追悼式なのに、なぜ誰かがまた死ぬのか
閉ざされた場所には、人の心をほどく力があるのかもしれません。
あるいは、逆に、人の奥底に隠していたものを容赦なく引きずり出す力があるのかもしれません。
キャロル・グッドマンの『骨と作家たち』の舞台は、ニューヨーク州北部の大学です。激しい吹雪の中で外界と隔絶されたこのキャンパスに、かつての教え子たちが集まってきます。
目的は、25年前に亡くなった恩師の追悼式。しかし彼らを迎えたのは、再会の喜びではなく、数々の不穏な出来事でした。
カラスの死骸。姿を見せない同窓生。そして、誰かの死。ひとつ、またひとつと起こる出来事が、静かに物語の幕を引き裂いていきます。誰もが過去を持ち、誰もが何かを隠している。
吹雪のせいで警察も来られないその夜、大学は古典的な「クローズド・サークル」へと変貌します。
舞台は完璧、役者も揃っている。あとは、どのように惨劇が展開するかを、ページを繰る手に任せるばかりです。
創作という行為が照らし出すもの
この物語の登場人物たちは、若き日に作家を志していた人々です。彼らは同じ教室で学び、物語を競い合いながら青春を過ごしました。
やがて、それぞれが違う道を歩んだ現在、再び顔を揃える。それは、同窓会のようでいて、どこか演劇のリハーサルのようでもあります。
興味深いのは、彼らがかつて書いた「最も恐ろしいもの」をテーマにした短編ホラーが、現在の事件と奇妙にリンクしていく点です。
これは単なる偶然なのでしょうか?あるいは、言葉が人を縛り、物語が現実を侵食していくという、作家ならではの皮肉な寓話なのでしょうか。
創作とは何か。その問いは、登場人物だけでなく、私たち読者にも投げかけられている気がします。記憶を元に物語を紡ぎ、恐れを言葉にする。それは救いになると同時に、過去を掘り起こす危うい作業でもあります。
この小説の中では、物語を愛し、物語に夢を見た人々が、自らの想像力によって罠にかかっていくのです。
ゴシックの香りと知の陰影

『骨と作家たち』は、ゴシック・ミステリの要素がふんだんに詰まった一冊です。
古びた校舎、雪に閉ざされた空間、不在の亡霊(もとい教授)、カラスの死骸……と、暗い舞台装置は完璧。そしてその中で繰り広げられるのが、「文学×殺人」という、ちょっとおしゃれでちょっと物騒な組み合わせなのです。
「ダークアカデミア」というジャンルをご存じでしょうか? それは知的でクラシカルな大学生活の陰に、退廃と秘密が潜んでいるような世界観。
まさにこの作品は、その雰囲気にぴったりです。かつての創作仲間が集まり、昔の原稿を蒸し返して、しかもそれが事件につながる。こんなに学問がスリリングだったら、学生時代の集中講義ももっと人気が出たかもしれません。
グッドマンは、そんな舞台で登場人物たちの心の奥底に潜むものを丁寧にすくいあげていきます。過去の因縁、叶わなかった夢、今さら語れない本音……それらが吹雪の夜に、静かに、そしてじわじわと浮かび上がってくるのです。
カラスの死骸より、よっぽど怖いのは人の心かもしれません。
雪の向こうに、物語の熱がある
『骨と作家たち』は、殺人事件を扱ってはいますが、単に犯人を当てるための作品ではありません。
それは、物語と記憶、創作と現実、そして言葉と沈黙のあいだで揺れ動く人間たちの、ちょっと皮肉で、ちょっと哀しい、そしてどこかで笑ってしまうようなドラマなのです。
「物語を書くことは、自分をさらけ出すことだ」とはよく言われますが、本作を読んで思ったのは、「さらけ出していたことすら忘れていた過去に、自分がやられることもあるんだな」という、ちょっとした怖さです。
もちろん、全員が命を落とすわけではありません。ですが、心に何かを残して去っていく者たちは、読者にとっても忘れがたい存在になるでしょう。
さて、雪はいつか溶けます。
しかし、凍てついた物語の中に見つけた感情や記憶は、案外、春になっても心に残り続けるものかもしれません。
雪の中に描かれたこの小さな地獄を、どうぞお楽しみください。