『9人はなぜ殺される』- 静かな日常に、突然突きつけられる「死のリスト」【読書日記】

  • URLをコピーしました!

もし、ある日突然、自分の名前が「死のリスト」に載っていたらどうする?

ピーター・スワンソン『9人はなぜ殺される』は、そんな悪夢のような設定から始まる物語だ。タイトルからして嫌な予感しかしないんだけど、内容はその想像を軽く飛び越えてきた。

物語のはじまりは拍子抜けするほど静かだ。アメリカ各地で、まったく関係のない9人に一通の封筒が届く。中身は紙切れ1枚。そこには9人の名前が印字されていて、そのリストの中に自分の名前もある――ただ、それだけ。

最初は「なんだこれ?」と笑ってゴミ箱に捨てる人もいる。でも、すぐに状況が変わる。リストに載っていた人物が、ひとりまたひとり、現実に殺されるんだ。メイン州でホテルを経営する老人はビーチで溺死体となって発見され、マサチューセッツ州ではジョギング中の男性が背後から撃たれる。リストがただのいたずらではなく、死の宣告だとわかるまでに時間はかからない。

ここがもう鳥肌ものだ。スワンソンは、ありふれた日常をじわじわと侵食する恐怖の描き方がうますぎる。読んでいると、自分のポストにもその封筒が入っている気がしてくる。リストに名前が載った瞬間から、もう死のカウントダウンが始まっているのだ。

目次

リストに自分の名前があったら終わり、という恐怖

そして捜査に乗り出すのはFBIのジェシカ・ウィンズロウ。だけど彼女もリストに名前がある。捜査官でありながら、次に殺されるかもしれない「ターゲット」でもある。この設定が素晴らしい。

普通のミステリーなら「追う者」と「追われる者」が分かれているのに、ここでは完全に重なってしまう。彼女が真相に近づけば近づくほど、自分の死にも近づいてしまう。読んでるこっちまで息が詰まるような緊張感が続くんだ。

何より怖いのは、このリストが「どこにでもいる誰か」を無差別に巻き込んでいること。ホテル経営者、FBI捜査官、看護師、俳優志望の若者…年齢も職業もバラバラ。だから「こういう人が狙われるんだな」という理屈が通じない。

むしろ、このリストが自分の郵便受けに届いてもおかしくないんじゃないか、と感じさせる。まさに民主化された恐怖だ。

スワンソンのサスペンスはなぜこんなにクセになるのか

読みながら改めて思ったけど、ピーター・スワンソンって本当に現代サスペンスのトップランナーだ。

2018年に邦訳された『そしてミランダを殺す』で一気に日本でも注目された作家で、その後の『ケイトが恐れるすべて』や『8つの完璧な殺人』でも、読者をだます快感に徹している。

彼の作風の特徴は、やっぱり心理サスペンスの巨匠たち――ヒッチコックとかパトリシア・ハイスミスへのリスペクトがありつつ、そこに現代的なリアリティを混ぜ込んでくるところだ。登場人物の会話や何気ない仕草の裏に、じわじわと悪意や嘘が染み出してくる。気づいたときにはもう逃げられない。

そしてもうひとつ、スワンソンは「ミステリーというジャンルそのものと遊ぶ」のが上手い。例えば『8つの完璧な殺人』では、アガサ・クリスティやハイスミスの古典ミステリが現実の殺人の手口として模倣される。つまり、彼の作品を読むっていうのは、ただストーリーを追うだけじゃなく、ミステリーの歴史そのものと会話するような体験でもあるんだ。

『9人はなぜ殺される』もまさにそうで、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を意識しているのは明らかだ。だけどこれは単なるオマージュじゃない。クリスティが描いた「閉じ込められた島での連続殺人」を、現代的にアップデートしてみせた挑戦なんだ。

孤島じゃなくても、人は簡単に孤立する

クリスティの名作では、孤島に集められた人々がひとりずつ殺されていく。完全なクローズド・サークル。読者も登場人物も、犯人はこの中にいるんだろうなってわかる。でも『9人はなぜ殺される』は、その“壁”を取り払ってしまった。

登場人物はアメリカ全土に散らばっている。お互いに顔も知らない。ただリストの上に名前が並んでいるだけ。だから一見、閉じ込められていないように見えるけど、実はもっと怖い。誰がどこで死ぬのか、次はいつ襲われるのか、まったく読めない。

そして現代社会の孤独がここで効いてくる。テクノロジーで世界はつながっているのに、隣人の顔すら知らない。そんな状況で、突然「あなたの名前はリストにあります」と突きつけられたとき、人はどうするか? リストの他の名前をたどろうとしても、互いに繋がりはない。助け合えない。結局、個人がそれぞれの生活の中で、見えない脅威と向き合うしかない。

読んでいると、地理的な孤立よりも、この心理社会的な孤立のほうがずっと怖いと感じる。クリスティの時代にはなかった、現代ならではの恐怖をスワンソンは描き出しているんだ。

ちなみに、物語の構造にはもうひとつのクリスティ作品『ABC殺人事件』の影響も感じる。あっちはアルファベット順に人が殺されていく「見立て殺人」だったけど、この作品もリストに沿って人が消されていく。だから、古典を知ってる人ならニヤッとする要素もある。けどもちろん、古典を知らなくてもちゃんとスリリングに楽しめる。

これは「フーダニット」じゃなく「ホワイダニット」

読んでて感じたのは、焦点が「誰が犯人か」じゃないってことだ。もちろん、犯人探しの要素もあるけど、それよりも「なぜこの9人が狙われたのか」という動機の謎がずっと重くのしかかってくる。

スワンソンはリストの9人をそれぞれの視点で描く。だから読者は、あるときはホテル経営者の生活に入り込み、あるときは看護師の仕事や悩みに触れる。ひとりひとりの人生が断片的に見えてくると、ただの「被害者候補」じゃなくなる。だから殺されたときのショックが倍増する。

同時に、読者は全員の情報を知っている特権的な立場に置かれる。FBI捜査官のジェシカですら把握できない情報を読者は知っている。だから頭の中でずっとパズルを組むことになるんだ。「この人たちのどこに共通点があるのか」「何がこのリストを生んだのか」――つまり、読者もまた共同捜査官にさせられているわけだ。

そして、捜査官ジェシカがリストに載っているっていうのが、物語全体の緊張感を極限まで高める。彼女がプロとして動けば動くほど、自分の命を守るための時間も減っていく。事件の核心に迫ることが、イコール自分の死に近づくことでもある。読みながら、ずっと背中が冷たくなる感覚があった。

読後に残るのは、スッキリじゃなくゾワッとする感触

ピーター・スワンソン『9人はなぜ殺される』は、ただのスリラーじゃない。古典ミステリへのオマージュでありながら、それを現代社会の恐怖に置き換えて、さらにサスペンスのレベルを引き上げている。

何が怖いって、これはクローズド・サークルじゃないのに、人は簡単に孤立するってことを突きつけられることだ。しかも、読後に残るのはスッキリした安堵じゃなく、「こんなこと、今の世界でも普通に起こり得るよな…」っていうリアルな不安だ。

リストに名前が載った理由が最後に明かされると、なるほど…とはなる。でも、その“なるほど”は、決して心地よいものじゃない。むしろ、理由を知ることで余計に怖くなる。

古典ミステリが好きな人にも、現代サスペンスが好きな人にも刺さるだろうし、何より「名前を書かれただけで死が決まる」というコンセプトの強さがすごい。

読み終わったあと、ふとポストを開けるのがちょっと怖くなる――そんなタイプの小説だ。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

目次