まず、書名からしてミステリ好きにはたまらない。
『新・黄色い部屋』というタイトルを見た瞬間、反射的に「ガストン・ルルーか!」と叫んだ人も多いはずだ。
そう、あの『黄色い部屋の謎』へのオマージュである。ミステリ史における「密室」という概念を決定づけたこのフランス古典へのリスペクトを、編者・福井健太は真っ向からタイトルに据えてきた。
では、「新」とは何か? これは単なる懐古趣味ではないという宣言である。密室トリックの進化系、論理的思考の継承、そして何より「読者を唸らせる犯人当ての妙技」が、このアンソロジーには詰まっているという合図だ。
しかも、ルルーが提示したような物理的密室の謎にとどまらず、心理的密室や倒叙的錯誤すら包含している。つまり、「犯人当て」という一点において、あらゆる知的な手段をもって挑まんとする──そんな気合いがこのタイトルからにじんでくる。
また、編者の狙いは明確だ。『黄色い部屋の謎』が「論理による謎解き」の黎明であったように、本書の10編は「推理の美学」が最も輝いていた日本ミステリの黄金期、1940〜60年代にフォーカスしている。
つまりこれは、ただの短編集ではない。古典へのオマージュであり、知のゲームへの再招待であり、昭和の空気を纏った知的なトレーニングジムなのだ。
犯人当てという名の知的決闘

このアンソロジーの本質をひと言で表すならば、「読者への挑戦」である。
「読者への挑戦」とは何か?
それは物語の途中、探偵が真相を語る前に、作者が読者に向かって突きつける一種の宣言である。
「必要な手がかりはすべて提示した。あとは君の頭で考えてみろ」
この仕掛けは、J・J・コニントンやエラリー・クイーンが発明・発展させたものだが、日本では戦後、高木彬光や坂口安吾らが積極的に取り入れたことで広く定着した。本書に収録された「妖婦の宿」や「投手殺人事件」は、まさにその系譜に連なる。
注目すべきは、「挑戦状」という形式が単なるトリックやギミックではなく、「読者と作者の対等な勝負」になっている点だ。作者はズルをせず、手がかりは提示済み。あとは読者がそのロジックをどう料理するかにかかっている。
そして、このフェアプレー精神こそが、探偵小説を単なる娯楽から「知的なスポーツ」に昇華させた最大の発明である。
解決が約束された密室。破られるべき論理の構造。
そして、読者は〈読み手〉ではなく〈探偵〉として迎えられるのだ。
10の謎という名の饗宴
さて、ここからは収録作品を簡単に紹介していこう。
1. 高木彬光『妖婦の宿』
神津恭介が登場する、本格ミステリの王道中の王道。密室トリックの美しさ、証拠のフェアネス、そしてラストのキレの三拍子が揃っている。「お前はこの密室を解けるか?」という古き良き挑戦状の香りがたまらない。
2. 坂口安吾『投手(ピッチャー)殺人事件』
プロ野球界を舞台にした殺人劇。無頼派でありながら、ミステリ愛が強すぎる坂口安吾が描く犯人当ては、「心理の足跡」重視。ホームランではなく、内野ゴロでの勝負球を決めてくる感じがいい。
3. 土屋隆夫『民主主義殺人事件』
タイトルで損してる気もするが、中身は超上質。緻密な構成と丁寧な証拠の積み上げで、読み応え満点。派手なトリックよりも、論理の緊張感を味わいたい人向け。
4. 江戸川乱歩『文学クイズ「探偵小説」』
ミステリ界のレジェンドからの変化球。クイズ形式という変則ルールで、謎解きの純度を高めた短編。1ページで笑って、2ページでうなって、3ページで「くっそ……!」となる。
5. 飛鳥高『車中の人』
二重構造が巧妙。「誰が犯人か」と「誰を追ってるのか」の二重の謎。地味だが堅実。密室トリックより視点トリックに惹かれる人向け。
6. 佐野洋『土曜日に死んだ女』
真相が明かされると「なーるほどね!」と膝を打ちたくなるタイプ。地味だけど丁寧。名探偵じゃなくても、日曜には解けるレベルでフェアなのが嬉しい。
7. 菊村到『追悼パーティ』
クローズド・サークルでありながら、舞台はパーティ。関係者が全員容疑者というベタ設定だが、それを上質な構成で仕立て直している。
8. 山村正夫『高原荘事件』
元ネタはNHKの推理番組用シナリオ。つまり最初から「視聴者=読者が解く」前提で作られている。構成が明快で、ちゃんと謎解きできるのでゲーム性が高い。
9. 陳舜臣『新・黄色い部屋』
本書の表題作。ルルーの密室に対する日本からの返答のような一編。軽やかでユーモラス。派手な爆発はないが、ロジックの継承という意味では重要作。
10. 笹沢左保『愚かなる殺人者』
最後を締めくくる一編にして、タイトルが最大の手がかりという仕掛け。人間心理の機微を描きながら、読み手に鋭く問いかけてくる。地味だが味わい深い。
これは昭和じゃなくて未来の本だ

「でも古いミステリなんでしょ?」と思った人、少し待ってほしい。
確かに、収録作品が書かれたのは昭和中期だ。でもこの本のテーマ、つまり「頭を使って論理で真実にたどり着く」というのは、今のエンタメにこそ必要な緊張感じゃないだろうか? SNSで答えが秒速で拡散される時代に、あえて「自分で考える」読書体験ができる。これは、むしろ新しい。
それに、構成も秀逸だ。長編っぽい中編でじっくり攻めて、後半はクイズやショートでテンポよく畳みかける。読者の集中力に合わせて、まるで「脳のジムメニュー」を組んでくれてる感じだ。編集の福井健太さんは、ほんと名キュレーターだと思う。
収録順にもちゃんとした意味がある。頭脳を使いながら読ませる長編系から始まり、推理クイズやトリック重視のショートに移っていく流れは、読者の体力や気分の波を見越した設計だ。読み終わる頃には、こっちもちゃんと鍛えられてる実感がある。
それに昭和の時代背景は、今読むと逆に新鮮だ。木炭バスとか、女性のバス車掌とか、もう完全に見ることのない風景。でも、それがリアルに描かれていて、ちゃんと事件の背景に溶け込んでいる。時代のディテールが、逆にトリックの説得力を高めているのだ。
つまり、トリックが時代を味方につけたミステリというわけ。今じゃ成立しない設定も多いが、それが逆に光る。スマホも監視カメラもない時代だからこそ成立する不可能犯罪の妙味。そういう意味でも、この本は昭和じゃなくて「現代にこそ読みたい一冊」なのだ。
あなたは犯人を見破れますか?
というわけで、『新・黄色い部屋』は、ただの古典短編集じゃない。
昭和の名だたる作家たちが、「それもう知ってるよ!」みたいなロジックや、「その手は見抜いたつもりだった!」というトリックを、鮮やかに裏切ってくる。読者としては、悔しくてニヤけるしかない。そんなやられ体験が、これでもかってくらい詰まってる。
誰がやったか? どうやったか? なぜやったか?
その全部を、自分自身の頭で拾って、繋いで、推理していく。ページをめくる手を止めて、「……あれ? もしかして?」と考える時間すら、この本の本体である。つまり、読むこと自体がすでに挑戦であり、勝負なのだ。
犯人当ての黄金時代は、決して過去のものじゃない。ちゃんとフェアに、すべての情報を提示した上で、読者の論理だけを試してくる。
このゲームの魅力は、実はどんな時代でも古びない。むしろ、情報があふれすぎた現代こそ、こんな読んで考える体験が必要なのかもしれない。
犯人当てのパズルに挑むってのは、たぶん「自分の思考の精度を試す」ということなんだと思う。だからこれは、単なる娯楽じゃない。
犯人当ての黄金時代は、ページの中でいまだ健在だ。
そして今こそ、その舞台に立つ時が来た。

















