2025年8月の読書の中から、これは面白い!と思った17冊を紹介するよー。
1.狙われたキャンピングカーと、信じたい嘘―― ホリー・ジャクソン『夜明けまでに誰かが』
RV車で春休みの旅。6人の若者たちがキャンプ気分で出発した先に待っていたのは、まさかの銃撃と監禁だった。
「6人の中に秘密を抱えた者がいる。夜明けまでに告白しろ。さもなくば全員死ぬ」
もう楽しい旅行どころの話じゃない。
物語の舞台は、全長約9.5メートルのキャンピングカー。その中で、外からは狙撃手のプレッシャー、内側では疑心暗鬼と焦燥がぐるぐると渦を巻く。わずかなスペースの中で交わされる会話や視線のひとつひとつが不安を増幅させていく感じ、まさに圧力鍋といった感じだ。限られた空間と時間を使い倒して、スリルと緊張を極限まで煮詰めてくる。
そして何よりすごいのは、キャラの配置だ。中でもリーダー格のオリヴァーは、間違いなくこの作品の最悪ポジション。声がでかい、威圧的、自分のことばっか。誰もがイラッとさせられる存在だ。でもその嫌悪感が、うまくトリックの煙幕になっている。ムカつく奴に注目してる間に、もっと深いところで何かが進んでる。この誘導のうまさがまたニクい。
ジャクソンといえば『自由研究には向かない殺人』の緻密な調査系ミステリで有名だけど、今回はガラッと変わっている。論理より本能。過去の謎解きじゃなく、今この瞬間をどう生き延びるかの話だ。
情報を集める暇もなく、ひたすら追い詰められていく構成がスピード感を生む。形式が変わっても面白さはそのままどころか、むしろ加速している。
逃げ場なし、時間なし、信じられる相手もなし。最後まで気が抜けない一作だ。

2.眠ったままの容疑者と、目覚めるたび崩れていく真実―― マシュー・ブレイク『眠れるアンナ・O』
殺人現場にいたのは、血まみれのナイフを手にした若い女。そしてその女は、昏睡状態のまま目を覚まさなかった。
4年が経っても、だ。
アンナ・オグルヴィ。世間じゃ〈眠れる容疑者〉とか〈アンナ・O〉なんて呼ばれている。彼女が目を覚まさない限り、事件は裁かれない。そこで登場するのが、睡眠犯罪の専門家ベン・プリンスだ。アンナを覚醒させるため、彼は精神の迷宮に飛び込むことになる。
この話、ただの医療ミステリと思ったら痛い目を見る。「眠っているあいだに何があったのか?」という疑問は当然として、「そもそも目覚めた人間は、本当にあのときのアンナと同じなのか?」という問いにまで踏み込んでくる。
いや、問いというより不安の塊だ。記憶、人格、自己認識――全部ぐらぐらに揺らされる。ベンが扉を開けようとするたび、こっちの頭も感情もかき乱されるわけだ。
さらにこの作品、仕掛けの数がハンパない。どんでん返しが何層にも折り重なっていて、「これが真相だ」と思ったそばからひっくり返される。犯人が変わり、トリックがひっくり返り、動機さえも再構築される。
しかもそれが全部、無理なく繋がってるのがすごい。一つの事実で世界が崩壊する――そんな体験が何度も訪れる。気づけば、主人公の思考すら信用できなくなってくる。
眠っているのは彼女だけじゃない。信じていた現実すら、目を覚ませば別物になっている。そんな感覚が、読み終わったあともずっと残る。
これは、ひと味違うサスペンスを求める人にこそ刺さるやつだ。

3.菌に喰われる館と、死んでなお崩れないもの―― T・キングフィッシャー『死者を動かすもの』
エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』を読んだことがあるなら、この作品の始まりには見覚えがあるはずだ。
病に伏した幼なじみから届いた手紙、朽ちた館、荒れた沼地、兄と妹の奇妙な関係。でも、ここからが違う。T・キングフィッシャーは、この古典ホラーを容赦ない「菌」の物語へと作り替えてしまった。
アッシャー家の館が崩れるのは、象徴でも運命でもない。それは、はっきりとした理由がある崩壊だ。寄生する菌が、壁を蝕み、人の体を乗っ取り、精神さえも腐らせていく。曖昧だった恐怖は、顕微鏡のピントが合うように輪郭を持ち始める。
これが気持ち悪いくらいリアルで、でも目が離せない。ゴシックからボディホラーへ――その変化は大胆で、しかも説得力がある。
そして何より主人公イーストンがいい。退役軍人で、冷静な分析と辛辣なユーモアを武器に、不気味な館の謎に切り込んでいく。受け身じゃない。怖がりながらも、ちゃんと抗う。その姿勢が作品全体のテンションを押し上げているし、何より「読ませる力」を生んでいる。
性の概念が曖昧な兵士という設定も実にいい。ポーの世界観に、新しい視点が混ざったことで、物語がずっと生きたものになっている。
怪談の皮をかぶった菌類ホラー、そしてアイデンティティと生の感覚をめぐる戦い。原作を知っていても知らなくても、この作品の底にある不気味さと再構築の巧みさは十分味わえる。
古典に敬意を払いつつ、しっかりと壊してくれるところが最高だ。

4.日常のすぐ隣、夕暮れと影のあいだに―― レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国【新訳版】』
レイ・ブラッドベリの『10月はたそがれの国』は、19編の幻想的な物語を収めた一冊だ。ゾンビも殺人鬼も出てこないけど、なぜかゾクリとくる。派手さはなくとも、ひたひたと忍び寄る感覚に背筋がざわつく。
この作品の魅力は、なんといっても「雰囲気」で押してくるところだ。秋の湖畔、黄ばんだ草原、風の音。そういう描写の中に、ふとした死の記憶や喪失がすべり込んでくる。
たとえば『みずうみ』という短編。死んだ少女と、秋の景色と、過去の記憶が溶け合って、なぜか甘くて苦い。ブラッドベリは、言葉で説明しない。匂いや風景や沈黙で、こっちの感情をじわっと動かしてくる。
しかも恐怖の種は、決して異世界に落ちてるわけじゃない。メキシコへの旅だったり、赤ん坊の誕生だったり、病気の少年と犬だったり。全部ごく普通の出来事だ。でも、そこにたった一つの異物が混じるだけで、風景がひっくり返る。
『小さな暗殺者』では、生まれたばかりの赤ん坊が殺意を持っているという発想がすごい。無垢の象徴が、にじむように異形へと変わる。その変化が、一番怖い。
ブラッドベリは教えてくれる。「たそがれの国」はどこか遠くにあるんじゃない。気づけば、もうその中に立ってる。
身の回りの景色がふと違って見えた時、それはもう入口を踏み越えてしまったということなのかもしれない。

5.黙らされてきた男が、ついに語りはじめる―― パーシヴァル・エヴェレット『ジェイムズ』
『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んで育った人は多いと思う。でも、その隣にいたジムのことを、どれだけ覚えているだろうか。
パーシヴァル・エヴェレットは、この沈黙させられてきた男――本作では「ジェイムズ」――に、ついに声を与えた。
語られるのは、自由を求めて逃げ出した一人の黒人奴隷の物語。でもこれは、ただの逃亡劇でもなければ、ノスタルジックなリメイクでもない。川を下る旅の裏には、常に死の気配がつきまとう。白人の子どもには「冒険」に見えたものが、ジェイムズにとっては命がけの移動だ。この視点の転換がすごい。物語がまるごと、別の色を帯びてくる。
さらに強烈なのが言葉だ。ジェイムズは、白人たちの前ではわざと崩れた言葉を話す。無害に見せかけるための仮面。でも、頭の中では鋭い分析を繰り広げていて、仲間内では知的な会話を交わしている。このギャップがめちゃくちゃ効いている。読み進めるうちに、読んでいるこっちまで二重構造の中に取り込まれていく感覚がある。
そして気づく。これは、文学そのものに対する挑戦状だと。これまで語られなかった側の人間が、自ら物語を握り直すことで、歴史や正典の地盤がぐらつき始める。この感覚はかなり痛快だ。
沈黙を強いられてきた人間が、自分の声を取り戻す。それは叫びではなく、驚くほど静かで、理性的で、そして強い。だからこそ、言葉の重みがずしりと残る。
これは、物語の裏側をひっくり返すというより、ようやく正面から語られた物語だ。
6.美しすぎて、食べるのが怖い―― ジャニス・プーン『ハンニバル・レクター博士の優雅なお料理教室』
レクター博士が作る料理には、いつも恐ろしさが添えられている。美しく盛りつけられた皿の中に、何が隠されているのか。
ドラマ『HANNIBAL/ハンニバル』を観た人なら、あの料理シーンの異様な美しさと背筋の冷たさは忘れられないはずだ。本書は、その料理をすべて手がけたフードスタイリスト、ジャニス・プーンによる、狂気と美食のレシピ集である。
といっても、ただのレシピ本ではない。舞台裏のエピソード、料理の意図やシンボリズム、コンセプトアートまで詰まっていて、もはやアートブック。なぜこの料理がこのシーンで使われたのか? なぜこの色、盛りつけ、質感なのか?
それらの裏にある物語まで語ってくれるから、時間を忘れてのめり込んでしまう。レクター博士の料理は、感情や支配や死のメタファーなのだ。
心臓、腎臓、脳みそ……もちろん代替素材で安全に。でも、再現してみるとわかる。この本は、ただのファングッズではなく、ハンニバルの世界に足を踏み入れる体験そのものだ。料理を完成させるたび、自分が博士の狂気とエレガンスの狭間に立っている気分になる。その背徳感こそが、本書の魅力だ。
美しくて残酷。冷たくて優雅。
この両極を成立させるハンニバルというキャラクターの本質が、皿の上に詰まっている。

7.「祝う」と「呪う」の境界線で―― 三津田信三『寿ぐ嫁首 怪民研に於ける記録と推理』
その婚礼は、最初からおかしかった。
「山神様のお告げ」によって日取りが決まり、「嫁首様」なる屋敷神を鎮めるために、異様な風習が延々と続く。花嫁行列の最中には、誰にも気づかれずについてくるもう一人の花嫁。
そして披露宴の直前、神を祀った巨大な迷宮で首がねじれた死体が見つかる――これは、恐怖と謎が綯い交ぜになったとびきり厄介な事件だ。
三津田信三といえば、怪異×論理のハイブリッドで知られる作家だけど、本作も例に漏れずその魅力が全開。「嫁首様」なる因習や迷宮社の構造は、ただのホラー演出ではなく、事件の核そのものに食い込んでくる。
祟りか? それともトリックか? どちらとも割り切れないまま、読み手は村の闇と推理の沼を行ったり来たりするはめになる。
さらに面白いのが、「怪民研」シリーズという新展開だ。おなじみ刀城言耶は登場しないけど、その助手・天弓馬人が代わりに安楽椅子探偵を務める。現場で走り回るのは大学生の瞳星愛。彼女が体験するのは純度100%のホラーだが、それを天弓がひたすら論理で解体していく構図がクセになる。怖さと頭脳戦が同時進行するこの二重構造、めちゃくちゃうまい。
論理で怪異に挑んだ結果、わかってしまった「真相」は、たしかに筋が通っている。でも、それでも拭いきれない何かが残る。祝うはずだった婚礼の場が、呪いの儀式だったかのような後味の悪さ。
この消えない気配こそ、三津田ホラーの真骨頂だ。

8.コーヒーの苦みと、謎解きの余熱―― 水見はがね『朝からブルマンの男』
一杯2000円のブルーマウンテンを、苦い顔で飲み干す男がいた。
週に三度、開店直後の喫茶店に現れて、同じように注文し、時には残して帰っていく。美味いから飲んでるわけじゃない。じゃあ、なぜ? このささやかな違和感が物語の始まりになる。
本作は、日常の中にひそむちょっとした謎を拾い上げ、論理と人間味で解き明かしていく短編集だ。表題作のほか、「金曜だけ母の料理がまずい理由」や「怪談っぽさをまとった密室ミステリ」など、殺人は出てこない。
でも、だからこそ引き込まれる。謎の種が日常に近ければ近いほど、その背後にある人間くささが沁みてくる。
物語を動かすのは、ミステリ研究会に所属する大学生コンビ、志亜と緑里。好奇心で突っ走る志亜と、どこか飄々とした天才タイプの緑里。このふたりのやりとりが心地いい。
かけあいはテンポよく、関係性には温かみがあって、謎解きの合間にも自然と笑ってしまう。ただの事件簿じゃなくて、ちゃんとふたりの話として読ませてくれるところがうれしい。
謎が解ける瞬間にはちゃんと驚きがある。でもその先にあるのは、ちょっとほろ苦くて、でも悪くない気持ち。タイトル通り、ブルマンの後味みたいな読書体験だ。
日常のすぐそばで、こんなにも豊かなミステリが成立するということ。それ自体が、なによりの驚きかもしれない。

9.あの女の声は止まらない―― 真梨幸子『フジコの十ヶ条 殺人鬼フジコの衝動』
彼女の名は、フジコ。かつて一家全員を殺され、自らも15人以上を手にかけた伝説の殺人鬼だ。
人間があそこまで壊れるのかと戦慄した『殺人鬼フジコの衝動』から数年。今度は死後に、その教えがネットで拡散し始める。「フジコの十ヶ条」。従えば成功する、幸せになれる――そんな甘い謳い文句のもと、なぜか不穏な死が立て続けに起きる。
このシリーズのすごさは、ひとりの殺人鬼を描いて終わらないところだ。『十ヶ条』ではフジコの思想がネット社会でミーム化し、別の誰かの手で再生産されていく。
もう彼女は死んだはずなのに、その言葉だけが生き続け、誰かの心に感染し、行動を歪めていく。サイコパスの恐怖から、思想そのものが暴走する恐怖へ。これはもはや「フジコという現象」の話だ。
語りも相変わらずややこしい。視点は頻繁に変わるし、誰が本当のことを言っているのかもよくわからない。そもそも「本当のこと」って何だっけ?と混乱しているうちに、ページは進み、結末にたどり着いた頃には自分の足元がぐらぐらしている。気づけば、読まされた側の自分がいちばん操られていたのかもしれない。
スカッとしないし、救いもない。でも目が離せない。読む側の感情を揺さぶるというより、グチャグチャにかき混ぜてくる。
このシリーズが怖いのは、人間の弱さも醜さも「あるある」として描いてくるところだ。だから、フィクションのはずなのに、やけにリアルに刺さる。
10.あの日の血が、まだ乾いていない―― 櫛木理宇『七月の鋭利な破片』
14年前の林間学校で、少年が殺された。その記憶は、関係者の心に鋭く刺さったまま、抜けないまま、ただ埋もれていた。
そして今。またひとり、仲間が殺された。それも、首を絞められて。誰が? なぜ? そもそもあの日、本当に終わっていたのか?
櫛木理宇は、トラウマの書き方がうまい。過去の事件と現在の出来事を交互に描きながら、子供時代の「痛み」が、いかに形を変えて大人の人生にまで染み込んでいくのかを見せてくる。
タイトルにある「鋭利な破片」とは、記憶のことだ。ずっと刺さってるのに、忘れたふりをして過ごしてきた。でも、それが身体の中で腐っていたとしたら? 本作は、そういう感覚をめちゃくちゃリアルに呼び起こす。
さらに怖いのが、大人たちの存在だ。事件の裏には、無責任な親や、腐った教師たちの姿がある。子供を守るはずの立場の人間が、逆に加害に回る。この構図が本当にイヤだ。でも目を逸らせない。家庭も学校も地域社会も、どこかで壊れていて、そのヒビの中から暴力が吹き出した――そんな印象を受ける。
しかも、被害者の少年・乃江瑠が絶対的な被害者じゃないところも厄介だ。生き残った4人の中には、彼に対して複雑な感情を抱いていた者もいる。ただ可哀想だった、とは言いきれない。そのモヤモヤが、ずっと物語を支配していて、読み手も簡単には同情も怒りも持てなくなる。
重い。だけど、読まされる。これは、過去に囚われたまま生きてしまった人間たちの物語だ。
そして、その過去がいかに暴力的に現在を汚染し続けるのかを描いた、骨太な社会派ミステリでもある。
11.地獄は、きちんと設計されていた―― 飛鳥部勝則『ラミア虐殺』
吹雪に閉ざされた山荘、次々と死んでいく奇妙な面々、探偵、密室、推理。
これだけ聞けば王道の本格ミステリだと思う。実際、最初はそう見える。だがそれは、見事なまでの「罠」だった。
『ラミア虐殺』は、ジャンルという枠をいったん全部組み立ててから、それを笑いながらバラバラにしていく作品だ。登場人物たちは疑い、暴れ、壊れていく。論理的な謎解きが始まるかと思えば、次の瞬間には誰かの理性が吹き飛ぶ。
簡単に言えば「バトル漫画のキャラを雪の山荘に押し込んだらなぜかミステリになった」という感じだ。そのくらいめちゃくちゃで、それでいて、なぜか精密に機能している。
読み味はとにかく異様。文体は冷静で抑制されているのに、起きていることはどこまでも過激。推理小説を読んでいるはずなのに、気づけばホラー、幻想文学、果てはサイキックバトルに近いものまで混ざってくる。それなのに、作品としての重心は常にぶれていない。全部がちゃんと飛鳥部ワールドの中で統御されている。
本作における「山荘」は、密室殺人の舞台というより、人間という生き物の本性を剥き出しにするための装置だ。誰が犯人かよりも、誰が最初に壊れるか。誰が最後まで人間でいられるか。そういう視点で読み進めると、悪寒が走る。
これは、謎を解く本ではない。謎と一緒に、常識や心のバランスを崩されていくための本だ。きれいに終わらない。すっきりもしない。
でも、読み終えたあと、確実に何かが削り取られている。そういう一冊だ。
12.その言葉を口にしたときから、もう後戻りはできない―― 三浦晴海『なぜ「あしか汁」のことを話してはいけないのか』。
最初に言っておくと、この本は読まない方がいい。
少なくとも、タイトルを見て「なんだこれ」と笑った人には、あまりおすすめできない。でももし、「なぜ話してはいけないのか」が気になってしまったなら、その時点でもう、この奇妙な調査記録から逃げられない。
大叔父の遺品に残された謎の言葉「あしか汁」。これをきっかけに、著者・三浦晴海は友人たちと共に調査を始める。最初は奇妙な単語遊びのように思えたが、掘り下げるほどに出てくるのは、戦時中の闇と、生々しい証言、そして妙にリアルな死亡者のリスト。協力者は全員、今はこの世にいない――この事実が、冗談を全部凍らせる。
本作はモキュメンタリー形式で書かれている。つまり、フィクションなのにノンフィクションの顔をしている。淡々と綴られる調査記録、インタビュー、引用資料。その全部が恐ろしく「それっぽい」。幽霊も怪物も出てこないのに、なぜかページをめくる手が重たくなる。なぜなら、出てくるのは人間の記憶と、意志と、隠蔽された過去だからだ。
読んでいるうちに気づく。これは「怪談」ではなく、「伝染性のある知識」の話だ。知った瞬間にもう元には戻れないタイプのやつ。カリギュラ効果を逆手に取ったタイトルも秀逸で、「話してはいけない」と言われたことを、どうしても確かめたくなる心理が完璧に設計されている。
読み終えたあとも、何かが残る。自分の中に「あしか汁」という言葉が根付いてしまったことへの、うっすらとした後悔。これが、この本の一番怖いところだ。
13.殺すつもりだったのに、殺されてた―― 織守きょうや『ライアーハウスの殺人』
自作の小説をボロクソに酷評された腹いせに、リアル殺人事件を計画したお嬢様がいた。
その名は彩莉。ネットで傷つけられたプライドを晴らすべく、孤島にトリックだらけの館を建て、かつてのレビュアーたちを招集。あとは自作小説どおりに殺せばOK――のはずだった。
なのに、目覚めたら自分の計画どおりに死体が転がっていた。しかも、殺した覚えはまったくない。
計画犯が、誰かに殺人計画を奪われる。しかもその「台本」は自分が書いたもの。その時点で、すでにこの作品の勝ちが決まっている。読者は最初から犯人の頭の中に入り込み、トリックの中身まで知っているのに、誰が実行したのかがわからないという不思議な構図が、やたらスリリングだ。
そしてこの館、「ライアーハウス」の名のとおり、住人も空間も嘘だらけ。誰の発言も信じられず、部屋の構造すら怪しい。叙述トリック臭がプンプンするのに、彩莉のテンパり具合と、毒舌メイド・葵との掛け合いが妙にテンポよく、笑えてしまうのがズルい。殺人計画をめぐるコメディって、どういうバランス感覚なんだ。
この物語、単に犯人当てを楽しむだけじゃない。「犯罪には適性がいる」というメッセージが地味に重い。彩莉は理想に燃えるロマンチストだけど、現実の犯罪はもっと冷酷でシビアだ。だからこそ、彼女の計画を乗っ取った何者かの存在が、より鮮明に浮かび上がってくる。
探偵にも犯人にもなり損ねた主人公が、自分で書いた台本の謎を解く――そんな入れ子構造が実にいい。館の構造も嘘なら、物語の構造も嘘。
すべてが嘘でできた舞台の上で、真実だけがやけに冷たく光っている。
14.儀式は終わらない。記録が残る限り―― 斉砂波人『堕ちた儀式の記録』
この本を読み始めた瞬間から、「小説を読んでいる」という感覚は消える。
提示されるのは、東北の山村で行われる雨乞いと、四国の集落に伝わる禁じられた秘儀。そのどちらも、参加者や村人たちの証言、関連資料、断片的なスクラップとして淡々と記録されている。だがその冷静さが逆に恐ろしい。儀式に加わった少女が消える、霊力を強制的に開花させる――こうした現象が、まるでフィールドワークの報告のように綴られるのだ。
形式はモキュメンタリー。つまり虚構をドキュメンタリーの装いで語る手法だが、その作り込みが異様にリアルだ。地名や風習、伝承が細かく積み重ねられていくうちに、気づけば読んでいるこちらまで調査に巻き込まれている感覚に陥る。ページを進めるほどに、「これはもしかして実際の話なのでは」と錯覚させられる。
怖さの質は、派手な怪異や突然の恐怖とはまったく違う。何かが皮膚の下に染み込むような不穏さだ。何も解決しないまま物語が途切れるから、残された穴を埋めようとする想像力が逆に恐怖を増幅させる。
さらに恐ろしいのは、この記録の文体だ。学術的で、淡々としているのに、描かれる内容はどうしようもなくおぞましい。冷静な言葉と狂気の出来事の落差が、強烈な不協和音を生み出す。だからこそ現実の延長線上にあるように思えてしまうのだ。
儀式そのものよりも、この「記録を読む」という行為自体が呪いに近い。閉じたあともどこかで続いている気配がする。
好奇心を満たしたつもりが、いつの間にか足を踏み入れてはいけない領域に連れていかれている。そんな危うさを孕んだ一冊だ。
15.その人形は、ただの玩具じゃない―― 山岸凉子『自選作品集 わたしの人形は良い人形 』
人形ほど「怖いのに手放せない存在」もないだろう。
特に市松人形。あのガラスのような瞳にじっと見つめられると、生きているのか死んでいるのか判別できなくなる。
山岸凉子の『自選作品集 わたしの人形は良い人形 』は、その感覚を漫画で完璧に再現してくる一作だ。
話の発端は、亡くなった少女の供物として贈られた人形。本来なら一緒に葬られるはずが、母親の執着で手放されずに残ってしまう。やがて別の家庭に渡るんだけど、その時点でただの玩具じゃない。少女の叶わなかった想いと母の歪んだ愛情が詰め込まれた「呪いの器」と化して、次の悲劇を呼び込んでしまう。
山岸凉子の描き方は派手さゼロ。血の雨もなければ、大げさな叫びもない。でも、優美な線で描かれる人物の表情や、コマの隅に落ちる影がやけに怖い。ほんのわずかな翳りで心を締めつけてくる。恐怖を盛り上げるんじゃなく、淡々と見せることで逆に逃げ場がなくなる感じだ。
一番の肝は、人形自体じゃなくて人間の感情のほうにある。悲しみや渇望が強すぎて、それが人形を通して形を持ってしまう。だから怖いのは怪異じゃなく、人間そのものだというわけだ。
この自選作品集には「バンシー」「グール」も収録されていて、どれも美しさと恐怖の二重奏を味わえる。可愛い市松人形が、気づけば最悪の象徴になっている。
その転落の瞬間を描けるのは、やっぱり山岸凉子ならではだ。

16.住んでいるその部屋、本当に安全か?―― 小池壮彦『幽霊物件案内』
ホテル、マンション、オフィス、カラオケボックス。どこにでもある日常の場所が、突然「いわくつき物件」と呼ばれるとき、人はどうしてこんなに不安になるのだろう。
本書は、怪談蒐集家であり作家の小池壮彦が、自ら歩き回って集めた幽霊が棲む場所の記録だ。
扱われる舞台は、廃墟や古城のように「怖がってください」と主張してくる空間ではない。普段利用しているホテルや病院、あるいはサラリーマンが日常的に通うオフィスといった、誰もが知っている場所だ。だからこそ怖い。読んでいると、自分の生活圏もまた「幽霊物件」なのではと疑わずにいられなくなる。
小池の手法は、ただの怪談語りにとどまらない。現地調査に基づくルポルタージュのような筆致で、物件にまつわる背景や人間模様を掘り下げていく。怪異を「怖かったね」で終わらせず、社会や歴史の影と結びつけて提示する。その結果、物語は単なる怖い話から、現代日本の裏面史のような顔を見せ始める。
特に印象的なのは、幽霊が現れる場所の多くが「現代人が疲れ果て、孤独や不安を抱え込む場所」であることだ。ビジネスホテルの一室、無機質なオフィス、夜通し人が集まるカラオケボックス。そこには過労、孤立、病への恐怖といった現実の問題が沈殿している。幽霊はその不気味さの具現化とも言えるだろう。
つまり本書は、怪談集でありながら、現代社会の不安地図を描き出すドキュメントでもある。日常のすぐ隣にある異界を覗き込むと、ただの幽霊話では片づけられない、社会の影が見えてくる。
読み終えたとき、自分の部屋のドアノブにふと触れる手がためらうかもしれない。
17.言葉は刃より鋭く、世界を壊す―― 『右園死児報告 (1) (カドコミ)』漫画版
「右園死児」という名を与えられた瞬間、あらゆるものが災厄を引き起こす。
そんな馬鹿げた設定が、この作品ではぞっとするほどリアルに描かれる。元は報告書形式で淡々と綴られた小説だったが、それを漫画として可視化したことで、恐怖の質が一段と増した。
序盤は報告書形式で淡々と怪異が語られていく。少女の失踪、不可解な動物、妙な現象。書き手が感情を挟まないからこそ、逆に怖さが増していく。まるで本当にどこかの政府機関が極秘に残したファイルを読んでいるみたいだ。怪物が直接襲ってくるわけじゃないのに、情報だけで世界が崩れていく感覚がたまらない。
でもこの漫画版の面白さは、それだけに留まらない。中盤から一気にアクション色が強まり、呪いが形を持って現れる。特殊部隊が得体の知れない怪物に挑む場面は、ホラーから一転してダークな異能バトルものへ。
文字だけでは想像に頼るしかなかったグロテスクな描写が、漫画では視覚的に炸裂する。「頭部が花のように割れる」なんて表現が、ビジュアルになると洒落にならないインパクトを持つ。
報告書の冷ややかさと、漫画ならではの派手な怪異描写。そのギャップがクセになるシリーズだ。ホラー好きもバトル好きも、とにかく一度のぞいてみて。
名前を呼ぶだけで世界が壊れる――そんな悪夢を、目で直視させられるから。

おわり

