かつて、名探偵が大流行した時代があった。
名の売れた探偵はタレントのように芸能事務所に所属し、難事件の知らせが入ると現場に駆け付け、カメラの前で揚々と推理を展開してみせるのだ。
名探偵はお茶の間で人気となり、特に優秀な者は四天王と呼ばれ、崇められていた。
そんな名探偵の黄金時代から二十余年。
令和になり、ブームはすっかり去ったと思われていた。
ところがある時YouTubeのチャンネルで、かつての名探偵・五狐焚 風(ごこたい かぜ)が叩かれ始めた。
「名探偵に人生を奪われた。私は五狐焚 風を絶対に許さない」
チャンネルはたちまち炎上し、突然のことに風は驚愕する。
そんなはずはない、俺たちは正しかったはずだ。
それとも気づかないうちに、何か間違いを犯していたのだろうか?
風は当時の助手・鳴宮 夕暮(なるみや ゆうぐれ)を伴い、旅に出ることにした。
自分たちが過去に関わった事件を、ひとつひとつ検証するために。
連作短編風に描かれた過去の事件
『名探偵の有害性』は、かつての名探偵と助手の旅路を描いたミステリー・エンターテイメントです。
舞台は架空の日本で、「約二十年前に名探偵ブームがあった」という設定。
今ではブームは完全に終わっており、とりわけ人気のあった名探偵・風もすっかり鳴りを潜め、五十代のオジサンに。
なのになぜか今になってYouTube上で責められ否定され、「名探偵は有害だ」とまで言われてしまい、不思議に思った風は原因を探ることにしたのです。
物語の語り手は、風の助手だった夕暮。
風と同じくらい優秀な頭脳を持つ女性ですが、今ではやはりアラフィフに。
でも当時二人で活躍した思い出をとても大事に思っていて、「いつか死んで虹の橋を渡ったら、また風と組みたいな」とロマンチックな夢を抱いています。
この二人が、風がネットで糾弾されたことをきっかけに、約二十年ぶりに再会します。
そして、自分たちの過去の推理が本当に正しかったのか検証するため旅に出るというのが、物語の大筋です。
旅の行き先は様々で、検証する事件も様々。
当時の風と夕暮がどれほど精力的にあちこちに赴いて活動していたかがわかります。
まずは行方不明の兄が骨格標本として展示されていた事件。
次に、スキー場のペンションで起こった連続殺人事件。
そして瀬戸大橋を渡る豪華列車に爆弾が仕掛けられた事件。
さらにカルト教団からの救出劇、などなど。
それぞれがミステリーとして独立していて読み応えがあり、まるで連作短編ミステリーのように楽しめます。
しかも読者にとっては、当時の事件を推理しながら、風たちの活動のどこに「名探偵の有害性」があったのかを探るという、二重の謎解きができるようになっているのです。
旅で気付いた大切なこと
風と夕暮は、自分たちの軌跡を辿っていくうちに、心境が少しずつ変化してきます。
最初はYouTubeでの糾弾の謎解きが目的でしたが、その過程でいくつもの気付きがあって、それが二人を変えていくのです。
風は、当時の依頼人や被害者たちの現在の様子を見て、少なからずショックを受けます。
自分は事件を解決し、一件落着した気分になっていたけれど、当事者たちの人生はその後も続いており、そこには多くの痛みや悲しみがありました。
彼らにとっては、事件そのものは解決しても、苦しみは現在進行形。
しかも名探偵が介入したことで、余計な苦しみまで背負ってしまった部分もあり…。
風は改めて、「名探偵には人の人生に対する責任が想像以上にあった」と悟るのです。
一方夕暮は、自分自身の存在意義について考えます。
旅の道中で気付いたのは、かつての自分が、名探偵の付録でしかなかったということ。
風と同等の推理力や洞察力を持っていたにもかかわらず、助手の立場に甘んじて、「自分」というものを生かしてきませんでした。
つまり、「自分の人生」を生きてこなかった。
これらに気付いてから、二人の旅の目的は変わってきます。
名探偵の在り方だけでなく、これまでの生き方を見直し、これからの目的を再設定するのです。
二人がどんな答えを見出すのか、この先の人生をどう生きるのか、いつか虹の橋で再会するという淡い夢をどうするのか。
ラストでは、思わず涙がこぼれ出るような劇的な展開が待っています。
新たな人生の道しるべになる一冊
『名探偵の有害性』は、ミステリーでありながら、ドラマチックな成長物語も楽しめる作品です。
旅をしながら、「昔解決した事件が本当の意味で解決していたのか」を探る過程はミステリーとして秀逸で、闇に潜み続けた真犯人を炙り出すようなドキドキ感があります。
同時に、「自分がやったことが本当に正しかったのか」を見極めるハラハラ感もあり、こちらもミステリーとして目が離せない展開!
そしてそれ以上に印象深かったのが、風と夕暮の成長。
二人が過去の過ちに気付き、新たな価値観を構築していく様子には、胸が締め付けられました。
罪に向き合う苦しさと、しがらみを脱ぎ捨て新たな未来へと進む勇気とが行間から溢れており、読みながら何度胸が熱くなったことか。
アラフィフの二人にとって、人生の方向を大きく転換することは簡単ではないでしょう。
でも人生百年と言われている今の時代、五十代はまだ半ば。
残り半分もあるのだから何だってできそうだし、半分しか残っていないからこそ、後悔のない実りの多い人生に変えていきたいですよね。
風と夕暮は、そんな前向きな気持ちを読者に与えてくれます。
作者の桜庭一樹さんは成長物語の名手ですので、本書は真に桜庭さんらしい一冊だと思います。
ファンの方はもちろん、これまでの人生に迷いがある方や、これからより豊かに生きていきたい方は、ぜひお手に取ってみてください。
きっとこの本が、何らかの道しるべになると思います。