
本好きにとって「本が殺人事件の中心にある話」なんて、それだけで無条件にワクワクしてしまう。そんな人にドンピシャなのが、この『本好きに捧げる英国ミステリ傑作選』である。
ただの短編集と思うなかれ。これは大英図書館とマーティン・エドワーズというミステリ界のガチ勢がタッグを組んで、本と殺意のクロスオーバーを真剣にやってみたらこうなった、という豪華な一冊なのだ。
2021年に英国で刊行された『Murder by the Book』の邦訳版。出版元が大英図書館っていうだけで「おっ、これは本気だな」と思うし、編者がマーティン・エドワーズと聞けばもう信頼しかない。
彼の選書眼は確かで、ミステリ好きなら一度は名前を見たことがあるはず。そんな彼が「本に関係する短編だけを厳選」してるんだから、これは読まないわけにはいかない。
しかも、ただの選書じゃなくて、構成も考え抜かれている。最初は軽めの話で肩慣らし、徐々にトリックやプロットが重厚になり、終盤は殺意と知性がうねる傑作群でフィニッシュ。まるでフルコースのように味が変化していく読書体験ができるのだ。ページをめくる手が止まらない、というより、むしろ次に進む前に一度噛みしめたくなる。そのぐらいの読み応えがある。
また、装丁も最高。装画もタイトルもいい感じにクラシカルで、見た目からして「図書館の書架に並べたくなる系ミステリ」。本棚にあるだけでテンションが上がるタイプのやつである。
ビブリオミステリの解体新書

「ビブリオミステリ」という言葉、最近でこそちょこちょこ耳にするようになったけど、実はけっこう奥が深い。ざっくり言えば「本に関係するミステリ」なのだが、じゃあ“本”って何? って話になる。
古書、稀覯本、図書館、作家、編集者、出版社、書評家、読者、原稿、出版契約、印税、サイン会……。そういった本にまつわるあらゆるモノ・人・行為がミステリの中で事件の鍵になる。それがビブリオミステリである。ここまでくると、もう「本」っていうテーマだけでミステリが一つのジャンルとして立つのも納得というものだ。
しかも、本書に収められている作品は、ただ本が出てくるだけじゃない。本が人を殺す動機になったり、逆に本が犯人を暴く証拠になったり。本そのものが物理的な凶器になることもあるし、もっと抽象的に「書くという行為」が誰かの人生を壊すトリガーになることもある。
編者のマーティン・エドワーズは、これらの作品を「モノとしての本」「職業としての本」「概念としての本」という三つの観点から分類している。これがまた秀逸で、「なるほど、そういう切り口もあるのか」と気づかされるのだ。
さらに言えば、読者としても自然と分類して楽しめるようになっている。たとえば、書簡体形式で語られる犯罪告白文、作家たちのサロンで起きる密室事件、編集者と作家の関係に潜む恨み。
どれも読み終えたあとに、「これは職業としての本カテゴリかな」とか考えたくなる。まるで本そのものが読者に推理ゲームを仕掛けてくるような感覚だ。
偏愛レビュー この短編がスゴイ!
さて、ここからは本書の中でも特に印象に残った短編をピックアップして、語りまくりたいと思う。
いずれもネタバレはしないが、「読んでから再読したくなる」ようなタイプの作品ばかりなので、未読の方はここでテンション上げてからぜひ手に取ってほしい。
『拝啓、編集者様』(クリスチアナ・ブランド)
圧倒的。これぞ、ビブリオミステリの女王。編集者に宛てた一通の手紙で構成された書簡体形式。語り手が少しずつ正体を現していく流れは鳥肌もの。
最後の数行でガツンとやられる。ブラックユーモア、構成美、狂気、全部詰まってる。好きすぎる。ブランドを初めて読む人にも、彼女の真骨頂が一発で伝わる傑作。
『ある男とその姑』(ロイ・ヴィカーズ)
倒叙ものの傑作。姑に嫌気が差した男が完璧な犯罪を計画するが……という話。詩集の“取り違え”というトリックが秀逸で、ヴィカーズ節全開。犯罪者の滑稽さと悲哀がにじむ人間ドラマとしても素晴らしい。
ヴィカーズ作品はどこか「仕方なかったんだ」という敗北感を描くのがうまい。ラスト数ページの展開で「なるほどな」と唸らされた。ヴィカーズ、やはり只者ではない。
『章と節』(ナイオ・マーシュ)
聖書と殺人。これだけでツカミはOK。名探偵アレン警部が登場する貴重な短編で、手がかりの配置も申し分なし。日本語で読めるのが奇跡レベルなので、これだけでも本書の購入価値あり。
マーシュといえば劇場型ミステリの名手という印象だが、本作では静謐な論理と宗教的モチーフが交錯する。こういう知的に濃いミステリはやはり短編で読むと映える。長編だと構造が複雑になりすぎるが、この分量だからこそ冴えわたる。
『暗殺者クラブ』(ニコラス・ブレイク)
ミステリ作家が集まる秘密クラブで殺人が起こるという、読者サービス満点の設定。英国ミステリ好きならにやけること間違いなし。ディテクション・クラブを知っているとニヤリ度が倍増する。
作家同士の皮肉めいたやり取りが秀逸で、登場人物それぞれが実在のモデルを彷彿とさせる。作家同士のマウンティングや悪意、虚栄心が見事に殺意と結びついていく感じが最高。
『きみが執筆で忙しいのはわかってるけれど、ちょっとお邪魔してもかまわないだろうって思ったんだ』(エドマンド・クリスピン)
タイトル長すぎて覚えられない。でも内容は忘れられない。ドタバタ&シュールな珍品で、ミステリというより一種のナンセンス文学。奇妙な味の極致みたいな短編で、読者によって評価は分かれるかもしれないが、わたしはどハマり。
クリスピンのユーモアと構造愛が炸裂した一作で、読んでいると「物語を書くってやっぱり楽しいよな……」と妙な多幸感に包まれる。
本とミステリの完璧な融合
結局このアンソロジー、ただ「本がテーマの短編集です」というだけじゃない。本とミステリがどう共鳴するか、どこまで混ざり合うのかという点において、ここまで完成度高くまとめられた作品集はそうそうない。
一編一編の完成度が高いのはもちろんなのだけど、それらが“本”という軸でまとめられたときに、さらに別の意味が立ち上がってくる。たとえば「文字を書くことは、時に人を殺す」というテーマなんて、ミステリだからこそ語れるし、本が主題だからこそリアルになる。
読んでいると、「本ってやっぱり怖いな」と思う瞬間が何度もある。でも同時に、「だからこそ本が好きなんだ」とも思う。そんな感情を抱けること自体が、ビブリオミステリというジャンルの最大の魅力かもしれない。
この本は、ミステリファンにも、本好きにも、短編好きにも刺さる。そしてそれぞれの読み方でちゃんと楽しめるように作られている。
編集者の仕事のすごさも、翻訳のバランスの良さも、装丁の美しさも含めて、これは作品集というより「読書体験パッケージ」なのだ。
最後にもう一度言いたい。この本、めちゃくちゃいい。
読後は古書店に行きたくなるし、知らない作家の長編を掘りたくなるし、ミステリを書いてみたくなるし、人を殺したく……はならないが、とにかく、本と殺意の関係性がもっと知りたくなる。
これが読書の快楽ってやつなんだよな、と思わせてくれる一冊でした。
