インターネット怪談と聞いて、まず何を思い浮かべるだろうか。
某まとめブログ? 2ちゃんの怖い話? あるいは、深夜にYouTubeを漁ってたどり着いた変な都市伝説動画かもしれない。
私にとってそれは、小学生の頃に見てしまった「洒落にならない話まとめスレ」だった。あれにはずいぶんハマっていたのを思い出す。あれ以来、掲示板形式の怪談には、どこか懐かしくて、でも何とも言えない気味悪さがある。
そんな個人的トラウマをもつ人に全力でオススメしたいのが、今回の一冊。城戸氏の『悪魔情報』である。
タイトルの時点で怖いような笑えるような、でも読み進めるうちに「これはやばいやつだ……」と全身で察することになる。
導入は比較的シンプルだ。子どもの頃に見た、あるCMに登場していた女が、大人になったある日、視界の端に「ずっと立っている」ようになる。それは霊的存在なのか、記憶の残滓なのか、情報化社会のバグなのか──正体はわからない。
ただ、どこへ行っても、何をしても、その女は視界の隅にいる。それだけ。だが、それが恐ろしい。
この違和感から始まる物語が、匿名掲示板を通じて広がり、変化し、最後には笑いと恐怖の境界を溶かす怪物的な作品へと進化していく。最初は「ふざけたホラー系スレのノベライズかな?」と油断する。読みながら笑う。
でも、ふとした瞬間に背筋が凍る。そして、ページを閉じる頃には「これはジャンルじゃなくて、文化体験だ」と唸ることになる。冗談抜きで、そういう一冊なのだ。
掲示板という舞台装置のリアルすぎる完成度

この作品の最大の特徴は、その構造にある。いわゆる「掲示板小説」だ。
物語が、ほぼ全編スレッド形式で語られていく。スレ主が現れ、怪異を報告する。それにレスがつく。煽る者、助けようとする者、茶化す者、知ったかぶりをする者、いきなりスレ違いの話を始める者……そのカオスっぷりが、妙にリアルだ。
このフォーマットは、ある種のノスタルジーと直結している。特に2000年代初頭にネット文化に触れていた人なら、「うわっ、こういう空気あった!」と反射的に思い出してしまう。
あの頃のネットは、今のような洗練されたプラットフォームなんかじゃなかった。無責任で、匿名で、でもやたらと熱量の高いやり取りが、深夜に延々と続く。読んでいると、まるで自分もスレにROMっている感覚に陥る。
しかも、全員が嘘をついているわけじゃない。というか、嘘か本当かなんて、誰にもわからない。怪異が起きてるかどうかなんて、そもそも検証できない。でもその分、どのレスにも可能性がある。その不確かさこそが、なんとも言えぬ恐怖を生み出すのだ。
そして、この形式がすごいのは、読んでいる人を「当事者」にしてしまう点だ。私たちはパロディの世界に飛び込んで、物語を観察している傍観者ではなく、スレを見守る「名無し」になる。
コメントはしないけど、全ログを読んで状況を把握し、誰が嘘をついていて、どのレスが重要かを勝手に取捨選択している。まるで、現代の怪異に対する参加者のようなポジションに置かれるのだ。
これはまさにフェイクドキュメンタリーの強み。現実か虚構かわからない、でもそれっぽさだけは本物。その曖昧な境界線の中で、気がつけばページをめくる手が止まらなくなっている。
まるでネットの海で深夜に都市伝説スレを追っていた、あの頃の自分が再起動してしまうのだ。
笑いと恐怖の化学反応──「オモコロ」の魔法
この作品の異常な完成度は、著者・城戸氏の筆力だけでは説明がつかない。その背後にいるのが、ウェブメディア「オモコロ」である。ここが強い。
オモコロといえば、「真剣にバカなことをやる」ことで知られるネットカルチャーの最前線。脱力系のノリと、突き抜けた企画力で知られるが、彼らが本気でホラーをやると、こうなる。恐ろしく、そして笑える。だが、そのどちらも演出ではなく、構造として物語に組み込まれているのだ。
たとえば、怪異の深刻な描写が続く中で、突然「しょうもないスレ民のやり取り」が挿入される。その軽さに笑ってしまうが、直後に襲ってくる恐怖描写の急降下に「これはヤバい」と一気に緊張を引き戻される。このジェットコースター的読書体験が、本書の真骨頂である。
もっと言えば、このジャンルブレンドの妙は、我々がインターネット上で日常的に経験してきた情報のカオスそのものだ。真剣な投稿の後にギャグレスがつく。感動話の下にコラ画像が貼られる。ネットはいつだって、真面目とふざけの境界が曖昧だった。
この物語がそれを再現しているだけでなく、「この混沌こそがネット文化の本質なんだ」と再確認させてくれる点でも、本作はとんでもない出来栄えなのだ。
「悪魔情報」とは誰か? 救世主のパロディ
そして何より、この物語を象徴する存在が、「悪魔情報」というハンドルネームである。名前のインパクトがまず凄まじい。初見では「厨二病か?」と思ってしまうが、読めば読むほど、この名前に込められたアイロニーと深みがわかってくる。
彼は、怪異に見舞われたスレ主に現れ、助言を与え、ある意味救済をもたらすキャラクターだ。だが、そのスタイルは決してカリスマ的ではない。やや挙動不審で、真剣な話の合間に妙なユーモアを挟み、しばしばバカにされる。でも、核心は突く。怪異に対して真正面から向き合う。
彼が救世主的でありながらヒーローになりきれないという描き方が絶妙で、読者との距離感を一気に縮めてくれる。正直、読んでると「こういう奴いたな〜」と思ってしまう。オカルト系の知識にやたら詳しい、ちょっと浮いたネットの住人。でも、嫌いになれない。むしろ、いてくれてよかったと思える。
彼のバランスの悪さが、物語をリアルにし、同時に笑いと恐怖の橋渡しをしている。もし彼が完璧なキャラだったら、この物語はもっと平坦で、つまらなくなっていたと思う。でも彼は完璧じゃない。だからこそ、最後まで信じてしまうのである。
紙で読む意味 ネット文化の保存装置としての一冊
本書はもともとウェブ連載で話題になった作品だが、書籍化されたことによって、完全に「別物」へと昇華された感じがある。
まず、書き下ろしパートのボリュームがデカい。全体の3割を超える勢いで新ネタが収録されており、連載を追っていたファンも「これは読まなきゃ損」となる仕様だ。
さらに、構成の完成度が異常に高い。掲示板形式のラフな印象を持っていた人ほど、この物語が「伏線と構成でできている」ことに驚くだろう。あちこちに貼られた意味不明なレス、冗談に見えた雑談、すべてが最終的に物語のコアに絡んでくる。
最後のページを閉じた瞬間、「そういうことだったのか……」と背筋がゾワッとする。この伏線回収による感情の回転は、物理書籍だからこそ味わえる体験だ。
さらに見逃せないのが、「紙の本としての手触り」が、この作品のテーマと共鳴している点である。ネットの情報は刹那的で、蓄積されず、すぐ流れてしまう。でも本作は、その刹那的な怪異を、「物理メディアに記録」することで残してしまったのだ。
これはつまり、消せないバグが保存される記録へと反転した、恐怖そのもののメタ構造でもある。
これはジャンルではない、時代である
『悪魔情報』を読み終えて最初に浮かんだ言葉は、「これはジャンルじゃない。時代だ」という一言だった。
ホラーでもない、コメディでもない、ラノベでもない、純文学でもない。でも、全部の要素がある。
そして、全部ちゃんと成立している。ネット文化に育てられた世代にとって、この物語は記憶の再現装置であり、そして恐怖の再定義でもある。
もしあなたが、「あの頃のネットが懐かしい」と思う世代なら。
あるいは、「なんか最近のホラーは、なんかぜんぶ同じに見える」と感じてる人なら。
この本は、間違いなく刺さる。しかも、想像しているよりずっと深く、ずっと強く。
笑って、震えて、また笑って、最後はゾッとする。
そんな読書体験が欲しいなら、『悪魔情報』は最高のログイン先だ。

















