現代ホラーの怖さは、何も血まみれの化け物や悲鳴だらけの展開だけじゃない。むしろ、ありふれた日常が静かにずれはじめる瞬間にこそ、本当の恐怖は潜んでいる気がする。
『廃集落のY家』も、冒頭は拍子抜けするほど穏やかだ。大学の新歓合宿。まだ春の空気が少し冷たく、でも友達ができたばかりのワクワク感で胸がふくらんでいる時期。令徳大学の1年生、小佐野菜乃、蓬萊倫也、泉秋久。
3人はオカルトが好きという共通点でつながり、「怪異研究会」という小さなサークルを作った。授業終わりにコンビニで肉まんを買って集まったり、古い廃ビルの写真を見ながらおしゃべりしたり。どこにでもあるような青春の一コマだ。
だからこそ、蓬萊が突然姿を消す場面は、余計に空気を冷やす。昨日まで笑っていた人が、ふっとこの世から抜け落ちるようにいなくなる。その不自然さと不安感。菜乃と泉がSNSで見つけたのは、夜の草むらに立つ蓬萊らしき人物の動画だった。
画面越しでもわかる、首の角度のおかしさ。動かない。呼吸をしているのかもわからない。虫の声が遠くで鳴っているのに、その姿だけが無音の世界にいるように見える。
その数秒間の映像が、背筋を湿らせる。これは事故でも酔っぱらいでもない、もっと別の何かだ。
蓬萊はやがて見つかる。しかし、戻ってきた彼はもう彼ではなかった。黒い靄をまとったように重く、冷たく、まるで石像になったかのように動かない。目からは光が抜け落ち、そこにあったはずの「人間らしさ」がごっそり消えている。
何があったのか。それを突き止めたくて、物語は加速していく。
ホラーとミステリーの二刀流

遠坂八重の書き方は、いわゆるホラー作家のそれとは少し違う。元々ミステリー畑の人だから、恐怖の中に「謎を解く面白さ」がびっしり詰まっている。
デビュー作『ドールハウスの惨劇』では新人賞を受賞し、緻密な構成力と伏線の張り方で高く評価された。その経験が、この作品にも息づいている。
舞台は日本ホラーの定番「廃村」と「因習の家」。山間の奥深く、地図にもほとんど載っていない集落。道は舗装が剥がれ、電線は途中で切れたまま。家々は屋根が抜け、窓ガラスは割れている。風が吹くと壁の板がきしみ、遠くから犬とも狼ともつかない鳴き声が響く。
そういう場所に「Y家」がある。災害や古い風習が、この土地を長く閉ざしてきた。
けれど本作はそこで終わらない。恐怖がネットを通じて広がっていくのだ。動画が拡散され、匿名メールが届き、掲示板で過去の事件が掘り返される。廃村の怪異が、スマホの中から現れる感覚。外界から隔絶されたはずの恐怖が、現代ではポケットの中まで入り込む。
この構造がじりじりと効く。廃村に足を踏み入れなくても、怪異はやってくる。スマホを開くだけで、自分の生活圏に侵入してくるのだ。
そして、物語の呪いには妙な現実感がある。蓬萊の変化は「諦念症候群」という実在の症例に酷似している。強いトラウマを受けた子どもが、完全に無反応、無動作になってしまう病気。痛みにさえ反応せず、生命維持に医療的サポートが必要になる。
作中の描写と、この病気の症状が重なった瞬間、怪異は単なる空想の産物ではなく、現実のどこかに実在しているような重みを持ちはじめるのだ。
信じられない語り手と、二度読み必至の仕掛け
物語を導く菜乃という人物は、霊感ゼロ、けれど好奇心と行動力だけは旺盛。悪く言えば、思いつきで突っ走るタイプだ。ちょっと怖いことにも首を突っ込み、危ない兆候があっても止まらない。
そんな彼女の視点で語られる出来事は、最初は真実味があるように思える。でも、ひとつずつ積み重なっていくと、「これは本当に事実なのか?」という疑いが芽生えるのだ。見間違い、思い込み、早合点。そのどれもが可能性として残る。
そして、その違和感には意味があった。ありがたいことに、この作品は「最後の最後で全てが覆る」とか「二度目に読むと別物になる」という、まさにミステリー小説の醍醐味を味わえる展開になっている。
これは嬉しい誤算!まさかホラー小説でこんなにガッツリ騙されるとは。
アガサ・クリスティーや綾辻行人のあの傑作のように、物語の構造自体が最大の謎になっている良きミステリだ。
だから、この作品はただ怖がるだけではもったいない。どこに嘘や見落としがあるのか、誰が何を隠しているのか、頭の片隅でずっと考えながら進めると、一層スリリングになる。
人間がつくる闇の形
また、読み進めるうちに、もうひとつの恐怖が浮かび上がってくる。それは超常的な怪異ではなく、人間の悪意だ。
物語の背景には、18年前の未解決事件や「相互援助会」と呼ばれる謎の組織がある。そこに絡むのは、人が人を追い詰め、利用し、時に傷つける構図だ。幽霊はその陰に隠れるかたちで存在感を増している。
中でも、身体的な暴力の描写は強烈だ。「手や腕の皮膚に御札を埋め込む」というイメージ、そしてそれをカッターで裂き、ピンセットで無理やり取り出す行為。文章を読んでいるだけで皮膚がざわつく。
こうした描写は、見えない呪いよりも、目の前の肉体的な恐怖のほうがよほど生々しく感じられる瞬間を作り出す。幽霊よりも、生きて動いている人間のほうが恐ろしい――そんな感覚が、物語を通して気持ち悪いくらいに広がっていく。
この作品では、超自然と現実の悪意が意図的に混ぜられ、境界が曖昧にされている。だから、最後まで「これは幽霊の仕業なのか、人間の仕業なのか」という問いが消えない。その不安定さが、この物語の持つ中毒性の正体だと思う。
『廃集落のY家』は、古い土着の怪異とネット時代の恐怖、そして人間の暗い感情がごちゃ混ぜになった、現代型ホラーだ。廃村の闇もスマホの画面も、どちらも同じように冷たい影を落とす。
気づけば、両側から包囲されている感覚になる。
そして読み終えても、あの虚ろな目をした人影が、頭の中からなかなか消えてくれない。