「読書って、こんなに面白かったんだ!」
伊坂幸太郎(いさか こうたろう)の小説を初めて読んだとき、多くの人がそう感じるんじゃないだろうか。
軽妙な会話、魅力的なキャラたち、そして最後に必ずと言っていいほど待っている見事な伏線回収。どの作品にも独特のテンポがあって、気づけばページをめくる手が止まらなくなっている。
舞台はたいてい現代日本、しかも仙台が多いのも伊坂作品の特徴だ。でもその日常のなかに、ふと現れる不思議な偶然やちょっとした奇跡。そういうものが、現実と虚構のあいだをふわっと行き来させてくれる。
犯罪と哲学が同時に語られたり、生と死が並んで語られてたりするのに、読後感はやたら爽やかで、あたたかい。そういう不思議な読書体験をくれるのが、伊坂幸太郎という作家だ。
とはいえ、作品数がかなり多いから「どれから読めばいいの?」って迷う人も多いはず。初期の代表作から、実験的な近年の長編、さらっと読める短編集まで、ジャンルもトーンもいろいろあって、それぞれにちゃんと違う顔がある。
というわけでこの記事では、伊坂作品が初めての人にも、すでにハマってる人にもおすすめできる「まずはこれを読んでみて!」という名作15冊を厳選して紹介していく。
あなたの“好き”にぴったりハマる一冊が、きっと見つかるはずだ。
1.『アヒルと鴨のコインロッカー』
大学進学のため仙台へ引っ越してきた椎名は、アパートの隣人でどこか掴みどころのない青年・河崎と出会う。河崎は椎名に「一緒に本屋を襲って広辞苑を奪おう」と、突拍子もない計画を持ちかける。
その奇妙な計画の裏には、二年前に河崎とその恋人・琴美、そして心優しいブータン人留学生ドルジが関わった、ペット連続殺傷事件にまつわる悲しくも切ない出来事が隠されていた。
物語は、椎名が河崎と行動を共にする現在の出来事と、ドルジたちが経験した過去の事件が、ボブ・ディランの歌を背景にしながら交互に描かれ、やがて二つの時間軸が交差し、衝撃的な真相へと収束していく。
現在と過去が織りなす巧妙なミステリー
物語の始まりは、いきなりこんな一言から。
「一緒に本屋を襲わないか」
え? 何それ? と言いたくなるような台詞だけど、これが物語のスタート地点だ。
大学進学のために仙台に引っ越してきた椎名は、隣人の青年・河崎からこのとんでもない計画を持ちかけられる。唐突で不条理で、なぜか笑える。でも、そこから始まるこの話は、いつの間にかずっしりと深いところへと進んでいく。
この小説は、現在と過去、二つの時間軸が交互に切り替わりながら進む構成になっている。現在の椎名の視点、そしてもうひとつは、二年前に起きたペット連続殺傷事件をめぐる過去の出来事。
その過去の物語には、河崎や彼の恋人・琴美、心優しいブータン人留学生のドルジが関わってくる。一見すると関係なさそうな二つの話が、伏線とともに少しずつ繋がっていき、最終的にはひとつの真実へと収束していく。
その展開はまさにミステリー的で、見せ方も鮮やかだ。伏線の張り方も、回収の仕方も、かなり巧い。気づけば「え、そう繋がってたのか……!」と唸らされる仕掛けが待っている。
音楽が染み込む記憶と、見えない境界の存在
この作品のなかには、ずっとボブ・ディランの音楽が流れている。とくに「風に吹かれて」の旋律が印象的で、登場人物たちの心の奥にそっと寄り添ってくる。
異国で暮らすドルジが抱えている孤独や、周囲の偏見、小さな優しさ。そういった感情に、ディランの歌がふわりと重なって、なんとも言えない切なさを残していくのだ。
タイトルにもなっている「アヒルと鴨」の違いって、実際にはそんなに大きくない。でも、人と人のあいだには、ほんのわずかな違いが、どうしても越えられない壁になってしまうことがある。言葉、国籍、過去のトラウマ。そういう見えない境界線にぶつかるたび、わたしたちは「どこまで他人の痛みに近づけるのか?」って問いかけられてる気がする。
とはいえ、そこはやっぱり伊坂作品だ。全体には軽妙な会話やユーモアもたっぷり散りばめられてる。明るいやり取りに思わず笑わされる瞬間もあるけど、その裏側にはちゃんと「死」や「喪失」っていう影が潜んでる。笑いと哀しみのバランス、その絶妙なさじ加減は、さすがとしか言いようがない。
「生きるのを楽しむコツは二つだけ。クラクションを鳴らさないことと、細かいことを気にしないこと」
河崎のこの言葉が、読んだあとにじんわり沁みてくるのもまたいい。
何気ないひとことが、人生の余白をそっと照らすこともある。そんなささやかな真実に、ふと気づかされるような小説だ。
2.『砂漠』
仙台の大学に入学した五人の男女。クールで物事を鳥瞰しがちな北村、情熱的で時に奇矯な言動を見せる西嶋、超能力を持つと噂される南、ミステリアスな魅力を持つ東堂、そして活発な鳥井。
彼らは、麻雀、合コン、ボウリングといったごく普通の大学生活を共有する中で出会い、友情を育んでいく。
しかし、彼らの日常は、空き巣騒動、連続通り魔事件、学内での超能力騒動といった非日常的な出来事によって、時に波乱に満ちたものとなる。
物語は、彼らが「社会という砂漠」へと踏み出す前の、貴重なモラトリアム期間である四年間を、春・夏・秋・冬の季節の移ろいと共に描き出す。
それぞれの葛藤、成長、そして仲間との絆が、瑞々しくも力強く綴られる青春群像劇。
「砂漠に雪を降らせる」青春の奇跡
大学生活って、ある意味「猶予期間」みたいなもんかもしれない。社会に出る前の、宙ぶらりんな時間。大人になりきれないまま、でも子どもでもいられない。そんな揺らぎと模索の季節だ。
伊坂幸太郎の『砂漠』は、仙台の大学に通う五人の学生たち――北村、西嶋、南、東堂、鳥井――が過ごす四年間を、春夏秋冬のリズムとともに描いていく物語だ。
語り手は、少し冷めたタイプの北村。そこに、情熱家の西嶋、ミステリアスな東堂、ムードメーカーの鳥井、そして「超能力があるらしい」と噂される南が加わって、それぞれのキャラがぶつかり合いながらも、なんだかんだで絆を深めていく。
麻雀したり、合コン行ったり、ボウリングしたり。そんななんでもない日々の出来事が、気づけば特別な記憶になっていく。それぞれが少しずつ変わっていって、それでも何かがちゃんと残る。
そんな大学の四年間が、この小説には詰まっている。
若さと正義が交差する非日常
この物語の面白いところは、大学生活というゆるい日常のなかに、空き巣や通り魔事件、さらには学内での超能力騒動なんていう非日常が、すごく自然に入り込んでくるところだ。
唐突に思えるような出来事でも、読んでいると「まあ、ありえるかもな」って納得させられてしまう。
事件に巻き込まれた仲間のために全力で動く彼らの姿には、どこかまっすぐな「正しさ」と「信念」が息づいている。それがいかにも青春って感じで眩しい。
なかでも西嶋の存在は群を抜いてる。突拍子もないことばかり言っては周囲を振り回すけど、「その気になれば、砂漠に雪を降らせることだってできる」っていうあのセリフには、若さ特有の無謀さと、それでもどこか希望を信じてる強さが詰まっている。
理想とか正義を本気で語る姿が、痛々しくもあって、同時にめちゃくちゃカッコいいのだ。たぶん、ああいう熱を自分たちがもう忘れてしまったからこそ、胸にくるんだと思う。
そして物語は、卒業というひとつの終わりを迎える。彼らはそれぞれ社会へと旅立っていく。タイトルにもなっている『砂漠』って言葉が、現実の厳しさとか孤独を象徴してるのは明らかなのだけど、それでも、あの四年間に育まれた友情や信頼は、ちゃんと彼らのなかに残ってる。
「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」
作中で学長が語るこの言葉が、読み終えたあとも妙に心に残る。
ページを閉じたあと、自分の学生時代をふと思い出したくなるような、そんな温かくて切ない読後感が、この作品にはあるのだ。
3.『オーデュボンの祈り』
コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、意識を取り戻すと、江戸時代以来外界から隔絶された「荻島」という奇妙な島にいた。
島には嘘しか言わない画家、殺人が「島の法律として」許された男、そして人語を解し未来を予知するというカカシ「優午」など、個性的な住人たちが暮らしている。
ある日、未来を見通せるはずの優午が無残にもバラバラにされ、頭部を持ち去られるという事件が発生する。カカシはなぜ自らの死を回避できなかったのか。
伊藤は、優午が遺した「オーデュボンの話を聞きなさい」という言葉を手掛かりに、島の謎と事件の真相に迫っていく。
「未来を知るカカシ」が殺された島で
偶然のようで、でもどこか運命めいた導きに背中を押されるようにして、伊藤はその島にたどり着く。
コンビニ強盗に失敗し、逃走中に気を失った彼が目を覚ましたのは、外の世界から完全に断絶された島「荻島」。文明とは切り離されていて、まるで江戸時代みたいな暮らしを守り続けている不思議な場所だ。そこには、クセの強い住人たちが当たり前のように暮らしていた。
そして、その中には“未来を見通すカカシ”――優午(ゆうご)という存在がいた。言葉を話し、人の心を読み、なぜか島民からはとても慕われていたカカシ。でもある日、その優午が殺され、頭部まで持ち去られるという衝撃的な事件が起こる。
未来が見えるはずのカカシが、なぜ自分の死を避けられなかったのか? この矛盾が、物語の中心にどっしりと横たわる謎になっている。
優午が残した「オーデュボンの話を聞きなさい」という謎めいた言葉を手がかりに、伊藤は島の真実、そして事件の真相へと少しずつ踏み込んでいく。
ありえない設定のはずなのに、なぜかリアルに感じられる世界。ユーモアと不条理、社会批評と幻想。現実から少しだけずれた場所にあるこの島で、物語はふわふわと現実と夢のあいだを漂いながら進んでいく。
カカシと詩人と嘘つき画家が語る真実
荻島に暮らす人たちは、全員がどこかぶっ飛んでる。嘘しかつかない画家に、人の話をあまり聞かないヤツ、殺人を許された男……設定だけ見るとトンデモないけど、それぞれの言動には奇抜さと同時に、人間らしさの滑稽さとか、ちょっとした哀しさが滲んでくる。
そして物語の終盤で明かされる「欠けているもの」。それが意味するのは、単なる謎解きの答えじゃない。むしろ、人間がいつの間にか置き去りにしてきた“何か”の象徴みたいなものだ。
自然と一緒に生きることとか、言葉にならない悲しみとか、本当は守るべき大切なもの。そういった感覚が、物語のあちこちにやわらかく編み込まれている。
優午の残した「オーデュボンの話を聞きなさい」って言葉。実はこれ、かつて実在した博物画家オーデュボンと、絶滅してしまったリョコウバトにまつわる話に繋がっていく。そんな史実が、この不思議なフィクションとピタッと重なることで、物語そのものが現実を照らす“光”みたいな存在になっていくのだ。
デビュー作の時点で、すでにあの伊坂ワールドがしっかり出来上がっている。軽妙なのに知的で、物悲しくて、それでもどこかにちゃんと希望がある。
人は何を失って、何を祈って生きていくのか。そんな問いかけが、この物語の奥底にはずっと息づいていて、読んだあともずっと胸に残るような一冊だ。
4.『ゴールデンスランバー』
平凡な宅配ドライバーの青柳雅春は、ある日、旧友からの不可解な連絡で呼び出された直後、仙台市内で行われていた首相凱旋パレード中の爆破事件に遭遇する。
そして、何者かの巨大な陰謀によって、身に覚えのない首相暗殺の濡れ衣を着せられ、全国指名手配犯として追われる身となってしまった。
警察による執拗な追跡、マスコミによる一方的な犯人扱いの報道、そして街中に張り巡らされた監視システム「セキュリティポッド」。
絶体絶命の状況の中、青柳はかつての恋人、大学時代の友人、そして見ず知らずの人々の善意や信頼に支えられながら、自らの無実を証明するため、孤独な逃亡劇を繰り広げる。
巨大な陰謀と孤独な逃走劇のスリル
首相暗殺なんてとんでもない大事件が起きたその日、青柳雅春はただ、昔の友人に呼び出されただけだった。仙台の街を、いつも通り歩いていただけ。なのに気がつけば、彼はその事件の「犯人」にされていた。
何が真実で、誰が味方なのかすらわからない。説明するヒマもなく、マスコミには顔を晒され、警察には執拗に追われる。街中に張り巡らされた監視カメラの目が、どこまでも彼を追ってくる。まるで、透明な檻の中を逃げ回っているような逃走劇だ。
でも、青柳はひとりじゃなかった。
かつての恋人、大学時代の友人、そして何気なく交わした会話や小さな親切―― そんなかつての積み重ねが、今になって彼を助ける手になり、逃げ道となって広がっていく。
「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」
この物語の中で何度も繰り返されるこの言葉は、そのまま青柳自身の生き方を表している。彼はスパイでも英雄でもない。特別なスキルなんて何もない、ごく普通の青年だ。
だけど、普通のなかに信頼があった。笑い合った時間、さりげない気遣い、覚えてないくらい些細なやりとり。そういう積み重ねが、彼の背中を押し続ける。
逃げるという行為が、ただの逃避じゃなく、生きようとする力に変わっていく。そして生きることは、誰かとつながることでもあるのだ。
伊坂幸太郎は、このスリリングな逃亡劇の中に、そんな静かな真実を丁寧に忍ばせている。派手な事件の裏側で描かれるのは、人と人との信頼の物語だ。
舞台となる仙台の街も、どこか異なる角度から描かれていて、見慣れた風景が別の顔を見せてくる。青柳が走る道は、そのまま、私たちが暮らす日常と地続きなんだと感じさせてくれる。
「信じてみること」
「つながってみること」
そんなささやかな行為が、時に想像以上の力を持つこともある。
『ゴールデンスランバー』は、スリルと優しさが同居する物語だ。
読んだあとに残るのは、ほんの少しの感動と、そっと胸に灯るやわらかな希望だ。
5.『逆ソクラテス』
子どもの目が照らし出す、大人の世界のほころび
伊坂幸太郎の短編集『逆ソクラテス』は、子どもたちのまっすぐな目線から、大人の世界をちょっぴり斜めに見つめ直す、5つの物語が詰まった一冊だ。
デビュー20周年の記念作として書かれたこの本には、「大人が言うことがいつも正しいのか?」っていうシンプルだけど本質的な疑問が、そっと込められている。子どもだからこそ持てる視点で、大人たちの正しさにちいさな「本当?」をぶつけていく。
表題作の『逆ソクラテス』では、思い込みで生徒を型にはめようとする先生に対して、子どもたちがとある作戦を仕掛ける。「カンニング」というテーマを通して、「見た目や過去だけで人を判断しちゃいけない」というメッセージが、自然に浮かび上がってくる。
他にも、足が遅いのにリレー選手に選ばれた少年の心の揺れを描いた『スロウではない』や、スポーツマンシップって何? という問いに真正面から向き合う『アンスポーツマンライク』など、どの話にも小さな革命がちゃんと息づいている。
押しつけがましくなく、優しくて、でも芯はまっすぐ。そんな伊坂節が、子どもたちの視点とぴったり重なっていて、読んでいてとても心地いい。忘れてた何かを、そっと思い出させてくれるような短編集だ。
先入観をくつがえす、小さな知恵と勇気
『逆ソクラテス』に共通しているのは、子どもたちが大人の社会にそっと挑んでいく姿だ。
大声を出すわけでもなく、怒りをぶつけるわけでもない。でも、自分の中の「なんか変だな」っていう違和感にちゃんと向き合って、それを希望に変えていこうとする。
たとえば、先生の何気ない一言に「それって本当に正しいの?」と立ち止まってみたり、誰かが仲間外れになりそうなときに、迷わず手を伸ばしたり。そういうささやかな行動が、大人たちが作った正しさに風穴をあけていく。
伊坂幸太郎の文章は、ユーモアと優しさがちゃんとあって、どこか詩みたいなリズムもある。子どもたちの会話は軽やかで笑えるのに、ふとした瞬間に胸に刺さるような痛みが混じっていて、そこにリアルな温度が宿っているのだ。
伏線の回収も相変わらずお見事で、「あのときのあれ、ここで繋がるのか!」って気持ちよさも健在。さすが伊坂作品、って思わされるストーリーだ。
物語のなかで子どもたちは、時にとんでもない方法で、大人たちの凝り固まったルールや価値観をぐらっと揺らしてくる。でもそれは決して荒唐無稽なことじゃなくて、日常の延長線上にちゃんとある「小さな奇跡」だ。
『逆ソクラテス』は、子どもが主人公だけど、子どもだけのための物語じゃない。むしろ、大人になった自分たちがどこかに置き忘れてきた感覚を、そっと思い出させてくれる。
読み終わったあと、ほんの少し世界の見え方が変わる、そんなやさしい逆転をくれる物語だ。
6.『ガソリン生活』
望月家の愛車である緑色のデミオ、通称「緑デミ」が語り手を務める、伊坂幸太郎ならではのユニークな長編ミステリー。
緑デミは人間の言葉を理解し、他の車たちと排気ガスを通じて会話を交わすことができる。ある日、望月家の聡明な次男・亨と、のんびり屋の長男・良男が運転する緑デミに、一人の女優が同乗する。
しかし、その女優が翌日謎の死を遂げたことから、望月家は予期せぬ事件の渦中に巻き込まれていく。
人間たちには窺い知れない車たちの世界では、情報が飛び交い、持ち主への忠誠心や心配が語られる。
そんな車たちの視点を織り交ぜながら、女優の死の真相、長女の恋人にまつわる騒動、亨の学校での問題など、望月家が直面する複数の出来事が、やがて驚くべき形で一つの線へと収束していく冒険譚が展開されていく。
車が語る、家族と謎と愛すべき日常
伊坂幸太郎の『ガソリン生活』は、他にはないタイプの語り手が物語を進めていく。
主人公、というか語り手は、人間じゃない。望月家の愛車、緑色のデミオ。通称「緑デミ」。なんとこの車、人間の言葉を理解できて、排気ガスを使って他の車と会話するという、めちゃくちゃユニークな存在だ。
ある日、望月兄弟が緑デミを運転してると、ひょんなことから一人の有名女優を乗せることになる。そしてその翌日、彼女が不可解な死を遂げる。そこから、家族に次々といろんな出来事が降りかかってくる。
女優の死の真相、長女の恋人をめぐるゴタゴタ、次男の学校トラブル―― それら全部が、緑デミの車目線でひとつの物語になっていくのだ。
登場する車たちは、エンジン音を通じて会話し、車輪の数でマウントを取り合い、渋滞中に哲学を語る。だけど、ふと気づくと、人間よりも人間らしい目線で、世の中のことを見つめてたりするのが面白い。
人間じゃないからこそ見える、変なルールとか、どうしようもない感情とか、ささやかな優しさとか。そんなものを、クスッと笑わせながら、じんわり刺してくるのが伊坂流だ。
緑デミという存在を通して描かれるのは、ちょっと不思議で、でも確かにリアルな、人と人との関係の物語だ。
心温まる家族愛と「相棒」としての車
この作品で特に魅力的なのは、車たちのユーモアと個性、そして人間に対するやさしいまなざしだ。
車たちはそれぞれ、持ち主のことをちゃんと見ていて、誇らしげに語ったかと思えば、時には軽く呆れてみせたりもする。でもなんだかんだで、みんなそっと寄り添ってるのが伝わってくる。
たとえば、ある高級車が「車輪の数が多いほうが偉いんだよ」と言い出せば、ミニバンが「でもさ、家族連れに選ばれるのはオレたちだぜ」とボヤく、そんな軽妙な掛け合いが続いていく。まるで道路の端っこに並んでる車たちが、こっそり会話してるのが聞こえてきそうな感覚だ。
セリフのはしばしからにじみ出る、持ち主への忠誠心とか優しさがあって、それに触れるたびに心がほぐれていく。車ってただのモノじゃないんだな、って思わせてくれるのだ。
そして、語り手である緑デミが見つめる望月家の姿にも、あたたかさがしっかり描かれている。女優の死という事件をきっかけに物語は動き出すんだけど、そこに流れる空気はどこか穏やかでユーモラス。家族という小さなチームの営みが、毎日一緒に走る車の存在によって、さらにやさしく支えられているのかもしれない。
バラバラに見えた出来事や人物たちが、伊坂幸太郎お得意の伏線と見事な回収によって、ラストにはきれいに一本の線に繋がっていく流れは本当に見事。
そして何より、数ある伊坂幸太郎作品の中でもトップクラスの「読んでよかった」という読後感の良さだ。読み始めた時からは想像もしていなかったレベルの、圧倒的な幸福感に包まれるラスト。これはもう、最高の一言に尽きる。
7.『ホワイトラビット』
誘拐犯の兎田、空き巣の黒澤、そして人質立てこもり事件に臨むSITの夏之目。
異なる立場の人々の視点が交錯しながら、群像劇として物語は進んでいく。兎田は、愛する妻・綿子を何者かに誘拐され、その救出のため、組織の命令で「オリオオリオ」なる人物を捜す羽目に陥る。
一方、仙台で発生した人質立てこもり事件、通称「白兎事件」の現場では、SITの夏之目が犯人との交渉にあたっている。
これらの出来事は時間軸を行き来しながら描かれ、やがて一つの真相へと収束していく。断片的な情報を手がかりに、全体像を組み立てていくパズルのような感覚を味わえる、伊坂マジックの最先端。
交錯する視点と時間軸が織りなす緊迫感
伊坂幸太郎の『ホワイトラビット』は、まるで夜空に浮かぶ星をひとつずつ辿っていくような物語だ。
登場するのは、誘拐犯の兎田、空き巣の黒澤、そしてSITの交渉人・夏之目。最初はまったく無関係に見えるこの三人の人生が、やがて一本の線でつながっていく。その線が集まって、星座みたいに大きな一枚の絵を描いていく展開がとても美しい。
物語は、兎田の妻・綿子が誘拐されるところから始まる。犯人に指示されるまま、「オリオオリオ」という謎の人物を探し出そうとするうちに、話は仙台で起きている「白兎事件」へと結びついていく。
物語の時間軸は前後に揺れて、視点も次々と切り替わっていく。読者は、バラバラに見えるピースを拾い集めながら、少しずつ全体の形を浮かび上がらせていくことになる。
視点が交錯し、時間が重なり合い、静かな感情がゆっくり広がっていく―― その流れすべてが、伊坂作品らしい軽やかな語りでまとめられていて心地いい。
心に残る人間ドラマと「星座」のような物語
この作品の見どころは、なんといっても構成の巧みさだ。
複数の視点と時間軸が入り組んでいるのに、読んでいて混乱することがまったくない。むしろ、その入り組み方が気持ちいいくらいで、ラストには全体がしっかり一つにまとまる。これぞ伊坂幸太郎の構成力、という感じだ。
そして本作には、伊坂作品には欠かせないあの男、空き巣の黒澤も登場する。飄々としていてつかみどころがないけど、実はものすごく信頼できる人物。彼が出てくるだけで、物語全体にやさしい空気が流れ込む。重くなりすぎないバランスを、絶妙に保ってくれる存在だ。
さらに、唐突に『レ・ミゼラブル』が顔を出したり、語り手がふいに読者に話しかけてきたりと、文学的な遊び心も満載。そういう小技の数々が、ただのサスペンスでは終わらない深みをこの作品に与えている。
誰が正しくて、誰が悪いのか。そんな単純な話じゃない。もっと複雑で、矛盾もあって、でも確かにそこに「生きてる人たち」がいる。そう思わせてくれる物語だ。
読み終えたあと、ページを閉じた手に、あたたかな光がほんのり残る。
『ホワイトラビット』は、静かに効いてくる優しいあと味を持った一冊だ。
8.『死神の精度』
人間の死を判定する「調査部」所属の死神・千葉。千葉は、一週間の調査期間で対象者と接触し、その死を「可」とするか「見送り」とするかを決定する使命を帯びている。彼が人間界で仕事をする間は、決まって雨が降るという特徴を持つ。
物語は、千葉が様々な境遇の六人の対象者――クレーム対応に疲弊するOL、昔気質のヤクザ、吹雪の山荘に閉じ込められた人々、不器用な恋をする青年、殺人を犯した逃亡者、そしてある秘密を抱えた美容師の老女――と出会い、彼らの人生の最終章に立ち会う姿を描く連作短編集の形式を取る。
死神の目を通して、人間の生と死、そしてその間に揺れ動く感情が、時にユーモラスに、時に切なく描き出される。
死を前にした人間たちのドラマと生の意味
死神・千葉がやってくると、なぜか雨が降り出す。
彼の仕事は変わっていて、「人間の死が実行されるかどうか」を一週間かけて見定めること。そのあいだ、千葉は対象者のそばにいて、様子を観察しながら「可」か「見送り」かを決める。
不思議で、どこか物悲しくて、でもどこかゆるい。そんな空気が彼のまわりにはいつも漂っている。
伊坂幸太郎の『死神の精度』は、そんな千葉と人間たちの出会いを描いた短編集だ。登場するのは、会社員、ヤクザ、恋に悩む若者、逃亡者、雪山の宿泊客、年老いた美容師―― まったくバラバラな6人。それぞれの人生と死のあいだにある一週間を、千葉は淡々と、そして時々トンチンカンに見つめていく。
千葉は死神だけど、人間に興味津々だ。CDショップに通い詰める音楽好きでもある。敬語で話すけど、会話は噛み合わないし、空気もまったく読まない。でもそのズレが、逆に人間側の不安定さや矛盾をハッキリ浮かび上がらせる。
死に関わる存在なのに、どこかおかしくて、でも鋭い。千葉の目線は、ある意味「死を前にした人間の本音」を見抜く鏡みたいなものなのかもしれない。
巧妙な伏線と繋がる物語の妙
それぞれの短編では、登場人物たちが「死を前にした一週間」の中で、自分の人生と向き合っていく。
過去の過ちを思い出したり、もう手が届かない未来を見つめたり、あるいは誰かを守るために小さな勇気をふりしぼったり。
「死神が出てくる話」と聞くと重そうに思うかもしれないけど、『死神の精度』はまったくそんな空気じゃない。むしろ、いつもの伊坂作品らしく軽妙で、ユーモアもちゃんとある。なのに、ふとした瞬間に胸がぎゅっとなる。笑いながら読んでいたはずなのに、物語にのめり込んでしまう。そんな読書体験が味わえる。
千葉が出した判定が、はっきり書かれていない話もある。でも読み終えたあと、不思議と心の中で答えが浮かぶ。「この人はまだ大丈夫そうだな」とか、「もう覚悟ができてたんだな」とか。その余白が、この物語の深みを作ってるのだ。
そして、物語が進むにつれて、バラバラだったエピソードが少しずつ繋がり始め、最終話では今までのすべてが新しい意味を持って立ち上がってくる。千葉という存在自体が伏線だったと気づいたとき、驚きと納得が一緒に押し寄せてくるのだ。
雨が止んだあと、死神の姿はもうどこにもいない。でも残された人たちは、それぞれの答えを胸に、少しだけ顔を上げて歩き出している。
『死神の精度』は、ただ「死」を描いた話じゃない。
「どう生きるか」をそっと問いかけてくる、生の物語だ。
9.『重力ピエロ』
泉水と春は、美しい母と優しい父を持つ兄弟。この家族は、過去に重い秘密を抱えていた。
彼らが大人になった頃、仙台市内で連続放火事件が発生する。現場近くには謎のグラフィティアートが残され、それが遺伝子の塩基配列のルールと奇妙にリンクしていることに、遺伝子情報関連の会社に勤める泉水と、街の落書き消しを専門とする春は気づく。
兄弟は、ガンで入院中の父をも巻き込み、この不可解な事件の謎解きに乗り出す。
しかし、その過程で彼らは、家族が長年抱えてきた過去の辛い出来事、春の出生に関わる衝撃的な事実、そしてそれら全てが繋がる圧倒的な真実に直面することになるのだった。
「家族の絆」と「遺伝子」という重いテーマ
「春が、二階から落ちてきた。」
そんなインパクト抜群の一文で始まるのが、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』だ。ミステリーっぽい展開で物語は進んでいくけど、本当に描かれているのは、血と絆、過去と赦しをめぐる、強くて優しい家族の話だ。
主人公は兄・泉水と弟・春。兄は遺伝子関連の会社で働いていて、弟は街に描かれた落書きを消す仕事をしている。二人とも、明るくて面倒見のいい父と、美しい母に育てられた。傍から見れば、理想的で仲の良い家族にしか見えない。
でも、その完璧そうに見える日常の裏側には、言葉にできないような過去の記憶が静かに沈んでいる。誰にも話せない重たいものを、それぞれが抱えながら生きているのだ。
物語のきっかけは、仙台で起こる連続放火事件。現場には、なぜか遺伝子の塩基配列を模した奇妙な落書きが残されている。放火、グラフィティ、そして遺伝子。普通ならつながらなさそうなこれらの要素が、少しずつひとつの線になっていく。
泉水と春、兄弟のやりとりはユーモアがあって、言葉のリズムも心地いい。だけどその会話のなかに、ときどき刺さるような真実が混ざってくる。笑いながらも、胸の奥がぎゅっとなるような、そんな感覚が何度も訪れる。
心に刻まれる父の言葉と伊坂流の感動
この物語でいちばん心に残るのは、「家族」というテーマに向けたまなざしの深さだ。
弟の春は、ある過去の事件をきっかけに生まれてきた子どもで、その出自にはどうしようもなく重いものがある。けれど春自身は、その運命を恨んでなんかいない。むしろ「重力ピエロ」として、この世界を軽やかに跳ねるように生きている。
「遺伝子は人間のすべてを決めるのか?」
「血がつながっていれば、それだけで家族なのか?」
この作品は、そんな根っこにある問いに対して、大げさなドラマで答えようとしない。あくまで地に足のついたやりとりや、行動の積み重ねで向き合っていく。
春の無邪気さと狂気の境目を行ったり来たりするような言動、そして兄・泉水の冷静な理知と、繊細な感情の拾い上げ方。そのふたりが真相へ近づくにつれて、家族にまつわる記憶や痛みがゆっくり浮かび上がってくる。
なかでも、父親の存在は物語の大きな支柱になっている。春の存在を否定するどころか、誰よりもまっすぐに彼を守ろうとする姿からにじんでくるのは、「この世界がどんなに理不尽でも、せめて家族は抗える」という強い思いだ。
もちろん、伊坂作品らしい軽妙なセリフや伏線の回収も健在だ。深刻なテーマの中にあっても、言葉のテンポやユーモアがところどころに差し込まれていて、そこにちゃんと光がある。
そしてラスト、バラバラだったピースが全部つながったとき、きっとこの家族の姿にグッとくるはずだ。
『重力ピエロ』は、深い悲しみを抱えた人たちが、それでも希望に手を伸ばそうとする物語だ。
重力に逆らって跳ねようとするピエロのように、不器用だけど美しい生き方が、そこに描かれている。
10.『陽気なギャングが地球を回す』
嘘を見抜く名人・成瀬、人の心を掴む演説の達人・響野、神業を持つ天才スリ・久遠、そして人間離れした正確な体内時計を持つ女・雪子。
この四人の男女は、それぞれの特殊能力を駆使して銀行強盗を繰り返す、失敗知らずのチームだ。彼らの強盗は、一種のショーのようでもあり、鮮やかな手口で「売上」を上げていた。
しかしある日、完璧なはずだった犯行の後、逃走中に同じく逃走中だった現金輸送車襲撃犯に、あろうことかその「売上」を横取りされてしまう。奪われた金を取り戻すべく、陽気なギャングたちは奪還作戦を開始するが、その過程で仲間の息子の身に危険が迫ったり、予期せぬ死体が出現したりと、次々と厄介なトラブルに巻き込まれていく。
ハイテンポでユーモラスな、都会派クライム・エンターテインメント!
個性豊かな「天才」強盗団の魅力
伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』は、都会を舞台にしたどこか風変わりな銀行強盗チームの物語だ。ジャンルでいえばクライム小説なんだけど、読後に妙に元気が湧いてくる、そんな不思議な一冊になっている。
主役は、クセ強な4人組。嘘を見抜く男・成瀬、演説の達人・響野、天才スリの久遠、そして体内時計が超正確な雪子。ほとんど超能力かっていうくらいの特技を持った彼らが、「銀行強盗チーム」として華麗に街を駆け抜けていく。
ただし、話はそううまくはいかない。ある日、完璧にキメたはずの犯行の帰り道で、まさかのハプニングが起こる。なんと別の強盗グループに売上を横取りされてしまうのだ。ここから、ギャングたちの「奪われた金を取り返すリベンジ」がスタートする。
そこから先は、まさに予測不能。ひとりの少年の命が危険にさらされたり、いきなり死体が転がったり、事件はどんどん複雑になっていく。
それでも彼らは、持ち前のトンチと信頼と特技で、ゴチャゴチャした世界を軽やかに駆け抜けていくのだ。
二転三転する予測不能な展開
この作品のいちばんの魅力は、テンポよく進むストーリーのなかに、絶妙なユーモアと人間味がたっぷり詰まってるところだ。
4人のギャングたちの会話は、とにかく軽やかでリズムがいい。だけど、ただの雑談で終わらない。セリフの端っこに、小さな真理がひそんでる。
たとえば、「演説は嘘を本当に見せる魔法だ」とか、「時間を守るって、信頼を守ることだ」みたいなセリフに、思わずハッとさせられる瞬間がある。
伊坂作品ならではの仕掛けも、もちろん健在だ。伏線の張り方がうまいだけじゃなくて、それをあえてズラして、意外なタイミングで回収してくる。だからこそ、次のページが気になって、どんどん読み進めてしまう。
彼らの仕事は、ただの銀行強盗ってだけじゃない。どこか演劇っぽくて、人生の縮図みたいな部分すらある。完全に計算された犯行の裏には、仲間への信頼や、それぞれが抱えている不器用な部分が見え隠れしていて、読み進めるうちに、気づけばこのチームのことが好きになってしまうのだ。
『陽気なギャングが地球を回す』は、痛快なだけじゃ終わらない。理不尽な社会のなかでも、自分たちの流儀で抗いながら、笑って生きていく姿がそこにある。
たとえ強盗であっても、彼らのやり方にはどこか品があって、思いやりがある。
そして読み終えたあと、少しだけ世界がカラフルに見えてくる。そんな気持ちになれる物語だ。
11.『ラッシュライフ』
複数の人物の視点から物語が紡がれる群像劇。泥棒を生業とし、独自の哲学を持つ男・黒澤。父親の自殺という過去を抱え、神の存在に救いを求める青年・河原崎。
不倫相手との再婚を願い、その妻の殺害を計画する女性カウンセラー・京子。そして、職を失い家族にも見捨てられながらも、偶然出会った野良犬に心の拠り所を見出す男・豊田。
これら四人の主要な登場人物たちの人生が、仙台を舞台に、時にすれ違い、時に予期せぬ形で影響を与え合いながら、複雑に交錯していく。
物語の幕間には「歩くバラバラ死体」という不可解な存在も現れ 、一見無関係に見えたそれぞれの物語が、やがて一つの大きなタペストリーのように織り成され、衝撃的かつ意外な結末へと収束していく。
緻密に絡み合う人間模様と「騙し絵」の構成
それぞれの人生って、まったく別々に動いてるように見えて、実はどこかでふとすれ違ったり、思いがけない形で絡み合ったりしてるのかもしれない。
伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』は、そんな「人生の交差点」を見事な構成で描き出した、群像劇の傑作だ。
登場するのは、ひと癖もふた癖もある四人の男女。まず、独自の美学を持って盗みを働く泥棒・黒澤。つづいて、父の死をきっかけに宗教にのめり込んでいく青年・河原崎。さらに、愛する男のために殺人を計画するカウンセラー・京子。そして最後に、人生のどん底で野良犬に助けられた中年男・豊田。
彼らの物語は、最初はバラバラに進んでいく。まるで全然別の話を読んでいるような気分だ。でも読み進めていくうちに、「あれ、今のってあのときのあれじゃないか?」という場面がちょこちょこ出てくる。そうやって、少しずつ点と点がつながって、ひとつの大きな流れになっていくのだ。
ある出来事が、別の人の視点ではまったく違う意味を持っていたり、背景にいたモブキャラが、実は次の章の主役だったりする。この構造がとにかく見事で、まさに騙し絵みたいな作りになっているのが特徴だ。
視点が変わるたびに、見えていた景色が裏返るあの感覚。そのたびに、ちいさな驚きと大きな納得が同時にやってくる。そして何より胸に残るのは、「みんな、ちゃんとこの街で生きてるんだな」っていう実感だ。
泥棒・黒澤の哲学と「人生の豊潤さ」
なかでも強烈な印象を残すのが、泥棒の黒澤だ。彼はただ物を盗むわけじゃない。「変化のない人生なんてつまらない」と言い切る、哲学持ちの犯罪者。まさに信念のある泥棒ってやつだ。
伊坂作品ではすっかりおなじみのキャラだけど、本作でもやっぱり光っている。飄々としながらも核心を突くそのスタンスは、どこか道化っぽく見えて、実は誰よりも真理をつかんでいるようにも思える存在だ。彼が出てくるだけで、物語全体がピリッと引き締まる。
もうひとつ、妙に気になる存在がいる。「歩くバラバラ死体」だ。これだけ聞くとホラーだけど、そう単純じゃない。突如として現れるその異質な光景が、作品に不思議なにおいを加えてくるのだ。現実と非現実の境目が一瞬だけ溶け合うような、あの違和感が良い。
この物語のタイトル『ラッシュライフ』には、「混み合った人生」とか、「めまぐるしい生の断片」みたいな意味がある。登場人物たちはそれぞれ、自分の「ラッシュ」に戸惑ったり、逆らったり、ときには流されたりしながら、どうにか生きているわけだ。
決して華やかじゃない。でも、交差点みたいに人生が交わる瞬間があって、あとから思い返すと、ちゃんと意味を持った線になっている。そういう感覚が、この作品にはある。
伊坂幸太郎が、緻密に、そしてどこか楽しそうに組み上げた物語のパズル。その一片が、あなたの人生のどこかと重なるかもしれない。
12.『グラスホッパー』
元中学校教師の鈴木は、ハロウィンの夜に起きた交差点での事故で、愛する婚約者・百合子を目の前で亡くす。
その死が単なる事故ではなく、裏社会の組織によって巧妙に仕組まれたものだと知った鈴木は、復讐を誓い、職を変えてその組織に潜入。しかし、復讐のターゲットである男は、鈴木の目の前で「押し屋」と呼ばれる謎の殺し屋によって車に轢かれ殺害されてしまう。
復讐の機会を奪われた鈴木は、今度はその「押し屋」を追うことになる。一方、人の心を操り自殺へと追い込む専門の殺し屋「鯨」と、驚異的な身体能力とナイフ術を誇る若き殺し屋「蝉」もまた、それぞれの思惑から「押し屋」の行方を追い始める。
三人の孤独な男たちの運命が、渋谷の雑踏を舞台に、複雑かつ危険に交錯していく。
三人の殺し屋、それぞれの孤独と矜持
渋谷の交差点。ハロウィンの喧騒のなかで、元教師の鈴木は、婚約者・百合子を失う。人混みにまぎれて、彼女は突然この世から消えた。
最初は事故だと思われていた。でも、すぐにそれが裏社会の仕業だったと知る。穏やかに生きてきたはずの男の人生が、そこで一気に裏返る。鈴木は復讐のために、犯罪組織に潜り込むことを決意する。
ところが、標的となる男はすでに別の誰かによって始末されていた。その殺し屋の名は、「押し屋」。ターゲットに気づかれないように背後から“そっと押す”――それだけで事故を装って殺してしまう、謎めいた存在だ。
怒りをぶつける相手を失った鈴木は、今度は「押し屋」の正体を追いはじめる。
同じ頃、人を言葉だけで自殺に追い込む男・鯨と、ナイフを武器にする若き殺し屋・蝉もまた、「押し屋」を探して動いていた。それぞれの狙いと過去が入り乱れながら、渋谷の雑踏のなかで絡み合っていく。
そして物語は、爆発寸前の緊張感を抱えたまま、予測のつかない方向へと突き進んでいくのだった。
裏社会の非情さと「巻き込まれ型」エンタメ
『グラスホッパー』というタイトルが何を意味するのか。物語を読み進めるにつれ、その軽やかな響きと裏腹の、鋭く乾いた現実が見えてくる。
鈴木、鯨、蝉。この3人の男たちは、それぞれに孤独を抱えていて、社会の底で虫みたいに跳ねながら、すれ違いながら、生きている。
鈴木は、ただの元教師だ。婚約者を殺されたことで復讐を決意し、気づけば裏社会にどっぷり。彼のパートは、まさに巻き込まれ型のエンタメって感じで、ごく普通の人間が、暴力と理不尽が支配する世界に投げ込まれながら、自分なりの答えを探していく姿に、読んでるこっちも息が詰まる。
一方、鯨は「言葉」で人を自殺に追い込む殺し屋だ。いつも冷静そうに見えるけど、実は死んだ人間の幻影に付きまとわれていて、過去と罪にずっと引っ張られている。
そして蝉は、ナイフ一本で派手に立ち回る若手の殺し屋。生意気で無鉄砲。でも、どこか空っぽな感じがして、妙に目が離せない。
3人それぞれの視点で物語は進んでいくんだけど、それがちょうどいい温度差になっていて、「生きるってなんだ」「殺すってなんなんだ」という重たいテーマが、角度を変えながら浮かび上がってくる。
伊坂作品の中でも、『グラスホッパー』はかなりスタイリッシュで鋭い。痛みも怒りもどうにもならない感情も全部ぶつけてくるのに、そこにはユーモアやちょっとした救いがふっと差し込まれていて、読み終えたあとにはなんとも言えない余韻が残る。
ラストに仕掛けられたあの展開は、派手じゃない。でも音のない銃声みたいに、胸の奥にぽたりと何かを落としていくような、そんな結末だ。
13.『マリアビートル』
元殺し屋でアルコール中毒の父・木村雄一は、幼い息子を歩道橋から突き落とした邪悪な中学生・王子への復讐を誓い、彼が乗る東京発盛岡行きの東北新幹線「はやて」に乗り込む。
同じ列車には、裏社会の大物の誘拐された息子と身代金入りのトランクを運ぶ、腕利きの殺し屋コンビ「蜜柑」と「檸檬」、そしてそのトランク強奪の依頼を受けた、業界一運の悪い殺し屋「天道虫」こと七尾も偶然乗り合わせていた。
しかし、車内では予期せぬアクシデントが続発。蜜柑と檸檬が運んでいたはずの息子は殺害され、トランクは消え、七尾は次々と厄介事に巻き込まれる。
疾走する新幹線という密室で、それぞれの目的と生き残りを賭けた、殺し屋たちの壮絶な騙し合いと死闘が繰り広げられる。
疾走する新幹線!個性派殺し屋たちの狂騒曲
東京発、盛岡行きの東北新幹線。その限られた車内で、クセ強すぎる殺し屋たちがそれぞれの目的を抱えてぶつかり合う。そんなノンストップなエンタメが『マリアビートル』だ。
登場人物がとにかく濃い。まず、息子を傷つけた相手に復讐しようとする元アル中の父親・木村。次に、外見は優等生なのに中身は底なしのサイコ野郎な中学生・王子。
そして、文学好きの蜜柑と、『きかんしゃトーマス』ガチ勢の檸檬という、テンションも思考回路もバラバラな名コンビ。そして最後に、殺し屋としては超一流なのに、とにかく運が悪すぎる男・七尾。
このメンツが、猛スピードで走る新幹線のなかで予測不能なぶつかり合いを繰り広げていく。誰が味方で、誰が敵なのか、気を抜いたら一瞬でひっくり返るような展開の連続で一気読み必須だ。
さらに、会話のひとつひとつがブラックユーモアに満ちていて笑える。というか、殺し屋同士の会話なのに、なぜか妙にチャーミングだったりして、緊迫感のなかに妙な居心地の良さすらある。
列車の疾走感とキャラの暴走っぷりが見事に噛み合っていて、アクションも心理戦も、とにかく盛りだくさん。ひと駅ごとに事態が転がり続けるこの物語は、読みはじめたら途中下車は不可能だ。
「殺し屋シリーズ」の魅力と伏線の妙
『マリアビートル』は、『グラスホッパー』から続く〈殺し屋シリーズ〉の一作だ。前作を読んでいるとニヤッとできる要素もあって、シリーズファンにはご褒美みたいなつながりも用意されている。
とはいえ、もちろん単体でもしっかり楽しめるのでご安心を。伊坂作品といえば、張り巡らされた伏線と、それが終盤でパズルみたいに一気につながっていく構成美。この作品でもその快感は健在だ。
一見バラバラに見えていた出来事や登場人物たちの行動が、実は全部きっちり噛み合っていたことがわかった瞬間、スカッとするし、思わず「やられた!」ってなる。
登場人物の中でも、やっぱり七尾(通称「天道虫」)の存在感は別格だ。殺し屋としての腕は超一流なのに、なぜかいつも運が悪すぎる。出かけるだけで事件に巻き込まれるレベルの不幸体質。でも、それがもう逆に芸風みたいになっていて、もはや名人芸だ。
彼が「簡単な仕事」と思っていた任務が、気づけば大惨事。巻き込まれ系の極致なのに、どこか憎めない。命の危険に晒されながらも、なんだかんだで切り抜けてしまうその姿に、不思議な愛着が湧いてくる。
七尾のツキのなさが、逆に物語をどんどん転がしていく。この死の新幹線から、果たして彼は無事に降りられるのか―― それが本作の大きな見どころのひとつだ。
14.『チルドレン』
独自の正義感を持ち、周囲を自分のペースに引き込むが、なぜか憎めない型破りな家庭裁判所調査官・陣内を中心とした五つの物語が収められた連作短編集。
物語の語り手は陣内以外の人物で、彼の大学時代の友人や後輩、同僚たちが、陣内の奇抜な言動に振り回されながらも、彼が関わることで解決へと導かれる不思議な事件や出来事を目の当たりにする。
銀行強盗との遭遇、万引き少年の抱える秘密、見えないはずのものが見えるという証言。一見バラバラに見えるこれらのエピソードは、陣内という強烈な個性を軸に繋がり、読者の予想を超える「奇跡」のような結末を迎える。
日常に潜む小さな謎と、それに関わる人々の人間模様が、ユーモラスかつ温かく描かれる。
型破りな魅力!家裁調査官・陣内の存在感
「生まれてこの方、ダサかったことなんて一度もない」
そんなセリフを真顔で言い切る男、陣内。実際ダサいかどうかは別として、そのブレない自信と、ズレたユーモアが彼の最大の魅力だ。
職業は家庭裁判所の調査官。聞くだけなら堅そうなイメージだけど、陣内に限ってはまったく当てはまらない。空気は読まないし、型破りなことばかりやるし、なのに妙に人を惹きつける。
そんな彼のまわりでは、ちょっとした事件や不思議なできごとがぽつぽつと起こっていく。
たとえば、銀行強盗と偶然遭遇したり、万引き少年の本当の理由を探ったり、「幽霊を見た」と主張する少年と出会ったり。
どれも単発のエピソードに見えるのだけど、読み進めていくうちに、陣内という強烈なキャラクターを軸に、少しずつひとつの風景が立ち上がってくる。
日常に起こる「小さな奇跡」とユーモア
『チルドレン』は、5つの短編からなる連作小説だ。語り手は陣内本人じゃなくて、彼の友人だったり、後輩だったり、同僚だったり。
みんなそれぞれに彼に振り回されて、呆れて、ときには本気でイラッとしたりもする。でも、そんな日々のなかで、気づけば少しずつ心を動かされていく。
陣内ってやつは、とにかく常識の枠を軽々と飛び越えてくる。たとえば、万引きをした少年の行動の奥にあるSOSを誰よりも早く察したり、ルールじゃどうにもならない場面で、あっさり本質をつかんだりする。
彼は、「正しいこと」よりも「まっとうなこと」を信じてる。そして、どんな人のことも、まっすぐ信じようとする。その姿勢が、読んでる側にも効いてくるのだ。気づけば、自分も誰かを信じてみたくなる。
全体を通して、伊坂幸太郎らしい軽妙な会話の応酬とテンポの良さが心地いい。笑えるところも多いのだけど、その裏には、人をちゃんと見つめるまなざしがあって、読み終えたあとにじんわり沁みてくる。
事件がすべてきれいに片付くわけじゃない。解決しないまま終わる話もある。でも、そこに陣内がいるだけで、少しだけ世界の見え方が変わる。そんな小さな奇跡が、この物語にはたくさん詰まっているのだ。
読み終えたとき、誰かに会いたくなる。うまく生きられてないけど、ちゃんとまっすぐな誰かに。
そして、その人が困ってたら、なんか手を差し伸べたくなる。たぶん、陣内がいつもそうしてきたからだ。
続編『サブマリン』に手を伸ばしたくなるのは、自然なこと。
なぜなら、陣内のような人間は、もっとそばにいてほしくなるからだ。
15.『フィッシュストーリー』
複数の時代と場所で語られる四つの物語が、やがて一つの大きな「フィッシュストーリー」として繋がっていく連作短編集。
1975年、売れないパンクバンド「逆鱗」は、最後のレコーディングで一曲の楽曲「フィッシュストーリー」を残す。その曲の1分間の無音部分に、あるメッセージが込められていた。
時は流れ、2012年、地球に巨大彗星が衝突し世界が滅亡の危機に瀕する数時間前、一軒のレコード店では、その「フィッシュストーリー」のレコードがかけられようとしていた。
その間にも、1982年の気弱な大学生の正義の行動、2009年のシージャック事件に巻き込まれる女性など、様々なエピソードが展開される。
これら一見無関係な出来事が、時空を超えて奇跡的な連鎖反応を起こし、やがて地球の運命を左右する壮大な物語へと収束していく。
時空を超えて繋がる物語と音楽の力
たった一曲のパンクソング。その中にある一分間の「無音」が、地球を救う鍵になる―― そんな展開、誰が想像できるだろう。
『フィッシュストーリー』は、1975年から2012年まで、約40年の時間をまたいで展開する、四つのエピソードからなる連作短編集だ。
舞台も登場人物も毎回変わる。でも、どの話にも共通しているのは、ごく普通の人たちが、少しだけ勇気を出す瞬間。気弱な大学生が思いきって踏み出した一歩。人質事件のさなかで、とっさに冷静さを保った女性。誰にも知られずに消えていった、売れないバンドが残した無音の一曲。
その全部が、バラバラのように見えて、次第につながっていく。そして、気づけば「そんなことで世界って救えるのかよ!?」っていう奇跡が起きる。嘘みたいな話なのに、伊坂幸太郎の手にかかると「なんか、あるかも…」と思わせてくるのがすごい。
小さな行動が、時間を超えて誰かにバトンを渡し、最終的にとんでもない場所まで届いてしまう。その構造が鮮やかすぎて、読み終えたあとには妙に気分がいい。
「今やったことが、いつかどこかで何かを変えるかもしれない」
そんな気持ちにさせてくれる、軽やかで痛快な連作だ。
最高の短編『ポテチ』で泣く
主人公は、仙台で空き巣稼業をやってる青年・今村忠司。ある日、恋人の若葉と一緒に、地元の人気プロ野球選手・尾崎のマンションに忍び込む。まあ、いつもの仕事ってやつだ。
だけど、いつもと違ったのは、その部屋で一本の電話を受け取ってしまったこと。電話の相手は、助けを求めてきた女性。しかもそれ、尾崎宛てのSOSだった。
で、なぜか今村は、尾崎の代わりにそのトラブルに首を突っ込むハメになる。空き巣のくせにお人好し。そこが彼のいいところでもあるのだけど。
ひとりはプロ野球のスター、もうひとりは空き巣。全然違う人生を歩んできたはずの二人の運命が、交差し始める。
タイトルになってる『ポテチ』は、ただのスナック菓子じゃない。ラスト近く、ある味違いのポテチが登場するのだけど、それがこの物語の全部を包み込むようなシーンに繋がっていく。
今村の恋人、若葉が放った何気ないセリフ。
『コンソメ食べたい気分だったんだけど、塩は塩で食べてみるといいもんだね。間違えてもらって返ってよかったかも』
この一言で今村は泣いてしまう。ポテチの味を間違えただけでなんで泣くのか? と疑問に思うけど、最後まで読むとその理由がわかる。しかも読んでるこっちも号泣。
「いつもと違っても、これはこれでアリ」
そんな小さな気づきが、大きなやさしさになる。
人生って、うまくいくことばかりじゃない。思い通りにならないことも多いけど、「まあ、これでいいか」と思える瞬間があるなら、それも十分幸せなんじゃないか。
そんなふうに思わせてくれる、優しい物語だ。
おわりに
どの作品にも共通してるのは、読み終わったあとに、なんとなく前向きになれるってことだ。深刻なテーマを扱っていても、なぜかほんのり希望が残る。それが、伊坂幸太郎という作家のすごさだと思う。
ユーモアと哲学、偶然と必然、生と死。そんな重めのキーワードを軽やかに描きつつ、最後にはちゃんと光が差す。読んだあと、心に残る余韻がある。重くないのに、薄くない。そこが絶妙なのだ。
今回紹介した15作品は、どれも伊坂作品の魅力が詰まった名作ばかりだ。どれから読んでもいいし、気になるやつをつまみ読みするのもアリ。たぶん、一冊読んだら止まらなくなると思う。
で、気づいたときにはこう思ってるはずだ。
「この世界、もっと浸かっていたい」って。
だから、自分にとっての最高の一冊を、ぜひ探してみてほしい。
読書の楽しさって、案外こんなふうにして広がっていくものなのかもしれない。