『ハレー彗星の館の殺人』- 古典の形式を更新する、本格館ミステリの理想系【読書日記】

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読む前から、これは設定の勝ちだと素直に認めたくなる瞬間がある。

トリックでもキャラクターでもなく、あるいは仕掛けのための舞台ではなく、舞台そのものが事件の論理になっている作品だ。

ロス・モンゴメリ『ハレー彗星の館の殺人』は、まさにそのタイプの一作である。

孤島、館、密室、貴族の一族、全員に動機あり。並べてみれば、かなりクラシックな本格ミステリの顔つきだ。

だが本作が面白いのは、その古典的な道具立てを懐古趣味で終わらせず、1910年という時代の不安と、ハレー彗星接近の終末的ムードを物語の駆動力に変えているところにある。

私はこういう作品に弱い。黄金時代風の見た目をしていながら、内側ではきちんと現代の感覚で組み立てられているもの。しかも本作は、階級、性別、司法、教育といったテーマまで自然に織り込みながら、説教くさくならず、むしろ会話のテンポとユーモアで読ませてくる。このバランス感覚がかなりいい。

ロス・モンゴメリは児童文学で知られる作家だが、その経歴もここでは良い方向に働いている。人物の立ち上げ方が巧いし、閉ざされた館の中でも場面がよく動く。

迷宮的な空間処理にも手慣れた感じがあって、この人は空間を物語に変えるのが上手い思わせる。初の大人向け長編ミステリでこれをやられると、かなり困る。シリーズを追いたくなるからだ。

目次

1910年という終末の気配が、そのまま密室の論理になる

ロス・モンゴメリ『ハレー彗星の館の殺人』

おすすめ度:(4.9)

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この小説のいちばん鮮やかなところは、1910年のハレー彗星騒動を単なる時代の飾りにしていない点にある。

ハレー彗星の尾には有毒ガスが含まれているのではないか。そんな噂が社会を覆い、人々は本気で「世界の終わり」を恐れていた。しかも同時期にはエドワード七世が崩御している。国王の死と彗星の到来。時代が終わる感じが異様に濃い。

本作は、この終末感をそのまま館ミステリの閉鎖性に変換してみせる。舞台となるタイズ館は、満潮時には本土から切り離される潮汐島に建っているだけでも厄介なのに、当主コンラッド子爵が彗星の毒ガスを恐れたせいで、館中の窓や扉を板で打ちつけ、鍵穴にまで蝋を詰めてしまう。地理的にも人為的にも閉ざされた空間が、ここで完成するのである。

これが実にうまい、というか好きだ。孤島ものや吹雪の山荘ものでは、外部遮断の理由がどうしても「お約束」に寄りがちだが、本作ではその遮断が時代背景から自然に立ち上がる。

彗星パニックがあるから閉じる。閉じるから密室になる。密室になるから疑心暗鬼が増幅する。舞台装置とトリックの都合が、きれいに噛み合っている。

しかも1910年という設定は、閉鎖空間の合理化だけにとどまらない。階級制度のひずみ、女性の抑圧、使用人を背景として扱う感覚、科学への期待と恐怖、文明が進んでも迷信から離れられない不安。そうしたものが館の内部に沈殿し、事件の空気を濃くしていく。

つまり本作の密室は、ただ部屋が閉じているだけではない。時代そのものが閉じているのだ。

古い秩序が終わりかけているのに、まだ誰もその外へ出られない。その息苦しさが作品全体の底に流れている。だから本作は、単なるクラシック再現に終わらない。

タイズ館の造形が、本格ミステリ好きのツボをきれいに突いてくる

https://www.kadokawa.co.jp より引用

私は館ミステリに対してわりと面倒な好みを持っている。大きければいいわけでも、奇抜ならいいわけでもない。その建物が事件の論理と感情の両方を抱え込んでいるかどうかが大事だ。その点でタイズ館はかなり優秀である。

潮が満ちれば孤立する島に建つ館。さらに板で塞がれた窓、密閉された扉、二階の書斎、隣接するロングギャラリー、不気味な甲冑列、秘密の通路、複雑な階段、庭の迷路まで揃っている。古典的な意匠が並ぶのに、「盛りすぎ」に見えないのがいい。ゴシック趣味とパズル性の均衡が取れている。

とくにいいのは、タイズ館が単なる背景ではなく、登場人物たちの心理を映す装置になっているところだ。外の世界を恐れて、自分たちで館を塞いでしまう。

安全のための板張りが、かえって不安と疑念を深める。見えないから想像が暴走し、閉ざされているから秘密も腐っていく。この館は、一族の神経症そのもののように見えてくる。

本格ミステリの館は、しばしば「過去が物質化した場所」だ。でも本作では、そこに終末への怯えまで上塗りされている。そのせいで書斎の密室殺人も、不可能犯罪であると同時に、一族全体が抱え込んできた恐怖の爆発のように見えるのだ。

凶器がクロスボウであるのも実にいい。銃ではなく、もっと古く、儀式めいた気配を引きずる武器であることが、この館によく似合う。

こういう空間を前にすると、頭が本当に元気になる。隣室との位置関係はどうか、誰がどの通路を使えたのか、板張りの内外はどう処理されているのか。

平面図を見ながら、これはこうか、いや違うか、と考える時間そのものが楽しい。本作はその楽しみをきちんと保証してくれる。

デシマとスティーブン、このバディがとにかく強い

https://www.amazon.co.jp より引用

本作を特別なものにしている最大の要素は、やはりデシマとスティーブンのコンビだと思う。

79歳の老令嬢デシマ・ストッキンガムは、迷信を嫌い、科学を信じ、しかも口が悪い。かなり悪い。ただ、その毒舌が安いギャグではなく、長年の抑圧に対する反撃として機能しているのがいい。

女性であるがゆえに学問や相続の場から締め出されてきた人物が、老境に入ってなお知性を武器に世界へ噛みついていく。この時点で、探偵としてかなり強い。

しかも彼女は、単なる「かわいい変人おばあちゃん」には回収されない。観察眼が鋭く、偏屈で、攻撃的で、自尊心が高い。だが他人の痛みに鈍感ではない。とくにスティーブンへの接し方がそうで、彼をただの助手や召使いとしてではなく、頭を使える人間として見ている。その視線がいい。

一方のスティーブン・パイクもまた、かなりうまく造形されている。19歳の従僕で、少年院帰り。階級社会の中では最初から疑われやすい立場に置かれている。

彼を語り手にすることで、本作は館の上層だけでなく、その下にある構造的な不公平まで見せてくるのだ。貴族たちには見えないものが、使用人には見える。逆に、見えていても信じてもらえない。スティーブンはその宙づりの位置に立っている。

この二人の関係がとてもいい。老いた女性と若い下層階級の青年。一見交わらなそうな二人が、知性と観察によって結びついていく。

この感じはホームズとワトソンとも違うし、ネロ・ウルフとアーチーの変奏にも見えるし、ミス・マープルものを少しパンクにひねったようにも見える。だが最終的には、かなり独自のバディになっているのだから最高だ。

何より好きなのは、この二人が互いを過剰に救済しないところだ。感傷に寄りかからず、あくまで事実を見て、推理で前へ進む。その過程で少しずつ信頼が生まれる。シリーズの第一作として、このコンビを立てた時点で本作はかなり強い。

これは館ミステリであると同時に、社会を暴く小説でもある

「今夜」

子爵が続ける。

「グリニッジ標準時で午後五時、彗星がまたも地球を通過する。その到来は毎回大きな変化をもたらしてきた。ハンニバルがカルタゴで敗れるのを予告し、エルサレム陥落のまえにも現われており、征服王ウィリアムの勝利の先触れとなったとも伝えられている。だが今回はかつてないほどに深刻だ」

またここでもったいをつけた。

「今回は、これにより世界の終わりを迎える」

『ハレー彗星の館の殺人』より引用

『ハレー彗星の館の殺人』を読んで印象に残ったのは、きちんと本格ミステリをやりながら、その足元にかなり鋭い社会批評が埋め込まれていることだ。

館の中に集められた親族たちは、誰もが被害者に恨みを持っている。遺産、地位、金、過去の失敗、秘密の隠蔽。動機だけ見れば古典的だが、その背景にはエドワード朝社会のひずみがはっきり横たわっている。

階級があり、性差別があり、使用人は機能として扱われ、前科のある若者は最初から疑われる。つまり事件の「なぜ」は個人の悪意だけでなく、社会の構造からも生まれている。

この処理がうまい。声高に主張しないのに、気づくとかなり深いところまで踏み込んでいる。スティーブンが疑われるのは、彼が怪しいからではなく、疑うのに都合のいい立場だからだ。警察がそこへ乗るのも、偏見に従うほうが楽だからである。この嫌なリアルさが、妙に現代的だ。

そして本作が良いのは、こうした社会的テーマがミステリの面白さを殺していないことだ。むしろ動機や真相の重みを増している。密室トリックの成立と、人間関係の歪みの露呈が、きれいに接続されている。

終盤、一族の歴史や血の問題が浮かび上がるにつれ、事件の見え方が変わる構造もかなりうまい。どんでん返しがサプライズで終わらず、館の秩序そのものを揺らしてくる。

私は、本格ミステリに必ず社会性が要るとは思わない。なくても傑作は傑作である。ただ、あるならば、それは構造に組み込まれていてほしい。本作はその条件をかなりきれいに満たしている。だから手応えが強い。

ハレー彗星が空を横切り、人々が終末を恐れ、館の中では古い秩序がきしみながら崩れていく。そのただ中で、老令嬢と少年院帰りの青年が、偏見より事実を、権威より理性を選び取っていく。私はそこに、この小説のいちばん好きな部分を見る。

『ハレー彗星の館の殺人』は、クラシックな館ミステリへの愛情に満ちた作品である。だがそれだけではない。古い形式を借りて、古い社会の歪みまで暴いてみせる小説でもある。

探偵コンビは立ち、舞台も強く、トリックにも手応えがある。これで続きを期待するなというほうが無理だ。

終末の気配の中でも理性が機能することを証明したこの一歩が、次にどこへ向かうのかが気になって仕方がない。

というわけで、続編をお願いします。

Amazonの聴く読書『Audible(オーディブル)』で聴ける神ミステリ10選

① 綾辻行人 『Another
② 有栖川有栖『月光ゲーム
③ 森博嗣『すべてがFになる
④ 麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件
⑤ 今村昌弘『屍人荘の殺人
⑥ 殊能将之 『ハサミ男
⑦ 青崎有吾 『体育館の殺人
⑧ 知念実希人 『硝子の塔の殺人
⑨ 夕木春央『方舟
⑩ アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった

悠木四季

あの傑作ミステリを「聴ける」という奇跡!

私も利用しているけれど、「読む」とはまた違った良さがある。

何より、寝ながら聴いたり、散歩中に聴いたりと便利すぎるのだ。

この記事を書いた人

悠木四季
ただのミステリオタク
年間300冊くらい読書する人です。
特にミステリー小説が大好きです。

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