春海水亭『入居者全滅事故物件』- 盛りすぎ設定が最後まで本気で走り切る、暴走したホラーの怪作【読書日記】

まずタイトルからしてずるい。
『入居者全滅事故物件』。
こんなもの、気にならないわけがないのである。
事故物件だけでも目を引くのに、そこへさらに入居者全滅まで乗せてくる。いくらなんでも盛りすぎだろう、と半分あきれながら手に取ることになるのだが、読んでみると、その盛りすぎ感こそがこの作品の正しい入口だったのだとわかる。
私はミステリやホラーを読むとき、設定の派手さそのものより、その設定をどこまで本気で使い切るのかが気になる。珍しい舞台やパワーワードだけなら、今どきいくらでもある。けれど、それが本当に作品の骨組みになっているかどうかは別問題だ。
『入居者全滅事故物件』は、その意味でかなり信用できる。タイトルはどう見ても飛び道具なのに、中身はその飛び道具を雑に投げて終わらせない。むしろ全力で振り回し、そのまま最後まで走り切る。そこがまずいい。
そもそも事故物件ホラーというジャンル自体、ここ数年でかなり見慣れたものになった。心理的瑕疵だの告知義務だの、もともとは実務の言葉だったはずのものが、いまでは怪談の文脈でもすっかり通じる。これ自体、とても現代的な現象だと思う。
昔ながらの怪談にあったのは、土地の因縁とか家の呪いとか、もっと曖昧で湿った恐怖だった。だが事故物件ものでは、そこに値段や契約や流通が絡んでくる。
つまり、死が市場に接続されているのである。この生々しさが、いまの事故物件ホラーのおもしろさでもあり、嫌らしさでもある。
事故物件ホラーのルールを最初から壊してくる
ただ、そのジャンルが広まったぶん、どうしても型も増えた。曰くつきの部屋に住む、異変が起きる、過去を調べる、何かがわかる、逃げるか祓うか決着をつける。
もちろんこの流れは定番としておもしろいのだが、ある程度読むと手順が見えてくる。『入居者全滅事故物件』のおもしろさは、そこをいきなり蹴り飛ばすところにある。
本作は事故物件ホラーとして始まりながら、途中から事故物件という概念そのものを、もっと雑で、もっと巨大で、もっとどうかしている方向へ押し広げていく。
その象徴が、序盤から登場するストロング・ザ・メリーさんである。もう名前からしておかしい。いや、かなりおかしい。だいたいメリーさんという都市伝説は、もっとこう、距離を詰めてくる不気味さとか、逃げ場のなさとか、そういうじっとりした怖さの側にいるはずだ。
それが本作では、いきなりストロングである。恐怖が筋トレでもしたのかと言いたくなる。しかし、このネーミングひとつで作品の方針がきれいに示されているのがうまい。
本作がやっているのは、怪異を怖くなくすることではない。怪異の怖さの種類を変えているのである。見えないから怖い、正体がわからないから怖い、ではなく、見えても怖いし、しかも物理で殴ってくるからさらに怖い、という方向へ持っていく。ここが実にいい。
ホラーというジャンルは、ときどき人間側が無力すぎて、ひたすら追い詰められるだけの話にもなりやすい。もちろんそれはそれで魅力なのだが、本作はその無力感を別の熱量に変える。怪異が物理に寄ってくるなら、こちらも物理で迎え撃てばいい。そんな乱暴な理屈で世界を組み替えてしまうのだ。
そしてそこに現れるのが俵耕太である。このキャラクターがまたいい。怪異を祓うというより、しばき倒す。除霊という言葉から連想する厳かな儀式とはかなり遠い場所にいるのに、なぜかこれが作品世界ではきっちり成立してしまう。
このあたりがとても好きだった。理不尽なものに対して、さらに別種の理不尽をぶつけて突破する。その力技に妙な説得力があるのである。
ただ、本作のおもしろさは、怪異バトルが派手というだけではない。敵もまたちゃんと強く、展開もどんどん加速していくから、ネタの一発芸で終わらない。笑っていたはずなのに、気づくとかなり真剣に先を読んでいる。
ホラーの緊張感と、アクションの景気のよさが、変な具合に同居しているのだ。この混ざり方はかなり独特である。
不動産と建築の語彙が、この話を妙に嫌なものにする
本作をただの怪力ホラーアクションにしていないのは、不動産や建築の語彙がしつこいくらい絡んでくるからでもある。
一級事故物件建築士だの、心理的瑕疵だの、経済的影響だの、言葉だけ拾うと不動産実務の資料でも読んでいるみたいなのに、その内容はきっちり悪霊と暴力と死にまみれている。このちぐはぐさがいい。荒唐無稽な話なのに、変なところだけ生活感があるのである。
ここには、かなり嫌なリアリティもある。事故物件という言葉は、死があった場所を恐れる言葉であると同時に、その死を処理して、再び市場に戻すための言葉でもある。つまり社会は、死を忌避しつつ、それを値札のついた情報として扱っている。
本作の死ぬための建築や全滅した居住空間は、その論理を思いきり極端にしたものだ。極端なのに、発想の根っこは案外こちら側に近い。人が住むための家というのは、いつだって人が死ぬ可能性を含んでいるのに、普段はそこを見ないようにして暮らしている。その見ないようにしている部分を、本作は笑いと暴力で無理やり見せてくる。
しかも、その見せ方が説教くさくないのがいい。とにかく勢いがある。パワーワードが飛び交い、展開はどんどん加速し、気づけば話はタワーマンションから月面にまで届く。
こう書くと本当に何を言っているのかわからないのだが、実際読んでいても、たびたび何を読まされているんだ私は、という気持ちになる。だが、その困惑がだんだん快感に変わっていく。この感覚がこの作品のかなり大きな魅力だと思う。
特にタワーマンションの扱いはうまい。現代都市の成功や洗練の象徴みたいな場所が、全入居者が死んだ巨大な墓標のようなものへ反転していく。これはかなり意地が悪いイメージだ。便利で、清潔で、高層で、セキュリティも万全そうな空間が、じつは大量の孤独と死を抱え込む器にもなりうる。
本作はその嫌さを、怪異とアクションのど真ん中にねじ込んでくる。しかも、それを重苦しく描きすぎない。ロボみたいな方向にまで飛ばしてしまうから、笑えてしまう。でも笑えるのに、根っこの嫌さはちゃんと残る。このバランス感覚はかなり独特である。
この作品の批評性は、まさにここにあると思っている。事故物件ものとして見れば相当ふざけているのに、事故物件という言葉が背負っている現代の嫌な感覚、つまり死の処理、記録、流通、隠蔽、商品化といったものを、きっちり別のかたちで炙り出しているのだ。
だから読後に残るのは笑いだけではない。変な熱さと一緒に、都市の居住空間そのものへの薄気味悪さも残るのである。
月まで行くのに、最後まで事故物件の話として読める
さらに楽しいのは、エスカレーションの仕方が徹底している点である。一軒家から集合住宅へ、タワーマンションへ、そして月へ。
普通ならどこかで、もう別の話だろうと言いたくなるのだが、この作品はそこを力技でつないでしまう。しかも、ただ派手になるだけではない。舞台が拡大するごとに、事故物件という概念そのものも膨らんでいくのである。
月まで行ってしまうあたりになると、もう完全にスケール感が壊れている。だが、それでもなお事故物件の話として読めてしまうのがすごい。
人が死ねば、そこは誰かにとって事故物件になる。ならばその発想をどこまで拡張できるのか。本作はそこを本当に宇宙規模まで押し広げてしまう。普通なら悪ふざけで終わりそうなところを、最後まで一本の話として繋いでいるのは見事だと思う。
俵耕太という人物がただの便利なヒーローで終わっていないのもよかった。彼は怪異を殴る側の人間でありながら、どこか死者の側にも足をかけている。だから彼の戦いには、単純な爽快感だけでは片付かないものがある。
悲劇をきれいに浄化するのではなく、暴力で無理やり終わらせる。その乱暴さが、この作品では妙にやさしく見える瞬間があるのだ。ここが本作の少し不思議なところで、馬鹿っぽい勢いで押してくる話なのに、ときどきふっと情がのぞく。その落差が効いている。
春海水亭『入居者全滅事故物件』は、事故物件ホラーはもうだいたい出尽くしたのでは、と思っているところに、まだこんな変な伸び方があるのかと見せつけてくる怪作だった。
ホラーを怖さだけのジャンルとして扱わず、アクションにも、SFにも、不動産実務のブラックユーモアにも接続し、それでも最後まで怪談の匂いを手放さない。
この雑多さが楽しい。いや、楽しいという言い方だけでは少し足りない。とても妙で、かなり無茶で、でも妙にきちんと胸に残る。
最初はタイトルの勝利かと思った。だが読み終えるころには、タイトルだけではなく、発想も、勢いも、語感も、スケールの上げ方も、全部ひっくるめてこの作品の勝ちだと思わされる。
事故物件という題材は、まだこんなふうに暴れられる。本作はそのことを、だいぶ乱暴に、だいぶ景気よく証明してみせた。
こういう作品に出会うと、ホラーはまだまだ変な方向に進化できるのだなと、妙にうれしくなるのである。
事故物件はもう怖いだけの場所ではない。
本作はそんな無茶を、本気で成立させてしまった。
そこがたまらなく好きなのだ。



















