野島夕照『片翼のイカロス』- 上空500mでヘリと人間が衝突。奇々怪々な謎に迫るどんでん返しミステリ

  • URLをコピーしました!

ミステリ界に新たな才能が登場しました。野島夕照氏です。同氏は、島田荘司氏が選考を務める第16回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞において、本作『片翼のイカロス』で見事優秀作を受賞し、華々しいデビューを飾りました。

この賞は、本格ミステリの書き手を目指す者にとって登竜門とも言える存在であり、受賞の報は多くのミステリファンの期待をかき立てています。  

著者の野島夕照氏は岡山県倉敷市の出身で 、本作は2025年3月に光文社より刊行されました。

ここに、作品の基本的な情報を整理しておきましょう。

項目 (Kōmoku – Item)詳細 (Shōsai – Details)
書名 (Shomei – Title)片翼のイカロス (Katayoku no Ikarosu)
著者 (Chosha – Author)野島夕照 (Nojima Yūshō)
出版社 (Shuppansha – Publisher)光文社 (Kobunsha)
出版年月 (Shuppan Nentsuki – Publication Date)2025年3月 (March 2025)
受賞歴 (Jushōreki – Awards)第16回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞優秀作 (島田荘司選) (Shimada Soji Selection)
ジャンル (Janru – Genre)本格ミステリ (Honkaku Mystery)
舞台 (Butai – Setting)相模湖畔の豪邸 (Grand mansion by Lake Sagami)
中心的謎 (Chūshinteki Nazo – Central Mystery)上空500mでのヘリと人間の衝突 (Collision between a helicopter and a human at 500m altitude)

特筆すべきは、著者が60歳を過ぎてから、社長業の傍らで執筆した作品で新人賞を受賞したという点です。長年の社会経験や経営者としての視点が、富豪一族の複雑な人間模様や、「奇想」とも言える大胆なプロット選びに影響を与えたのかもしれません。一般的な新人作家とは異なる背景を持つ著者が、どのような物語世界を構築したのか、注目されます。  

目次

物語の舞台と奇想天外な事件の幕開け

物語の幕は、神奈川県の相模湖畔に壮麗に佇む碇矢家の豪邸で上がります。この隔絶された空間は、さながら古典的な館ミステリの舞台装置として機能し、これから起こるであろう不可解な出来事を予感させます。

物語の中心人物の一人、碇矢コーポレーションの代表にして館の当主である加州は、「空を飛ぶ」という積年の夢を抱いています。彼が生まれつき足が不自由であるという設定は、その夢に一層の切実さと、どこか悲劇的な色合いを添えることになります。

そして、読者はプロローグから衝撃的な謎に直面します。「上空500メートルでヘリコプターと人間が衝突する」という、前代未聞の事件が発生するのです。この奇抜極まりない状況設定は、まさに島田荘司氏が好む「奇想」の系譜に連なるものであり、読者の知的好奇心を強烈に刺激します。この「奇想天外なからくり」こそが、本作の大きな魅力の一つと言えるでしょう。

しかし、このような大胆なトリックは、その解決編において高度な論理性が求められます。壮大な謎解きの風呂敷を広げた以上、その畳み方には細心の注意と巧妙さが必要となるのです。一部の読後感に「バカミス一歩手前」との声があるのは 、著者がその危ういバランスの上を果敢に渡りきろうとした証左かもしれません。  

謎に挑むメイドと、館に渦巻く人間模様

この奇妙な事件の謎に挑むのは、碇矢家に新人メイドとして採用された和久井麻琴という若い女性です。彼女は、単なるメイドではなく、「生まれ持ったある能力」あるいは「脳内の別人格者」の助けを借りて、複雑怪奇な事件の真相に迫っていく事になります。この特異な設定は、麻琴を探偵役として際立たせ、物語に独特の彩りを加えています。

事件の渦中にいる館の当主・加州は、レジャー開発の成功によって莫大な資産を築き上げた人物です。しかし、その富とは裏腹に、彼は身体的なハンディキャップを背負い、大空への強い憧憬を抱き続けています。

そして、彼を取り巻くのは「華麗なる一族」と呼ばれる人々です。物語冒頭に登場人物の相関図が掲載されるほど、彼らの関係は複雑であり、その背後には愛憎や確執が渦巻いていることが暗示されます。この閉鎖された館の中で起こる連続不審死は、一族の歪んだ人間関係と深く結びついているのです。

主人公が「美少女メイド探偵」であり、特殊能力を持つという設定は、島田荘司氏の選評でも触れられているように、アニメやゲームといった現代のポップカルチャーに通じる要素です。このようなキャラクター造形は、本格ミステリというジャンルに新たな読者層を引き込む可能性を秘めている一方で、伝統的な探偵像を好む読者にとっては、評価の分かれる点となるかもしれません。しかし、作中で展開される「軽快な会話劇」や「軽い語り口」は 、このポップカルチャー的要素と親和性が高く、物語を読みやすく、エンターテイメント性の高いものにしていると言えるでしょう。

『片翼のイカロス』が問いかける壮大な謎

本作『片翼のイカロス』が読者に投げかける謎は、そのスケールの大きさにおいて際立っています。「人間が空を飛び、上空でヘリコプターと衝突する」という、常識では到底考えられない不可能状況。この一点だけでも、ミステリファンの挑戦意欲を掻き立てるに十分です。

そして、物語のタイトルそのものが、読者の想像力を刺激します。『片翼のイカロス』。ギリシア神話に登場するイカロスは、蝋で固めた翼で空を飛翔するものの、太陽に近づきすぎたために翼が溶けて墜落死するという悲劇的な末路を辿ります。タイトルに含まれる「片翼」という言葉は、不完全さ、アンバランス、あるいは飛翔の困難さを暗示し、足が不自由でありながら空を夢見た当主・加州の運命や、物語全体のテーマと深く結びついているのでしょう。

この奇想天外な事件の背後には、富豪一族ならではの愛憎渦巻く人間ドラマや、莫大な遺産を巡る争いといった、より現実的な動機が隠されています。そして、それらが複雑に絡み合い、前代未聞の犯罪計画へと繋がっていくのです。

読者としては、関係者全員を集めての推理シーンなど、本格ミステリならではの論理的な謎解きが展開されることを期待するでしょう。タイトルが示唆する「片翼」というモチーフは、単に当主の身体的特徴や夢を指すだけでなく、犯人の計画そのものに潜む致命的な欠陥や、あるいは主人公の特殊能力が持つ限界や危うさをも象徴しているとも考えられます。

一部で真相が「肩透かし」と感じられたり、犯行トリックの現実味に疑問が呈されたりする点は、この「片翼のイカロス」というテーマの多層的な解釈を促すものと言えるでしょう。つまり、完璧に見えた飛翔(計画)も、どこかに不完全さ(片翼)を抱えていたがゆえの結末だったのかもしれません。  

軽快な筆致と緻密な構成が生み出す読書体験

『片翼のイカロス』は、多くの登場人物が織りなす複雑な人間関係と、奇想天外な事件が展開する物語です。しかし、主人公であるメイド・麻琴の視点と、彼女の軽妙な語り口、そして心の中のツッコミが、物語をテンポ良く、読みやすいものにしています。

本格ミステリの醍醐味である巧妙に張り巡らされた伏線と、その鮮やかな回収は、読者に大きな驚きと知的な満足感をもたらすでしょう。また、物語全体を覆うユーモラスな雰囲気は、大企業の社長一家で起こる連続不審死というシリアスな事件との間に絶妙なバランスを生み出し、本作ならではの独特の読み味を醸し出しています。

「奇想」を核としたミステリでありながら、「軽い語り口」と「ユーモラス」な要素を併せ持つ本作は、特定の読者層に強くアピールする一方で、その独特な作風が評価の分かれる点となる可能性も否定できません。深刻な人間ドラマが展開される中で、軽妙さが物語の重さを和らげる効果を持つ反面、一部の読者にとっては緊張感を削ぐと感じられるかもしれません。

「バカミス一歩手前」という評価は、まさにこのユーモアと奇想の融合が、本格ミステリの枠組みの中でどこまで許容されるかという、ジャンルの境界線上にある作品であることを暗示しています。まあ私はバカミス大好きなので、『片翼のイカロス』は最高でしたけど。

おわりに:新たな才能が投じた、本格ミステリへの挑戦状

野島夕照氏のデビュー作『片翼のイカロス』は、奇想と論理という本格ミステリの根幹を成す要素を、大胆かつ独創的な手法で融合させた野心作と言えるでしょう。

「上空500メートルでヘリコプターと人間が衝突する」という、読者の度肝を抜く壮大な謎は、それだけでミステリファンを惹きつけてやまない強烈な魅力を放っています。この不可能状況にいかにして論理的な説明を与えるのか、その一点に期待が集まります。  

島田荘司氏の選評にもあるように、本作の世界観は、アニメやゲームといったエンターテイメントに親しんだ読者層には、すんなりと受け入れられ、大いに楽しまれる可能性を秘めています。その一方で、あまりにも奇抜な設定や展開は、伝統的なミステリを好む読者には、異なる印象を与えるかもしれません。しかし、この挑戦的な試みこそが、本作の個性であり、新人作家としての野心の発露と捉えることができます。

「本格要素てんこ盛り」と評されるように、奇想に満ちた謎解きの中に、論理的な解決を追求する姿勢は、まさしく本格ミステリの精神に則ったものです。著者が、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の応募資格である「受賞作以降も書き続ける意志のある方」として、今後どのような作品世界を我々に提示してくれるのか、その活躍から目が離せません。本作は、新たな才能が本格ミステリ界に投じた、鮮烈な挑戦状として記憶されることでしょう。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次