『失われた貌』を手に取ったきっかけは、帯に踊る三人の名前だった。
伊坂幸太郎が「ミステリーが好きで良かった」と感慨を述べ、恩田陸が「捜査と謎解きのハイブリッド」と驚き、米澤穂信は「ガッツポーズ」した。
こう並ぶと、もはや推薦文というより「殿堂入り宣言」じゃないかと思う。ミステリ界の大御所がここまで一致して褒めるって相当珍しいことだ。
伊坂幸太郎、恩田陸、米澤穂信。自分の中では「この人たちが褒めるなら間違いない三銃士」みたいな感覚がある。その全員が絶賛。もう、それだけで読む理由は十分だった。
実際、読み始めてすぐに感じた。「これは当たりだ」と。
序盤の山奥の死体発見シーンの描写が、ゾクッとするほどリアルで無駄がない。顔を潰され、歯を抜かれ、両手首を切られた遺体。ミステリとしては王道の「顔が分からない死体」だけど、その演出が異様に生々しい。
でも本作の恐ろしさは、単なる猟奇ではなくて「誰だったかさえ分からなくする」という執拗さだ。殺されたことよりも、「この人がこの世にいた証」を消すことに重点がある。
そこが怖い。そして深い。この小説は、顔のない死体をめぐる謎を通して、「人は、他人に覚えられていることで初めて存在できるのでは?」という感覚を突いてくる。
捜査線上の交差点、物語の糸が絡み出す

事件の発端は、市民からの投書。「怪しい人間がいる」「ゴミの不法投棄がある」。
まあよくある苦情だなと思いきや、その直後に例の顔のない死体が見つかる。この導入が巧い。地域の問題と凄惨な事件が地続きで結びつき、いきなり社会的な奥行きが立ち上がる。
そこに現れるのが、小学生の少年だ。「死体は、自分の父かもしれない」と訴える。しかもその父親は10年前に失踪している。え、じゃあこの事件は過去とも繋がってるの? ってなる。
そう思っていたら、遺体の正体が意外な方向に転がる。見つかったのは、悪徳探偵。依頼人の秘密を掴んではゆすりまくってたという最低の人間だった。そりゃ恨まれて当然のタイプ。でも、だったら容疑者が多すぎるじゃん……と、逆に混迷を極める。
そんな中、また新たな殺人。これは連続殺人か? それとも、模倣犯?
読んでいて何度も思ったのは、作者・櫻田智也の構成力のえげつなさだ。一つの謎を追っていたら、思いもよらない別の事件と繋がり、さらに昔の失踪や家庭の事情まで絡んできて、気づけば登場人物全員が「何か」を隠しているように見えてくる。しかも、それぞれの謎が次々に明かされていく過程に無理がない。
この緻密さは、短編の名手ならではだと思う。短編で培った密度の高いプロット感覚を、そのまま長編に持ち込んだ感じ。読んでいて常に「点と点が線になる快感」に浸れるわけだ。
日野刑事と、物語を走らせるエンジンたち
この物語を一人称で進めてくれるのが、警視庁捜査一課の刑事・日野。飄々としていて皮肉屋だけど、妙に人間臭い。家庭では娘との関係に悩んでいたりするし、妙に身近に感じる。ハードボイルド的なキャラでありながら、あまりにも完璧じゃないところが良い。
彼の語りがあるからこそ、重くなりすぎないし、淡々とした警察小説にも人情と温度が宿る。殺伐とした世界の中で、日野のちょっとズレた視点や、一歩引いた観察眼が、読んでいて救いになっていた。
あと、脇役たちもいちいち魅力的だ。特に女性たち。芯が強くて、男たちが右往左往してる間に、スパッと本質を突いてくるタイプが多い。こういう人物配置にも、櫻田さんの観察眼と優しさがにじんでる。
何より、捜査の描写がすごくリアルだ。証拠がすぐ出るわけじゃないし、誰かの何気ない言葉や、思いがけない証言が、地道な積み重ねでやっと核心に迫っていく。これは派手さを抑えてでも現実感を重視してるスタイルで、逆に惹き込まれる。
三拍子揃ったぜいたくミステリ
本作の面白さは「警察小説」「ハードボイルド」「本格ミステリ」という三つのジャンルを、ただ並べるんじゃなく完璧に統合しているところだ。
まず警察小説。鑑識の描写、聞き込み、組織内のパワーバランス。そうした細かいディテールが積み重なって、リアルな現場の空気が伝わってくる。机に地図を広げて、刑事たちが真剣に議論している様子が頭に浮かぶ。
次にハードボイルド。刑事・日野の存在が大きい。飄々としながらも孤独を抱えた男。娘との関係に悩み、時に弱さも見せる。その人間臭さが、無機質になりがちな捜査劇に血を通わせている。彼の視点があるから、物語は「事務的な捜査記録」ではなく「人間の物語」になるわけだ。
そして本格ミステリ。伏線の張り方、手がかりの配置、どんでん返し。知的パズルとしての快感がたっぷり詰まっている。ラストに向けて伏線が回収されるときの快感は、脳をガッツリ刺激してきた。
普通ならこの三つを一緒に入れたら散らかりそうなものだけど、櫻田智也は全部を組み合わせて「新しい生き物」にしてしまった。読んでいて「ジャンルのいいとこ取りどころか、三つを同時に走らせて互いを強化してる」と感じた。ミステリ好きにはたまらないぜいたくさだ。
「貌」とは何か?深みにはまる哲学的問い
最初はただの「顔のない死体」をめぐる事件だと思っていた。でも読み進めるうちに、この物語はもっと深い問いを投げかけていることに気づく。
たとえば、「顔がなければ、その人は誰でもないのか?」という問い。誰かを記憶してくれる人がいなければ、人は存在していなかったのと同じなのか。そういう感覚に何度も襲われる。
犯人が顔を潰したのは、単に身元を隠すためじゃない。もっと根源的な「否定」の行為なんじゃないかと感じる。存在そのものを拒絶するような。
「失われた貌」というタイトルの重さが、物語が進むごとにどんどん深くなっていく。最初は物理的な意味に思えるけど、読み終わるころにはそれが象徴だったことが分かる。人の存在、記憶、関係性。そういうすべてが、この「貌」に込められている。
そして驚いたのは、この小説が、ただの謎解きではなく「再構築」の物語でもあるってことだ。失われたものを、どう再び紡ぎ直すのか。過去と向き合い、自分とは何かを探し、関係をもう一度結び直す。その過程にこそ、人間ドラマがある。
ミステリの名を借りた、人間の物語
正直、『失われた貌』は予想以上の読書体験だった。ミステリとしても文句なしに面白かったけど、それ以上に「人って、なんで人を覚えているんだろう」とか、「自分って何だろう」っていう、根源的な考えを突きつけられた気がする。
顔のない死体というビジュアルがずっと頭から離れない。それは怖いというより、どこか悲しい。忘れられること、存在しないこと、それが一番の暴力なのかもしれない。
伊坂幸太郎の「ミステリが好きでよかった」って言葉は、たぶん、この物語がただの謎解きを超えて、深く人の心に触れてくるからなんだと思う。
櫻田智也の名前は、間違いなくこれから何度も見ることになるだろう。でも、彼が「これが唯一の長編でもいい」って言うくらいの覚悟で書いたこの作品は、たとえその後どんな作品が生まれても、特別な存在として残り続ける気がする。
とにかく今は、読後の余韻に浸りながら、誰かとこの本について語り合いたい。できればコーヒーでも飲みながら、ゆっくりと。
そして、こう言いたい。
「ミステリって、やっぱりいいな!」って。
あと、櫻田智也さんといえば『蝉かえる』がめちゃくちゃ面白いから、ぜひ読んでみて。