「創元推理文庫のくせに、犯人当てがひとつもないじゃないか!」とツッコミを入れたくなる人もいるかもしれない。
だが、この『ドイツロマン派怪奇幻想傑作集』(遠山明子編訳)は、れっきとしたミステリ文庫から出ているだけあって、「謎」の核は確かにある。
ただし、その謎とは「誰が犯人か」ではなく、「自分の見ている現実は本当に本物なのか?」「人間と機械、正気と狂気、夢と現実の境界はどこにあるのか?」という、もっと根源的で、もっと不安定で、もっと怖いテーマである。
本書が収めるのは、18〜19世紀のドイツで花開いたロマン主義文学の中でも、特に「怪奇幻想」に振り切った作家たちの短編9作。
ホフマン、ティーク、フケー、ハウフ、アルニム……このあたりの名前にピンとくる人にはもちろんドンピシャだし、「ホラーといえばイギリスのゴシック小説でしょ?」という人にこそ、読んでほしい。
こっちはイギリスのテラー(Terror)ではなく、ホラー(Horror)がベース。ふわっとした不安じゃない、ぞっとするほどダイレクトなやつだ。
暴力、狂気、死体、呪術、機械人形、運命に翻弄される魂。どれもこれも、我々が「ホラー」と聞いて想像するモチーフばかり。
そして面白いのは、それらが「科学技術と理性が世界を明るく照らす」時代の裏側で書かれていたということ。つまり、ロマン派の怪奇幻想とは、「教育の反動」「理性の裏返し」なのだ。
それぞれの怖さの顔ぶれ
全9編、どれも雰囲気も毛色も違うけれど、いずれも「今読んでも怖い」と言える内容ばかり。ざっと紹介していこう。
ティーク「金髪のエックベルト」
美しくて牧歌的なおとぎ話が、ある会話を境に疑心暗鬼と破滅へと反転していく。この反転の瞬間の怖さときたら。世界ってこんなに簡単に崩れるのか。
ティーク「ルーネンベルク」
魔性の女性に魅入られた男が、家庭を捨てて幻惑の世界へ。破滅的なのだけど、本人はその「狂気の世界」が幸せそうに見えるあたりが倒錯的で良い。
ザリーツェ=コンテッサ「死の天使」
運命に呪われた恋愛劇。父親の死、恋人の失踪、すべてに死神の影がつきまとう。悲劇が先に見えている恐怖。
ザリーツェ=コンテッサ「宝探し」
こっちは一転してユーモラス。呪術師に振り回される男のドタバタ珍道中。なんだかんだでちゃんと気味悪いのがドイツ流。
フケー「絞首台の小男」
呪われた小瓶が主人公の人生を狂わせる。捨てたいのに捨てられない、地獄のような取引。遊女のキャラも強烈。
ハウフ「幽霊船の話」
がっつり海洋ホラー。死体だらけの船に閉じ込められる恐怖。逃げ場のないシチュエーションの圧がすごい。
アルニム「世襲領主たち」
血と出生の秘密をめぐる神秘主義的愛憎劇。愛と呪いと宗教的罪の混沌が煮詰まりすぎてて怖い。
ホフマン「からくり人形」
オートマタ=自動人形の謎。未来を見通す機械は本物か、トリックか。オカルトと科学の境界線が曖昧になっていく。
ホフマン「砂男」
この本の白眉。幼少期のトラウマ、正体不明の男、機械人形との恋。狂気に呑まれていく男の視界をそのまま追体験させられる感覚が最高。
とにかくバリエーションがすごい。ゴシックホラーからオカルト、ブラックユーモアまで。
すべてが「自我の揺らぎ」「現実のひずみ」と結びついていて、読後には妙な浮遊感が残る。
ホフマンという到達点

どの作品も面白いが、やっぱりホフマンは別格だ。『砂男』なんかもう、「これ19世紀か?」と疑いたくなるほど現代的。ディープフェイクの時代に読んでも、ギリギリの恐怖がちゃんと刺さる。
主人公が恋するのは、オリンピアという完璧な女性。ただし、彼女は実は……というやつで、まさに「人間と機械の境界が溶ける」物語。
そして、なぜ彼がそんな彼女に惹かれたかというと、「話を遮らず、すべてを受け入れてくれる」からだ。
これは、すごく怖い。人間らしさを求めていたはずが、実は自分を否定しない存在に陶酔していただけ、という。それは「愛」なのか? それとも「自我の投影」なのか?
読んでいるうちに、どこからが現実で、どこからが妄想なのか、自分もわからなくなってくる。その不安定さ、読書体験として最高だった。
今こそ読みたいドイツロマン派
この本に出てくるのは、200年前の話。でも、読んでいると「これは今の話では?」と思う瞬間が何度もある。
ロマン派の人たちが不安だったのは、「人間の理性や科学技術が、何でもコントロールできる」という万能感だった。そして、その万能感が破綻したときに、どんな影が生まれるのか。
現代の私たちも、似たような状況にいる。データ、演算、管理、再現……便利だが、それに頼れば頼るほど、「本当の自分」とか「心」は、どこにあるんだ? と不安になる。
その不安を200年前に書いていた人たちがいたという事実に、驚くし、少し救われる気もする。
『ドイツロマン派怪奇幻想傑作集』は、クラシックな文学の仮面をかぶった、「今の不安を見つめ返すための鏡」だ。
めちゃくちゃおもしろくて、めちゃくちゃ怖くて、そしてどこか、自分の中の暗い場所を照らしてくれる。
ホラー好き、幻想好き、ミステリ好き、機械に心を奪われがちなあなたへ。
ちょっと重たいけど、めちゃくちゃ味わい深い古典ホラーの宝箱を、ぜひ開けてみてほしい。

