彩藤アザミ。
この名前を聞いて、「誰だろう?」って首をかしげる人もいれば、「ああ、あのホラーとミステリ混ぜるのうまい人ね」ってすぐ反応する人もいるはず。自分は完全に後者だし、しかもけっこう前から追っかけている。
で、今回の新作『正しい世界の壊しかた:最果ての果ての殺人』は、その中でもかなり攻めてる一冊だ。特殊設定ミステリという、こっちの頭をゴリゴリ削ってくるジャンルのど真ん中に突っ込んできた。
「特殊設定ミステリ」って名前だけ聞くと、何やら論文っぽくて近寄りがたい。
でも要は、「この物語の世界には、ちょっと変なルールがあるよ。そのルール込みで推理してね」という遊びだ。
幽霊が出ても、時間が巻き戻っても、物理法則がぐにゃぐにゃでもOK。ただし、その世界の中では一貫して動いてることが条件。彩藤アザミは、このルールを絶対に曲げないタイプだ。
今回の本は、ただの殺人事件じゃない。帯にある「優しい世界が壊れ始め、世界は何度もひっくり返る」というコピー、そのまんまだ。
事件を解いて「はいおしまい」ではなく、解いたら世界がガラッと変わって、また別の顔を見せてくる。頭の中の地面がズズズッと動く感じ。何回も立ってた場所が入れ替わるような感覚がくる。
茨の中の村で、何が起こるのか

舞台は茨にぐるっと囲まれた小さな村。主人公の未明(みめい)は、そこでのんびり幸せに暮らしている。人間関係は密で、外の世界のゴタゴタとは無縁。まさにおとぎ話の理想郷。で、この村には絶対に破ってはいけない掟がある。
「茨の外に出ちゃダメ」。
でも、そういうルールって物語の中では破られるためにある。未明は外で瀕死の少年を見つけて、見捨てられず村に連れ帰ってしまう。優しさゆえの行動――だけど、村のシステムからすれば大きなバグを持ち込んだようなもの。これが世界崩壊の引き金になる。
その後、「優しき指導者」が殺される事件が発生。温かい空気だった村は一気にギスギスし始める。笑顔は消え、会話には探りが入り、視線の奥には警戒心。小さな共同体だからこそ、崩れ始めたら早い。あっという間に閉鎖空間ミステリの雰囲気になる。
でも、この作品はそこで終わらない。「誰がやったか」よりも、この村という世界がどう成り立っているのか――そこに切り込んでいく。茨は物理的な壁であると同時に情報の壁でもあって、村の中で共有されている価値観や常識を守る境界線。
そこに外から異物が入れば、システムは揺らぐ。事件はその結果として現れた症状みたいなもので、原因はもっと深いところにある。
特殊設定ミステリの面白さってこれだよな!
彩藤アザミのすごいところは、どんなに奇抜な設定でもフェアに扱うところだ。出題されたルールは途中で変えないし、後出しジャンケンもしない。全部、最初から渡されている情報で解けるように作ってある。
たとえば、「パンはパンでも食べられないパンはなんだ?」って聞いておいて、「トチメンボーです。実はパンなんですよ」って答えられたら、「いや知らんわ!」ってなるだろう、ってやつ。
そういうズルはしない。ちゃんと条件を共有してから勝負する。それが彼女の流儀。
特殊設定ミステリの名作をいくつか挙げると――
- 西澤保彦『七回死んだ男』の時間ループ
- 斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』の「二人以上殺したら即地獄送り」ルール
- 白井智之『おやすみ人面瘡』の、人面瘡ウイルス
- 今村昌弘『屍人荘の殺人』のゾンビ発生
どれも現実じゃあり得ないのに、その世界では絶対ルールとして機能している。そして推理は、そのルールを使うことで成立する。『正しい世界の壊しかた』における「茨」もまさにそれ。
村全体、いや世界全体が密室になっていて、謎の本質は「どうやって殺したか」じゃなく、「この世界の設計図はどうなっているか」。この発想の転換がめちゃくちゃ気持ちいい。
「正しい世界」を壊すってどういうこと?
このタイトル、よく見るとかなりクセが強い。「正しい世界」って何を指すんだ? 道徳的に正しいのか、論理的に筋が通っているのか、それとも単に安定しているだけなのか。作中では複数の正しさが提示され、そのどれを選ぶか迫られる。
カギになるのが「異言」という言葉。普通じゃない言葉、事実と食い違う言葉、宗教的な恍惚状態で発せられる言葉――それらが混じり合って世界を揺らす。
村の中で信じられてきた物語と、外から持ち込まれた物語。この二つが正面衝突する地点に殺人事件が置かれる。そこで起こるのは、単なる論理パズルじゃなくて、物語と言葉の力比べだ。
最後に見えてくるのは、この物語の真の「犯人」のとある可能性。世界の均衡を崩す矛盾そのものとか、最初の構造が耐えられないほどの真実こそが、全てを壊す。読み進めていくうちに、事件の解明と同時に世界の解体作業にも巻き込まれていく。
読み終えて残るざらつき
『正しい世界の壊しかた』は、一度解いて終わりのミステリじゃない。「これが答えだ」と思った瞬間、それが世界を塗り替えてしまい、また別の問題が顔を出す。足元の地面が何度もひっくり返る感覚がある。
彩藤アザミは、ホラーの濃い空気と新本格ミステリの硬質さを同じ温度で扱える珍しい作家だ。特殊設定ミステリって、設定の奇抜さばかり目立って肝心のロジックがゆるくなる作品もあるけど、彼女はそこを外さない。
ルールは守る。でもそのルールの根っこを物語の中で揺らす。その過程がスリリングで、少し怖い。
単なる謎解きに飽きてきた人、もっと世界そのものを揺さぶられるような物語がほしい人には、かなり刺さると思う。
茨の中の村を歩き、境界の向こうに何があるのかを確かめて、自分の中で信じていた正しさが揺らぐ瞬間を楽しんでほしい。
どこかでガラガラッと崩れる音が聞こえたら――それは、この本がちゃんと仕事をしている証拠だ。