2025年7月に読んで特に面白かった本10冊 – 夜馬裕『イシナガキクエを探しています』ほか

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2025年7月に読んだ本の中から、特に面白かった10冊をピックアップした。

暑い日にゴロゴロしながら読んだものもあれば、気づけば夜更かしして一気に読み切ったものもある。

ジャンルはミステリー中心だけれど、今月はホラーが大当たりばかりだった。

そんな7月の読書の中から、これは間違いなくおすすめできると思った10冊を紹介するよ。

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目次

1.殺される人間の名前が刻まれたリストが届いたら―― ピーター・スワンソン『9人はなぜ殺される』

ある朝ポストを開けたら、自分の名前が書かれた「謎のリスト」が入っていた――そんな状況を想像してみてほしい。

差出人は不明、ただ9人の名前が並んでいるだけ。大半の人は冗談か迷惑メールだと思うだろう。でも、そのリストに載った人間が次々に死に始めたら?

ピーター・スワンソンの『9人はなぜ殺される』は、まさにそこから始まる。9人のうちのひとり、FBI捜査官ジェシカ・ウィンズロウは直感する。これは無差別殺人なんかじゃない。この9人には何か繋がりがあるはずだ、と。そして、犯人の思惑を解き明かす前に、自分の番が来るかもしれないという緊迫感の中で、タイムリミットとの戦いが始まる。

面白いのは、この物語がアガサ・クリスティーの古典的名作――『そして誰もいなくなった』や『ABC殺人事件』の影を感じさせつつも、舞台が現代のアメリカというところだ。

孤島や山荘みたいな閉ざされた空間じゃないのに、たった一枚のリストが、登場人物たちを見えない鎖で縛りつけていく。広い国土なのに、どこにも逃げ場がない。むしろ物理的に離れているからこそ、彼らは孤立して疑心暗鬼に陥る。その「心理的なクローズド・サークル」がすごく現代的だ。

物語は9人それぞれの視点がテンポよく切り替わっていくから、一瞬も気が抜けない。次に誰が犠牲になるのか全然予測がつかないし、ちょっとした過去の行動や忘れていた出来事が、後から思わぬ形で繋がるのがゾクゾクする。

この作品の肝は「犯人は誰か」よりも「なぜこの9人なのか」。過去に何があったのかを探るうちに、彼ら自身すら忘れていた暗い繋がりが浮かび上がる。その過程が怖いのに、妙に目が離せなくなる。

単なる犯人探しじゃなく、過去の影に飲まれていく感覚が、読み終わったあともしばらく残るのだ。

2.ハッシュタグが真実をねじ曲げるとき―― ダーヴラ・マクティアナン『#ニーナに何があったのか?』

失踪した大学生ニーナを探す母リアンの声は、あっという間にSNSの海に飲まれていく。事件の鍵を握るのは恋人のサイモン、だけど彼の言葉はどこか嘘くさい。しかもサイモンの裕福な両親は、息子の潔白を守るために高額なPR会社を雇い、ネットとメディアをフル稼働させる。

結果、真実を探すはずの場が、彼らに都合のいい「物語」を流す戦場に変わってしまう。#ニーナに何があったのか――その問いがトレンドに乗るころには、誰も本当のことなんて気にしていないのかもしれない。

ダーヴラ・マクティアナンのこのスリラー、何が怖いって事件そのものより、情報の扱われ方だ。物語は、警察の公式発表なんかじゃなく、SNSの断片的な投稿や記者会見、ニュース速報で進んでいくから、まるで自分がリアルタイムで事件を追っているような感覚になる。

でもそこに流れてくる情報は、全部が「誰かに都合のいいストーリー」。どっちの家族が世論を味方につけるかっていう、ドロドロしたナラティブの戦争が始まるのがめちゃくちゃ生々しい。

そしてテーマはめちゃくちゃシンプルで深い。〈親は子どものためにどこまでやれるのか?〉その愛情が正義と狂気の境目を軽々と超えていくのが、胸が痛いのに目を離せない。しかもネットの「正義マン」たちが参戦して、無責任な噂や陰謀論が被害をさらに拡大する。

ただの失踪事件じゃなく、現代社会の病理をまるごと詰め込んだ物語。読んでると、真実が何なのかより、どの「真実」が選ばれて信じられるのかが怖くなる。SNS社会に生きてると、この話、まるっきり他人事じゃないんだ。

3.静かな街に潜む、燃え尽きるまでの秘密―― セレステ・イング『密やかな炎』

完璧な町ほど、ひび割れたときの音は大きい。

シェイカー・ハイツという、秩序と調和を絵に描いたような計画都市で、リチャードソン家の豪邸が全焼する。火をつけたと疑われるのは、一家の「はみ出し者」、末娘のイジー。だけど彼女はすでに姿を消していた――そんな謎めいた幕開けから、物語は1年前へと時間を巻き戻す。

そこに現れるのは、芸術家のミアと娘パール。自由奔放な母娘と、リチャードソン家の秩序立った暮らしは対照的で、でも子どもたちは少しずつ惹かれ合い、やがて二つの家族の運命は絡み合っていく。さらに、アジア系の赤ん坊をめぐる養子縁組問題が町全体を巻き込み、価値観や秘密が次々に剥き出しになっていく。

表向きは平和で進歩的な街。でもリベラルな理想の裏には、見ないふりをしてきた不平等や偏見が渦巻いている。その火種に息を吹きかけるのが、エレナとミア、二人の母親の対立だ。裕福でルールを信じるエレナと、貧しくても自分の信念に従うミア。どっちが正しいかなんて簡単に言えないからこそ、この物語は胸に刺さる。

放火事件の謎は、トリックや証拠じゃなく、人間の選択と感情の積み重ねの果てにある。燃えているのは家だけじゃなく、誰も口にしなかった嘘や抑圧された思い。

タイトルの「密やかな炎」は、その心の奥にくすぶるものすべてを象徴してる。派手なサスペンスじゃないのに、じわじわと焼かれるような読後感が残る一冊だった。

4.戦後の光と闇が交錯する、歴史ノワールの渦へ―― ピエール・ルメートル『欲望の大地、果てなき罪』

華やかな石鹸工場の香りの裏で、ゆっくりと腐り落ちていく一族の栄光。1948年のレバノン・ベイルートを拠点に栄華を極めるペルティエ家は、見た目だけは完璧だった。

けれど、長男ジャンは抑えきれない暴力衝動を抱え、次男フランソワはジャーナリストとして家族の罪に触れ、三男エティエンヌはサイゴンで国家を揺るがすスキャンダルに足を取られる。末娘エレーヌは、自分の生きる道すら見失っていた。そしてパリでは女優惨殺事件が発生し、一族の運命を決定づける歯車が音を立てて回り始める。

ピエール・ルメートルは、単なるサスペンスの枠を軽々と超えてくる。これは犯罪小説でありながら、戦後の混沌と植民地主義の黄昏を背景に、人間の欲望と罪がどれほど時代と絡み合い、家族を蝕むのかを描く歴史ノワールだ。パリ、サイゴン、ベイルート――三つの都市を股にかけるプロットは複雑なのに、驚くほど緻密に絡み合い、最後には一本の太い線になる。

面白いのは、罪がただの個人的な過ちではなく、戦争の爪痕や国家の腐敗といった巨大な力にリンクしているところ。ペルティエ家の崩壊は、戦後の価値観が崩れ落ちる音そのものだ。歴史の大きなうねりと、そこに翻弄される人間の小さな欲望や秘密が同じページの上で交錯する。

ページをめくるごとに、華やかな時代の皮を剥ぎ取られ、欲望と罪がむき出しになる感覚がある。ルメートルはここでも、ただの謎解きでは終わらせない。人間の弱さと、時代の暴力を描き切る筆致が怖いほど鋭い。

派手なアクションじゃなく、じっくりと心を締め付けるような、重厚なノワールを味わいたいなら、この物語に飛び込むしかない。

5.歪んだ友情の輪郭をなぞる心理パズル―― 貫井徳郎『不等辺五角形』

仲の良い幼馴染の再会が、血塗られた夜に変わる――そんな幕開けに胸がざわつく。

葉山の別荘に集った五人の男女。楽しい再会の夜になるはずが、死体が発見され、そのうちの一人が「私が殺した」と告白し、その場を地獄に変えた。しかも、罪を認めた犯人は動機を一切語らず、残された三人の証言はどれも微妙に、でも決定的に食い違っていく。

ここで試されるのは、事件を解く頭脳よりも、人間を読み解く感覚だ。同じ出来事なのに、語る人間が変わると印象も意味も変質する。そこにあるのは嘘なのか、記憶の歪みなのか、それとも語る側の欲望や嫉妬の投影なのか。弁護士と一緒に、その揺れる証言を手繰るうちに、友情の輪郭が少しずつ崩れていく。

面白いのは、この作品がトリックやアリバイのパズルではなく、感情そのものが謎の核になっているところだ。五人の関係性は、決して平等じゃない。誰かが誰かを羨み、誰かは誰かに劣等感を抱き、誰かは黙って自分の欲を隠している。まるで、形の揃わない辺を無理やり繋ぎ合わせた「不等辺五角形」のように、バランスの取れない友情が、事件の根をじわじわと腐らせていたのだ。

貫井徳郎は、視点ごとに語り口を巧みに変えながら、人間の主観と記憶の脆さを突きつける。真実を見抜くというより、誰が何を思って生きていたのかを知る旅に近い。読み終わったあと、謎が解けた爽快感よりも、人の感情の不確かさが胸に残る。

これはただの殺人事件の物語じゃない。五人の心に潜んだ影を照らし出す、静かだけど鋭い心理ミステリーだ。

6.死体を埋めながら青春する、という倒錯―― 斜線堂 有紀『死体埋め部の悔恨と青春』

大学の先輩に「死体埋め部」に入れと言われたら、普通なら逃げる。でも祝部は逃げられなかった。

暴漢を殺してしまった自分の前に、タイミングよく現れた謎の男・織賀善一。彼は死体を片付ける代わりに、入部を強制する。しかも織賀の車には、すでに別の死体が乗っていたという悪夢のような展開。こうして、死体を埋めながら謎を解くという、倫理観ぶっ壊れの青春が始まる。

この作品の面白さは、ヤバい設定なのに推理はきっちりロジカルで、むしろフェアなミステリになっているところだ。常識的にはありえない状況なのに、祝部と織賀の会話は妙にテンポがよくて、ブラックユーモアすら感じさせる。死体処理の最中に「なぜこの人はこんな死に方をしたのか?」と推理するという倒錯した遊びが、読んでるこっちの倫理感まで揺さぶってくる。

そして織賀というキャラがまた絶妙だ。飄々としていて頼れるようでいて、どこか底知れない。祝部にとって救世主なのか、それとも破滅の導き手なのか。二人の間に芽生える奇妙な師弟関係、共犯者としての絆が、罪悪感と青春の甘さを同時に匂わせる。

読んでいると、自分が悪に加担しているような感覚に陥るのに、それでもページをめくる手が止まらない。罪と罰、悔恨と青春。

その境界をめちゃくちゃにしながらも、ちゃんとミステリの醍醐味を味わわせる、斜線堂有紀らしいひねくれた青春推理小説だ。

7.家族写真の奥に潜むもの―― 藍上 央理『完璧な家族の作り方』

「完璧な家族」って、響きはやけに理想的だけど、同時にどこか薄気味悪くもある。藍上央理の『完璧な家族の作り方』は、その不穏な違和感を徹底的に掘り下げるモキュメンタリー形式のホラーだ。

物語は、一枚の家族写真と廃墟となった「首縊りの家」をめぐる取材記録や手記、ネット記事を積み重ねることで進む。断片的な資料を読み解くうちに、あたかも自分が危険な調査に巻き込まれている気分になる。

面白いのは、古いフォークロア的な呪いと、心霊系YouTuberの突撃レポートみたいな現代の情報社会が、違和感なく繋がっているところだ。過去の一家心中や失踪事件が、SNSやネットニュースを通じて今この瞬間にも語られ続ける。呪いは古いものじゃなく、今も更新され続けているっていう怖さがじっとり染みてくる。

ホラーとしての怖さも直球の驚かせじゃなく、精神を侵食するタイプだ。証言が少しずつ食い違い、誰も真実を語っていないかのような感覚。精神を病んだ人が残した手記の異様なリアリティ。そして、最後に待っているのは、ページを閉じても頭から離れない、あの家族写真の不気味さだ。

この小説、読むというより「調査に参加する体験」に近い。気がつけば、知らないうちに首縊りの家の呪いに片足突っ込んでしまったような感覚に陥る。

静かに、でも確実に神経を削ってくる、ネット時代のフォークホラーの到達点だ。

8.日常の中に潜む設計された悪意―― 夢見里 龍『奇妙な家についての注意喚起』

家とは、本来は安心するための場所だ。でも、夢見里龍の『奇妙な家についての注意喚起』は、その前提をあっさりひっくり返してくる。

きっかけは、何気ない主婦からの相談。「うちの家、なぜか全部の部屋に排水口があるんです」──ただの欠陥住宅? いや、そんな単純な話じゃなかった。著者とネット上の協力者ヤモリさんが調査を進めるうちに、似たような奇妙な構造を持つ家がいくつも見つかる。そこに共通するのは、住む人のためではない、もっと別の“恐ろしい目的”だった。

この小説の面白さは、怖がらせ方がすごくロジカルなところにある。「この位置に窓があるのはおかしいよね」「この廊下、何のためにあるんだろう?」そんな素朴な疑問が、冷静な分析を重ねるうちに、一気に悪意の存在へと繋がっていく。幽霊も怪物も出ないのに、読んでると背中がゾワッとするのは、そこにあるのが“人間が意図的に作った恐怖”だからだ。

さらに、形式がモキュメンタリー風だからリアルさが半端じゃない。メールのやり取り、インタビュー、間取り図…まるで自分が調査の一員になったみたいな気分で読み進めてしまう。そして、最後にすべての謎が繋がった瞬間、興奮と同時に、言葉を失うほどの戦慄が襲ってくる。

家という日常の象徴が、実はまったく別の目的で作られていた──その気づきは、どんな怪談よりも怖い。間取りを見るのが好きな人ほど、この恐怖から抜けられなくなるはずだ。

9.山奥に潜む、言葉にできない異質―― 矢樹 純『或る集落の●』

人里離れた青森の山奥、そこにあるのは、名前を出すことさえためらわれる「P集落」。矢樹純の『或る集落の●』は、この集落に根付いた異様な風習と、そこに住む〈人ではない何か〉の影を描く連作短編集だ。

土地神《べら》を盲信する姉を見守る妹、禁忌の山に足を踏み入れた男、そしてどの物語にも姿を現す川辺という謎めいた男…。それぞれは独立した短編だけど、読んでいるうちに、集落全体を覆う異様な生態系がゆっくりと立ち上がってくる。

この作品の怖さは、とにかく“わからなさ”にある。土地神や集落の奥に住む存在の正体は、最後まで明確に語られない。代わりに、断片的な証言や噂がぽつりぽつりと提示されるだけ。

だからこそ、想像の余白がどんどん広がって、理屈ではどうにもならない得体の知れなさが増幅していく。読み進めるうちに、こっちの常識や価値観が通用しない“異質な論理”の世界に迷い込んでしまう感覚が襲ってくるのだ。

しかも、短編同士が緩やかにリンクしていて、一つの話のさりげない逸話が、別の話では背筋が凍る現実として現れる。読み返すほどに細部が繋がっていくから、ページを閉じた後も頭の中でずっと集落の影が残り続ける。

これは、単なる怪談じゃない。私たちが当たり前だと思っている現実の足元が、いかに脆く、簡単に侵食されるかを突きつけてくる物語だ。

理屈では割り切れない、底なしの不安を味わいたいなら、この集落に一度足を踏み入れてみるといい。

10.物語が現実を侵す瞬間―― 夜馬裕『イシナガキクエを探しています』

もしテレビで流れる人探し番組が、実はフィクションではなく、何か得体の知れない儀式の一部だったら──そんな背筋の凍る疑念を抱かせるのが、夜馬裕『イシナガキクエを探しています』だ。

もともとは2024年にテレビ東京で放送されたモキュメンタリー番組が話題の発端で、本書はその放送の裏側や未公開の資料を追う形で進む。失踪したはずの「イシナガキクエ」は、目撃されるとき常に20代の若い姿のまま。不気味なビデオ、謎の証言、そして捜索を依頼した男が残した不可解な言葉…。探すほどに、これは単なる人探しではないと気づかされる。

この作品が恐ろしいのは、読んでいるうちに〈自分も捜索に加担させられる感覚に陥る〉ところだ。番組が提示した手がかりを追う行為そのものが、まるで禁忌に触れる儀式の一部のように思えてくる。気づけばフィクションと現実の境界がぐらりと揺らぎ、「知ってしまった自分はもう安全圏にはいられない」という奇妙な不安が残るのだ。

さらに、テレビという信じやすいメディアをあえて使い、そこにリアルな電話番号や公開捜査という設定を盛り込むことで、物語は放送後もネットの考察文化を巻き込みながら増殖していく。何が真実で何が虚構か、その判断を視聴者や読者に委ねる仕掛けが、本作を単なるホラーではなく、メディアそのものへの批評へと押し上げている。

物語を読むというより、現象に巻き込まれる感覚。ホラーの境界を軽々と飛び越える、現代ならではの〈参加型〉恐怖体験がここにある。

おわり

どの本も、それぞれ違う面白さや後味を残してくれた。

きっと読むタイミングや気分次第で、また違った顔を見せてくれるんだろうなと思う。

もし次に読む一冊を探しているなら、この中からピンとくるものを選んでみてほしい。

きっと、思わぬ発見や新しいお気に入りに出会えるはずだ。

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この記事を書いた人

年間300冊くらい読書する人です。
ミステリー小説が大好きです。

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