ジョン・ディクスン・カーといえば、ミステリ黄金期を代表する作家のひとり。そして何より、「密室殺人」においては他の追随を許さない、ぶっちぎりの名人だ。
彼のすごさって、ただトリックが巧いとか、論理が鋭いとか、そういうレベルじゃない。もっとこう、「こんな状況、ありえるかよ!」っていう不可能の演出を本気で突き詰めていくところにある。
読んでるこっちの現実感覚が揺さぶられ、なのに、ラストではちゃんと理屈で全部つながる。そこがたまらない。
古びた館、霧に包まれた夜道、誰もいないのに鳴る足音、密室の中に残された死体。いかにもカーっぽい怪しげな舞台は、幻想的でロマンがある。だけど、物語の背後にはいつだって冷静な論理が息づいてて、ラストには理知の光が事件の闇をパキッと照らす。読後のカタルシスがすごい。
その構成は、もはやひとつの芸術みたいなもんだ。詩のようでもあり、精密なマジックでもあり、ページを閉じたあともしばらく余韻が残る。これは一度体験してしまうと抜け出せないのだ。
というわけで、この記事では、初めてカー作品に触れる人にも安心して楽しんでもらえるよう、ネタバレなしでおすすめ10作品を紹介していくつもりだ。
さらに後半では、「なぜカーは今なお読まれ続けているのか?」ってテーマにも少し踏み込んでみようと思う。幻想と論理、両方を愛する人には、きっと刺さる作家だから。
閉ざされた扉の向こうには、霧と謎とトリックの迷宮が広がっている。
さあ、一緒に覗いてみよう。
傑作選 おすすめの珠玉の10作品紹介(ネタバレなし)
ジョン・ディクスン・カーが残した作品は、とにかく多い。しかも、どれもこれも一筋縄じゃいかない傑作揃いだ。
その中から今回は、初めてカーを読む人にも、すでにカー沼に片足突っ込んでる人にもおすすめできる「代表作&傑作」10作品をピックアップしてみた。もちろんネタバレはなし。
どれも、カーという作家がどこまで不可能犯罪を突き詰めたのか、その“てっぺん”が垣間見えるような名作ばかりだ。
幻想と論理、ロマンと冷徹な真相。その絶妙なバランスを楽しみながら、どの作品もじっくり味わってもらえたらうれしい。
ではいってみよう。閉ざされた扉の向こうに、何が待っているのか―― その答えは、この10作の中にある。
表:ジョン・ディクスン・カー傑作選
No. | 邦題 (Japanese Title) | 原題 (Original English Title) | 発表年 (Year) | 主な探偵 (Main Detective) |
---|---|---|---|---|
1 | 火刑法廷 | The Burning Court | 1937 | |
2 | 三つの棺 | The Three Coffins / The Hollow Man | 1935 | ギデオン・フェル博士 |
3 | ユダの窓 | The Judas Window | 1938 | ヘンリー・メリヴェール卿 |
4 | 皇帝のかぎ煙草入れ | The Emperor’s Snuff-Box | 1942 | ダーモット・キンロス博士 |
5 | 妖魔の森の家 | “The House in Goblin Wood” (short story) | 1947 | ヘンリー・メリヴェール卿 |
6 | 黒死荘の殺人 | The Plague Court Murders | 1934 | ヘンリー・メリヴェール卿 |
7 | 白い僧院の殺人 | The White Priory Murders | 1934 | ヘンリー・メリヴェール卿 |
8 | 曲がった蝶番 | The Crooked Hinge | 1938 | ギデオン・フェル博士 |
9 | 幽霊屋敷 | The Problem of the Haunted House | 1940 | ギデオン・フェル博士 |
10 | 帽子収集狂事件 | The Mad Hatter Mystery | 1933 | ギデオン・フェル博士 |
1.『火刑法廷』 (The Burning Court, 1937)
・概要:物語の舞台は発表当時の現代なのだけど、そこにがっつり影を落としてくるのが、17世紀フランスで悪名を轟かせた毒殺魔――ブランヴィリエ侯爵夫人の伝説だ。
主人公は、編集者のエドワード・スティーヴンス。ある日、隣人が妙な死に方をする。その瞬間から、彼の頭の中にはひとつの疑念がもやもやと広がっていく。もしかして、あの事件に関わってるのは自分の妻・マリーなんじゃないか? いや、それどころか、まさか、マリーって毒殺魔の生まれ変わりなんじゃ……?
物語はどんどん不穏な方向へ進んでいく。納骨堂から死体がこつ然と消えたり、存在しないはずのドアから正体不明の女がぬるっと出てきたり。何が現実で何が幻想なのか、どこまで信じていいのかがわからなくなるような、不気味で怪しい空気が全編を覆ってる。
カーの幻想ミステリ系が好きなら、この作品は絶対に刺さる。背筋がすっと冷えるような不安と、どこかロマンを感じさせるゴシックホラーの香り。理屈だけじゃない、感覚で読ませる一作だ。
・魅力:『火刑法廷』は、いわゆる「名探偵が出てきて事件をスマートに解決する」っていうクラシカルな推理小説の形をとっていない。そのかわりに、サスペンスとホラーの要素をググッと前面に出してくるタイプの作品だ。
カーといえば、不可能犯罪とか密室トリックの名手として有名だけど、この作品ではちょっと違う方向の怖さを見せてくる。霧の夜に忍び寄る見えない恐怖、それがじっとり効いてくるのだ。
彼の得意技でもあるオカルト趣味も、ここではバッチリ機能してる。17世紀の魔女裁判とか転生とか、そんな「本気で信じていいのか?」って要素が、理屈と怪奇のあいだで絶妙に揺れてるのだ。
で、何がすごいって、そのラスト。これがもう衝撃的で、「カーはだいたいこうくるだろ」と思ってた読者ほどぶん殴られる。論理で攻めてくるのに、ホラー小説としての完成度もめちゃくちゃ高い。ミステリと怪奇が融合した傑作という言葉、まさにこの作品のためにあるんじゃないかって思う。
カーを初めて読む人にも、あるいみ覚悟を決めて読んでほしい傑作だ。読み終わったあと、ゾッとしながら「うわ、やられたな…」って唸るはずだ。
・登場探偵:本作にはギデオン・フェル博士もヘンリー・メリヴェール卿も登場しない。主人公のエドワード・スティーヴンスが事件の渦中に巻き込まれ、物語の終盤になって探偵役が登場し、驚くべき真相を提示する。
2.『三つの棺』 (The Three Coffins / The Hollow Man, 1935)
・概要:雪の降り積もるロンドンの夜。しんと静まり返ったその空気の中で、ひとつの密室殺人が起きる。
被害者は、名の知れた学者・グリモー教授。現場は彼の自宅の書斎。ドアには内側から鍵がかかっていて、窓もちゃんと閉まっている。もちろん、雪の上には誰の足跡もなし。つまり、犯人がどうやって入って、どうやって出ていったのか、さっぱりわからない。
この時点で、もう充分に「え、無理ゲーじゃん?」ってなるんだけど、話はさらにややこしくなる。同じタイミングで、もうひとつの不可解な状況下での殺人事件が発生するんだ。完全に別件かと思いきや、どうやらそうでもなさそうで……?
二重のありえない殺人。密室、足跡なし、雪、時間差。カーが本気を出すと、こうなる。読者としては、もう頭を抱えながら読み進めるしかない。
クラシック本格ミステリの極致みたいなこの設定、嫌いになれるわけがないでしょ。
・魅力:『三つの棺』は、不可能犯罪ミステリの中でもまぎれもなく頂点クラスの一本だ。カー作品の中でも人気が高いし、なによりミステリファンにとっては伝説的な「密室講義」が出てくることで有名だ。
その講義をするのはもちろん、あのギデオン・フェル博士。彼がバーで葉巻をくゆらせながら、密室トリックについて延々と語るあの章。あれはもう、ミステリ界のバイブルといってもいい内容だ。
講義では、古今東西の密室トリックをジャンル分けして、「こういうケースはこう」「こう思わせておいて実はこう」といった感じで、読者の目からウロコがボロボロ落ちる。作品内のセリフなのに、もはや専門書レベルだ。
しかも本作は、その密室講義だけじゃない。物語そのものも超一級。銃声の響く中、誰にも出入りできないはずの密室で男が殺され、続いてまた別の現場で不可能殺人が起きるという、なんとも贅沢な二重密室構造。
で、そこからフェル博士が繰り出す解決編がまたすごい。論理とアイデアのキレが桁違いで、「こんな発想アリなの!?」って唸らされる。
カーの天才ぶりを味わいたいなら、まずこれだ。密室ミステリが好きなら、読まない理由がない。
・登場探偵:ギデオン・フェル博士。本作における彼の「密室講義」は、その博識ぶりと事件解明への鋭い洞察力を際立たせている。
3.『ユダの窓』 (The Judas Window, 1938)
・概要:若いジェームズ・アンズウェルは、恋人メアリの父親に結婚の許可をもらうため、きっちり礼儀正しく書斎を訪れる。が、そこで待っていたのは、とんでもない地獄だった。
父親であるアヴラム・ヒューム氏とふたりきりで密談中、突然アンズウェルは意識を失う。そして目を覚ましたときには、ヒューム氏が胸に矢を突き立てられて、すでに絶命していた。
もちろん書斎は密室。ドアも窓も内側からしっかり施錠されていて、第三者の出入りは「理屈の上では」ありえない。で、部屋の中にはアンズウェルただ一人。
……つまり、状況証拠はどう見たって「お前がやったんだろ」って話になる。
「いやいや待ってくれ、ほんとに知らないんだって!」と叫んだところで、周囲の目は冷たい。追い詰められたアンズウェル、果たしてこの完璧すぎる状況証拠を覆せるのか?
密室の緊張感、完全に孤立した主人公、そして一筋縄ではいかないトリック。カーらしい「不可能犯罪エンタメ」がバチッと決まってる一作だ。
・魅力:この作品は、密室ミステリとしても、法廷劇としても、めちゃくちゃ完成度が高い。ガチガチの状況証拠に追い詰められたアンズウェルを救うために、あのヘンリー・メリヴェール卿―― 通称H・Mが登場する。
で、このH・Mがとにかく強烈。法廷に現れるやいなや、あのクセのある弁舌と、バッサリ切れ味抜群の推理で、次々と相手側の論理をひっくり返していく。もうね、痛快ってレベルじゃない。黙って聞いてた陪審員もポカンだわ。
そして何より見逃せないのが、「ユダの窓」っていう聞き慣れないワード。これがトリックのカギを握っていて、読んでるこっちはずっと「何それ、どこにそんなもんあった!?」ってなるんだけど、ラストで種明かしされた瞬間に「うわぁそういうことかよ!」って叫びたくなる仕掛け。
H・Mシリーズの中でもこの一作はとくにテンポがよくて、キャラも立ってて、トリックも独創的。密室好きも法廷もの好きも、両方まとめてニヤつかせる、まさに二度おいしい作品だ。
・登場探偵:ヘンリー・メリヴェール卿 (H・M)。本作では、弁護士としてのH・Mの並外れた手腕が遺憾なく発揮される。

4.『皇帝のかぎ煙草入れ』 (The Emperor’s Snuff-Box, 1942)
・概要:舞台はフランスの避暑地。景色はのどかで空気は澄んでて―― と、そんな風光明媚な場所で起きるにはあまりに衝撃的な事件が発生する。
主人公は、若くて美しい女性イヴ・ニール。地元の名家の御曹司、トビイ・ローズと婚約中で、まさに幸せ真っ只中……だったんだけど、ある夜、トビイの父・サー・モーリスが書斎で惨殺される。で、なんとその容疑がイヴにかかってしまう。
「え、なんで私が?」って話なんだけど、彼女には言えない秘密がある。事件の起きた時間、彼女はちゃんと自宅の寝室にいた。けど、そこに忍び込んできたのが、なんと離婚済みの元夫・ネッド。要するに、完璧なアリバイがあっても、それを証明するには「元夫が部屋にいた」って言わなきゃいけないわけで……言えるかそんなもん!
こうしてイヴは、証明できないアリバイを抱えたまま、殺人の容疑者としてどんどん追い詰められていく。
密室トリックのキレもさることながら、「口をつぐまざるを得ない理由があるアリバイ」という設定が、もう抜群に上手い。カーの筆が冴えまくってる一作だ。
・魅力:この作品には、ギデオン・フェル博士もヘンリー・メリヴェール卿(H・M)も出てこない。つまりカーのいつもの探偵はお休み。でも、それが逆にいい方向に振れてる一本だ。
シリーズものじゃないからってナメちゃいけない。本作は、カー中期の代表作として名高い心理ミステリの傑作で、不可能犯罪よりも「人の心の裏をかく」トリックで攻めてくるタイプの作品だ。
登場人物はそこまで多くないのだけど、そのぶん関係性が濃いし、誰が何を考えて動いてるのかがめちゃくちゃ気になる展開になってる。そして最終的に明かされる犯人の正体は、かなり意外。何気ないやりとりや態度の裏に、じわじわと違和感が染み出してくる感じがゾクッとくる。
あの江戸川乱歩もこの作品を「カーの第一級作品のひとつ」って絶賛してるし、アガサ・クリスティーですら「やられた」と言ったとか言わないとか(言ったらしいけどね)。そのくらい構成が緻密で、サスペンスの波の乗せ方もうまい。
密室とか派手なトリックに頼らず、静かに仕掛けて、最後にズドンって感じの心理戦ミステリ。カーの別の顔を見たい人には、超おすすめの一作だ。
・登場探偵:精神科医のダーモット・キンロス博士が探偵役を務める。彼はイヴの無実を信じ、鋭い観察眼と人間心理への深い洞察をもって、事件の真相を追求していく。

5.『妖魔の森の家』 (“The House in Goblin Wood”, short story, 1947)
・概要:森の奥にひっそり建つ別荘。その密室の部屋から、若い女性ヴィッキー・アダムズが忽然と姿を消してしまう。ドアも窓もちゃんと閉まってて、外に出た形跡もゼロ。まさに神隠しってやつだ。
しかも驚くのは、これが初めてじゃないってこと。この家では、なんと20年前にもまったく同じような不可解な失踪事件が起きていた。舞台も同じ、状況も同じ、謎も解けないまま。で、再び同じ現象が起こったとなれば、もう偶然とは思えない。
この人間消失事件に挑むのが、我らがヘンリー・メリヴェール卿(H・M)。いつもの毒舌とブチ切れモードをまといつつ、ありえない状況の中に隠された論理をひっぺがしていく。
密室殺人じゃなくて密室失踪。トリックの意外性と、H・Mの怒涛の推理がガッチリ噛み合って、読み終わるころには「なるほど、そうきたか……!」って唸らされる。
カーが得意とする「消えた被害者」パターンの中でも、かなり完成度が高い傑作だ。
・魅力:この作品は、カーター・ディクスン名義で発表された中編で、ヘンリー・メリヴェール卿(H・M)がバッチリ活躍する一本。よく同名の短編集の表題作としても収録されてるやつだ。
テーマは、カーが得意とする「人間が密室から消える」やつ。しかも今回はそれに加えて、「誰がやったのか?」っていうフーダニット要素まで絡んでくる。つまり、「どうやって消えたか」と「そもそも犯人は誰か」が二重で攻めてくる構成になってる。うまいよなあ、ほんと。
現場はどう見ても神隠しとしか思えない状況。でも、H・Mは「これは殺人だ」とズバッと断言する。で、例の毒舌と豪快さを炸裂させながら、常識の裏を突くロジックで謎を崩していく。
特にラストで明かされる真相がすごい。あんなに自然に見せかけておいて、こっちの思い込みを利用して一発逆転してくるあたり、もうさすがとしか言えない。カーの技術が冴えまくってる。
あのエラリー・クイーンが、この作品に対して特別功労賞を贈ったって話も有名。ミステリとしての完成度、インパクト、読後の衝撃、全部揃ってる。H・Mシリーズの中でも、間違いなく一度は読んでおきたい一編だ。
・登場探偵:ヘンリー・メリヴェール卿 (H.M.)。

6.『黒死荘の殺人』 (The Plague Court Murders, 1934)
・概要:「プレーグ・コート」と呼ばれる古びた屋敷は、昔から幽霊が出るって噂されてきた曰く付きの場所だった。そんな屋敷で、ある嵐の夜にとんでもない事件が起きる。
その夜、交霊術師のダーワースが、屋敷の離れにある石造りの小部屋――要するに石室にこもって、交霊の儀式をやってたのだけど、なんとその最中に何者かに殺されてしまう。
問題は、その状況。石室は内側からしっかり鍵がかけられてて、まさに完全な密室。さらに現場は血まみれの惨状だったのに、外のぬかるんだ地面には、犯人の足跡が一切残ってない。おかしいでしょ?
幽霊の仕業だと騒ぎたくなるのも無理はない。実際、屋敷の過去とも妙にリンクしてくるあたり、ただの殺人事件とは思えない不気味さが漂ってる。
カーが得意とする「現実に見える超常現象」の演出と、「でもちゃんと論理で解ける」っていう緻密な構成が光る一作。密室ミステリの中でも怖さと理屈がガッツリ共存してるタイプだ。
・魅力:この作品は、カーター・ディクスン名義で発表された記念すべき一冊であり、ヘンリー・メリヴェール卿(H・M)の初登場作でもある。つまり、「このオッサン、誰?」と思ってた人には、ここが出発点ってわけだ。
ディクスン名義の作品の中でもトップクラスに人気のあるこの作品、なにがすごいって、古典的なアイテムを惜しげもなくぶち込んでくるところだ。曰く付きの短剣がロンドン博物館から盗まれ、血まみれの密室が登場し、しかも足跡ゼロの殺人が発生するっていう、不可能状況オールスターみたいな構成になってる。
H・Mはここでも絶好調で、下品で豪快でちょっとムカつくけど、とんでもなく頭がキレる。怪奇趣味たっぷりの事件を、ズバズバ論理でぶった斬っていくのが痛快すぎるのだ。
怪しげな雰囲気と、フェアな推理。この両立って意外と難しいんだけど、カーはそこをさらっとやってのけるんだ。
H・Mというキャラクターの強烈さと、カーの怪奇ミステリ路線の魅力ががっつり噛み合った一作。シリーズを読み始めるなら、ここから入るのが一番しっくりくるかもしれない。
・登場探偵:ヘンリー・メリヴェール卿 (H.M.)。本作で読者の前に初めて姿を現し、その鮮烈なキャラクターでシリーズの成功を決定づけた。

7.『白い僧院の殺人』 (The White Priory Murders, 1934)
・概要:ロンドン近郊にある〈白い僧院〉っていう、歴史のありそうな由緒正しい建物。その敷地内にある別館で、とんでもない事件が起きる。
被害者は、なんとハリウッドの人気女優。派手な人生の終わりにしては、あまりに陰惨な形で発見される。死体があったのは建物の中なんだけど、その周囲の地面は雪で真っ白に覆われてた。
で、ここからが本題。
雪の上には、第一発見者の足跡しか残ってなかった。誰かが出入りしたなら絶対に跡が残るはずなのに、それがない。つまり、「誰も入ってないはずの場所で、どうやって殺人が起きたの?」っていう、カーが大好物な雪の密室が出来上がってるわけだ。
足跡なしの不可能殺人。しかも被害者がハリウッド女優ときたら、事件そのものも派手だし、真相はなおさら派手。密室好きにはたまらない一件になっている。
・魅力:ヘンリー・メリヴェール卿シリーズの長編第2作にあたるこの作品は、「雪の密室」をテーマにしたミステリの中でも、伝説級の一本として語り継がれてる。
現場は雪に囲まれた〈白い僧院〉の別館。足跡が残るはずのふわふわの雪の中で、なぜか犯人の痕跡がまったく見当たらない。あるのは第一発見者の足跡だけ。いや、こんなのアリかよ?と思わず声が出るくらい見事な不可能状況が、ドーンと用意されてる。
犯人はいったいどうやって現場に入って、どうやって消えたのか。この一点に絞っても、もう読み応えは十分。
しかもこのトリック、ただ派手なだけじゃなくて、しっかりロジカル。カーらしい独創的な発想が炸裂してて、「そこか〜!」って読後にうなること間違いなし。あの江戸川乱歩も「これはすごい」と大絶賛したという逸話も残ってて、日本のミステリ界でも高く評価されてる作品だ。
「雪の上に足跡がないのに、どうやって殺人ができるんだよ」っていう疑問が、読者の脳みそを心地よく刺激してくる。
H・Mの豪快な推理と、カーの密室マジック。どっちも堪能できる、クラシック密室ミステリの金字塔だ。
・登場探偵:ヘンリー・メリヴェール卿 (H.M.)。
8.『曲がった蝶番』 (The Crooked Hinge, 1938)
・概要:25年ぶりにアメリカからイギリスに戻ってきたジョン・ファーンリー卿。彼は名門ファーンリー家の爵位と、広大な土地をまるっと相続することになってた。
が、そこに突然、ひとりの男が現れて「待った」をかける。そいつは「俺こそが本物のファーンリーだ」と言うのだ。
しかも話がやばい。なんと25年前、あのタイタニック号に乗ってたとき、ファーンリー卿と入れ替わったって言い出す。つまり、沈没の夜に運命をひっくり返したってわけだ。
そんな信じがたい主張も、ある決定的な証拠によって、ついに真偽がハッキリしそうになる……というところで、事件が起きる。しかも、バッチリ見られてたはずの場所で、誰にも気づかれずに人が殺されるっていう、これまたとんでもない不可能犯罪。
入れ替わりの真相、そして、見えてたはずなのに見えなかった殺人。カーお得意のどんでん返しと錯覚トリックがフル稼働してて、読みごたえ満点。
「これ、どうやってやったんだよ!」って、思わず声が出るタイプの作品だ。タイタニック+相続争い+不可能犯罪。この組み合わせ、ハズレるわけがない。
・魅力:ギデオン・フェル博士が登場するこの一作、とにかく盛りだくさんだ。遺産相続のドロドロ劇に、タイタニック沈没の謎、自動人形の不気味さ、さらには悪魔崇拝まで出てくるという、まさに「これぞカー!」なカオスな物語。
話が錯綜しすぎて何が本筋なのか一瞬わからなくなるけど、それでもちゃんと一本の線に収束していくあたりが、カーの底力ってやつだ。
で、何よりヤバいのが事件のトリック。今回は密室じゃない。バッチリ人が見てる前で、どう考えても犯行なんて無理でしょって状況で、なぜか人が死ぬ。これが「衆人環視の殺人」ってやつ。
「そんなのムリに決まってるだろ」と読者を思いっきり挑発しておいて、ちゃんと理屈で説明つけてくるあたり、ほんと憎たらしい。けど、それがまた最高に気持ちいい。
複雑怪奇なのにキッチリロジカル。悪趣味スレスレなのに知的快感あり。そんなカーの魅力がギュウギュウに詰まった傑作だ。
・登場探偵:ギデオン・フェル博士。
9.『幽霊屋敷』 (The Problem of the Haunted House, 1940)
・概要:イングランド東部のロングウッド・ハウスって屋敷には、ちょっとした曰くがある。昔、老執事が妙な死に方をしたってことで、「幽霊屋敷」なんて呼ばれてたりする場所だ。
で、そんな怪しげな物件をわざわざ買った男がいるんだけど、こいつがまた変わり者で、「どうせなら超常現象を見てみたい」なんて理由で、男女6人を屋敷に招待する。肝試しか何かのつもりかよ、って感じだ。
でも、結果的にその期待にはバッチリ応えた。というか、期待以上。
屋敷では妙なことが次々に起きて、最初は「うわ、マジで出るのか?」って感じだったのが、とうとう殺人事件にまで発展するっていうホラーとミステリのちゃんぽん展開に突入する。
「幽霊がやった」って言いたくなる空気だけど、そこにちゃんとロジックを持ち込んでくるのがカーのお約束。ゾクッとさせといて、最後はしっかり論理で殴ってくるやつだ。
不気味だけどどこか楽しげな、そんなクラシカル・ゴシックな舞台で、不可能犯罪が炸裂する。カーらしい、お化けもロジックでぶん殴れ精神が炸裂してる一本だ。
・魅力:舞台は「幽霊屋敷」。これだけで「はい、カーの得意分野です」と言いたくなるような設定だけど、もちろん今回もただのホラーじゃ終わらない。
屋敷の中では、不気味な現象がポンポン起きる。音がしたり、物が動いたり、誰もいないはずの廊下に気配があったり……って、これはもう誰だってビビるやつだ。
でも、そんな怪奇な空気の中で、しれっと登場するのがギデオン・フェル博士。おなじみのずんぐり体型で飄々としながらも、「これは論理で解ける事件だ」って言い切るあたり、さすがとしか言いようがない。
物語は、怪しい雰囲気を楽しませつつ、気づけばちゃんとロジカルな謎解きに突入していく。幽霊がどうこうって話じゃない。全部、ちゃんと理由がある。
そしてこの屋敷で起きるのは、ただのポルターガイスト現象じゃない。途中から本物の殺人事件が発生して、物語は一気にギアを上げてくる。怖いし、怪しいし、でも全部に意味がある。
カーらしい怪奇×論理の融合が炸裂してる一作。ホラーっぽさとパズルの快感がいい感じに混ざってて、夜に読んだら背筋が寒くなるかもしれないけど、頭はホカホカに熱くなる。そんな一冊だ。
・登場探偵:ギデオン・フェル博士。
10.『帽子収集狂事件』 (The Mad Hatter Mystery, 1933)
・概要:1930年代のロンドンで起きたのは、なんとも風変わりな連続事件。犯人は「いかれ帽子屋(マッド・ハッター)」を名乗り、街中の人の帽子を次々にかっぱらっていくっていう、わけのわからない盗難劇。しかもただの悪ふざけじゃなくて、犯行現場には妙なメッセージまで残していくという始末で、新聞はお祭り騒ぎだった。
で、それと同時に起きたのが、文豪エドガー・アラン・ポーの未発表原稿の盗難事件。ミステリ好きにはたまらないネタだが、関係あるのかどうかすらわからない。
そんなタイミングで、ロンドン塔からとんでもないニュースが飛び込んでくる。なんと、死体が発見されたんだけど、その頭には、例の盗まれたはずのシルクハットがきっちりかぶせられていた。
いかにも「どうだ、謎だろう?」とばかりの演出。これにはさすがのギデオン・フェル博士も「ふむ…これは一筋縄ではいかんぞ」となったわけだ。
ただの帽子ドロボウだったはずが、まさか殺人にまで発展するとは誰も予想してなかった。ユーモラスな入り口から不穏な空気が立ち上がってくるこの展開、カーらしくてゾクゾクする。
帽子、ポーの原稿、そしてロンドン塔の死体。全部バラバラに見えて、気がつくと一本の線でつながっていくあたり、まさにフェル博士の見せ場だ。
ふざけてるようで抜群に頭がいい、トリッキーなカー節が楽しめる一作。ミステリ好きなら、この帽子の謎は見逃せない。
・魅力:この作品は、ギデオン・フェル博士シリーズの長編としては2作目。まだまだフェル博士も若々しい(?)頃の話で、シリーズ全体の空気を形づくるターニングポイントにもなった一作だ。
奇妙な帽子泥棒事件と、まさかの殺人事件が、ロンドン名物の濃霧に包まれながら展開していく。ロンドン塔に死体、しかも頭には盗まれた帽子――というふざけてるのか本気なのかよくわからない状況に、読んでる側も困惑しながらも引き込まれてしまう。
そこにさらに、エドガー・アラン・ポーの未発表原稿なんてロマンあふれるアイテムまで絡んできて、謎はどんどん複雑になっていく。ふざけた事件に見えて、どこまでも本格。これがカーの怖いところだ。
フェル博士の推理スタイルも、この時点でだいぶ確立されてきていて、「あ、この人が本気出すとヤバいやつだな」っていうのがよくわかる。シリーズを読み進めていくうえでも、ここはぜひ押さえておきたい重要な一冊だ。
カー作品の中でも、怪しさ・ロンドンの空気・論理の冴え――その全部がいい感じに詰まってて、初心者にもおすすめしやすいタイプだ。フェル博士と霧のロンドンは、相性バッチリすぎる。
・登場探偵:ギデオン・フェル博士。
ジョン・ディクスン・カー 密室と怪奇の巨匠

カーの代名詞「密室殺人」とその今日的意義
ジョン・ディクスン・カーって、「密室の王者」とか「不可能犯罪の総帥」なんて呼ばれてるけど、その肩書きはまさにピッタリだと思う。ミステリという迷宮の中で、ここまで「ありえなさの美学」にガチで向き合った作家は、そうそういない。
彼がこだわったのは、とにかく「どう考えても無理だろ」って状況で、なぜか人が死んでいるってやつ。扉は閉まってる、鍵はかかってる、外に出た形跡もなし。なのに、死体がある。カーは生涯ずっと、こういう謎と本気で格闘してきた。
でも、彼にとって密室は単なるネタじゃない。ただのトリックの道具でもない。もっと深い、物語全体に張りつめた空気みたいなもので、読者の常識をひっくり返すための仕掛けだったのだ。
たとえば、雪に閉ざされた屋敷とか、誰もいないはずなのに足音が聞こえる廊下とか、鍵のかかった部屋の中で発見される死体とか。カーの描くそういう舞台に入り込むと、現実ってなんだっけ?って一瞬わからなくなる。世界が少し軋む感じ。それが、カーの物語の入口なんだ。
そしてそこから、わたしたちは論理という名の懐中電灯を手に、不可能という迷宮を歩き出すことになる。
なんでカーはそこまで「不可能」にこだわったのか? 理由はシンプルで、誰もが心の中に持ってる「なぜ?」って気持ちに、彼が誠実に向き合ったからだと思う。理解できないことを、なんとか理解したい。その思いが、彼の作品を突き動かしてた。
もちろん、カーのトリックは時々「いやいや、それはやりすぎでしょ!」ってツッコみたくなることもある。でも彼が求めてたのは、リアルさじゃなくて、「ありえないことが論理で説明できちゃう瞬間」の快感だったのだ。まさに知のマジック。
カーの密室は、そういう執念と幻想の結晶体だ。読んだあとに、胸の奥でなにかが震えるような、あの感覚。
論理と幻想のギリギリの境界線を歩く、あの奇妙でゾクっとするような世界。それこそが、カーの真骨頂だ。
カーの物語は、それ自体がひとつの魔術なのだ。
怪奇趣味と雰囲気醸成の巧みさ
カー作品のもうひとつの魅力って、なんといってもその〈雰囲気づくり〉の上手さだ。密室のトリックがすごいのはもちろんなんだけど、それと並んで「舞台の空気感」が本当に絶妙なのだ。
舞台になるのは、霧に包まれた古城とか、使われなくなった礼拝堂とか、時間が止まったような古い屋敷とか。しかも、そこに出てくるのが幽霊の言い伝えだったり、魔術師の呪いだったり、吸血鬼の伝説だったりするんだからたまらない。
ドロシー・L・セイヤーズも「カーは、明るくて人工的な舞台から、外の暗い世界へ私たちを連れていける作家だ」って言ってたけど、ほんとその通りだと思う。
カーは、ちょっとした形容詞や仕草だけで、普通の部屋を一気に不穏な場所に変えてしまう。空気が止まったような感覚とか、時計の音がやけに大きく響く感じとか、「あ、これヤバいかも」って思わせるのがうまいのだ。
でも、それって単なるホラー演出じゃない。そういう怪奇趣味は、事件の構造そのものとリンクしていて、読者の頭の中をかき乱してくる。たとえば、密室で見つかる死体と、近くでささやかれる吸血鬼の伝説。この時点でこっちはもう「これは人間の仕業じゃないな…」って思い込んでしまう。
幽霊か? 人か? どっちなんだ?って疑いながら読んでるうちに、気づけば論理よりも「異界」のほうに心が引っ張られていく。これがカーの魔力だ。
で、最後にそれがガラッと反転する。ありえないはずの現象が、論理のひとつひとつで全部説明される。しかもその説明を聞いて「うわ、やられた」って思わせてくれるのがすごい。
読者は、想像力をまるごと作者の手のひらで転がされてたことに気づいて、「あぁ、これがカーの罠か」ってニヤリとすることになる。
カーにとっての〈雰囲気〉ってのは、単なる背景じゃない。読者との知的なかけひきを盛り上げるための、超重要な装置だったのだ。
まるで舞台に張られた美しい帳(とばり)みたいに、光と影を操る魔術師みたいに、彼はミステリという舞台をドラマチックに彩っていった。その巧みさが、今もなおカーの作品を特別な存在にしてるんだと思う。
読者への挑戦 「フェアプレイ」の精神とパズルゲーム
ミステリの黄金時代において、ひとつの美徳として重んじられてきた理念、それが「フェアプレイ」だ。
つまり、探偵と読者が同じ立場で謎解きに挑めるように、作者はちゃんと必要なヒントを物語の中に出しておかなきゃいけない。で、読者もそのヒントをもとに、自分なりに推理して楽しめる。それがこのジャンルの「お約束」ってわけだ。
ジョン・ディクスン・カーも、もちろんその精神には一定の敬意を払っていた。でも、彼の作るトリックって本当にぶっ飛んでて、物理法則を軽く無視したように見えることもあるから、「これはフェアじゃないんじゃないか?」って疑われることもしばしばだった。
たとえば『曲がった蝶番』のアレ。あの仕掛けは実際にできるのか?って考えると、「いや、さすがに無理あるでしょ」って感じる読者もいたみたいだ。
でも、それでもなお、カーがこれだけ長く支持され続けてるのは、彼の考える「フェアさ」ってものが、単なる「ヒントを出す/出さない」って話にとどまってないからなんだ。
カーにとっての推理って、「なぜ事件が起きたか」よりも、「どうやってそれが可能になったのか」を追いかけることに価値があった。動機よりも構造。内面よりもトリック。そういうタイプの作家だった。
登場人物の心理を深掘りするような物語じゃなくて、むしろ論理の迷宮を舞台にした、知的なパズルゲーム。そこでは、読者もちゃんと挑戦者のひとりとして扱われてるんだ。
実際、あのアガサ・クリスティですら、「最近は私を驚かせるミステリは少ないけど、カーの小説はいつもそうなのよ」って言ってたくらい。要するに、カーのプロットってのは、そんなレベルだったわけだ。
カーが考える「フェアプレイ」って、リアルにできるかどうかじゃなくて、「物語の中でちゃんと筋が通っているかどうか」。世界のルールさえ守っていれば、どんなに突拍子もない結末だってOKって考えだった。
むしろ、そこまで大胆なオチを、読者の目の前に最初から全部置いていたヒントだけで導き出せる。だからすごい。だからフェア。
そうして、いったんバラバラに見えていたピースが、最後の最後に「そういうことか!」って一枚の絵に変わる。その瞬間のカタルシスって、本当に気持ちいい。
「まさか、それで繋がるとは…!」って笑って、唸って、うなるしかない。あれこそが、カーが読者に仕掛けた最高のプレゼントだったんだと思う。
謎解きって、こんなに美しくて、楽しくて、気持ちいいものだったのか。そう思わせてくれる瞬間が、カーの小説には詰まっている。
二大名探偵 ギデオン・フェル博士とヘンリー・メリヴェール卿
ジョン・ディクスン・カーの作品世界の魅力を語る上で欠かせないのが、彼が生み出した二人の個性的な名探偵、ギデオン・フェル博士とヘンリー・メリヴェール卿だ。
彼らはカーの異なる作風を体現しつつ、共に不可能犯罪の謎に見事な解決をもたらす。
ギデオン・フェル博士 (Dr. Gideon Fell)

ギデオン・フェル博士。
その名前を聞くだけで、濃霧のロンドンの街角が浮かんできそうだ。どこか懐かしいようで、でも近づくにはちょっと勇気がいる、そんな巨人みたいな存在である。
肩書きは歴史学者だが、彼が扱うのは古文書だけじゃない。むしろ、密室殺人とか、幽霊の仕業にしか思えないような奇怪な事件のほうが得意分野だ。そういう、ありえなさそうな事件に、ズバッと論理で切り込んでくる。
そのビジュアルもインパクト抜群だ。蓬々とした髪に、もじゃもじゃの髭。大きな体にリボンつきの眼鏡をかけて、なんと杖を2本ついて歩く。あのG・K・チェスタトンをモデルにしたとも言われていて、部屋に入ってくるだけで、まるで本棚がひとつ歩いてきたみたいな存在感を放つ。
けれど、この博士、ただの堅物じゃない。ビールが大好きで、メロドラマやドタバタ喜劇なんかも平気で楽しむ。話してみると、意外と親しみやすくて、温厚で、気取ったところがない。初対面の人でも、いつの間にか打ち解けてしまうほどの人懐っこさがある。
でも、事件が起きると、その雰囲気は一変する。
椅子にどっかり腰を下ろしたまま、周囲の誰も気に留めなかった小さな言葉や、見落とされていた手がかりを拾い上げていく。その姿は、まるでどこか抜けてそうに見えて、実はとんでもない知性を隠し持っていた――みたいなキャラそのもの。気がついたときには、フェル博士だけが全てを見通していた……なんて展開も珍しくない。
おまけに、「アテネの執政官たちよ!」なんて叫びを唐突にあげる。何それ?ってなるが、これは博士が真相にたどり着いたときに出る決めゼリフみたいなもの。ここから怒涛の謎解きタイムが始まるのだ。
フェル博士って、ただの謎解き役にとどまらない。カー作品に漂う怪奇や不安を、知性と人間味でやわらかく包み込むような存在で、読んでいる側にとっても、ほっとできる灯りのようなキャラクターだ。
密室、幻影、怪談じみた事件がうずまく中で、フェル博士はいつだって合理の光を差し込んでくれる。
そう、彼はミステリという暗い森において、一番信頼できる知性の案内人なのだ。
ヘンリー・メリヴェール卿 (Sir Henry Merrivale, H.M.)

ヘンリー・メリヴェール卿―― 通称H・M。
この人、ミステリ界における異端の道化師でありながら、真実を暴く審判者でもあるという、なんとも二面性の強い探偵だ。
ジョン・ディクスン・カーがカーター・ディクスン名義で描く作品群において、H・Mはまさに異彩を放つ存在だ。登場した瞬間から空気がガラッと変わる。お堅い推理劇の中にズカズカと割り込んできて、常識も格式もぶち壊しにするくせに、気がつけば事件の核心に手を伸ばしているのだ。
肩書きだけ見れば、なんとも立派。かつては陸軍省の情報部長、医師の資格もあれば、法廷弁護士としての経験もある。まるで国家が作った万能おじさんみたいなスペックの持ち主だ。
なのにその見た目が、いい意味で期待を裏切る。ハゲ頭に厚い眼鏡、火がついてない葉巻をくわえながら、「バーン・ミー!(チクショーめ!)」と叫ぶのが口癖。椅子にどかっと沈み込んでは、冗談なのか本気なのか分からないような文句をぶつぶつ言ってる。
でも、ここがポイントだ。H・Mの本当のすごさは、そういうふざけた感じの奥にある。わざと騒いだり、相手をイラッとさせたりすることで、場の空気をかき回し、真実が浮かび上がる瞬間を作り出している。つまり、あの騒々しさも全部計算なのだ。
で、事件の本質に迫るときのH・Mは本当にかっこいい。あれだけガサツに見えて、実はめちゃくちゃ頭が切れるし、人情味もある。知性と人間臭さのバランスが絶妙で、読み手はいつの間にか彼のペースに巻き込まれていく。
「わしの古い帽子にかけても!」なんて叫ぶたび、イギリスの古い屋敷とか、霧のかかった庭園とか、あの本格ミステリらしい景色が脳裏に浮かぶのも不思議だ。
初期のH・Mはもう少し静かで、どちらかというと陰の知将っぽかった。でもシリーズが進むにつれてどんどん騒々しくなり、今や毒舌とユーモアの塊。なのに、そのど真ん中にある謎を見抜く目だけはブレない。
ギデオン・フェル博士が「沈黙の知性」なら、H・Mは「騒がしさの奥にある真実」。この2人、まるで正反対のようで、どこか通じ合っている探偵像の二極とも言える。
H・Mという男は、常識をぶっ壊す自由人だ。でもだからこそ、誰よりも遠くまで、深くまで事件の本質を見通せる。
おふざけに見えて、真実にはとことん真剣。そんなトンデモ親父こそが、ヘンリー・メリヴェール卿なのだ。
密室の巨匠が生んだ二人の名探偵
ギデオン・フェル博士とヘンリー・メリヴェール卿。
このふたりは、「単なる謎を解く探偵」なんて肩書きじゃ足りない存在だ。
彼らは、ジョン・ディクスン・カーという作家の中にある、まったく異なるふたつの側面、知的で重厚な一面と、破天荒でコミカルな一面を、それぞれの形で体現している。いわば、カーという人物の創作エンジンを両側から支える両翼みたいな存在だ。
フェル博士は、書斎の奥にこもって、ビール片手に古文書を読みふけってそうな、いかにも哲学者っぽい佇まい。事件に出くわしても慌てず騒がず、古の伝承や神話まで引っ張り出して真相に迫っていく。そのスタイルは、まるでG・K・チェスタトンやサミュエル・ジョンソンを思わせる重厚さがある。
一方のH・M(ヘンリー・メリヴェール卿)は真逆だ。騒がしい、下品、文句ばっかり。でも、やるときはやる。火のついてない葉巻をくわえてブツブツ言いながら、いつの間にか事件の核心をつかんでる。ふざけたオジサンのくせに、マイクロフト・ホームズばりの知性と、チャーチル並みの押しの強さ、そしてウッドハウスやローレル&ハーディの喜劇的センスまで持っているという、とんでもないキャラクターだ。
カーは、ディクスン・カー名義のときはフェル博士を使って、幻想と論理のあいだを揺れ動くような、ミステリアスで重厚な迷宮を描いた。
一方、カーター・ディクスン名義では、もっとスピード感があって、舞台劇みたいな構成の中で、H・Mを暴れさせた。言ってみれば、同じ素材を使ってクラシックとジャズを弾き分けてるようなものだ。
フェル博士が霧の中で囁くように事件の謎に迫っていく一方、H・Mはドカドカと舞台に乗り込んできて、怒鳴りながら真実を引っ張り出してくる。この対照的なスタイルが、逆にふたりに共通する「不可能を論理でぶった斬る力」を強く印象づけてる。
どっちが上とかじゃない。どっちもすごい。
ページの中に彼らが現れるたび、思い知らされるのはたったひとつのこと――
「不可能」は、知性と遊び心の前では、こんなにもあっさり崩れ落ちるんだ、ってことだ。
カー作品をさらに楽しむために

ジョン・ディクスン・カーの作品群は、単なる謎解きの面白さを超えた、奥深い魅力に満ちている。
その世界をより深く味わうために、いくつかの視点を提供したい。
カーを読むということ 論理の迷宮と怪奇のロマン
ジョン・ディクスン・カーの小説を読むってことは、単なる「犯人当て」じゃなく、もっと深い知的な旅に出かけるようなもんだ。
それは、カーが綿密に仕掛けた論理の迷路に、自分の足で踏み込んでいく体験でもある。読者は「答えを聞かされる人」じゃない。むしろ、同じ土俵で勝負を挑まれてる立場なのだ。
密室、消失、足跡のない殺人――どう考えても無理ゲーみたいな状況が次々と現れるけど、読み進めていくうちに、そのありえなさが理屈でピタッと説明される瞬間がくる。その瞬間の快感といったら、もうたまらない。まさに「謎」と「解決」がガッチリ噛み合った瞬間で、思わず「うわ、やられた!」って叫びたくなる。
カーの作品って、そういう気持ちよさが詰まってる。しかも、そこに漂う怪しげな雰囲気がまたクセになるのだ。
曰く付きの屋敷、呪われた家系、どこからか聞こえる足音。そんなオカルト味のある背景が、物語全体に不気味で幻想的な空気を与えてる。でも、それがただの飾りじゃなくて、ちゃんとロジックの中に組み込まれてるのがカーのすごいところだ。
読んでる側は「幽霊の仕業かも」って一瞬思っちゃうけど、最後にはきっちり論理で片がつく。そこがまた面白い。理屈だけじゃない、でも理屈から逃げない。このバランス感覚が、カーの真骨頂だ。
彼の書く謎ってのは、単なるクイズじゃない。読みながら、頭の中で「これってどういうこと?」「なぜ?」って何度も考えさせられる。そのたびに、自分が物語の中に引きずり込まれていく。気づけば、もう戻れない。
で、最後にはしっかり驚かされる。どんでん返しあり、伏線回収あり、全部がビシッと決まって、「読んでよかったなあ」って素直に思える。
カーの小説は、まさに驚きの装置だ。
後世への影響と日本ミステリとの響き合い
ジョン・ディクスン・カーって作家が推理小説にもたらした影響って、単なる流行の一過性のものじゃない。あれはもう、文学の構造そのものを揺るがす地殻変動みたいなものだった。
とくに彼が得意とした「不可能犯罪」――たとえば密室殺人、人間の消失、透明人間のようなありえない状況――あれはまさに奇蹟としか言いようがない。しかも、そのトリックがただ奇抜なだけじゃなくて、論理的にめちゃくちゃ精密にできている。
で、舞台は霧の立ち込める古城だったり、亡霊伝説がささやかれる村だったり。そんなおどろおどろしい雰囲気の中で、理屈がビシッと決まるのがたまらない。
このカーの作風は、日本でもドンピシャで受け入れられた。特に本格ミステリってジャンルを大切にしてきた日本では、ただの輸入品じゃなく、もう文化として根づいちゃったレベルだ。
その立役者の一人が、江戸川乱歩。彼はカーの代表作『三つの棺』の「密室講義」に感動して、それをきっかけに『類別トリック集成』って評論を書いた。つまりカーの小説は、ただ楽しむだけじゃなくて、推理小説の教科書としても読まれてたってことだ。
さらに1980年代から90年代には、「新本格」の時代がやってくる。島田荘司を筆頭に、綾辻行人、有栖川有栖、法月綸太郎、我孫子武丸……そうそうたる顔ぶれが、カーのDNAをガッツリ受け継いで、そこに現代的なアレンジを加えて、まったく新しい本格ミステリを作り出していった。
カーの魅力って、やっぱりその「過剰さ」と「遊び心」にあると思う。
めちゃくちゃ大胆なトリック、吸血鬼とか幽霊とか出てきそうな怪奇趣味、でもそれらすべてが最終的には論理で説明されるっていうこの構造、まさに日本人が大好きな「幻想と理性のせめぎ合い」なのだ。
乱歩が最初に追い求めていた「エロ・グロ・ナンセンス」の世界観とも、実はかなり近い。
カーは、読者の常識をぶっ壊して、「こんなこと現実に起きるわけがないでしょ」って思わせながら、それをちゃんと理詰めで説明してくる。だからこそ、日本では単なる「外国ミステリの巨匠」なんかじゃなくて、「自分たちのルーツの一部」みたいな存在になってるのだ。
今でも日本のミステリ小説を読むと、「あ、この感じ、カーっぽいな」って思う瞬間がけっこうある。
そういう意味でも、カーって作家は「密室の王様」なんて一言で片づけちゃいけない存在だ。
彼が書いたのは、幻想のなかにある真実であり、論理で包まれた夢だった。
そしてその密室の扉は、これからも何度でも、音を立てて開かれていく。
おわりに

ジョン・ディクスン・カーという作家は、ほかの誰にも真似できない発想力と語りのうまさで、「不可能犯罪」というジャンルを、ただの謎解きじゃなく、ひとつの芸術みたいな域にまで押し上げた存在だった。
彼の作品って、読むたびに違う角度から光を放ってくるし、何度読み返しても、また新しい驚きや興奮をくれる。
論理で構築された迷宮の中に、怪奇や幻想がしれっと混じり込んでいて、そのバランスが絶妙。だからこそ、時代が変わっても、まったく色褪せない。
今回紹介した10作品は、そんなカーの世界の、ほんの入り口に過ぎない。
もしあなたがその扉を開けて、さらに奥へと進んでみたら、そこにはきっと、あなただけの「驚き」が待っているはずだ。
論理と幻想が肩を並べて歩く、不思議な読書の旅。
ぜひその世界に、あなた自身の推理と想像力を持って、飛び込んでみてほしい。
カーの物語は、それに応えるだけの仕掛けと楽しさに、きっと満ちているから。