
襖(ふすま)が勝手に開く。電気が消える。落下する遺影。壁の向こうから、誰もいないはずの足音が響く。
けれど本当に怖いのは、そんな現象じゃない。この家にいるのは、もしかすると私自身なのかもしれない。
上條一輝の『ポルターガイストの囚人』は、そんな恐怖の根源にまで踏み込む、とてもスリリングな現代ホラー小説だ。
家は、日常の最後の砦であり、外界の不安から逃れるための避難所……のはずだった。けれどその聖域に、見えざる“何か”が入り込んでくる。その瞬間、私たちはどこにも逃げ場がなくなるのだ。
本作の舞台は、いたって普通の一軒家。売れない俳優・東城が住む実家で、物が勝手に動いたり、謎の物音が鳴ったりという典型的なポルターガイスト現象が発生する。
調査に乗り出すのは「あしや超常現象調査」の二人、芦屋晴子と越野草太。はじめはよくある心霊調査モノかと思いきや、話はどんどん複雑に、そしてスリリングになっていく。
調査の過程で、彼らは現象の法則性を見出し、一時は「これで収束か?」と胸をなで下ろす。だがそこで終わらないのがこの小説の恐ろしいところ。依頼人である東城が忽然と姿を消すのだ。
しかも、その失踪をきっかけに、怪異は依頼された家の中だけでなく、調査員自身の身の回りへと広がり始める。そこから先は、まるで恐怖が「感染」していくような描写の連続で、読者もまた安全地帯を見失っていく。
幽霊じゃなく、心の中が犯人かもしれない?

この小説の面白いところは、「ポルターガイストは本当に幽霊の仕業なのか?」という疑念を物語の軸に据えているところだ。登場する調査員たちは、除霊師でも霊能者でもない。彼らは、過去の事例を調べて、法則性を見つけ、科学的なアプローチで怪異に挑む。言ってしまえば、“幽霊を論理で追い詰める”スタイル。
物語の背景にあるのは、超心理学の仮説「反復性偶発的サイコキネシス(RSPK)」。強いストレスを抱えた人間の無意識が、現実に物理的干渉を引き起こしてしまうという理論だ。
つまり、ポルターガイストは「心の暴発」だというわけだ。この視点が加わることで、読者は「外部からの侵入者」ではなく「内側からの危機」に震えることになる。
依頼人の東城は、何を抱えていたのか。なぜ彼の周囲で現象が起こり、そしてなぜ彼は姿を消したのか。読者は彼の内面、つまり“見えない囚人としての精神”に想像を巡らせることになる。
この恐怖は、ただ得体の知れないものではなく、知っている自分の感情が暴走したら? というリアルな恐怖へと変わっていく。
私たちは、目に見えない心の力に対して無力である。自分でも気づかないうちに、誰かを、あるいは自分自身を、壊してしまうかもしれない。だからこそ、この物語の恐怖は他人事ではないのだ。
怪異を理屈で解くプロフェッショナルたち
『ポルターガイストの囚人』の主人公コンビ、芦屋晴子と越野草太のバディ感も本作の魅力だ。晴子は論理と冷静の人。霊感ゼロで、分析と推論だけで怪異に立ち向かう。一方の草太は、感情と共感を担当するような存在で、読み手にとっての橋渡し役でもある。
二人の関係は恋愛には発展しない。むしろプロフェッショナルとしての信頼と協働が描かれる。その関係性が、物語にある種の潔さと集中力を与えているように思える。ホラーにありがちな恋の火花が邪魔しないからこそ、怪異への向き合い方がストイックで本格的なのだ。
そして何より彼らの調査手法が面白い。現象を科学的に分析し、再現性を探り、仮説を立てて検証する。この“ホラー版・科学捜査”とも言うべきアプローチが、Jホラーの新しい道を開いているように感じた。
彼らの方法論はまさに、「恐怖を知性で分解する」作業でもある。だからこそこの作品には、“考える読者”に対する敬意が感じられる。読者もまた、彼らと一緒に考え、仮説を立て、推論を楽しむことができるのだ。
上條は、ホラーというジャンルにおいて、知的に怖いという希有な領域を切り開いた作家だと思う。彼の作品では、「恐怖」が感情の揺さぶりだけでなく、「知の刺激」としても機能するのだ。
ホラー×ミステリ×科学でできた、めちゃくちゃ怖くて知的な物語
『ポルターガイストの囚人』は、ただの怖い話ではない。それは恐怖を素材にして、人間の精神の深みを覗き込む、思索的な小説でもある。恐怖とは外から来るものではなく、自分の中に巣くう“なにか”かもしれない。そう思うと、ぞくりとする。
しかもその怖さを、上條一輝は軽妙な筆致で語ってくる。怖いのに、読みやすい。重たいのに、テンポがいい。これはおそらく、彼がかつてウェブメディア「オモコロ」で培った、読者に届く語り口の妙なのだろう。
この作品は、Jホラーがよく描いてきた「説明不能な怪異」から一歩踏み出して、「解釈できる恐怖」「理解することでより怖くなる恐怖」へと進化している。その意味で、『ポルターガイストの囚人』は、Jホラーの現在地を体現する一作だと思う。
〈あしや超常現象調査〉シリーズの2作目だけれど、前作未読でもまったく問題なし。それどころか、きっと読んだ後には前作『深淵のテレパス』も読みたくなっているはずだ。
ホラーというと敬遠しがちな人にも、これは強くすすめたい。なぜなら怖いだけじゃないから。読み終えて残るのは、恐怖の余韻と、それを超えて「人間ってすごいな」という不思議な感動なのだから。

