古びた段ボール箱。赤いマジックで書かれた「開封厳禁」の四文字。
始まりは、そんな地味で、でもちょっと不穏な光景だ。
舞台はどこにでもありそうな製菓会社。その新入社員が書庫の隅で見つけた段ボールを開けてしまったことから、ヨシモトミネの『この会社は実在しません』という地獄のような物語が幕を開ける。
書かれているのは「開封厳禁」だけれど、それを見つけてしまったらもう終わりだ。絶対に開けるなと言われれば言われるほど、人は開けたくなる。
なにせその向こうにあるのは、会社の過去の記録。しかも、なぜか大量に保存されているビデオや社内資料、録音音声など、やたらと〈記録されすぎている〉情報たち。
そう、この小説はモキュメンタリーという形式をとっていて、直線的なストーリーではなく、断片的な資料をつなぎ合わせることで真相に迫っていく。主人公と一緒に記録を読み、推理し、想像し、そして震える。気づけば読者自身が会社の謎を掘り起こす張本人になっているのだ。
しかも作者は、そんな記録形式の恐怖を巧妙に利用するどころか、真っ正面から読者にこう言ってくる。
「これはモキュメンタリーです」と。
え、フィクションだって、最初から言っちゃうの? と思うかもしれない。でもここが本作のすごいところだ。
フィクションだと分かっていても、なぜこんなにゾッとするのか。その答えはきっと、あなた自身の日常にある。
「社員は家族です!」という呪い ホラーと企業文化の結合

日本で働いたことがある人なら、一度は聞いたことがあるだろう。
「社員は家族です」「アットホームな職場です」……。
よくある求人広告の決まり文句。でもその裏には、残業代は出ません、休日出勤当たり前、メンタル壊れるまで頑張ってね、というやばい匂いが充満していることも多い。
本作に登場する「スノウ製菓」という会社も、まさにそんな一見良さげな会社の皮をかぶった怪物だ。アットホームどころか、「家族」という言葉が、ここでは完全にホラーの装置になっている。営業研修は儀式、社内イベントは通過儀礼。団結の名のもとに繰り返される異常な慣習。そのすべてが、「仲間」と「忠誠」を盾にしたカルト的支配へと繋がっていく。
怖いのは、それがあまりにも「日常」に見えることだ。録画映像の中で社員が笑いながら血を流し、会議室で研修と称して異様な儀式が行われる。だけど、それがあまりにも社内っぽくてリアルすぎる。異様な風景なのに、「あ、こういう会社……もしかしたら本当にありそう」と思ってしまう。これが怖い。
そして、何より怖いのは「だいじょうぶ」という言葉だ。本作では、この何気ない言葉が何度も繰り返される。社員が社員を慰めるように、「だいじょうぶ」と言う。
でも、それは決して心からの励ましではない。会社の歯車になってしまった人間たちが、疑問を抱かずに済むように互いにかけあう呪文なのだ。
気づけば、「だいじょうぶ」が「大丈夫じゃない」の合図にしか聞こえなくなる。
あなたの職場にもQRコードがあるかもしれない 物語が現実に侵食するとき
『この会社は実在しません』の凄さは、物語が紙の中だけにとどまらないことだ。なんと作中に出てくる「スノウ製菓」のWebサイト、実在する(というか、アクセスできる)。
スマホでQRコードを読み取れば、そこにちゃんと製品紹介があって、企業理念があって、社員紹介がある。もちろんすべて架空のはずなのに……それが恐ろしいほどリアルに作られている。
一見ふつうのサイト。なのに、あの恐怖の記録を読み進めたあとで見ると、「この会社、本当にあるのかも……」と思わずにはいられない。画面の奥に、あの営業研修の映像が続いているんじゃないか、今もどこかの書庫で「開封厳禁」の箱が増えているんじゃないか、そんな気がしてしまう。
さらに恐ろしいのは、この物語が「カクヨム」というWeb小説サイトで連載されていたという事実だ。作中の主人公も、発見した記録をネットにアップしている。つまり、作者と主人公がリンクしている。読んでいる私たちも、作中の読者と同じ構造に組み込まれている。
もうここまでくると、物語の「外」がない。現実のWeb、現実の読者、現実の検索、現実の会社員生活――それらすべてが、フィクションの中に呑み込まれていく。ホラーが現実を侵食する瞬間って、たぶんこういうことを言うんだと思う。
だいじょうぶ、が怖い。読後、あなたは何を信じるか
最後の最後、物語は静かに終わる。でも、その終わりは決して安心ではない。主人公が辿り着いた結論も、読者が知る真実も、「確定」ではない。断片的な記録、ぼやけた映像、誰かの記憶、誰かの証言。それらをどう読み取るかは、すべて読者に委ねられている。
だからこそ怖い。この物語の読後感は、言葉にならない居心地の悪さ、というか、胸のあたりに広がる疑念のようなものだ。あの会社、本当に実在しないんだろうか。もしかしたら自分の会社も、ただ気づいていないだけで、どこかが狂っているんじゃないか――。
思えば、作中で最も恐ろしかったのは、幽霊でも怪物でもなかった。人間たちが、自分たちの常識を少しずつ削り取られながら、それでも笑って働いている姿だった。違和感を口に出すことなく、「だいじょうぶ」と言い合いながら、今日も定時を過ぎるまで残っている、そんな姿だった。
この物語は、ある意味で働くことそのものを怪談に変える。普通の会社、普通のオフィス、普通の社員教育。そのすべてに潜む「異常」を、ホラーというジャンルを使って白日の下にさらしてみせる。
読者としてのあなたは、この本を読み終えたあと、会社に出勤するたび、ふと不安になるかもしれない。「だいじょうぶ」って言われたときに、それは本当に安心していい合図なんだろうか、と。
決して応募してはならない求人
『この会社は実在しません』は、単なるホラー小説ではない。モキュメンタリーという形式の妙、企業社会への鋭い風刺、デジタル空間との連動、そして読者自身を巻き込む物語構造。これらがすべて揃っている。しかもそれが、デビュー作である。末恐ろしい才能だ。
とりわけこの物語が象徴しているのは、ホラー小説の新しい形かもしれない。一方的に怖がらせられるのではなく、読者自身がその恐怖の輪の一部になっていくような読書体験。そういう作品が、今後さらに増えていくだろう。その中でも『この会社は実在しません』は、明らかに先を行っている。
もしあなたがこの物語を読み終えたあと、「スノウ製菓 採用情報」なんて言葉を検索してしまったら……それはもう、呪いが始まっている証拠だ。
あらためて言っておこう。
この会社は実在しない。
でも、あなたの職場にそっくりかもしれない。
そして何より、もしその求人情報を見かけたら――
「ぜったいに、応募しないでください」