ホリー・ジャクソンの名前を聞くと、まず思い浮かぶのは『自由研究には向かない殺人』だ。
高校生探偵ピップの華麗な推理劇に胸を躍らせた読者は多いと思う。あれは正統派の「フーダニット(誰がやったか)」、つまり犯人探し型ミステリーだった。
しかし、彼女の新作『夜明けまでに誰かが』は、まったく違う角度から我々を殴ってくる。これは「フーダニット」じゃない。「ウィル・ゼイ・サバイブ・イット(彼らは生き延びられるか)」の物語なのだ。
物語の舞台は、春休みにロードトリップへと繰り出した6人の若者たち。彼らはキャンピングカー(RV)で人里離れた道を走っていたが、突如としてタイヤを撃ち抜かれ、移動手段も通信手段も断たれてしまう。しかも、彼らを取り囲むのは、正体不明のスナイパーだ。
そのスナイパーが告げる。
「お前たちの中に秘密を隠している者がいる。告白しない限り、誰もここから出すつもりはない」。
この一言で、物語は地獄の釜の蓋を開ける。RVの中という限られた空間。迫りくる夜明け。謎の狙撃者。そして告白しなければならない秘密。物理的な密室と心理的な閉塞感がぴたりと重なり、空間そのものがサスペンスを生む装置と化している。
この設定は、夕木春央の『方舟』を思い出さずにはいられなかった。あちらは地下の施設に閉じ込められ、誰かを犠牲にしなければならないというトロッコ問題的な展開だったけれど、基本構造は非常に近い。狭い場所、限られた時間、若者たち、極限の選択。そして、誰かが嘘をついている。
言い換えれば、『夜明けまでに誰かが』は、YA小説というジャンルの中で、サバイバルスリラーとしての完成度をとことん追求した作品だ。
それは「誰がやったか?」よりも、「誰が最後まで人間でいられるか?」という問いをわたしたちに突きつけてくる。
RVの中で信頼は腐る クローズド・サークルの再発明

ミステリー好きなら誰でも知っている「クローズド・サークル」という言葉。外部と完全に遮断された空間で事件が起こる設定だ。孤島、山荘、吹雪のホテル……それはある種のお約束でもある。
でもジャクソンはそこに新しい血を注いできた。彼女が選んだ密室は、なんとRV(キャンピングカー)である。
本来、RVってのは自由の象徴だ。移動できて、好きな場所で眠れて、現代の若者にとってはある種の夢でもある。でもこの物語では、RVは棺桶になる。鋼鉄の箱に閉じ込められ、外には狙撃者がいて、逃げ場はゼロ。移動手段だったはずのRVが、絶望を詰め込んだ圧力鍋と化すのだ。
しかも、現代っ子にとって最も重要なインフラであるスマホも電波も使えない。文明の恩恵がすべて切断された空間で、人間関係だけがむき出しになっていく。それはもう、ホラーに限りなく近い。物理的な密室よりも怖いのは、心理的な密室かもしれない。
登場人物たちはみな、それなりに仲が良いはずの友人だ。しかし、秘密が暴かれるかもしれないという圧力がかかると、その友情はみるみるうちに崩れていく。些細な言動に疑念が生まれ、誰も信用できなくなる。
最初は団結していたはずの6人が、徐々に互いを責め合い、裏切り、暴走し始める。
ここで面白いのは、登場人物それぞれの心理描写が非常にリアルなことだ。焦り、怒り、自己保身、後悔、罪悪感……。それぞれが人間として追い詰められていく過程が、グッと圧縮されて8時間の中に詰め込まれている。
そしてこの8時間は、物語内の時間と読者の体感時間がやけに一致して感じられるから不思議だ。まるで自分もそのRVの中に閉じ込められているかのような息苦しさがある。
真の敵は、外のスナイパーではない
この物語で、実はスナイパーの存在ってのは物語の起爆装置にすぎない。脅威として最初に提示されるけど、だんだんわかってくるのは、真の敵は仲間の中にあるということだ。
スナイパーは、ある種の審判者だ。「誰かが秘密を告白しなければ、誰も解放しない」。つまり、外から物理的な暴力を加えるのではなく、内部にある後ろめたさや罪悪感を引き出すことで、人間関係を壊す仕組みになっている。
誰かの告白がまた別の秘密を刺激し、それが新たな疑心や暴力を呼び、まるでドミノ倒しのように関係性が崩れていく。
読者は、誰を信じていいか分からなくなる。主人公のレッドの視点で物語は進むが、彼女自身も過去に大きな秘密を抱えていて、それが物語の後半で大きな意味を持ってくる。
最も信頼していた相手が最も危険だった――という展開は、もはやミステリーやスリラーのお約束かもしれないけど、それでもやっぱり、やられる。
そしてなにより、この物語の怖さは、誰も悪人ではないという点にある。全員が嘘をついているけど、その動機や事情には一定の理解ができる。悪意ではなく、恐怖や愛情や無知からくる結果としての裏切り。それが、この作品に強烈なリアリティと後味の悪さを与えている。
ホリー・ジャクソンは、やっぱり信じて裏切ってくれる
最後に、この物語がなぜここまで面白いのかを一言でいうと、読者の期待を利用して裏切るからだ。
ホリー・ジャクソンは元々、プロットの緻密さと構成力に定評のある作家だ。『自由研究には向かない殺人』では、伏線回収の鮮やかさと、構成の巧妙さに唸らされた。今回の『夜明けまでに誰かが』も、その技巧は健在で、ラストには読者の認識をひっくり返すようなどんでん返しが待っている。
しかも、そのどんでん返しは単に「犯人はこいつだった!」という種類のものではない。むしろ、「今まで見ていた物語の意味そのものが変わる」というレベルのやつだ。これが来ると、本を閉じてからもしばらく放心状態になる。そして、最初の数ページをもう一度読み返してみたくなる。
さらに特筆すべきは、この作品があくまで現実的な恐怖に根ざしていることだ。閉じ込められるのは洋館じゃなくてRVだし、登場人物はトンデモ科学や超能力を持ってるわけじゃない。
誰でも経験しそうな春休みの旅行が、あるきっかけで殺意の密室に変わってしまう。この現実味があるからこそ、作品はより身近に感じられ、怖さが増すのだ。
その秘密を、あなたなら告白できるか?
『夜明けまでに誰かが』は、単なるヤングアダルト小説ではない。いやむしろ、YAだからこそ描けた信頼と裏切りの濃度がある。
密室サスペンスとしての緊張感、リアルタイムで進行する物語構造、心理描写の深さ、どんでん返しの巧妙さ……そのどれを取っても一級品だ。
読み終えたあと心に残るのは、派手などんでん返し以上に、「自分だったら、何を守り、何を捨てるだろう」という想いだ。秘密を抱えて沈黙するか。誰かを犠牲にして生き延びるか。そんな冷たい選択を突きつけられたとき、人はどうなるのか。
ホリー・ジャクソンは、そのもしもの不安を、8時間の物語の中で完璧に可視化してみせた。RVという小さな密室で、人間の心の奥底まで覗いてしまった感覚が、読後もしばらく消えてくれない。
そして思う。
「もしあの場に自分がいたら、どうしていただろう」って。
そう考えさせられる、それだけで、この作品はもう勝っている。