『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』- タイトルで全部バラしてるのに、こんなに面白いなんてズルい【読書日記】

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このタイトルを見て、読まない選択肢があるだろうか?

『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』。

あまりにストレートすぎて、逆に怪しい。でも読んでみると、タイトル以上の驚きが次々に飛び出してくる。ベンジャミン・スティーヴンソンという名前は、今後忘れられそうにない。

語り手は、ミステリー小説の書き方に関する指南書を執筆する作家・アーネスト・カニンガム。

小説の冒頭でいきなりこう宣言する。

「これは本当にあった話で、僕の家族は全員誰かを殺してる」と。

冗談ではなく、本気だ。しかも、ただの一発芸じゃなくて、ちゃんと筋の通った“ミステリ”として物語が始まる。それでいて、かなり上質。

「でも全員が殺人犯って、どういう意味?」と最初は思う。実際、その意味はかなり含みがある。善人、悪人、運が悪かった人、それぞれ背景が違う。でもとにかく、読み始めると、もう“この家族の一員”になったかのように、物語に巻き込まれてしまう。

そして舞台は、オーストラリアの雪山にあるロッジ。そこに一家が集結。大雪で孤立。で、殺人が起きる。

はい、もう完璧なクローズド・サークルの出来上がり。外にも逃げられない、犯人はこの中にいる、しかも全員過去に誰か殺してるって設定、もう面白くならないはずがない。

目次

語り手が「読者に話しかけてくる」、メタフィクションの罠と快感

この作品の最大の特徴は、「語り手がやたら話しかけてくる」ところだ。読んでると、まるで作者と対話してる気分になる。というか、アーネストがずっと横でしゃべってる。

たとえば、「このあと10ページくらいで死体が出ます」とか、普通の小説ではありえないネタバレを自分で言ってくる。ミステリにおいて一番やっちゃダメなことを、堂々とやってくる。でもこれがむしろクセになる。

アーネストは“ミステリの指南書を書いてる人”という設定だから、とにかく詳しい。

そして彼は語るんだ。「この物語は、ちゃんとルールに従って書かれているよ」と。読者に対し、ロナルド・ノックスの「ノックスの十戒」を提示し、フェアプレイの約束を冒頭で宣言する。つまり、ルールに基づいた正統派の推理合戦をやりましょうっていう、ミステリ愛にあふれたスタンスなのだ。

だけど、信じすぎるのも危険。なぜなら、彼はこの物語の“語り手”であり、“コントロールしてる存在”だから。こっちが完全に信用して読み進めたら、最後にどんでん返しが待ってるかもしれない。そういう絶妙な「信頼と疑念のバランス」が、この本の最大のスリルになっている。

読んでる途中、何度も思う。「これ、アーネストにまんまと乗せられてるだけなんじゃ……?」と。でも、そこがまた楽しい。

完全に読者と共犯関係を築こうとしてくる小説。これはかなり珍しい体験だ。

雪山のロッジという、古典への敬意を込めた最高の舞台

物語の舞台は、オーストラリアの雪深い山中にあるリゾートロッジ。兄のマイケルが刑務所から出所するのをきっかけに、カニンガム家の人々が3年ぶりに集まることになる。世間から「人殺しの一家」と見られている彼らにとって、これは久しぶりの再会だった。

この「雪山のロッジに閉じ込められた家族たち」という設定は、ミステリーファンにとっておなじみであり、たまらない展開だ。アガサ・クリスティをはじめとする古典ミステリが築いてきた、「外の世界と断たれた密室空間=クローズド・サークル」という伝統的な舞台が、ここでも見事に用意されている。

そして、物語が始まって間もなく、激しい雪によってロッジは完全に孤立。事件が起こる準備はすべて整ったわけだ。

ただし、本作がただの古典オマージュにとどまらないのは、その設定にもうひとつ、驚くべき条件が加えられているから。

――容疑者は、全員「過去に誰かを殺したことがある」家族。

こんな舞台設定、何か起こるに決まっている。語り手のアーネストが不安を感じるのも無理はない。

そして案の定、到着した翌日、雪の中からひとつの死体が見つかる。それを機に、カニンガム家は否応なしに、ふたたび「殺人の家族」として事件に巻き込まれていくのだ。

外界と隔絶された物理的な閉鎖空間に加えて、「誰も信用できない家族」という心理的な密室を重ねた構造。これが本作のいちばんの特徴だ。

ミステリ×家族ドラマ=最高にめんどくさくて、最高に切ない

ただの推理小説だと思ったら大間違い。巧妙なフーダニット(犯人当て)でありながら、これは家族の話でもある。

カニンガム一家は、もう見事なくらいバラバラ。隠しごとばっかり、誤解ばっかり、文句ばっかり。でもね、すごくリアルなんです。こっちも思わず「いるよね、こういう親戚」って思っちゃう。

そして家族の会話がめちゃくちゃ面白い。皮肉、悪口、自虐、ケンカ。だけど、その裏にはちゃんと“情”がある。面と向かっては言えないけど、なんだかんだで心配してるとか、助けたいと思ってるとか。そんな不器用な人間関係が、殺人事件という極限状態の中で、じわじわとあぶり出されていく。

中でもグッときたのは、「家族ってのは、同じ血が流れてる人たちじゃない。この人のためなら血を流してもいいと思える相手のことだ」という言葉。ベタだけど、響いた。こんなバカげた状況でも、どこかでつながってる彼らを見ていると、「なんだかんだで家族ってすごいな」って思わされる。

そして忘れちゃいけないのが、ユーモア。作者がコメディアンでもあるから、ギャグのセンスが抜群なんだ。殺人が起きてるのに笑っちゃう場面もあって、この“シリアスと笑いのバランス”が絶妙。重くなりすぎないから、ミステリ初心者でもすごく読みやすいと思う。

ミステリーの読み方が変わる「二度読み必至」

読了後、まず思ったのは「やられた!」だ。誰が犯人か、何が真実か、っていう表面的な謎だけじゃなくて、「語り手を信じるべきかどうか」というもっと深いレベルでずっと揺さぶられ続ける。

しかも、ラストに近づくにつれて、いろんな伏線が鮮やかに回収されていくのが爽快すぎる。絶対2回読んだほうがいい。1回目は、先の読めない物語の展開にただ夢中になり、息つく暇もなくページをめくる。

そして2回目は、1回目の読書では見過ごしてしまった作者の巧妙な仕掛けや、何気ない一言に隠された伏線の意味を確認するために読み返したくなる。

ミステリ好きにはもちろん、「最近本読んでなかったなぁ」って人にもすすめたい。構えて読む必要はまったくないし、むしろエンタメとして最高レベル。興奮して、笑えて、考えさせられて、最後はちょっと泣けるかも……そんな一冊。

『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』、たぶんこのタイトルを見た時点で、もう選ばされてるんだよね。

「読むか、読まないか」じゃなくて、「読むしかない」って。そんな予感、たいてい当たるもんだ。

これはもう、ミステリ好きなら読むしかないやつです

そして何より、この作品を読み終えたあとに感じたのは、「これ、ミステリーの教科書としてもめちゃくちゃ優秀じゃん」ってこと。

語り手がいちいちルールを説明してくれるし、ジャンルの“お約束”を意識的に使ったり裏切ったりするから、読むだけで自然と「ミステリーってこういう構造なんだ」って感覚が身につく。つまり、初心者でも上級者でも楽しめる作りになってる。こんな懐の深い作品、なかなかない。

あともうひとつ、この作品が素晴らしいのは、「ミステリーって、まだまだこんなに自由に遊べるんだ!」ってことを証明してくれてるところ。オマージュだけじゃ終わらない。メタ的な視点を持ち込んだり、読者と会話するスタイルを取り入れたり、ユーモアを交えたり。まるで「ジャンルの壁を押し広げようぜ」って作者が言ってるような、そんな野心が伝わってくる。

だからこの本、ただ面白いだけじゃなくて、「これからのミステリー」の可能性を見せてくれるんだ。クラシックの良さをしっかり踏まえたうえで、ちゃんと“今の物語”になっている。

読後、満足感もあるし、なにより「またこういうの読みたい!」ってなる。

結論。

少しでも気になったら、とりあえず読んでみてほしい。

そして読み終えたあとには、きっとあなたもこう言ってるはず。

「やられた! でも、うちの家族はまともでよかった……」ってね。

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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