中西智明『消失!』- 前代未聞のトリック。新本格が生んだ伝説のカルトミステリ

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1990年、中西智明氏は講談社ノベルスから『消失!』を発表し、日本のミステリ界に鮮烈なデビューを果たしました。当時22歳という若さで放たれたこの作品は、綾辻行人氏や有栖川有栖氏といった旗手たちが牽引した「新本格ミステリ」ムーブメントの渦中で生まれ、その大胆不敵な仕掛けによって、瞬く間に「伝説」、「カルト」的な人気を獲得するに至ります。  

この作品が放つ特異なオーラは、その驚愕のトリックに負うところが大きいですが、著者自身のその後の歩みとも無関係ではありません。中西氏は本作発表後、長らく寡作であり、一部では著者自身が作品タイトル通り「消失!」したと語られるほどでした。

この作家自身のミステリアスな存在感が、作品の伝説性をさらに高める一因となったことは想像に難くありません。作品のタイトルと著者のキャリアが奇妙に響き合い、作品を取り巻く言説そのものがメタ的な物語性を帯びるという、稀有な現象が生じたのです。この状況は、2017年の電子書籍版刊行時に書き下ろし掌編が収録されたことで 、完全な「消失」ではなかったことが示されましたが、それまでの長い沈黙期間が伝説形成に寄与した事実は揺るぎません。  

本作の出版経緯も特筆すべき点です。1990年の初刊 、1993年の文庫化 を経て、2007年には綾辻行人氏・有栖川有栖氏監修の「綾辻・有栖川復刊セレクション」の一冊として講談社ノベルスから再刊されました。これは、本作が新本格ミステリの文脈において重要な作品であると、シーンを代表する作家たちによって公式に位置づけられたことを意味します。  

目次

物語の舞台と発端:奇妙な街・高塔市と連続赤毛殺し

物語の舞台となる高塔市は、それ自体が異彩を放つ存在です。住民に赤毛が多いという特異な人口構成に加え、「知能犯罪の多発地域」というレッテル。この設定は単なる彩りではなく、物語の根幹に関わる仕掛けとして機能していると考えられます。

「赤毛」という特徴は当然ながら被害者たちを結びつける共通項となり 、「知能犯罪」の多発という設定は、これから展開されるであろう複雑怪奇なトリックへの伏線、あるいは読者の心構えを促すシグナルとして作用します。

さらに、ある評者が指摘するように、本作には「都会サスペンス的」な雰囲気と、登場人物たちが「匿名性の壁」で自らを守る様子が描かれており、この都市の持つ匿名性が、後述するトリックを含む様々な「騙し」を可能にする土壌となっているのかもしれません。現実にはあり得ないような極端な設定は、物語世界の特殊性を強調し、そこで起こる非現実的な出来事にある種の「説得力」を与えようとする、計算された舞台装置と言えるでしょう。  

物語は、この奇妙な街で同時多発的に発生する三つの事件から幕を開けます 。  

第一の事件:ロックバンド「ZERO-ZERO」の練習部屋で、赤毛のメンバー「マリー」が撲殺死体で発見されます。部屋は監視下に置かれていたにも関わらず犯人は姿を消し、さらに目を離した隙にマリーの死体そのものも<消失>してしまいます。  

第二の事件:未亡人・同道堂(あやし)裕子の赤毛の一人息子「裕二」が、空き地で絞殺死体となって発見されます。裕子はその場で怪しい黒ずくめの男を目撃し追跡しますが、男は袋小路の駐車場で忽然と姿を消します。裕子が現場に戻ると、裕二の死体もまた<消失>していました 。  

第三の事件:ブティックに勤める赤毛の店員「純」がまず失踪し、後に首を切られた死体となって発見されます 。  

これらの不可解な事件の捜査に乗り出すのが、私立探偵の新寺仁です。彼は優秀な名探偵でありながら、好みの事件以外は引き受けないという気難しい一面も持っています 。彼を支えるのは、相棒の雷津と、仁の妹であり物語のヒロインとも目される新寺瑠衣。彼らを中心に、赤毛狩りとも言うべき連続消失事件の謎が追究されていくことになります。  

犯人と死体の同時「消失」

『消失!』を特徴づける核心的な謎は、犯人の消失に留まらず、死体までもが同時に、あるいは発見された直後に消失するという、二重の不可能状況にあります。これは単なる密室殺人や人間消失とは一線を画す、極めて特異な謎提示と言えるでしょう。  

具体的には、以下のような状況下で消失が発生します。

  • 監視下に置かれた部屋からの消失。  
  • 犯人が袋小路という物理的に逃走不可能な場所からの消失。  
  • 死体が発見された後、ほんの一瞬目を離した隙に消失する。  
  • 犯行現場にはほとんど手掛かりが残されず、「痕跡ゼロ、関連性ゼロ」と評される完全犯罪。  

この「発見後の死体消失」という要素は、物理的な困難さを極限まで高め、読者を五里霧中に陥れます。白昼堂々、あるいは衆人環視の中で人間の死体を瞬時に消し去ることは、大掛かりな装置や共犯者の存在なしには不可能に思えますが、作中ではそうした要素は示唆されません。

この過剰とも言える不可能状況の設定は、新本格ミステリが好んで用いる「いかにあり得ない状況を作り出すか」という挑戦の表れであり、読者の知的好奇心を最大限に刺激します。

不可能犯罪、認識、そして驚愕

『消失!』は、単なる謎解きパズルに留まらず、いくつかの深遠なテーマを探求しています。その中心にあるのは、やはり「不可能犯罪」と「認識」の問題、そして読者に与えられる「驚愕」の体験です。

まず、本作における不可能犯罪、特に犯人と死体の同時消失は、極めてスペクタクル性の高いものとして描かれています。それは、読者の論理的思考を試す挑戦であると同時に、まるで奇術(マジック)を見せられているかのような、純粋な驚きと興奮を提供します。作者自身もあとがきで、本作を「ネタバレをしてくれるマジックみたいな感じ」と表現しており、謎解きの知的満足感と同等、あるいはそれ以上に、読者を「あっ」と言わせることを重視している姿勢がうかがえます。  

さらに、本作がしばしば「バカミス」として語られる点も、主題と関わってきます。「バカミス」とは、論理やリアリティの境界線を意図的に踏み越えるような、奇抜で破天荒なトリックを用いた作品を指すことが多いですが、それは同時に、ミステリというジャンルが持つ「お約束」や形式性を逆手に取り、読者の期待を裏切ることで新たな驚きを生み出そうとする試みでもあります。

『消失!』のトリックは、まさにこのジャンルの約束事を破壊する行為です。作者は、読者がミステリに対して抱く暗黙の了解を逆用し、その裏切りによって最大の衝撃を生み出しているのです。この意味で、本作はミステリというジャンルそのものの構造や約束事を問い直す、メタフィクショナルな主題をも内包していると言えるでしょう。  

新本格と「消失」というモチーフ

『消失!』は、1990年という刊行時期 からも明らかなように、日本のミステリ史における「新本格」ムーブメントの初期に位置づけられる重要な作品です。島田荘司氏の『占星術殺人事件』(1981年)に端を発し、綾辻行人氏の『十角館の殺人』(1987年)によって本格的に火が付いたこの潮流は、論理的な謎解き、特に「不可能犯罪」や「奇抜なトリック」への回帰と、それを現代的な感性で再構築しようとする試みを特徴としていました。『消失!』は、まさにこの新本格の精神を色濃く反映した作品と言えます。  

特に、本作が提示する「犯人と死体の同時消失」という極めて難易度の高い不可能状況 、そしてそれを解決するために用いられるトリックは、新本格が重視した「いかに読者を驚かせるか」「いかに既存の枠組みを打ち破るか」という挑戦的な姿勢を象徴しています。リアリティや文学性よりも、トリックの奇抜さ、意外性を最優先する という、新本格の一部の作品に見られた傾向を、本作は極めて純粋な形で示していると言えるでしょう。  

その大胆さゆえに、本作は新本格の中でも特に過激で実験的な作品として認識されています。綾辻氏や有栖川氏といった同時代の作家たちが、古典へのオマージュを捧げつつ新たな本格ミステリの可能性を模索していた中で、『消失!』は既存のルールそのものを破壊することによって、ジャンルの限界を押し広げようとした野心作と評価できます。

また、「消失」というミステリの古典的なモチーフに対する本作のアプローチもユニークです。密室からの犯人消失や、衆人環視からの人間消失は、ジョン・ディクスン・カーをはじめとする多くの作家が挑んできたテーマですが、『消失!』における「発見後の死体消失」を含む二重の消失は、不可能状況を意図的に最大化し、もはやパロディ的な領域にまで踏み込んでいるかのようです。これは、先行作品へのオマージュであると同時に、それらを凌駕しようとする新本格世代の気概の表れとも解釈できるかもしれません。  

結果として、『消失!』は、その刊行時期と内容の両面から、新本格初期における「トリック至上主義」と「ルールへの挑戦」という潮流を体現する、一つのベンチマークとして機能したと考えられます。その過激な手法は、後の作家たちに影響を与えたか、あるいは議論の的となりながら、新本格ミステリにおけるメタフィクションや読者操作の可能性を探る上で、無視できない存在となったと言えるでしょう。

なぜ『消失!』は伝説となったのか

『消失!』は、発表当初から現在に至るまで、ミステリファンの間で賛否両論を巻き起こしつつも、強い印象を残し続けてきました。その受容のされ方自体が、本作の特異性を物語っています。

肯定的な評価の多くは、やはりそのトリックの独創性と衝撃に向けられています。「度肝を抜かれた」、「驚愕の真相」、「前例のない仕掛け」、「衝撃的」 といった賛辞が並び、多重のどんでん返しによる「世界がひっくり返ったような快感」 は、本作ならではの魅力として高く評価されています。  

興味深いのは、本作が「バカミス」として語られる点です。これは必ずしも否定的な意味合いだけではなく、常識破りの奇抜なトリックを、ある種の愛着をもって評価する文脈で使われることもあります。『消失!』のトリックは、その大胆さゆえにリアリティを度外視しているとも言えますが、それこそが魅力であり、ミステリの醍醐味だと捉えるファン層にとっては、まさに「バカミス」の傑作として受け入れられているのです。  

加えて、初版刊行後の入手困難な時期が長かったこと 、著者自身の「消失」伝説 、そして綾辻・有栖川両氏による復刊といった要素が複合的に作用し、『消失!』は新本格ミステリの中でも特異なカルト的人気を誇る作品となったのです。  

驚愕の仕掛けと新本格の挑戦

中西智明氏の『消失!』は、1990年代初頭の新本格ミステリムーブメントが生んだ、極めてユニークかつ挑戦的な作品です。赤毛の人物ばかりを狙う連続殺人、そして犯人と死体が現場から同時に消失するという不可能状況。この魅力的な謎に対し、作者は読者の予想を幾重にも裏切る、衝撃的な解決を提示しました。

本作は、プロットとトリック、とりわけ読者を「驚愕」させる仕掛けに、ほぼ全てのエネルギーを注ぎ込んだ作品であり、その評価は読者がミステリに何を求めるかによって大きく分かれるでしょう。  

しかし、その評価も含めて、『消失!』が日本のミステリ史、特に新本格の文脈において重要な一作であることは間違いありません。ミステリというジャンルの可能性と限界に挑んだ本作は、新本格が持っていた実験精神と過激さを象徴する存在です。トリック至上主義とも言えるその姿勢は、後の作家や読者に刺激を与え、議論を喚起し続けてきました。

著者自身のミステリアスな存在感と相まって伝説化し、カルト的な人気を博した『消失!』。それは、純粋な「驚き」を追求するミステリの魅力と、そのためにどこまで踏み込めるかという作家の挑戦を、鮮烈に読者に突きつける一冊として、そしてミステリの「仕掛け」そのものに魅了される読者にとって、必読の書と言えるでしょう。

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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