【ランニング・マン】私がいちばん好きなキング作品『バトルランナー』の話

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四季しおり
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

SFを読んでいて、ワクワクが止まらない瞬間がある。

それは、作家が想像で描いた「未来」が、気づけばこちら側の「現在」に追いついてくる瞬間だ。

ジョージ・オーウェルの『1984』が1984年に再読されたように、スティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で1982年に書いた『The Running Man』も、まさにその地点に立っている。

この小説が、書かれたのは1982年。しかも舞台は未来の2025年。当時としては、まあまあ思い切った近未来設定だと思う。

でも今、実際に2025年になってから読むと、変な感覚になる。「さすがに盛りすぎだろ」とは言い切れないし、「当たってる!」と騒ぐほど単純でもない。ただ、笑えない部分がやたら多い。

格差、環境の悪化、医療が金次第になる感じ、刺激の強い娯楽に人が吸い寄せられていく感じ。全部、完全に一致してるわけじゃない。でも方向は似ている。

舞台は2025年。経済格差の固定化、環境汚染、医療へのアクセス格差、そして何より、リアリティ番組とメディアによる大衆操作。

40年以上前に書かれたこの物語は、今読むと「荒唐無稽な近未来SF」では済まされない。不気味なほど、現在と地続きなのだ。

しかも日本では、長らく『バトルランナー』というタイトルで知られてきた旧版が、新訳『ランニング・マン』として復刊された。酒井昭伸訳、扶桑社ミステリー。

これは単なる復刊ではなく、読み替えのための再登場だと感じた。

この作品は、今読むために戻ってきた。そんな気配がある。

私が『バトルランナー』がどれくらい好きかって、以前書いた【傑作選】スティーヴン・キングのおすすめ名作小説ランキング12選という記事で『バトルランナー』は1位だからね。

つまりキングが書いた小説でいちばん好きなわけで、こんなのテンションが上がらないわけがないだろう!

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目次

キングではなく、バックマンが書いた怒りの疾走

『ランニング・マン』を語るうえで避けて通れないのが、「リチャード・バックマン」という存在だ。

当時のキングはすでに売れっ子作家だったが、年に一冊しか出せない出版業界のルールにうんざりしていたし、「キングだから売れてるだけじゃないのか?」という疑念も抱えていた。その実験として生まれた別名義がバックマンである。

キング名義の作品が、ときに超自然を描きつつも人間への信頼を手放さないのに対し、バックマン作品は露骨だ。冷たく、救いがなく、社会構造への怒りを隠さない。

『死のロングウォーク』『ロードワーク』、そして本作『ランニング・マン』。どれも空気が重い。

しかもこの長編、執筆期間はわずか数日。キング本人が認めている通り、ほとんど推敲も挟まず、頭の中から噴き出したものをそのままタイプライターに叩きつけたような作品だ。

だから文章にブレーキがない。止まったら終わり、考えている暇はない、前へ前へと押し出される。主人公ベン・リチャーズの疾走感と、書き手の切迫感がそのまま重なっている。

読みながら、「これは丁寧に書かれた小説ではない」と思う。でも同時に、「だからこそ、この速度でしか描けない世界がある」とも思わされる。

『バトルランナー』と『ランニング・マン』 同じ物語、違う読み方

日本の読者にとって、この作品は長いあいだ『バトルランナー』だった。

1987年のシュワルツェネッガー主演映画のヒットを受け、アクション映画文脈で売られた小説である。

タイトルからして強い。「バトル」という言葉がつくことで、どうしても筋肉ムキムキのヒーローが敵をなぎ倒す話を想像してしまう(いや、想像というか、私の中でのベン・リチャーズは永遠にシュワちゃんなので、間違ってはいない……)

だが原作のベン・リチャーズは、そんな存在ではない。

彼は痩せた失業者で、病気の娘を抱え、薬代を稼ぐために死のゲームへ放り込まれる男だ。銃も筋肉も頼れない。あるのは機転と、社会への怒りだけ。

2025年の新訳『ランニング・マン』は、そのズレを正面から修正してきた印象がある。酒井昭伸の訳文は、荒々しさを残しつつも、ディストピアとしての構造がはっきり見える。これはB級アクションの原作ではなく、明確な社会批評小説なのだ、という立ち位置がはっきりした。

風間賢二による解説〈もうひとりのスティーヴン・キング〉もいい。バックマン名義の意味、キング作品全体の中での位置づけが整理され、「これは軽く消費する話ではない」と静かに釘を刺される感覚がある。

旧版を知っている人ほど、この新訳には引っかかるはずだ。同じ物語なのに、こんなにも重心が違うのか、と。

ゲーム、監視、そして世界全体が敵になる恐怖

物語の舞台となる2025年のアメリカは、汚染され、分断され、管理されている。無料テレビ放送「フリテレ」は、娯楽という名の鎮静剤として国民に配られ、思考を奪う。

その頂点にあるのが、命を賭けたゲーム・ショーだ。人は走らされ、泳がされ、見世物として消費される。

『ランニング・マン』の恐ろしさは、敵が一人ではないところにある。ハンターや警察以上に厄介なのが、一般市民だ。視聴者は密告者になり、参加者を売ることで金を得る。

つまり、世界全体が敵になる。

しかも主人公は、自分の映像を毎日ネットワークに送らなければならない。逃げるために、自分の痕跡を差し出し続ける。この構造が、現代のデジタル社会と妙に重なる。

SNS、位置情報、行動履歴。気づけばこちらも、自分から監視装置にデータを渡している。

キングは、SF的ガジェットよりも「貧困」と「娯楽」を恐怖の核に据えた。だからこの物語は古びない。むしろ、年を追うごとに刺さり方が増していく。

それでも、この小説が好きなんだよ、という話

(比べるものではないけれど、やっぱり旧バトルランナーのデザインが好きすぎる……)

なんだかんだ言っても、やっぱり『ランニング・マン』は強い。読み終わったあとにスッキリしないし、救われた気分にもならないし、正直しんどい。でも、それでも忘れられない。

読んでいるあいだ、ずっと落ち着かない。主人公は休めないし、こっちも休ませてもらえない。

「まあまあ、ここで一息つこう」みたいな場面がほぼない。常に追われている。常に余裕がない。読んでる側まで息が詰まってくる。

でも、それがいい!

ベン・リチャーズはヒーローじゃない。世界を変えるカリスマでもない。ただ、追い詰められて、怒って、走るしかなかった男だ。

それなのに、というか、だからこそ、やたら心に残る。口は悪いし、かっこいいことを言わないし、正義を振りかざさないし、希望を語ったりもしない。それでも、巨大な仕組みに対して「ふざけるな」と歯を食いしばる姿が、妙にまぶしい。

たぶんこの小説は、読み手を元気づけるための話じゃない。「頑張れば報われる」なんてことも言わない。でも、「このままでいいのか?」という感覚だけは、確実に置いていく。

2026年になった今読むと、なおさらだ。監視も、娯楽も、格差も、どれも他人事じゃない。気づけば、観る側・消費する側として、似た場所に立っている気がしてくる。

それでも、この小説は説教しない。「お前らが悪い」とは言わない。ただ、ひたすら走る男を見せてくる。だから余計に刺さるのだ。

『バトルランナー』のイメージで止まっている人には、ぜひ原作を読んでほしい。筋肉も爆発も決め台詞も、ほとんど出てこない。

代わりにあるのは、汚れた街と、息切れと、怒りだ。

でも、その全部が、この物語には必要だったのだと思う。

派手じゃない。気持ちよくもない。それでも、「好きだなあ……!」としみじみ思ってしまう。

『ランニング・マン』は、そういう小説だ。だから今も語りたくなるし、2026年になって『バトルランナー』を引っ張り出してきて読み比べてしまう。

走るしかなかった男の話が、今の空気と、こんなにも噛み合ってしまうのが、正直ちょっと怖い。

でも、だからこそ、いま改めて読むことができて良かったと思っている。

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