「どんでん返しの魔術師」として世界中のミステリファンを魅了するジェフリー・ディーヴァー。彼の名前を聞いて、まず『ボーン・コレクター』などを始めとした科学捜査官リンカーン・ライムが活躍する長編シリーズを思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし、ディーヴァーの真骨頂は、長編のみならず、短編においても遺憾なく発揮されています。
本稿では、日本でも高く評価されている彼の代表的な短編集、『クリスマス・プレゼント』と『ポーカー・レッスン』に焦点を当て、その魅力の核心に迫ります。ネタバレを避けつつ、各作品の特徴と、ディーヴァーが仕掛ける「騙される快感」の世界へとご案内いたします。
『クリスマス・プレゼント』- ”ひねり”の効いた傑作短編集
ジェフリー・ディーヴァーの名を日本でさらに高めたのが、2005年に文春文庫から刊行された第一短編集『クリスマス・プレゼント』です。本書の原題は『Twisted』。その意味する「ひねり」「ねじれ」の通り、収録された全16編の物語すべてに、鮮やかな「どんでん返し」が仕掛けられています。
この短編集は、ディーヴァーの多彩な才能が凝縮された一冊と言えます。スーパーモデルが選んだ究極のストーカー撃退法、オタク少年の意外な逆襲譚、未亡人と詐欺師の騙し合い、エリート釣り師の秘密の釣果、有閑マダムを相手にする精神分析医の野望など、バラエティ豊かなテーマが扱われています。
そして、邦題にもなっている表題作「クリスマス・プレゼント」は、この短編集のために書き下ろされた特別な一編であり、お馴染みのリンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場します。これは、ディーヴァーの長編シリーズのファンにとっても嬉しいポイントであり、ライムたちの新たな一面を垣間見ることができるでしょう。
『クリスマス・プレゼント』は、その完成度の高さから、日本のミステリ界でも大きな注目を集めました。権威あるミステリ・ランキング「このミステリーがすごい!」2006年版で第2位 、「週刊文春ミステリーベスト10」で第8位 にランクインした事実は、本作が日本の読者や批評家からいかに高く評価されたかを物語っています。「どの短編もひねりがきいていて味わい深い」「ハズレなし」といった声が多く 、特に「サービス料として」「三角関係」「釣り日和」などを好きな作品として挙げる人もいます。
本書の成功は、単に面白い物語が詰まっているというだけではありません。原題『Twisted』が示すように、ディーヴァーがこれらの短編において、「どんでん返し」という技法そのものを芸術的な主題として追求している点が重要です。一つ一つの物語が、いかに読者の予想を裏切るか、いかに鮮やかに騙すかという点に、作家の意図と技巧が集中しています。この、プロットの巧妙さ、仕掛けの精緻さを徹底的に追求する姿勢が、パズルのような知的遊戯性を好む日本のミステリファンの感性に強く響いたのでしょう。
一部作品紹介
・「クリスマス・プレゼント」 (Christmas Present) :本書のタイトルにもなっているこの作品は、この短編集のために書き下ろされた特別な一編です。ディーヴァーの代表的なシリーズであるリンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場し、クリスマスイブに起きた失踪事件の謎に挑みます。ライムシリーズのファンはもちろん、初めての方でも楽しめる、短編ながら本格的な事件が描かれています。
・「サービス料として」 (For Services Rendered) :裕福なマダムが、夫を殺害するために精神分析医を利用しようと企てます。精神病を装う彼女の計画は完璧に見えましたが、果たして精神分析医は彼女の思惑通りに動くのでしょうか? 心理的な駆け引きと予想外の展開が待ち受けています。
・「釣り日和」 (Gone Fishing) :釣りをこよなく愛するエリート男性。彼には、人には言えない「秘密の釣果」がありました。のどかな釣り場の風景とは裏腹に、物語は思わぬ方向へと進んでいきます。この短編集の中で私が特に好きな一遍です。
・「見解」 (Eye to Eye) :現金輸送車襲撃事件の現場に居合わせた二人の保安官助手。彼らは事件に乗じてある企みを思いつきますが、そこには高校時代にいじめていた、ある人物との因縁が絡んできます。過去の行いが現在にどう影響するのか、そして最後に笑うのは誰なのか、目が離せない展開です。
・「三角関係」 (Triangle) :タイトル通り、男女の三角関係を巡る物語ですが、ディーヴァーならではの「ひねり」が効いています。人間関係のもつれがどのような結末を迎えるのか、その意外性に多くの読者が驚かされた作品です。
これらはほんの一例ですが、『クリスマス・プレゼント』には、このようにバラエティ豊かで、読者の予想を裏切る巧妙な仕掛けに満ちた短編が詰まっています。ぜひ手に取って、ディーヴァー・マジックをご堪能ください。
『ポーカー・レッスン』- ”もっと”騙されたいあなたへ贈る第二短編集
『クリスマス・プレゼント』の成功から約8年後、ファン待望の第二短編集として2013年に邦訳刊行されたのが『ポーカー・レッスン』です。こちらの原題は『More Twisted』。このタイトルは、『クリスマス・プレゼント』の原題『Twisted』を明確に引き継いでおり「もっとひねりを効かせた物語」を読者に約束するものです。日本語版のタイトルは、収録作の一つ「ポーカー・レッスン」から採られています。
本書もまた、前作同様16編の短編が収録されており 、「ドンデン返し×16」というキャッチコピーが示す通り、読者を欺くことに徹底的にこだわった構成となっています。収録作品は1996年から2006年にかけて発表されたもので、「恐怖」「ロカールの原理」「のぞき」はこの短編集で初めて活字化されました。
『ポーカー・レッスン』は、前作以上に多様なシチュエーションでディーヴァー・マジックが炸裂します。表題作「ポーカー・レッスン」では緊迫したポーカーの大勝負が描かれ、科学捜査の原則「犯人は現場に必ず微細な証拠を残す」 が揺らぐ難事件に挑む「ロカールの原理」では、再びリンカーン・ライムが登場します。
その他にも、物語のほとんどが小さな家の一室で進行する「生まれついての悪人」、白熱の法廷劇が繰り広げられる「一事不再理」、100年ほど前のロンドンを舞台にした「ウェストファーレンの指輪」など、実に多彩な物語が読者を待ち受けています。そして、そのすべてに巧妙などんでん返しが仕掛けられており、中には二重、三重の反転が用意されている作品すら存在します。
この短編集もまた、日本のミステリランキングで高く評価され、「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」双方の2013年版で第5位を獲得しました。これは、『Twisted』で示されたディーヴァーの短編スタイルが、一過性の成功ではなく、継続して日本の読者に支持されていることの証です。『More Twisted』という原題が示すように、このコレクションは、第一集で確立された「ひねり」の妙技をさらに深化させ、読者が期待する「騙される快感」 をより豊かに提供することを目指したものとなっています。
ローレンス・ブロックやピーター・ラヴゼイといった他の短編の名手が、どんでん返しを通じて人生の皮肉や世界の複雑さを描き出すのに対し、ディーヴァーはより純粋に「読者を欺くこと」そのものに注力している、と私は感じました。この、読者との知的な駆け引き、騙し騙されるゲーム性を前面に押し出すスタイルが、精緻なプロットや伏線回収を重視する日本のミステリの伝統と親和性が高いのかもしれません。それが、ディーヴァーの短編集が日本でこれほどまでに愛される理由の一つと考えられます。
一部作品紹介
・「ポーカー・レッスン」 (The Poker Lesson): 日本語版のタイトルにもなっているこの作品は、その名の通り、緊迫したポーカーの大勝負を描いた物語です。ディーヴァーらしい仕掛けが、勝負の行方とともに読者を待ち受けています。
・「ロカールの原理」 (Locard’s Principle) :この短編集にも、リンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場する一編が収録されています。プロの殺し屋による犯行現場には、犯人の痕跡がまったく残されていませんでした。「接触する物体は必ず痕跡を残す」という科学捜査の基本原則(ロカールの交換原理)が通用しないかのような難事件に、ライムたちが挑みます。
・「ウェストファーレンの指輪」 (The Westphalian Ring) :舞台は100年ほど前のヴィクトリア朝ロンドン。腕利きの泥棒が主人公となり、最新の捜査技術を駆使する警察から逃れようとします。時代設定を活かした駆け引きと、もちろんディーヴァーならではの結末が用意されています。
・「恐怖」 (Afraid) :元モデルの美しい女性が、最近親しくなった男性と週末のドライブに出かけます。しかし、行き先を告げられないまま車は寂れた地域へと向かい、彼女は次第に言いようのない恐怖に襲われます。心理的なサスペンスが巧みに描かれた一編です。
・「遊びに行くには最高の街」 (A Nice Place to Visit) :ペテン師のリッキーが、酒場で耳にした口論から一儲けを企みます。しかし、事態は単純な詐欺話では終わらず、騙し騙されの展開が二転三転します。最後まで油断できない、まさに「Twisted」な物語です。
これらの作品も、『ポーカー・レッスン』に収録されている魅力的な短編のほんの一部です。どの物語も、ディーヴァーの仕掛ける「騙される快感」を存分に味わえるはずです。
ディーヴァー短編の真髄:極上の「騙される快感」
ジェフリー・ディーヴァーの短編が持つ独自の魅力は、その緻密なプロット設計にあります。一見何気ない描写やセリフが、実は後の展開への伏線となっていることが多く、読者は物語の細部にまで注意を払うことを求められます。短い物語の中に、起承転結だけでなく、読者を驚かせるための「大きなα(アルファ)」が巧みに仕込まれているのです。
ディーヴァーの短編を読むという行為は、単に物語を受け身で追うことではありません。それは、作者との知的なゲームに参加するような体験です。読者は「次は何が起こるのか」「どこに罠が仕掛けられているのか」と予測を巡らせますが、多くの場合、その予想は鮮やかに裏切られます。
そして重要なのは、単に驚かされるだけでなく、その騙され方の上手さ、仕掛けの巧妙さに感嘆し、そこに「快感」を見出す点です。読者は、作者が仕掛けた知的な罠に嵌められること自体を楽しむ、いわば共犯者のような立場に置かれるのです。この、読者を単なる傍観者ではなく、ゲームの参加者へと変える力こそが、ディーヴァー短編の真髄と言えるでしょう。
また、短編という形式自体が、現代の読書スタイルに適している点も見逃せません。1話完結のため、通勤時間や休憩時間など、短い時間でも一つの完成された驚きと満足感を得ることができます。それぞれの物語が、まるで宝石のように凝縮された魅力を持っているのです。
おわりに:どんでん返し好きにはたまらない
ジェフリー・ディーヴァーの短編集『クリスマス・プレゼント』と『ポーカー・レッスン』は、どんでん返しを愛するすべてのミステリファンにとって、必読の書と言えるでしょう。練り上げられたプロット、予想を裏切る展開、そして読後にもう一度読み返したくなるような仕掛けの数々は、まさに「ディーヴァー・マジック」そのものです。
どちらの短編集から読むか迷うかもしれませんが、まずは第一短編集である『クリスマス・プレゼント』から手に取るのが自然な流れかもしれません。しかし、どちらの作品も独立した短編で構成されているため、どちらから読んでも十分に楽しむことができます。
さあ、あなたもジェフリー・ディーヴァーが仕掛ける極上の「騙される快感」を体験してみませんか? ページをめくるたびに待ち受ける驚きと知的興奮は、日常を忘れさせてくれることでしょう。