ミステリを読み漁っていると、たまに「伝説」のように語られる作品に出会うことがある。
『消失!』も、そんな一冊だ。
1990年、講談社ノベルスからデビューした中西智明は、この『消失!』一作で文字通り「消失」してしまった。もちろん実際には存在しているし、その後2017年には電子書籍版が出て書き下ろし掌編も追加された。
しかし、1990年〜2000年代の間はまさに消息不明。その不在が、妙な伝説性を帯びて、作品自体のオーラをどんどん膨らませていったのだ。
しかもこの作品、内容がとんでもない。読者に対する挑戦状とか、頭脳戦とか、そういう生やさしいものではない。ある意味「脳に直接ビンタ食らわせる」ような衝撃。ジャンルを知り尽くしているオタクでさえ、「やりやがったな……」と口を開けるしかない。
ミステリに慣れてる人ほど、逆にやられる。そういう意味で、本作はミステリというジャンルへのカウンターであり、お祭りでもある。
そして何より面白いのは、作者自身が「奇抜な謎やトリックに興味がない人は読まないで」と、まるで挑戦状のような前口上を添えていることだ。
これはただの注意書きじゃない。私たち読者の知性に対する、真正面からの挑発である。
赤毛の街と、三つのあり得ない事件
物語の舞台は「高塔市」。どこか現実味があるようで、でも現実には存在しない、そんな曖昧な都市だ。
この街の最大の特徴は、住民の多くが「赤毛」だということ。しかも、その赤毛がとにかく美しいという。
現実では考えにくい人口構成。しかも知能犯罪が多発するという曰く付きの都市。完全に物語のための街だが、そこがいい。
事件は三つ起こる。
・ロックバンド「ZERO-ZERO」の赤毛の女性・マリーが撲殺される。でも監視カメラがある部屋なのに、犯人が見えない。そして目を離した隙に死体までも消える。
・赤毛の少年・裕二が絞殺される。目撃者の母親が犯人を追うも、袋小路で逃げ場のない場所で消える。そして現場に戻ると死体もない。
・赤毛の女性・純が失踪後、首を切られた状態で発見される。
設定盛りすぎじゃない?というくらいの消失の連打。これは、ただの人間消失ではない。死体も一緒に消えている。このあり得ない設定を、作者はそれを本気でロジカルに解こうとしている。
ここに登場するのが、名探偵・新寺仁。設定としてはかなり癖あり探偵だ。気に入った事件しか扱わない偏屈っぽいところもあるが、めちゃくちゃ頭がキレる。そしてその相棒・雷津と、妹の新寺瑠衣。この三人が、消えた犯人と死体の謎に挑んでいく。
犯人も死体も、現場から消えるという狂気

この小説の最大の売りは、やっぱり「不可能犯罪」の突き詰め方だろう。普通のミステリなら、「どうやって犯人が消えたのか」とか「どうやって密室を作ったのか」とかに焦点が当たる。
でも『消失!』は違う。なんと、犯人と死体が一緒に消える。それも「発見された後に消える」という無理筋な状況まで提示される。
たとえば、
- 監視カメラがある部屋で、死体が消える。
- 袋小路で目撃された犯人が、物理的に逃げられない場所で消える。
- 発見された死体が、ほんの少し目を離しただけで消える。
はっきり言って、現実的じゃない。だからこそ、「どうやったらこんなこと可能になるのか?」という謎が脳をかき乱してくる。
この構造が上手いのは、「痕跡ゼロ、証拠ゼロ、目撃者がいても犯人がいない」というミッシングリンクを徹底してやっている点だ。
つまり、推理小説が前提としてきた「何かしら痕跡が残るはず」という安心を、根っこから引っこ抜いてくるわけで、読んでいるこっちは完全に地面を失う。
ミステリに慣れてる人ほど、この落とし穴にハマるはずだ。
叙述と力技、ミステリの枠を壊す仕掛け
じゃあどうやってそのトリックを成立させたのか?
もちろんここでは詳細には触れられないが、一言で言えば「叙述の罠+力技の融合」だ。読む人の認識をズラし、細かい違和感を積み重ねておいて、最後にドーンと真相をぶつけてくる。この爆発力がすごい。
あとがきでも作者自身が「マジックのタネ明かしみたいにしたかった」と語っていて、まさにその通り。読んでる間は「どういうこと?」の連続で、最後に「そういうことか!」と膝を打つ。いや、椅子から転げ落ちるの勢いかもしれない。
ただし、このトリックは人によっては「強引すぎる」「荒唐無稽」と思うかもしれない。そういう人には「バカミス」として分類される可能性もある。しかし、ミステリというのはそもそも「読者の予想を裏切ってなんぼ」なところがあるわけで、その点では本作は超優秀だと思う。
しかもこの「強引さ」にきちんと伏線があるのがニクい。読者を徹底的に騙しつつ、終わってみれば「そりゃ気づけなかった自分が悪いわ」と納得してしまう。この感覚があるからこそ、ただのトンデモ作品では終わらない。
なぜ『消失!』は伝説になったのか

では、どうしてこの作品はこんなに語り継がれるのか?
理由はいくつかあるが、やっぱり「作者ごと消えた」伝説と、「入手困難」な希少性、そして「トリックの衝撃」が三位一体になってることが大きい。
まず作者自身が長らく沈黙していたこと。その消失っぷりが、作品タイトルと絶妙にリンクして「作者までもがトリックの一部」みたいなメタ的魅力を醸し出している。
次に希少性。長年絶版だったこともあって、中古市場では高騰し、簡単には読めない。「読んでみたいけど手に入らない」という渇望が、作品への憧れを育てるわけだ。
最後にトリックの衝撃。これはもう読んだ人ならわかる。「あれを考えたのがデビュー作の若者ってマジかよ」と、純粋に驚かされる。たった一作で爪痕を残すというのは、なかなかできることじゃない。
そして何より、この作品は「どこまでやってもいいのか」というジャンルの限界を試している。読者の想像力を試し、既成概念を壊し、でも最後にはちゃんと論理で落とし前をつける。そんな無茶と知性のハイブリッドが、『消失!』の真骨頂だ。
ミステリは、驚いてなんぼだ
いろんなミステリを読んできたが、『消失!』ほど読後の脳内がかき乱された作品はそう多くない。
伏線、叙述、都市設定、不可能犯罪、キャラクター、あらゆる要素が一つの驚きのために設計されていて、読み終えた後に感じるのは、ただひとつ。「やられた!」だ。
ミステリというジャンルに、どこまでの無茶が許されるのか。どこまでロジックでぶん殴れるのか。そういう実験を本気でやりきったこの一作は、まさに新本格の精神を体現した伝説の一冊だ。
私は、こういう作品に出会えるからこそ、ミステリを読み続けているのだと改めて思う。
もしまだ読んでいないのなら、できれば復刊版か電子書籍で。そして読み終わったら、ちょっと放心状態になって、その後に効いてくる読後感を噛みしめてほしい。
読後は必ず、誰かに語りたくなる。
それが、この物語の真の仕掛けなのかもしれない。
四季しおりミステリにとっていちばん大事なのは、「あっ」と声が出ること。その一点にすべてを注ぎ込んだ『消失!』は、まさにそんな作品である。














