ミステリ小説って、昔から「次はどんな仕掛けで驚かせてくれるんだろう?」という期待で読まれてきたジャンルだ。
で、その歴史のなかに突然現れたのがアンソニー・ホロヴィッツの【ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ】である。
これが本当に面白くて、海外ミステリのなかで今わたしが一番楽しみにしているシリーズだ。王道っぽさもありながら実はクセモノで、普通の探偵ものとは明らかに違う。
何が魅力かって、作者であるホロヴィッツ本人が小説の登場人物として出てくるところだ。しかも探偵役じゃなくて、相棒のワトソン役。つまり、自分で自分を「事件に巻き込まれて右往左往する側」に置いてるわけだ。これだけで面白そうでしょ?
さらにややこしいのは、作中で語られるホロヴィッツの仕事や日常が、現実の彼のキャリアとつながってることだ。テレビドラマの脚本だとか、有名監督との打ち合わせだとか、リアルなエピソードが事件の捜査と並行して出てくるから、「これって本当にあったこと?それとも作り話?」と、混乱しながら引き込まれていく。
で、肝心の探偵ホーソーンはというと、頭は切れるけど性格はとことんややこしい。そんな彼に振り回されるアンソニーとのコンビが、ただの謎解き以上にスリリングで、ちょっと笑えるくらいギスギスしてる。そこがまたいい。
要するにこのシリーズは、ただの本格ミステリじゃない。フィクションと現実の境界を壊して、作者とキャラ、さらには読んでるこっちまで巻き込んでしまう、遊び心満載の実験的な作品なのだ。
というわけで、ミステリ好きの愛が詰まった【ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ】を簡単に紹介していくよ!
1.探偵と作家、どっちが主役?── 『メインテーマは殺人』
作家ホロヴィッツが自分の小説に本人として登場する、というだけでなかなかユニークだが、それ以上にインパクトがあるのが相棒の存在だ。
元刑事のダニエル・ホーソーン。無愛想で偉そうで、説明もろくにしない。そんな男が「事件の捜査に同行して、それを本にしろ」なんて言い出す。どう考えても面倒くさいのに、事件の内容が気になるせいで断れない。そんな感じで物語は始まる。
事件は、ある老婦人が自分の葬儀を手配した数時間後に殺されるという、なかなかの幕開けだ。ミステリとしてのツカミはバッチリ。でも、この本の面白さはそこだけじゃない。むしろ、ホロヴィッツとホーソーンの関係にどんどん引き込まれていく。
探偵とワトソンのコンビっぽいけど、信頼も友情もなくて、ホーソーンはとにかく何も語らない。ホロヴィッツは常に置いてけぼり。なのに、それでも二人は一緒に動き続ける。
フィクションと現実のはざまで
自分のお葬式の手配直後に殺されるという、それだけでかなり気になる幕開けだ。クラシックなミステリ好きならニヤッとするような設定で、しっかり「犯人当て」が楽しめる。
ただし、それだけじゃ終わらないのがこのシリーズだ。事件そのものの面白さとは別に、この第一作は、探偵と作家の「関係性」を描く土台作りにもなっている。実在の作家が、作中で自分を登場人物として描きながら、変人探偵に振り回されていく。そのメタ構造がやたら面白い。
ホロヴィッツはただの観察者じゃなくて、ガチで事件に巻き込まれていくし、取材の合間に自分の執筆スケジュールに追われていたりもする。リアルと虚構が入り混じってるこの構成が、思ってる以上に後から効いてくる。
それでいて、事件の成り行きはしっかり古典的。ヒントもきっちり用意されているし、フェアプレイの精神はちゃんと守られている。でも語り手であるホロヴィッツ自身が、あれこれ勘違いしたり混乱したりするせいで、つられてこっちも混乱させられる。その誘導がまた絶妙で、知らないうちに作者の手のひらで踊らされている感覚になるのだ。
ホーソーンは、ただの探偵キャラじゃない。彼のふるまいには、ミステリというジャンルそのものの構造が透けて見える。ホロヴィッツが物語の外から読者を操作するように、ホーソーンは物語の内側で情報をコントロールする。つまりこの関係、まるごと「作家と物語の支配構造」をなぞっているのだ。
『メインテーマは殺人』は、ただのシリーズ第1作にとどまらない。作家と探偵、現実とフィクション、その境界をあえてぐらぐらにして、新しい相棒ものを立ち上げている。
偏屈な探偵と、困惑しながらも事件に巻き込まれる作家。このいびつな関係の行方を覗いてみたいと思わせる時点で、ホロヴィッツの仕掛けはすでに成功しているわけだ。

2.探偵は正義の味方か?── 『その裁きは死』
ワインボトルで頭を殴られた上、割れたガラスで喉を切り裂かれるという残忍な殺人。その現場には、「182」とだけペンキで書かれた不穏な数字が残されていた。
呼び出されたホロヴィッツは、今回もホーソーンとタッグを組む羽目になる。しかも今回は、6年前の洞窟事故という過去の事件までが絡んでくる始末。
手がかりはある。被害者が死ぬ間際に残した謎の言葉もある。ただ、すべてのパズルがうまくかみ合っていくわけじゃない。むしろ、罠のように仕掛けられていた。
すべて見せているようで、何も見えていない
シリーズ第2作にして一気に難易度が上がる。単純な犯人探しでは終わらない。
遺された数字、死に際の言葉、証言の食い違い。どれも意味深なようでいて、核心には届かない。読者はもちろん、語り手のホロヴィッツもひたすら翻弄されるばかりだ。
彼は今回も、ちゃんと目の前にあるヒントを取りこぼす。いつもの事とはいえ、なかなか学習しない。だから読んでいるこちらとしては、「それは、そこにあるよ!」と声をかけたくなる。でも、それこそがこのシリーズの醍醐味だ。読者と語り手がほぼ同じ目線で物語を追う構造が、緊張感と妙な親しみを同時に生む。
そして、相変わらずホーソーンは情報を出さない。人としての魅力も薄い。推理力は凄まじいけど、その言動には引っかかる場面も多い。ときに無神経な発言をし、価値観の偏りも隠そうとしない。ホロヴィッツ自身が困惑している様子がリアルで、逆にこちらの感情まで揺さぶられる。
この「嫌われても仕方ない探偵」を主役に据えている点が、本シリーズの一番面白いところだ、とわたしは思っている。探偵=善人ではない。どれだけ頭が切れても、人格的には信用しきれない。そういう不安定さが、逆にリアリティを生むのだ。
『その裁きは死』は、事件そのものも見応えがあるが、それ以上に探偵という存在を深く掘り下げてくる。正義を担うはずの役割に、もし不快さや偏見が見え隠れしていたら、わたしたちはどう接すればいいのか。そんなモヤモヤまで残してくるあたりが、このシリーズをただの娯楽では終わらないものにしている。
これからシリーズにどっぷりハマっていくための、大事な2作目だ。冷たくて、暗くて、どこか歪んだ後味。でもそこにこそ、現代のミステリらしさがある。
真相にたどり着くためには、正義感だけでは足りない。そんなメッセージがはっきり伝わってくる傑作だ。

3.島に閉じ込められたのは、秘密だけじゃない── 『殺しへのライン』
ホロヴィッツとホーソーンが向かった先は、イギリス海峡に浮かぶ小さな島、オルダニー。目的は新作のプロモーション……だったはずなのに、そこは殺人事件の舞台としてあまりにも完璧すぎた。
住民たちは巨大送電線の敷設を巡って揉めていて、島全体がピリピリしている。文学フェスティバルに集まった登壇者たちも、一癖も二癖もあるクセ強めの面々。
そんな中で起きたのが、地元の有力者の殺害事件。動機なら誰にでもある。
しかし、ここは島。犯人もまた、島の中にいる。
舞台は孤島、仕掛けは現代的
本作はまさに、古き良き「クローズド・サークル」への愛が詰まった一作だ。外部との連絡が断たれ、限られた人間関係のなかで真相を探っていく――アガサ・クリスティへのオマージュとしても完璧である。
でもそれだけじゃ終わらないのがホロヴィッツのすごいところだ。この孤島には、ホーソーンの過去に関わる因縁の人物まで住んでいて、事件の裏でひそかに探偵自身の物語が進行している。
ホーソーンが警察を追われた理由、その一端がようやく明かされる。いつもなら他人の秘密を暴いてばかりの彼が、今回は自分の内側と向き合わされる番ってわけだ。事件の捜査と、過去との対峙。この二重構造が、ただの謎解きを超えた深みを生んでいる。
また、舞台であるオルダニー島が見事に機能しているのもポイントだ。ただの背景じゃなくて、空気そのものが登場人物の不安や怒りを増幅させる。戦時中の暗い歴史や、外から来た人間への警戒心が、どこか圧迫感のある読後感をもたらすのだ。
しかもその空気を活かして、作家や批評家、料理研究家など、エゴの塊みたいなキャラたちがぶつかりあう。文学フェスという場で、出版業界への風刺までしっかり忘れていないあたり、ホロヴィッツの筆は今回も容赦ない。
ホーソーンとホロヴィッツの関係にも変化が見えてくる。口は悪いし態度も冷たいけど、ホーソーンがホロヴィッツを「相棒」と呼ぶ場面が増えてくる。もちろん、仲良しコンビには程遠い。それでも、この距離のままじゃいられない何かが、にじみ出てくるのがいい。
クラシカルな構造をベースにしながら、シリーズ全体のキャラクター描写や物語の奥行きをしっかりと積み重ねていく。『殺しへのライン』は、そんなホロヴィッツ流ミステリの魅力が詰まった一作だ。
シリーズがここからさらに面白くなっていくことを、はっきりと予感させてくれる。

4.犯人にされたのは、いつもの語り手だった── 『ナイフをひねれば』
ホーソーンとの凸凹コンビに限界を感じたホロヴィッツが、ついに契約打ち切りを宣言。これでもうあの理不尽な探偵と関わらずに済む……はずだった。
ところがその直後、ホロヴィッツが脚本を手がけた舞台を酷評した劇評家が殺される。しかも現場に残された凶器からは、ホロヴィッツ自身の指紋が検出されるという最悪の展開。
警察に逮捕され、世間の目も冷たくなる中、最後に頼れるのは、あの男。ダニエル・ホーソーンしかいなかった。
犯人当ての舞台で、まさか自分が疑われるとは
シリーズ第4作は、これまでとまったく違う角度から攻めてくる。なんといっても、いつもは記録係だったホロヴィッツが、今度は事件の容疑者にされてしまうのだ。
これはかなり新しい。語り手が逮捕されるミステリって一応ほかにもあるが、数はすくない。無実なのに状況証拠は完璧、行動を説明しようとするほど怪しく見えるという八方ふさがり。この居心地の悪さが妙にリアルで、読みながら胃がキリキリする。
しかも今回は48時間以内に真犯人を見つけなければならない。タイムリミットが設定されたことで、これまでのシリーズよりずっとスリリングでスピーディーな展開になっている。落ち着いて推理してる暇はない。次々と出てくる証言や証拠がどれもホロヴィッツを追い詰めてくるから、こっちまで焦らされっぱなしだ。
作中では、ホロヴィッツが実際に手がけた舞台『マインドゲーム』が重要な要素として登場する。フィクションと現実が絶妙に重なり合って、これは本当に作り話なのかと疑いたくなるくらい、境界線があいまいだ。本人を語り手にするシリーズだからこそできる芸当で、このメタ構造が作品の厚みをぐっと増している。
そして何より印象的なのは、「密室のトリック」じゃなく「物語そのものが仕掛けられた罠」になっているところだ。物理的な謎ではなく、証拠と証言の積み重ねによってホロヴィッツが「犯人にされていく」過程が描かれる。ホーソーンが暴くのは隠し通路じゃなく、有罪の物語に入り込んだ一つのほころび。その一瞬のすき間にしか救いがない。
シリーズを追ってきた人にとっては、ついにここまで来たかという展開だ。ホロヴィッツが完全に物語の中心に投げ込まれることで、これまでの探偵&語り手の構図は一気にひっくり返る。
犯人を探す話でありながら、物語とは誰がどう作るものかを問う、一段深いステージに進んだシリーズ屈指の名品だ。

5.過去は終わっていない── 『死はすぐそばに』
事件が起きない。新作のネタがない。
というわけで、ホロヴィッツが目をつけたのは、ホーソーンが5年前に解決したという、すでに終わった事件だった。
場所はロンドンの高級住宅地。犠牲者は住民たちから嫌われまくっていた金融業界の男。そして凶器は、なんとクロスボウ。物騒すぎるこの事件、表向きには解決済み。でもホーソーンはやたらと口が重く、非協力的。
仕方なくホロヴィッツが一人で動き始めたその先に、彼はある別の相棒の存在と、事件の奥に沈んでいたもう一つの謎に行き当たる。
二重構造で描かれる、探偵の過去
今回のシリーズ第5作は、これまでとかなり違う。まず、現在進行形の事件ではなく、過去の事件を掘り返す構成だ。
そして語り口も二重になっている。ホロヴィッツのいつもの一人称パートに加えて、当時の捜査を描いた三人称視点のパートが挟み込まれるんだ。この切り替えがうまく機能していて、時間を超えて二つの物語が並走するような読み心地になっている。
何より大きいのは、「初代ワトソン」とも言えるキャラ、元警官のジョン・ダドリーの登場だ。ホーソーンとコンビを組んでいた過去の相棒で、彼の目から見たホーソーンの姿は、今のホロヴィッツが知るものとは微妙に違う。これがすごく面白い。なんというか、昔の知人に自分が知らない一面を聞かされたような感覚だ。
ホロヴィッツが単独で調べていくうちに、事件の解決そのものに疑問が出てくる。当時の証言や報告書と今の証言がズレていたり、矛盾があったり。解かれたはずのパズルが、実は別の形に組み直せるかもしれない。そんな可能性が浮かび上がってくる。表面上の事件だけでなく、シリーズ全体にかかる長期的な謎のピースまでもが、ここで一気に動き出すのだ。
この作品で問われているのは、「どの語りが真実なのか」という問題だ。これまでシリーズの語りは、ホロヴィッツの主観的な視点だった。でも今回は、もっと客観的に見える三人称の記録が出てくる。ところがそれすらも完璧じゃない。
ホロヴィッツの再調査によって、公式な記述のほうがむしろズレている可能性が出てくる。つまり、何が真実かは固定されておらず、誰が語るかでまるっきり印象が変わってしまう。
『死はすぐそばに』は、シリーズの枠組みを広げながら、探偵小説というジャンルそのものに新しい風を吹き込んでいる。真相はひとつじゃない、というより、「真相という言葉自体が信じられるか?」とでも言いたげな一作だ。
探偵ホーソーンの過去に迫るという意味でも、物語の深みがぐっと増してきた。シリーズがここからどう展開していくのか、ますます気になってくる。ああ、はやく続編が読みたい!

おわりに── アンソニー・ホロヴィッツが仕掛けた、ミステリの再構築

結局のところ、アンソニー・ホロヴィッツの【ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ】は、ただの「名探偵シリーズ」じゃない。
黄金時代のミステリにしっかりと敬意を払いつつ、そのお約束をズラしたり解体したりしながら、新しい形に組み立て直している。パロディでもパスティーシュでもなく、愛情のこもった「遊び」と「挑戦」だ。
そしてシリーズを通して最大の謎は、実は個々の殺人事件じゃなくてホーソーン本人。彼は一体どんな人間なのか、過去に何を抱えているのか。そこが物語の縦糸になっていて、読む手を未来へ未来へと引っ張っていく。
しかもややこしいのは、語り手が実在のホロヴィッツであることだ。現実の作家、作中のアンソニー、そして架空の名探偵ホーソーン。この三つが絡み合って、ときにぶつかり、ときに笑わせる。その相互作用が、このシリーズを他にないユニークなものにしている。
つまり、このシリーズは「フェアな謎解き」も「奇妙なユーモア」も「文学的な仕掛け」もぜんぶ楽しめる最高の作品ということである。
このパラドックスの絶妙なバランスこそが、【ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ】の最大の魅力だと思う。
ミステリがどこまで進化できるのか。その最前線を覗きたい人にはうってつけの、唯一無二のシリーズというわけだ。
