い髪が、寝台からこぼれ落ちている。

ヒロコはこれから、この少女のために、彼女の「記憶」を提供するのだ。

きっかけは、彼女が何気なく目にしたネットの広告。

「あなたの素晴らしい記憶を提供してください。謝礼あり」。

別に謝礼が欲しかったわけではないが、その奇妙さに彼女は惹かれ、書かれていた連絡先にメールを送った。すぐに返事が来た。まずは会うことになった。

待ち合わせ場所に現れたのが、先ほど彼女をこの屋敷に導き入れたあの老婆だ。老婆の話はこうだった。

「お嬢さまは、生まれてすぐから、意識のない状態でずっと寝たきりです。回復の見込みはありません。私はお嬢さまの亡きご両親から託されたのです。『この娘に生まれてきた意味を与えて欲しい』と」

そこで私は考えました。こう見えましても私には薬術の心得がございます。

そして他者の記憶を移しかえる方法を発見したのです。薬を飲み電気ショックを与えれば……。

他者の『記憶』をお嬢さまの『夢』にして差し上げたいのです。いわば、鑑賞用の記憶です」

ヒロコは無論とまどった。

本気で言っているのか?

でも、それに協力することで、この老婆が満足するのなら、という気もした。

いや、本当は好奇心が働いたのだ。怖いもの見たさといってもいい。

ヒロコは「記憶」の提供を約束した。そして、今日、その家を訪れたというわけだ。

「では、始めます」

老婆が厳かに言った。手には小瓶を持っている。

「これから、この薬を飲んでいただきます。このヘルメットもかぶっていただきます」

ヒロコの傍らの小さな丸テーブルの上には、ふつうのバイク用のヘルメットに何か機械を取りつけたようなものが置いてあった。

ヒロコはしげしげとそれを眺める。目をやると、少女のベッドの枕元にも同じヘルメットが置かれている。

「そのあと、あなたは自分の一番素晴らしい記憶を思い出してください。それを、わたくしがお嬢さまに移しかえます」

「どうやって?」

少し不安になり、ヒロコは訊いた。

「スキャンします」

「……」

「スキャンして、ちゃんと3Dでお嬢さまにお届けします」

ヘルメットをかぶらされた。

「さあ、さっそく飲んでください」

小瓶を手渡され、仕方なくヒロコはそれを飲み干した。そして、急に怖くなった。

素晴らしい記憶を提供したら、自分はどうなってしまうのか。

自分にとっての素晴らしい記憶とは、それを支えに生きられるもの。死んだ夫との記憶だ。

それを明け渡すなんて、やはりとてもできはしない。

そう思いいたると彼女は、自分にとっての最悪の記憶を思い浮かべようとした。

少女には悪いが、やはり、渡せない。自分が自分でなくなってしまう。

そうしているうちに、ヒロコの意識が薄れてきた。頭がすうっとぼやけていく……。

ヒロコが気がつくと、ベッドに横たわっていた。意識はあるのに、体は動かず、目も開けられない。自分の体ではないみたいだ。

声が聞こえた。

「お嬢さま、いかがでしたか? この女の記憶は?」

「面白いわ。この人、生きているのが辛かったでしょうね」

少女らしい声が聞こえてきた。続けて、

「だって、この人、自分が殺した夫をずっと想い続けていたんだもの。浮気した旦那をかっとなって殺した。よくある話ね。そして、記憶を操作して、旦那との幸せな日々だけを思い出していたのよ」

ヒロコは思い出した。

そうだ。私は夫を殺してしまったのだった。

さっき、最悪の記憶を思い出そうとして、心の奥底の無意識の領域に追いやっていたそれを、ついに呼び起こしてしまったのだと気づく。

「でも、この女の人には、こうなってちょうど良かったのかもしれない。人間、こんな矛盾を抱えて生きているのは、本当はとてもつらいことだもの」

少女の声は朗らかだった。

「さて、この女の人と私の生気を入れかえてもらったから、私はこれからは自由に生きていけるわ。ありがとう、ばあば」

ヒロコは自分が、さっきまでの少女の状態に陥ってしまっているのだということをようやく悟った。

そしてそれが、老婆がここを去る以上、死をしか意味しないことも。

だが、ヒロコの気持ちはなぜかさばさばとしていた。確かに、少女の言うとおりだった。

矛盾を抱えて生きているのはとてもとても辛かったのだから。

ようやく、解放される……。

(了)

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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